忘れ得ぬことども

「豚飼い王子」制作記

T

 新作の音楽劇を書き始めました。初演は2001年4月28日(日)です。去年モノドラマは書いたものの、ちゃんとした音楽劇を書くのは久しぶりですし、すでに初演が決まっているというのも励みになります。
 去年(1999年)と今年(2000年)4月にやった「こおにのトムチットットットット」が案外好評だったので、座長の麻稀彩左さんが味をしめたらしい。昔から、波に乗り始めるとどんどん突き進むタイプの人ではありました(^_^;;
 今度のネタはアンデルセン童話「豚飼い」です。あるお姫さまに恋した主人公の王子が、豚飼い人に変装してそのお姫さまに近づくという話ですが、こういうプロットから予想されるのとは違う。わりと意外な結末を持っています。
 芝居としてのタイトルは「豚飼い王子」になります。一旦そう決まったものを、麻稀さんはただの「豚飼い」に戻そうとしたのですが、
 「タイトルが『豚飼い』だけじゃ、あんまりお客さんが見に来たいと思わないんじゃないですか?」
と私が指摘し、また他の人からも
 「タイトルって大事よ〜」
と言われたそうで、やっぱり当初の予定通り「豚飼い王子」となりました。「王子」が入るだけでかなり華がありそうに見えるものです。
 台本はしばらく前に送られてきていたのですが、急を要する仕事があって着手できませんでした。きっかり半年前になったから手をつけたというわけでもないのですが、そろそろとりかからないと、稽古が始まるまでに完成が覚束ないのも事実。
 何せ台本を読むと、テキストだけ曲をつければいいわけではないらしい。何ヶ所かバレエが入るところがあるようです。台本ではたった三文字「バレエ」と書いておけばそれで済みますが、私は頭をしぼってある程度の長さの曲をひねり出さなければなりません。
 とりあえず最初のシーンから下書きを始めました。この物語、原作の段階ですでにテーマ曲(「かわいいアウグスチン」──メロディーを聴けばたいていの人が「ああ、これか」と思うはず)が繰り返し挿入されています。台本もそのメロディーから始まることになっておりましたので、滑り出しはわりと楽でした。
 さてこのあとどうなることか。日誌でも時々経過報告をするつもりです。なぜかというに、初演の時お客を集めたいという下心。しばしば日誌でお読みになっていれば、きっと皆様も観てみたいと思うようになるに違いない(^_^;;
 というわけで来年4月28日、あけといてくださいね!!

(2000.10.28.)

U

 「豚飼い王子」がようやく完成間近となりました。いまフィナーレを書いているところですが、これはもうずいぶん前に粗々な形では作ってあったので、それに肉付けをすればよいだけです。清書も含めて、今週中には脱稿ということになるでしょう。
 前回公演の「こおにのトムチットットットット」に較べるとほぼ倍くらいの規模を持つ作品となりました。
 公演団体である音楽劇団熊谷組は、私が学生時代からしばらく関わっていて、7、8年前に一旦活動を休止するまで、いろんな新作音楽劇をやってきています。しかし、そのほとんどが、歌入り芝居の形態であり、地のセリフで進行してゆく中に時々歌が挿入されるというものでした。ずっと音楽が続いてゆくものは「こおにのトムチットットットット」が最初のもので、その後私や他の作曲家により、いくつか作られたものの、いずれも30分にも満たない小品だったのです。小品と言っても、30分の曲を書くというのは実のところ容易なことではないのですが……。
 従って、「豚飼い王子」は、音楽的に見る限り、この劇団の手がけた作品としては最大規模ということになります。
 休憩などを含めない正味の所要時間が80分程度ですから、ヴェルディプッチーニの本格的なオペラに較べれば半分くらいなものですし、オーケストラもフルート、ヴァイオリン、チェロが1本ずつにピアノという小編成ですから、書く労力ということになると遙かに軽いものではあると思いますが、それでもこれだけの長さの曲を書くのはなかなか大変な作業でした。
 楽譜は100ページを超えました。小節数も第一幕が600、第二幕が900(意識したわけではないのにどちらもきりのいい数字になった)という厖大さです。ここまで来ればオペレッタではなくオペラと名乗っても僭越とは言われますまい。
 アンデルセンの原作段階から、「かわいいアウグスチン」という有名な民謡がしばしば挿入され、台本にも何遍も登場しています。テーマとなるモティーフがあったのは作曲する上では助かりましたが、逆に、このとてもシンプルな民謡を、他の部分とバランスさせるのに苦労もいたしました。ちなみに劇中には4曲のバレエが含まれていますが、いずれも「かわいいアウグスチン」の冒頭モティーフによっています。

