忘れ得ぬことども

東海地方小旅行

 数日間の休みを取ることができたので、1月29日〜2月1日(平成12年)、またちょっとした旅行をして参りました。
 実際には、「ここで数日間旅に出よう」と思って、スケジュールを調整したというのが本当のところです。放っておくとなかなか按配よく休みが取れないもので……
 今回は、日曜にkushabeiさんと会う約束を取り付けていたもので、それを中心にして計画を立てました。去年の夏に、平日のお昼休みの1時間ほど、あわただしい中で会っただけだったので、今度は少しゆっくりお話をしたいと思ったのです。
 kushabeiさんのお住まいは少し離れているのですが、やはりお勤め先に近い豊橋で待ち合わせることにしました。お住まいの近くには「なんにもない」そうで。
 というわけで、日曜の朝に新幹線で発った……かというととんでもない。せっかくの楽しみの旅行を、新幹線などで突っ走っては味気ないので、土曜の仕事を終えてから新宿駅へ行きました。
 乗ったのは、特急「あずさ」の最終列車。なぜ豊橋へ行くのに中央線の特急に乗るかというのは、追い追い説明いたします。

 甲府まではかなり乗客が多かったのですが、それを過ぎるとがら空きになりました。暗いので車窓を楽しむこともなく、なんとなくうつらうつらしながら2時間45分、塩尻で下車しました。「あずさ」に乗る機会はあまりないのですが、21時に新宿を出てその日のうちに塩尻まで来られるとは、速くなったものです。
 時間があるので外へ出てみました。駅前は、何軒かのスナックを除いてはほぼ寝静まっています。さすがに凍てつく冷気がコートを通して感じられました。雪は積もっているというほどではありませんが、ところどころに凍りついています。
 なにぶん酒の飲めない体質なので、スナックに入るのも気が進まず、午前1時までやっているラーメン屋があったのでそこで時間をつぶすことにしました。こんな時間にラーメンなど食べてはますます肥りそうですが、なかなかおいしかったです。近くのスナックから客やホステスがちょっと食べに来たりするので、そんなに遅い時間までやっているらしい。

 閉店間際まで粘ってから駅に帰りました。1時22分の夜行急行「ちくま」に乗ります。昔は寝台がついていたこともあるのですが、現在は座席車だけ。というか、JR東海ご自慢の「ワイドビュー」タイプの特急車輌です。最近は急行プロパーの車輌というのはほとんどなくなりました。
 「ちくま」の車内はすいていました。前の座席をこちらに向けて足を伸ばします。これで名古屋まで行くのです。要するに、どうせ名古屋まで行くのなら、ひと晩で中央線を全部駆け抜けてみたかったというだけの話でした。
 名古屋着は5時00分。175キロほどしかない塩尻−名古屋間を3時間半以上かけて走るのですが、ワイドビューの性能ではこれは遅すぎるため、あちこちの駅で長々と運転停車(客扱いをしない停車)を繰り返します。不思議と、列車が停まると眠れないもので、あんまり寝た気もしないのですが、中津川での運転停車中にトイレへ行って戻ってから、はっと気づくともう名古屋が近くなっていました。

 名古屋に5時に着いても、他の電車は全然まだ動いていません。改札を出て、待合室で待ちたいところですが、ここで改札を出るわけにはゆかないのでした。
 というのは、私の切符は「東京都区内→東京都区内」となっているいわゆる周回乗車券なのですが、このルートでは中央線と東海道線の接続駅は金山となっており、名古屋はわずかながらはみ出してしまっているのです。「ちくま」が金山に停車しないので、改札を出ない分にはお目こぼしして貰えることになっているのですが、改札を出ようとすると、金山から名古屋までの乗り越し運賃を払わなくてはなりません。
 微々たる金額なので、どうでもよいようなものですが、なんとなく業腹な気がしたので、意地になって改札の中で電車を待つことにしました。暖房の利いている場所がないので、寒いのに閉口しましたが、東京よりはやや気温が高いようです。
 5時51分の東海道線上り初電を待ち、金山までふた駅だけ乗って、晴れて下車しました。

