地図を眺めるのが昔から好きでした。拙宅のトイレには1987年のカレンダーが張りっぱなしになっていますが、大きな日本地図になっていて、ぼんやり眺めたりするのが楽しいからです。カレンダーの数字の部分に隠れたところは別枠になっていて、その別枠にある「舳倉島」に興味を持ってわざわざ訪ねた次第は「途中下車」の「舳倉島の想い出」という項目に書きました。
世界地図を眺めるのも好きです。最近は次々と新しい国が誕生して、地図が古びるのが早くなりました。
ところで、昔からよく世界地図に使われているのはメルカトル図法という描き方です。地球という球体を、平面の地図にしなければならないのですから、どうしても無理が生じ、古くからさまざまな作図法が考案されてきました。どれも一長一短であり、目的によっていろんな流儀の地図を使い分けるというのがいちばん良いようです。
メルカトル図法は、基本的には地球の中心に仮想光源を置き、赤道に沿って地球を包んだ円筒形に地表面を投射したものだそうです。ただし、このまま(円筒図法)では高緯度地方の南北方向が異様に伸びてしまいますので、角度が常に正しくなるように修正してあります。そのため等角投影図法とも呼ばれます。例えば地表面に大きな円を描いたとして、その円が地表のどこに描かれていたとしても、メルカトル図法では常に円として描かれます。他の方法ではなかなかそうはゆきません。メルカトル図法のメリットは、角度が正しいため、羅針盤を頼りに航海していた時代は、海図として大変重宝だったという点でしょう。
この他、地球を宇宙空間から眺めた時と同じ形になる正射図法、地表面のある一点からその反対側に置かれた平面に投影した平射図法、距離と方角が正しくなるように工夫された正距方位図法、面積と方角が正しくなるように工夫された正積方位図法、はてはミラー図法、サンソン図法、モルワイデ図法、ハンメル図法、エッケルト図法、ヴィンケル図法など、私には何がなんだかわからない図法がたくさん考案されています。いずれにしても、距離・方角・形・面積のすべてを同時に満たすことは不可能で、なおかつどんな図法を用いても、一枚の地図には絶対に描ききれない点が少なくともひとつ発生することは数学的に証明できます。
さて、メルカトル図法で描かれた世界地図には私もずいぶん親しみましたが、この図法のデメリットはもちろん、高緯度地方の面積がおそろしく大きくなってしまうことです。ぱっと見、グリーンランドが南米より大きくなってしまいますし、スカンディナヴィア半島とオーストラリアが同じくらいに見えますし、ロシアが必要以上に巨大に見えて剣呑だったりします。日本が明治以来、ロシアに異常なほどの警戒心を抱いてきたのは、メルカトル図法の地図に馴れていて、実際の数倍の面積に感じていたからかもしれないという気さえします。
北極点と南極点は原理的にこの図の中には描けません。極点近くに人がほとんど住んでいなかったのは幸いでした。そうでなくとも、例えば北アメリカとロシアが北極を挟んで地続きだったりしたら、この図法が普及することもなかったのではないかと思います。
ヨーロッパは高緯度地方であって、何回かあちこちに書きましたが、稚内とミラノがほぼ同緯度になっています。ウイーンやパリは樺太(サハリン)の真ん中くらい、ロンドンはカムチャツカ半島の尖端と同じくらい、ヘルシンキやストックホルムに至ってはオホーツク海の北岸あたりの緯度になります。だからヨーロッパ人から見ると、日本は常夏の島のような印象があるでしょう。
高緯度だということは、メルカトル図法による標準的な地図では、やたら面積が大きく描かれるということに他なりません。だとすると、ヨーロッパの国々を、われわれはもしかしたら実際以上に大きく感じているのかもしれません。
「途中下車」の「日本は広い」の項目に書いたように、ロシアを別とすれば、ヨーロッパに日本より面積の広い国は3つしかありません。こう言うとけっこう意外がる人が多いようです。その3つは、フランス、スペイン、スウェーデンです。ドイツが東西合わさったら日本より広くなっただろうと思っている人が多いのですが、四国プラス淡路島分くらい及びません。そしてこれがヨーロッパ第4位。それからフィンランド、ノルウェー、ポーランドと続きます。意外とどこも小さいのです。
オーストリアは北海道とほぼ同じ面積。オランダやスイスは九州とほぼ同じ。ルクセンブルグなど埼玉県にも及びません。そしてもちろん最小の国はヴァティカンで約44ヘクタール。わが国の皇居より狭いです。
日本の一島程度の規模の国がごちゃごちゃとある状態を、想像できるでしょうか。
幸か不幸か、日本の近くには古代からずっと、中国という巨大な国が存在し続けていました。良くも悪くも、この大国を意識しながら行動を決めるしかなく、今もって事情は同じです。
しかし、もし東アジアが、ヨーロッパと同じような小国分立状態であったら、何やら面白そうな気がしませんか?
中国の春秋戦国時代というのはそれに近かったような気がします。多くの小国が分立した状態になっていましたが、それらひとつひとつの規模は、大体今のヨーロッパ諸国程度だったと思われます。西の秦だけは後背地が果てしなく拡がり、いわばロシア的な存在と言えたかもしれませんが、斉、韓、魏、趙といった国々はほぼ現在の半省〜一省程度です。ということは、その時代の中国は現在のヨーロッパと同様の国際社会だったと考えられます。
中国はあいにく秦が異常に強大化し、他の国々を片端から亡ぼしてしまい、あとはあの広大な地域がひとつの帝国によって支配されるのが常態となってしまいました。もしここが、ヨーロッパのように、どこの国にしろ全土を征服するだけの力を持ち得ない状態が続いていたら……
中国史を読むと、春秋戦国時代の歴史は、その後の統一帝国のそれに較べて格段に面白いのですが、それはやはり、小国分立状態であればこその駆け引きや騙し合いが蜿蜒と続けられていたからでしょう。中国の大思想はほとんどこの時代に出揃っていますし、生産力も人口も飛躍的に伸びています。分立した小国が競い合っていると、実に面白いことになるのがわかります。いろんなことに類推できそうですね。
いずれにしろ、隣に中国という巨人が棲息していたばかりに、どうも昔から日本は「小国」であるという意識が抜けないようです。そして、近代日本が渡り合わなければならなかったロシアやアメリカも、面積で言えば中国に匹敵するかそれ以上の大国であったのが不幸でした。狭苦しくせせこましい島国だという自意識がしみついてしまっています。
国土面積がすべてではありませんが、ヨーロッパの国々に較べてさえなんとなく狭苦しいような先入観があるのは、メルカトル図法の然らしむるところだったのではないかと私は想像しています。
もし日本と同面積・同人口の国がヨーロッパにあったら、相当に堂々たる大国と見なされるはずで、人々の気宇もだいぶ違ったものになっていたでしょう。こういうのは地政学で扱うべき話題でしょうが、与えられた環境によって、人の考え方というのは実に変わってしまうものだと思わざるを得ません。
(2001.6.6.)
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