 そんなわけで、作曲の方はメドがついたものの、そのあと長い稽古が始まります。
 稽古に入ると、私はコレペティトゥーアへと役割を変えなければなりません。
 コレペティトゥーアというのはちょっと説明しずらい概念なのですが、オペラ歌手のコーチというところでしょうか。ピアノを叩きながら、歌手の音をとってやったり、歌い方を指示してやったり、伴奏をつけてやったりする役目です。声楽的なことについては、もちろんそれぞれの歌手が自分の先生についてレッスンを受けているわけですが、それらをまとめてひとつのオペラにする場合はコレペティが必要になります。
 普通は全くの裏方で、オケ合わせが始まるとお役ご免となりますが、その作品に対する深い理解、オケの響き、歌手の生理などを知悉していなければならず、ピアノが弾ければ誰でもできるという仕事ではありません。
 私だって、例えばヴェルディのオペラのコレペティなどできるとも思えませんが、自分の作品くらいならなんとかなるでしょうし、少なくとも初演に関しては責任を持って仕上げなければなりません。
 おかげで、動きのみをやる予定の何日かを除いては、稽古にすべて出席しなければならないはめになっています。4月末までですからけっこう長丁場と言えるでしょう。

 そして本番では、今度はピアノを弾くわけですが、小編成オケということもあり、指揮者がおりません。事実上私が指揮者みたいなものです。
 かようにひとり何役もしなければならない立場なので、作曲が済んだからと言ってなかなか息をつくわけにもゆかないのでした。やれやれ。

(2001.1.24.)

V

 昨日は「豚飼い王子」の初オーケストラ練習がありました。オーケストラと言ってもフルート、ヴァイオリン、チェロが一本ずつとピアノだけの室内楽編制ですが、ピアノだけで歌の伴奏をしている時に較べると、いよいよ本格的なオペラ作りになってきたなという実感が湧きます。
 今回の公演には指揮者がつきません。指揮者無しでオペラをやるとなると、オーケストラの規模としてはこれが限界だろうと思います。出だしのタイミングを歌と合わせなければならないようなところは、なるべくピアノだけで始められるように書きはしましたが、全部が全部そういう風にするわけにもゆかず、他の楽器の人たちも劇進行を把握しておかないとうまくゆきません。だからある意味、普通のオペラにつくオーケストラよりもかなり負担が大きくなります。同じ形でやった「こおにのトムチットットットット」は楽器が3人、今回は4人。このあたりがぎりぎりの線で、5人にもなったらそういう無理は利かないでしょう。

 楽器は、ピットに入って演奏するのではなく、舞台面に乗ることになっています。実は、この芝居のオーケストラは、機能的にはもちろん歌の伴奏をするわけですが、「楽師」なる役名のついたキャラクターでもあるという設定なのです。
 台本上、いくつか芝居の進行がその「楽師」にからむところさえあり、その部分では多少の演技を要求されます。こんな構成のオペラは滅多になく、楽器奏者としては面食らうことでしょう。
 もっとも、楽器奏者が舞台に密接に有機的にからむという形の音楽劇は、私が以前から興味を持っていたことではあります。
 昔、友人の岩本仁志君がやっていた劇団の最終公演「PIANO MAN」という芝居に関わったことがありますが、私は舞台面でピアノを弾いているだけで何ひとつセリフもないのですが、それでもいわば全体のストーリーの要という存在であり、少なくともタイトルロールなのでした。この芝居は音楽劇というわけではありませんが、楽器奏者というものを効果的にストーリーにからめていたので感心したものです。
 楽器奏者というのはとかく、当日うまく演奏できればそれでよいという感覚を持ちがちなもので、たとえばオペラにのるにしても、舞台の内容を知悉しているとか、台本を熟読するとかいうことを心がけている人は滅多にいないようです。貰ったパート譜を、指揮者のタクトに従って弾くだけで良しとすることが多いのです。
 ルーティンワーク的に来た仕事をこなしているだけのオーケストラならそれもやむを得ないことでしょうが、今回のような新作の場合、せっかく一緒にやるのだから、単なる「伴奏」だけではなくて、楽器奏者もそれなりの存在感と意味を担う者であって欲しいと思います。

 「楽師」という役柄ですから、衣裳も歌い手たちと違和感がないようなものを特に揃えることになります。そのため、今回は楽器奏者もボディサイズを訊かれ、これまた大いに面食らっているようでした。
 昨日はオケ練だけで、歌との合わせはありませんでしたが、両者が一緒になる稽古日が楽しみです。

(2001.3.17.)

W

 思いもよらぬことに、4月28日公演予定だった「豚飼い王子」に、急遽追加公演が決定しました。
 どういういきさつだったか、詳しいことはよく知らないのですが、ほかならぬ公演会場の東京都児童会館から、29日と30日に追加公演を打ってくれないかと依頼があったらしいのです。
 まだ初演もしておらず、従ってどんな芝居かもわからないはずなのに、依頼する方もする方ですが、ともあれ一回だけの公演予定だったものが、いきなり3日連続公演ということになってしまいました。
 去年同じ会場で「こおにのトムチットットットット」をやった時に、入りきらないほどのお客が来たそうで、音楽劇団熊谷組という名前にすっかり信用がついてしまったようです。
 そうは言っても、目下、28日の公演だけでも入場券をさばくのに苦労しているところなのに、3日も続けてやって、はたしてお客が入るものだろうかと、いくぶん心許ない想いがあります。去年は児童会館恒例の「日曜こども劇場」(だったかな?)の一環として、入場料無料でやったので満席にもなったけれど、今回はそういうわけにもゆきません。
 児童会館としては最初、今回も追加公演分は無料にして貰いたいと言ったようですが、そんなことをしてはお金を払って28日の入場券を買ってくれたお客さんに対して不公平なことになります。主宰者の麻稀さんが会館と掛け合った結果、同じ値段で発売することに落ち着きました。有料となると去年のような大入りが見込めるかどうか。
 そんなわけですので、この日誌を読んでくださっている東京近辺の皆様、4月28日〜30日のうち一日でもお時間がとれるようでしたら、どうかひとつご来聴くださいまし。急なお願いですが(^_^;;
 それにしても、それぞれに忙しい関係者のほとんど全員、この急遽決まった追加公演の日程があいていたというのは天佑と言うべきで、ある意味幸先の良い話です。この上は稽古をしっかりやって、質の高い舞台を作りたいものです。

(2001.3.19.)