 kushabeiさんと待ち合わせているのは正午ですので、しばらく時間があります。そこで、97年の秋に名鉄乗り潰し「途中下車」第21回参照)をした際に乗り残した路線を潰すことにしました。
 まず、なぜか朝夕しか走っていない築港線大江−東名古屋港)。わずか1駅だけの枝線で、終点の東名古屋港もなんということもない交差点(一体港はどこにあるんだ?)にあって、なんのために存在しているのかよくわからない線です。乗客はほとんどいませんでしたが、これは日曜の朝だからかな。磁気浮上式リニアモーターカーの実験線が並行して設置されていたので、その関係で敷設したのかもしれませんね。
 それから岐阜へ廻って、岐阜市内線(路面電車)の未乗部分を乗り潰しました。路面電車にしては30分に1本くらいしか走っていないので、はたして役に立っているのだろうか……
 この岐阜市内線に乗るに当たって、電車を見逃してしまったりしたので、残る豊川線には今回も乗る時間がなくなってしまいました。金山に戻って、そのまま名鉄では行かず、JRの特別快速に乗り換えて豊橋まで走ります。この区間、もとの切符に含まれていますので、JRに乗った方が得なのでした。

 kushabeiさんとは無事会えて(最近携帯電話の普及により、「時間と場所を決めての待ち合わせ」が下手な若者が増えているとか)、とりあえずkushabeiさんお気に入りのラーメン屋に連れて行かれました。いや、ラーメンは嫌いでないので、続いても一向に構わないんですけどね(^_^;; お気に入りだけあって、味は良かったし。でもセルフサービスで、なんか学食のようであった。
 そういう店に長居するわけにもゆかないので、商店街のはずれの喫茶店に場所を移して、しばらく歓談しました。私は歓談のつもりだったけど、kushabeiさんは私などを相手にして面白かったのだろうか。退屈な相手にでも、見た目は楽しげにしゃべることのできる奇特なひとなので、一見楽しげに見えても、実はうんざりされていないとも限りません。その辺、ちょっと不安。

 私は豊橋で宿を予約してあったので、いつまででもOKだったのですが、kushabeiさんはそのあと予定が入っていたらしくて、16時過ぎくらいに別れました。
 なんとなく手持ちぶさたなので、豊橋鉄道の路面電車を乗り潰しました。珍しいことに、運転士は若い女性でした。先っぽの方だけ路線が分岐していて、まず片方の終点まで乗ってゆき、そこからもう一方の終点まで歩いてまた乗り、豊橋駅に戻る途中でちょっと下りて用を足し、一本後のに乗ったら、またさっきの同じ女運転士だったので、おやおやと思いました。タクシーやバスの運転手には女性が増えてきましたが、路面電車でははじめてお目にかかりました。

 前夜が寝不足だったので、夕食を食べるともう眠くてたまらなくなり、まだ20時を過ぎたばかりだというのに寝てしまいました。途中なんだか眼が醒めたようでもありましたが、はっと気がつくと朝の8時近くなっています。われながらとんでもなくよく寝たようです。早起きしたら今度こそ名鉄豊川線に乗りに行こうと思っていたのに、これでまた機会が潰えたばかりか、その日の行程にも差し支えそうな時間になってしまいました。すぐ飛び出したかったのですが、ホテルの朝食を頼んでしまっていたので、大急ぎでかきこみ、駅へ走りました。
 この日のトピックは、天龍浜名湖鉄道と、大井川鉄道です。鉄道マニアを称しながら、まだあの大井川鉄道に乗ったことがなかったというのはモグリみたいな話ですが、なぜかいつも予定が合わなくて乗りに行けなかったのです。今回、最初の目的地が豊橋だったということで、この機会にぜひ乗ってみようと思い立ったのでした。
 大井川鉄道の方は近日中に「途中下車」の新章をアップしてそこで触れるつもりですので、詳述はそちらに譲りますが、SL急行「トロッコ列車」もとても印象深かったです。
 天龍浜名湖鉄道というのは旧国鉄二俣線を地元で引き受けた第三セクターの鉄道ですが、東海道線なら1時間かからない掛川−新所原という区間を、2時間以上かけてとことこ走る地味な路線です。戦争中に、遠州灘からの艦砲射撃で東海道線が破壊された時のバイパス線として建設されただけに、線路は貧弱だし、沿線にさして大きな町もありません。第三セクターの鉄道は、駅舎や駅名票などなかなか凝っているところが多いのですが、ここは国鉄そのままの古びたものを使っています。かろうじて「10周年記念事業」とかで地元市町村が立てた木製の洒落た駅名票が、4分の1ほどの駅にありましたが、9年目まではそれもなかったようです。客もそう多くなく、補助金を打ち切られたら即アウトではないかと心配になりました。

