忘れ得ぬことども

いいひと。

 高橋しん氏の「いいひと。」というマンガがありまして、テレビドラマにもなったことがありますのでご存じのかたも多いでしょう。
 主人公はまっすぐに、誠実に生きている、本当に「いいひと」なんですが、しかし現実の「いいひと」と呼ばれる人とは違うのではないか、と読みながらよく思いました。
 なんと言っても、なにげにこの主人公、モテるのであります。
 関わる女性という女性、みんな密かに主人公のことを想っているようで、ただしなにぶん「いいひと」なものですから、本人は鈍感で全然そのことに気づいておらず、故郷に残してきた恋人を一途に想うだけなのでした。まことにうらやましいと言うかもったいないと言うか。
 しかし、そんなことって本当にあるのかいなと、私は大いに疑わしく思っていました。

 実を言うと私自身よく「いいひと」と言われます。別に自慢しているのではなく、むしろもどかしくてならない気持ちでこう書いていると思し召し下さい。
 誠実に生きていることにかけても、その主人公と遜色ないはずなのですが、ちっとも女性が惚れてくれないのは不思議ではありませんか。
 ……これではヒガミを言っているようなものですが、世の中で「いいひと」と呼ばれている人たち、どうも私と同じ不思議さをかこっている場合が多いような気がしてなりません。私の知り合いにも二三、どう見てもとっても「いいひと」であるのにまるっきり女性と縁のない感じの人がおります。
 「いいひと」という表現は、どちらかというと、
 ──安全感はあるけれど一向に男としての魅力を感じない人。
 に対して使われるものなのではないかと邪推したくなります。

 そう言えば秋月りすさんの「OL進化論」にもこんな話がありました。
 OLたちからいつも「いいひと」「いいひと」とばかり言われて便利使いされている男、
「たまには反対に『悪いヒト』とでも呼ばれたいものだなあ」
と呟きます。それを聞きつけた女の子、
「やだぁ、『いいひと』の反対語は『悪いヒト』じゃなくて『やなヤツ』ですよぉ」
結局彼は「悪いヒト」にも「やなヤツ」にもなれず、やっぱり「いいひと」でしかないというオチでした。
 確かに女性が男のことを「悪いヒト」という場合、非難の気持ちというのはあんまりなさそうです。だから実のところ、「悪いヒト」と呼ばれたがっている「いいひと」はずいぶん多いのではないでしょうか。なんだかとても身につまされましたので、この4コママンガが妙に頭にこびりついています。

 「MICさんのことはとてもいいひとだと思うけど……」
こういうセリフを今まで何度聞いたことか。
 「いいひと」という言葉には、ほぼ常にこの「けど……」が伴うようでもあります。
 いいひとだと思うのならぼくを受け容れてくれたっていいじゃないか。
 しかし問題はいつもこの「けど……」なのでした。
 「……」に呑み込まれた言葉は決まりきっています。
 ──男性として考えることはできません。
 そんなことで「いいひと」と呼ばれても、少しも慰めにはならないのに……

 それだから、いっそ「悪いヒト」になってやりたいとも思うのです。
 これから先もずっと「いいひと」だ「けど……」と言われ続けるのだろうかと思うと、なんだか情けない気分になります。
 しかし、「悪いヒト」になるにはやはり才能が要るのかもしれません。私の場合「やなヤツ」くらいならすぐになれるかもしれませんが。
 せめて女性の皆さんに、軽々しく男に向かって「いいひと」などと呼ばないようにお願いするくらいしかできなさそうですね。
 この話、別に結論はありません。ただふと考えてしまったことを書きつけたのみ。

(2000.10.18.)

【後記】なぜか女性を中心に反響が多かった一文。「そういえば私も『いいひと』という言い方をしてしまっていた」という人が何人かおられました。

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことども」目次に戻る