X

 「豚飼い王子」の公演まで、あと3週間あまりとなりました。
 稽古は週2回のペースで進められているのですが、日常的に劇団として活動している団体ではなく、今回の出演者の多くはこの公演のために集められたメンバーですので、なかなか予定が合わないのがつらいところです。
 特に3人の「侍女」役はいわば全体の狂言廻しのような役柄であり、これは3人の息がぴったり合った状態で、いわばユニットとして動かなければならないのですが、なかなか3人揃う稽古日がとれず、この時期になるとかなり不安材料となりつつあります。もとからトリオユニットで活動している人をユニットごとスカウトした方が楽だったんではないかと思ったりして。
 またタイトルロールである「王子」役の人はまだ若いためか、どうしても動きや表現に硬さが出ています。役柄的にはかなり大袈裟な表現が似合うロールなのですが、いまいちそういう気分になりきれないようです。まあ、王子さまの気分を想像してその役に成りきるというのは、われわれ庶民にはなかなか難しいものがありますが、そういう非日常体験ができるのが芝居をやる良さなので、彼にも頑張って貰いたいところ。
 その亡父である「国王」役はまあいわゆる「老け役」ですが、この役の人も動きに「若さ」が出てしまって、王子と掛け合いをしていてもあんまり父子という雰囲気が出ない状態です。
 そんなこんなで座長の麻稀さんはだいぶトサカに来ている模様。台本作者と演出家を兼ねるのはともかくとして、本人が「お姫さま」役までやり、なおかつプロデューサーとしての仕事もやっているので大変です。あんまりいろんなことを兼ね過ぎるとヒートアップしてしまうのは当然で、麻稀さんが自分も役として出ると言い出したそもそもの最初から、私はそんなことになるんではないかと危惧していました。
 そのせいで稽古場の雰囲気がぎすぎすしてしまうとイヤだな〜という気持ちと、本番も間近なのだから稽古にもある程度ピリピリした空気は必要かもしれないという気持ちが混ざって、私はどうにも複雑な気分になっています。うまい演出家は、わざとトサカに来たようなふりをして周囲に当たりまくり、稽古を引き締めるというワザを使うこともあるようですが、麻稀さんがそこまで深慮遠謀しているかどうかは不明。(^_^;;
 ともあれ次の日曜には初のオケ合わせとなるし、再来週には舞台スタッフの稽古見も入っています。いったいちゃんと幕が開くのだかどうだか。初演前はたいていいつものことなのですが、ヒヤヒヤしております。

(2001.4.5.)

Y

 「豚飼い王子」は原作がアンデルセンなわけですが、この人、なかなか一筋縄では行かない存在であるような気がしてならないのは私だけでしょうか。
 アンデルセンはデンマーク人で、デンマーク語では-nd-の発音が鼻へ抜ける感じになるので、正しくはアネルセン、もしくはアナーセンと表記すべきでしょうが、まあ普通に言われているアンデルセンと書くことにしておきます。
 彼の童話は子供の頃にずいぶん読みましたが、同じ童話集と銘打たれたものの中でも、グリムペローのものとはどうも雰囲気が違うようだと、子供心にも感じていた憶えがあります。もちろんそれは、グリムやペローの童話集が基本的には民間伝承のリライトであるのに対し、アンデルセンの童話集はまったくの創作であるという点が大きいでしょう。グリム童話の深読みは最近ずいぶんおこなわれているようですが、そういう意味では純然たる創作であるアンデルセン童話については、それほど手がつけられていないような気がします。

 アンデルセンの童話を網羅的に読んだわけではないし、この文章を書くために特に読み直したというわけでもないので、記憶の中から漠然と感じることを書くだけなのですが、なんとなく彼の作品には、実は強烈な有毒成分が含まれているのではないかと思うのです。
 決して彼は、純真無垢な人物というわけではなかったと断言したい気分です。
 例えば代表作のひとつとされている「雪の女王」。少女ゲルダが、雪の女王に連れ去られた弟カイを追って苦難の旅を続けるストーリーですが、これは明らかにエレクトラ・コンプレックスが基調になっています。少女にとって圧倒的に強力な母親=雪の女王に対抗し、それを克服して自立するという、ほとんど童話とも思われないようなテーマがこの物語の底流にあることは確かです。
 さらに、奪われ、取り戻すのが血を分けた弟であるというあたり、近親相姦的な雰囲気があって、子供心にもなんだかこの物語にドキドキするものを感じたのは、そういう「危うさ」のせいだったように思います。
 「雪の女王」を子供向けオペレッタにしたのを見たことがありますが、あろうことか、ゲルダとカイを「お友達」にしてしまっていました。これではこの物語に含まれる毒がほとんど中和されてしまって、なんのことやらわからなくなります。おそらく子供の心に残るものは何もないでしょう。こんなしょうもない毒消しをしてしまった無能な脚本家は逝ってよろしい。
 ちなみに、評論家の呉智英氏が「ゲルダに恋してしまった」と書いていたのをどこかで読んだことがあります。そう、白雪姫シンデレラにはそんなにときめくものを感じなかったのですが、ゲルダには、マッチ売りの少女には、人魚姫には、男の子がほのかな恋心を抱く──はやり言葉で言えば「萌える」ことができるのです。その辺が、グリムなどとアンデルセンとがもっとも違うところかもしれません。