 その天龍浜名湖鉄道(地元では天浜線──てんぱません──と呼んでいるらしい)で掛川まで行き、JRに2駅乗って金谷へ。大井川鉄道はここが起点です。
 幸い──と言うより狙ったわけですが──さしたる待ち時間もなくSL急行「かわね路号」に乗れました。ハーモニカを片手に持った名調子のオバチャン車掌がずっとガイドしてくれました。本線の終点の千頭(せんず)まで乗り、それから井川線のトロッコ列車(トロッコ並に小さいと言うだけで、本当のトロッコではもちろんありません)に乗り換えてさらにどん詰まりの終点井川まで一気に行ってしまいました。総延長65キロを約3時間。なんとものんびりした鉄道です。
 終点の井川駅周辺には、ダムがあるだけでなんにもなさそうでしたが、もっと奥まで遡ると村落があるようです。行ってみたい気がしましたけれど、今の時期にはバスが1日1往復しかなく、クルマで来ない限り無理らしい。列車が折り返すまでの30分余り、ダムの近くの展示館を見学して過ごしました。

 帰りは奥泉という駅で下り、そこからバスで寸又峡(すまたきょう)温泉へ行って泊まりました。
 今はオフシーズンで、最初に電話をかけた宿は
「残念ながら休みにしているので……」
と断られ、次にかけた宿は
「現在工事中で閉館してるんですよ」
と言われ、3軒目でようやくOKがとれたのでした。しかし客は私ひとりだったようです。浴室を独り占めできたのは嬉しいのですが、なんだか索漠とした気分になりました。
 寸又峡温泉は単純硫黄泉で、湯に漬かるや否や、という勢いで、肌がぬるぬるとしてきます。女性に気に入られそうな感じで、実際「美女づくりの湯」という別名があるとか。ただ、源泉が43℃と低温で、沸かし湯をしなければならないため、24時間入れる宿は少ないようでした。私の泊まったところも、
「今日はお客さんひとりだけなんで、8時半頃までに入っちゃってくださいませんか」
と言われ、寝る前のひと風呂というのができなくなってしまいました。
 その点は不満でしたが、食事はたったひとりの客だというのに品数も豊富で、しかもとってつけたようなマグロの刺身なんぞが出てこなかったのは嬉しい限りです。

 寸又峡温泉は、温泉と自然があるだけで、ほとんど観光スポットというほどのところはないのですが、ただひとつ、夢の吊り橋なるものがあって、そこしか行くところがないだけにハイシーズンには長蛇の行列ができるそうです。
 朝、チェックアウトしてから行ってみました。ありようは大間ダムの上にかかった単なる吊り橋なのですが、これは本当に怖かった。私はあちこちで吊り橋を渡った経験はあるのですけれど、本当に落ちかねないと思ったのはここだけです。両足を置くだけの狭い2枚の板が渡されているだけで、その両側から水面が見えています。一歩ごとにかなり激しく揺れるし、私はかなり重い荷物を抱えたままだったので、しばしばバランスを崩しそうになりました。長さも相当あって、なかなか対岸に辿り着きません。同時に乗れるのは10人までだそうです。自分以外の人間が、自分と違う歩調で歩いていたらと想像すると、なんだか身慄いがするようでした。眼下のダムの水はいやに澄んでいて、底が見えるのがかえって怖ろしいようでした。

 バスで千頭に戻り、さらにまた大井川鉄道の電車(帰りはSLではありません)に乗って金谷に戻り、今度は静岡で途中下車して、これも今まで訪れる機会のなかった登呂遺跡を見学してから、夕方の特急「ワイドビュー東海4号」で帰ってきました。
 比較的手近なのに、今まで機会を逸していた場所をいくつも訪れることができたので、大変満足すべき小旅行でした。

(2000.2.1.)

【後記】
 この時の大井川鉄道については、「途中下車」「SL急行と森林鉄道──大井川鉄道の旅」として詳述しました。

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