 やはり代表作のひとつである「野の白鳥(白鳥の王子)」は、グリム童話にも「カラスの王子」という酷似したものがあります。魔法によって鳥に姿を変えられてしまった兄たちを妹が救うというプロットはまったく同じですから、これはたぶんアンデルセンがグリム童話か、あるいはそのネタになったもとの説話に接して、自分なりに脚色したものと思われます。
 この物語のヒロイン、王女エリサにも何やらときめきましたっけ。
 生まれ育った城を追われたエリサは、兄たちを救うためにイラクサの繊維で7枚のチョッキを編むことになり、しかも編み終わるまで一言も口を利いてはならないという苦行を強いられます。途中で隣国の王様に見初められてその国に連れてゆかれますが、口を利けないために誤解を受け、魔女として処刑されることになるわけです。口を利けないための誤解というあたり、人魚姫の苦難とも共通しますが、エリサの場合しゃべろうと思えばしゃべれるのにそれができない点、より苦しみが大きいかもしれません。
 あわや火あぶりというところで白鳥になった兄たちが飛来し、エリサはほとんど完成していたチョッキを彼らに投げかけて、救われるのですが、7枚目のは袖が未完成だったため、いちばん下の兄だけは片手が白鳥の翼のままになった、というようなきめ細かいオチもつけています。
 このラストシーンはそれなりに感動的なのですけれど、なんとなくとってつけたようでもあり、むしろこの物語を読んで印象に残ったのは、エリサに次々襲いかかる苦難の描写の執拗さだったように思います。
 「野の白鳥」については奇妙な記憶があります。物語のどのあたりだったかさっぱり憶えていないのですが、ある絵本で、入浴中のエリサに3匹の蛙が乗ったら、ケシの花に変わった、というようなことの書かれたページを見たことがあるのです。他の版のテキストではそんなシーンを読んだことがなく、前後との脈絡も定かでなく、ただそのページの異様さばかりが印象に残りました。あまりに異様なのでたいていのテキストでは削除してあるのかな、とも思います。ともかく美少女の裸身と3匹の蛙の取り合わせがひどくエロティックで、私が後年多少色気づいてから、アンデルセンというのは実は一筋縄では行かない作家だったのではないかと思い始めたのは、そのシーンの強烈さのせいだったかもしれません。

 ハッピーエンドで終わらないものが少なくないのもアンデルセンの特徴です。「豚飼い王子」も決してハッピーエンドとは言えませんし、はっきりしたところではマッチ売りの少女も人魚姫も哀れな最期を遂げます。多少救済めいた描写もありますが、それが死んだヒロインにとってなんになるのだろうと思わされずにはいられません。
 ハッピーエンドのものであっても、それはどことなく付けたりで、作者の主眼はむしろヒロインの苦難の運命を執拗に描くことの方にあったのではないかと考えられるものが多いような気がするのは、読み方として勘ぐりすぎでしょうか。なお、「ヒロイン」と書いたのは、彼の童話の中で苦難の旅路にさまよい、悲惨な運命に弄ばれるのはなぜか女性が圧倒的に多い気がするからです。
 ぶっちゃけて言えば、アンデルセンという人はカワイイ女の子がカワイソーな目に遭う場面を書くのがこよなく好きだったんではないかという疑いを私は持っているわけです。冒涜かな(^_^;;

 ややマイナーですが、「ある母親の話」というすさまじい作品があります。これも「雪の女王」と似ていますが、連れ去られた赤ん坊を取り戻すために黄泉の国へ旅する若い母親の物語なのですが、行き合う連中はどいつもこいつも、情報と引き替えに彼女のいろんなものを奪って行きます。豊かな黒髪であったり、若々しい肌であったり、歯であったり眼であったり、ともかくもうヒロインはこれでもかというくらいズタボロになってゆきます。
 母性愛なるものがそれほどに気高く強いということを描きたかったのだ、という通り一遍な解釈には私は与しませんで、作者の裏の興味は、やはり若い女がそうやってボロボロになってゆく経過を執拗に書いてゆくこと自体にあったのではないかと。はっきり言ってかなり鬼畜ですよ、この話。うーむ、人妻モノか(をいをい)。

 そんなわけで、アンデルセンは童話という名前に隠れて、実は相当アブナいことを書いていた人だったのではないかというのが私の印象なのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
 もちろん、それだからと言って彼の童話が子供に不適当だとはまったく思いません。描写がどこまでも美しいのは事実ですし、前述のオペレッタのごとく、そうした有毒成分を取り除いたものばかり与えられた子供は、どこかが欠落した人間になるのではないかという気もします。毒というのは使い方次第で薬にもなると決まったものですしね。

(2001.4.15.)

Z

 オペラの稽古がだいぶ押し詰まってきました。
 いよいよ「豚飼い王子」の公演まであと一週間を切りました。スタッフ組は全面的に信頼できる人たちですし、バレエ組ももうほぼ完成状態、今日はオケだけの練習があってかなり詰めてやりましたので楽器組も大体形になりました。あとは歌い手組だけです(^_^;;
 稽古日はずいぶんたくさんとってあったのに、なかなか揃って稽古することができず、これがいちばん心配なところです。特に、3人の侍女役は事実上の進行役であり、音楽の上でも3人が完全なアンサンブルを作って貰わなくては困るように書いてありますので、綿密な稽古を重ねなくてはいけないのですが、これがなかなか3人とも揃う日というのが少なくて、心許ない有様。ひとりは盲腸炎を薬で散らしている最中という爆弾を抱えた状態なので不安きわまりません。まあそれでもプロですから、本番にはしっかりやってくれることを祈るばかりです。
 第一場は男ふたりしか出てこないのですが、ここで客をつかまなくてはどうしようもないというところなのに、ふたりとも新人さんなだけに演技に苦労している模様。少なくとも片方はベテランにやって貰うべきではなかったかと、この期に及んでキャスティングに泣き言を言いたくなるような危うさ。ここ数回の稽古で特訓し、なんとか本番に間に合うかどうかという瀬戸際です。
 ……などと書くと、観に来てくださる皆さんまで不安になるかもしれませんね(^_^;; まあ、本番前というのは関係者一同ナーバスになって、不安材料ばかり目について仕方がないものなので、私の文章もその伝だとお考え下さい。

 上に書いた通り、今日はオケ練でした。
 今回の公演のオケ──と言ってもフルート、ヴァイオリン、チェロが一本ずつとピアノだけのアンサンブルオケですが──は、ピットになど入らず、全員舞台上に乗っています。
 「楽師」なる役名もついており、みんな18世紀の宮廷楽師風の衣裳とかつらを身につけることになっています。むろんピアノを弾く私もそういう扮装で出ます。
 それだけでなく、歌い手の芝居にリアクションしなくてはならない箇所がいくつかあり、演技力も要求されるという苛酷さ(^o^)
 フルートの吉原友恵さんとチェロの中林成爾さんは、前にも音楽劇団熊谷組の舞台に関わったことがありますので、なんとなくそういう様子はわかっていたと思いますが、ヴァイオリンの西内真紀さんは今回はじめて頼んだ人なので、だいぶ面食らっているだろうと推察しています。しかし、西内さんとは板橋区演奏家協会関連の別の仕事を一緒にしたことがあり、その時も、多少の演出を施して彼女にもわずかながら芝居をして貰いました。普段どちらかというとあまり表情が豊かとは言えない人なのですが、案外そういう面で使えるであろうと私は思っています。
 今日など、半ば思いつきであれこれ話し合っているうちに、結局西内さんがいちばん演技力を発揮しなければならないようなことになってしまいました。まあ実際、チェロは楽器が大きくて身動きがとりずらいし、フルートも息を使うものなので演奏しながらそんなに動くわけにはゆかないのに対し、ヴァイオリンという楽器は弾きながらいろいろ動くことが可能ですので、それも自然な流れであったかも。
 とはいえ、私の要求されていることに較べればどうということはないので、私と来たらピアノの前から追い払われてうろうろしたり、いきなり指揮を始めたりしなくてはなりません。もともと台本にそう書いてあるので、私以外のピアノ奏者では務まらないのではないかと思うほどです。
 というわけで、私の迷演技もご期待あれ(^o^)

 本番間近になって、ネット上のお友達が急に手伝ってくれることになりました。
 まずはきっぽさん。彼女は今回謎のムーア人という役をする田中孝男さん──本人は歌うよりも演出の仕事などが多い──の助手みたいなことをよくやっており、その関係で前回公演の「こおにのトムチットットットット」を観に来てくれて、私のファンになって下さいました……って自分でそんなことを言うのは口幅ったいのですが、ご本人がそう称しているのでやむを得ません(^_^;;
 それで先日、「豚飼い王子」の稽古を見学に来て、田中さんから舞台スタッフの仕事をちょくちょくやっていると紹介されるや、座長の麻稀さんが早速お手伝いを頼んでしまったのでした。ほとんど立ってる者は親でも使え状態。
 それから、私の譜めくりです。考えていた人がダメになり、困った困ったとチャットでぼやいていたら、だーこちゃんが急遽やってくれることになったのでした。
 ただの譜めくり人といえども、舞台上に姿を見せる以上、衣裳をつけ、もしかしてメイクもすることになります。楽器組がみんな宮廷楽師の姿なのに、譜めくり人だけが背広というわけにも行きませんからね。
 そんなわけで、公演を観に来られますと、扮装した私ばかりか、扮装しただーこちゃんまで見ることができます。これはきっと滅多にない機会ですから、皆さんどうぞおいで下さい。初日はかなり埋まってきましたが、29日30日はまだ大量に空席がございます。なんせ追加公演を頼んできた東京都児童会館が、いかにもお役所仕事というか、あちらから頼んできたくせに、宣伝を始めてくれたのがなんとつい先週のことでして……うう、ガラガラだったらどうしよう。

(2001.4.22.)

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 そんなわけで「豚飼い王子」の公演が始まりました。
 本番というのはいつだってそうなのですが、稽古期間があと2週間あったらなあと思います。ようやっとみんなのテンションが上がってきたから、これであと2週間稽古すれば、さぞやいいものができるだろうと、ついつい愚痴を言いたくならないことはむしろ稀と言ってよいでしょう。
 もちろん、公演が2週間あとであれば、エンジンがかかるのも2週間後になるだけの話ですから、「もっと稽古期間があったなら」と悔しがるのは一種の幻想と言えます。演奏会なんて大体そんなもので、準備万端、人事は尽くした、あとは天命を待つのみなどという気分になれることなど、まずありません。
 とはいえ準備万端という自信があれば、人にチケットを売りつけるにしてももっと迫力が加わるのになあ、と残念には思います。もっと若い頃はやはり気が弱くて、自分があまり自信のないステージのチケットを人に買って貰うなどという不遜なことはなかなかできませんでしたけれど、最近は図々しくなって、かなりハッタリで券を売ることができるようになりました。
 タイトルロールの王子さまはまだ芸大の学生ということもあって、やはりその辺の図々しさがまだ身についておらず、配券状況はぱっとしなかったようです。そこで先日、私が説教して曰く(どうもイヤなオヤヂになってきた模様(^_^;;)、
「とにかくチケットを売るときは強気に、熱意を持ってあたらなきゃ。相手だって、
『これ絶対面白いから。観ないと損だよ』なんて言われれば、ちょっと観てみようかという気にもなるものだからね。それを、
『まあ、大したもんじゃないけど、気が向いたら来てみてよ』みたいな言われ方だと、気が向いてくれることなんか滅多にないんじゃないかな。逆に、『絶対面白いから』というような売り方をすれば、自分をその分追い込むことにもなって、稽古に臨む心構えが変わってくるはずだし」
 そう言いつつも、昔は私も彼と同様だったことを、苦笑混じりに思い出しています。

 ともあれ今回は全面的に私の作品ということで、私はかなり根性を入れてチケットを売りつけました。売上代金を数えてみたら20万円を超えており、大人2000円の子供前売り1000円でしたから、百枚以上は売れていることになります。これと別に、私のつながりで事務所に直接チケットを申し込んだ人や当日券で入った人もかなりいたはずです。おそらくそういうのを併せると200近くにはなることでしょう。
 とはいえ、700席以上あるホールで3日間公演をするわけですからのべ2千席以上、それを考えると200枚など大した数ではありません。むしろ、私が最大限奮闘しても、私の名前で集められるお客はせいぜいそのくらいに過ぎないのかと、ちょっと寂しい気もいたします。やっぱり何か一発当てたいものですね(^_^;;

 今日は朝の9時入りでした。土曜だったから朝のラッシュはほとんどなかったものの、渋谷に下りて、東急文化会館に通じる通路を歩いてゆくと、何やらすごい行列ができていました。「ハンニバル」だったか、新しい映画が封切られるらしいのですが、なんだかうらやましい気がします。
 譜めくりを手伝ってくれるだーこちゃんは私より先に着いていたようでした。人見知りで、知らない人の中に混じっているのはコワいと称していたわりには、案外その場に馴染んでいた印象を受けました。
 譜めくりなのだからゲネプロに間に合えばよいようなものですが、前にも書いたとおり、舞台上の視覚的統一感を崩さぬため、だーこちゃんも衣裳をつけメイクをすることになって、それなりの時間を要したのです。
 実はさらに、幕が下りたあと、急に「客席の皆様もご一緒に歌いましょう」コーナーが設けられることになり、そのコーナーを私が仕切らなくてはならなくなりました。一緒に歌うのは「豚飼い王子」のテーマソングとも言うべきドイツ民謡「かわいいアウグスチン」ですが、私が客席に向かって仕切っているからにはピアノを誰か他の人が弾かなければなりません。登場人物のひとりが弾くという話もあったのですが、ここでピアニスト崩れ(笑)のだーこちゃんを使わない手はないと思い、その場で彼に頼んでしまったのでした。おそらく、こんなに大活躍の譜めくり人は滅多にいないでしょう。
 少し遅れてお手伝いのきっぽさんも来てくれました。先日稽古を見学に来たおり、わりとラフな格好だったので、座長の麻稀さんに早速チェックを入れられたようで、今日はスーツ姿でオシャレに決めており、そのせいか朝から妙にテンションが高くなっている様子でした。

 メイク、場当たり、ゲネプロとこなしていると、時間はどんどん過ぎてしまい、あっという間に開場時刻が来てしまいました。自由席のせいか、ずいぶん早くから並んでいた人もいたようで、開場後5分ほどでどっと入場してしまい、あとはパラパラという状態だったらしい。
 蓋を開けてみると今日のお客さんは400名ほどで、この種の新作初演としてはまあまあとはいえ、やはりそうそうは埋まらないものだなと思い知らされました。去年の「こおにのトムチットットットット」の時は立ち見が出たそうですが、やっぱりそれは入場無料の「日曜こども劇場」だったからとしか思えません。
 明日明後日がどのくらい入るものか。私自身の配券状況から行っても、28日が圧倒的にたくさん売れていた状態なので、どうも心許ない気がします。あんまりガラガラだとみっともないなあ。会館の宣伝次第と思っていたところですが、今日行ってみると、正面玄関前の催し物掲示にこの公演のことが出ておらず、いささかムッとしました。

 今日の本番について言えば、まあ初演&初日特有のアクシデントはけっこうあったものの、尻上がりに良くなって行ったようではありました。
 第一幕では客席の反応がいまひとつで、多少ギャグがすべってしまった部分もあるし、温かいお客なのか冷たいお客なのか判然としないものがありましたが、第二幕は打って変わったように好反応で、それに応じて歌い手のノリも高まって行ったようでした。思いもよらないところで笑いが起こったり。
 私も途中多少の小芝居をしますが、まあまあ受けたようでした。ほっと安心。
 そして楽器の人たちが、かなり自主的な動きをしてくれたのがありがたかったです。場面転換でスタッフ側がトラブって、暗転したままなかなか埒があかないところがあったのですが、楽器の人たちが機転を効かせてくれたおかげで、冷めてしまうぎりぎりのところで救われました。ピットに入って、指揮者がついたオーケストラでは、メンバーは基本的に「指示待ち」に徹することがほとんどですので、今回のような仕事はかなりプレッシャーが大きいものがあるだろうと推察していますが、楽器奏者も一緒になって舞台を作ってゆくというコンセプトが活かされているのは嬉しいところです。
 途中に挿入されるバレエは、今回の公演のいろんな側面の中ではいちばんレベルが高いと思われ、バレエが入ると雰囲気がぐっと引き締まるのを感じました。台本には「バレエ」と三文字が書かれているだけですけれど、私はその都度それなりに首尾の整った小器楽曲を作曲しなければならなかったので、ずいぶん面倒なことをさせるものだと麻稀さんを恨んだりしたものですが、やはり入れてよかったと思います。

 まあとりあえずは成功と言ってよさそうですが、いろいろ課題も残した初日でした。
 あと二日、それらをクリアできるかどうか。いや、クリアしないといけませんね。
 明日明後日の当日券は確実に手に入りますので、これからでもどうぞお越し下さいませ(^_^;;
 今日聴きに来てくださったDECOさん、こーきさん、どうもありがとうございました。ネットつながりの方は他にもいらっしゃったかもしれませんが、とりあえず私が把捉できた常連さんです。この場を借りてお礼申し上げます……って安直??(^o^)

(2001.4.28.)

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 3日間に及んだ「豚飼い王子」の公演ですが、昨日の楽日を持って無事終了しました。
 残念なことにと言うか、予想通りにと言うか、2日目3日目の客入りはお寒い限りで、3桁に乗ったのがまだ救いというような状態でした。700席以上あるホールでその状態では、どうにも仕方がありませんね。
 またお役所仕事の悪口になってしまうのですが、とにかく追加公演決定が遅すぎた上に、それを補うための宣伝もろくにやってくれなかったのが致命的でした。当方としては3日間も客席を埋めるのは最初から無理だと考えていましたから、話を受けた時も、とにかく児童会館側の宣伝広報活動に頼るしかないという考え方だったのです。
 然るに、本番半月前くらいになってもまだ動いてくれておらず、それからようやく広報のための原稿などの書類を求められるという有様でした。さらに前項でも書いた通り、正面玄関前の掲示板にもこの公演のことが書いてなかったし、開演前の館内放送(児童会館の他の棟にはけっこう人がいるので、館内放送を繰り返しやってくれていればある程度の集客は見込める)さえ、ギリギリになってこちらから要請するまでやってくれていなかったのでした。
 4月から会館の職員が異動で新しくなって、勝手がわからなかったらしいという話も聞きましたが、それにしても向こうから依頼してきた公演にもかかわらずこの事務上の非協力ぶりは驚くべきことです。児童会館の名誉のために付言しておけば、もちろん舞台技術上の協力は充分にしてくれましたけれど……

 そんなわけで集客はお寒い状態でしたが、観てくれた人たちからの評判はなかなか良かったようで、とりあえず作曲者としてはホッとしております。
 「子供向きと思って、多寡をくくって観に来たけど、予想外に濃い内容で驚きました。これは決して子供だけのための芝居じゃないですね」
と言ってくれた人が、ひとりやふたりではなかったようです。私は最初からそのつもりで「子供向き」とは称さず、「親子向き」──つまり、子供が素直に楽しむこともできれば、大人もいろいろ深読みしたりして楽しめる作品──と言っていましたから、わが意を得た想いです。
 濃い、と言えば、照明スタッフの立川さんは、世界各国でいろんなオペラの照明を手がけている大物なのですが、こんなことを言っていたとか。
 「1時間半ばかりの舞台なのに、68箇所も照明のキューがあるとは……こんなに密度の濃い舞台ははじめてですよ」
 また、登場人物のひとり(ナイチンゲール役の横山美奈さん)がいわゆる「オペラオタク」と称されるタイプのお客を呼んだらしく、こういうものを見せて何を言われるやらびくびくもので感想を訊くと、そのお客は普段の毒舌ぶりに似ず、まじめな顔で、
 「これはまさに『トゥーランドット』ですね」
と語った由。そういえば確かにタカビーなお姫さまと、知恵を使ってそれにアタックする王子という構図は似ているし、狂言廻し役の三人の侍女は、「トゥーランドット」に出てくる三人の大臣ピンパンポンに相当するかもしれません。そうすると献身的な女奴隷リューに相当するのが、当のナイチンゲールの横山さんだったのか? などと打ち上げの時に盛り上がったものでした。ちなみにこの横山さんは人気声優の横山智佐さんのお姉さんで、「サクラ大戦」のミュージカルでは歌唱指導をしているそうです(^_^;;
 大人受けが良かったのは嬉しい話ですが、もっと嬉しかったのは、終演後、私がロビーに出て行くと小さな女の子がちょこちょこと寄ってきて、
「あくしゅしてください」
と言ってくれたこと。実は、大人に受けるよりも子供に受ける方が、より条件が厳しくて大変だという考えを私は持っていますので、子供たちに気に入って貰えたというのは自分にとっての何よりの勲章だと思いました。

 3日連続の公演というのはなかなか大変でした。昔、音楽劇ではなくて、普通の芝居に生ピアノ演奏で出演した時に、5日間6公演ぶっ通しでやったことがありますが、オペラとなるとやはりそれとは疲れ方が違います。
 しかし、初日にはいろんなアクシデントがあったことでもあるし、その日その日のお客からの感想や反応をフィードバックして改良することができたのは、非常に良かったと思います。だから出来としては楽日がいちばん良かったはずで、それだからこそ余計に、30日の客足の悪さが残念でなりません。

 どの日も、第一幕ではなんとなく客席に戸惑いがあったようで、反応が鈍いのを感じました。
 幕開きに幽霊が出てきたりして(私の位置からは効果が見えないのですが、実は相当コワかったとか)、いささか重苦しい雰囲気で始まるせいでもあるでしょう。第2場で一転して明るくなりますが、まだそれでは乗り切れなかったのだろうと思います。最初のバレエ(薔薇の精の踊り)もあんまり拍手など来ませんでした。踊り終えたあとに一礼したりもしなかったので、拍手して良いものかどうかわからなかったのだろうと推察します。そのあとのナイチンゲールのアリアでは最後に深々と一礼するので、そこではじめて拍手が出るというパターンでした。
 客席の反応が急に良くなるのは、第二幕の冒頭で豚の縫いぐるみが舞台を横切って行くところで、ここで笑いが出て、あとは一挙に最後まで引きこまれてゆくという感じだったようです。
 料理の名前で「拍子」の勉強をするというような、妙に教育テレビモードなシーンがありまして、この中で5拍子(5音節)の食べ物の名前をお客に言って貰うという部分があります。「ハンバーグ」は毎回出ました。大体子供に答えさせるのですが、けっこう大人も真剣になって考えていたそうな。
 そのあとで出てくるバレエでは毎回盛大な拍手が寄せられましたので、なんだか薔薇の精役の櫻井マリさんには悪いことをしてしまったかな、と思います。
 そんなこんなで賑やかに進行して、そのままハッピーエンドかな、と思ったところで、物語は急転直下な展開を見せ、結局ほとんどの登場人物がトラウマを負ったような状態で終わりを迎えることになります。大人の観客の多くはここで意表を衝かれ、上述した「予想外に濃い内容」というような感想がこの辺で確立することになったものと思われます。
 そしてエピローグで置かれているのがいわば「程良さのススメ」と言えるようなメッセージで、脚本家に言わせると「適切な表現と適切な開放」というテーマなんだそうですが、ここでじーんと来た人も少なくなかった模様です。

 ネットつながりでわざわざおいで下さった皆さん、どうもありがとうございます。初日のDECOさん、こーきさんの他、2日目の開演前に立ち寄ってくださったENAさん(でも観て行ってくれればもっとよかったのに〜〜(^_^;;)、楽日に来てくださったじゅんさんとお連れの方(お名前を確認しませんで失礼いたしました)、phaos先生、ゆりさん、本当に感謝いたします。来ていただいたのに私が確認できなかったかたがた、もしいらっしゃいましたらすみません。ありがとうございました。
 そしてもちろん、譜めくり人のだーこちゃんと受付スタッフをしてくれたきっぽさん、お疲れさまでした。だーこちゃんは見たところ完璧に馴染んでしまっていたので、もう人見知りの配慮なんかやめて、打ち上げで一言しゃべって貰おうとしたら(全員一言ずつしゃべって貰ったのでした)、いやアガるわアガるわ。なんたって見てて飽きないよなあ。(^_^;;
 近日中に公演ビデオを発売する予定ですので、今回予定が合わなかったかた、麻稀企画までメールなどでお申し込みの上ぜひご覧くださいまし。

 さて、4月中は、やはり公演関係で何かと落ち着かず、やるべき仕事がろくろく手につきませんでした。これから連休中、そのしわ寄せがモロに来てしまって、ずっと家にこもって仕事をすることになりそうです。やれやれ。

(2001.5.1.)

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