忘れ得ぬことども

「ダイアの涙」制作記

T

 夏のさなかからクリスマス用の作品を書くというのはどうにも興が乗らないものがあるのですが、クリスマスコンサートで初演するとあらばやむを得ません。雑誌の原稿なんかも、小説やエッセイなどだと発行の何ヶ月も前に書かされたりして、執筆者は同じような想いを抱くようです。
 アイザック・アシモフといえばものすごい博識とものすごい執筆量で知られ、わが国の小松左京をもうひとまわりスケールアップしたような作家でしたが、その彼にして、雑誌発行と原稿執筆のタイムラグをうっかり失念するというミスをやっています。
 連作短編推理小説の傑作「黒後家蜘蛛の会」で、ある時大統領選挙をネタとして使ったのですが、まさにその執筆時、熾烈な大統領選がまっさかりだったのでした。
 ところが掲載雑誌「EQMM(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)」の発行はその何ヶ月もあとで、読者がそれを読む頃には大統領選の熱気などすっかり冷めているはずというので、フレデリック・ダネイエラリー・クイーンの片割れ)はあっさりその作品をボツにしたとか。ただしアシモフという人はちゃっかりしていて、ボツになったその作品をそのまま温めておいて、単行本になる時には入れてしまったのでしたが……
 作曲、特に私のようにポップスと無縁の仕事をしている人間にとっては、季節感とか旬のものとかを考慮する必要が生じることはそれほどないのですが、クリスマスばかりはちょっとその必要があるようで。

 「ダイアの涙」というのがそのクリスマス用作品です。
 「豚飼い王子」を見に来てくださった方は、プログラムの裏表紙に、「音楽劇団熊谷組クリスマスコンサート」として、「聖劇・キリスト降誕」などという大それたタイトルのものを私が書くことになっていたのをご記憶かもしれません。
 しばらく前に麻稀彩左さんからその台本が送られてきたのですが、タイトルばかりか内容もおそろしく大それていて、ほとんど大規模なオラトリオにでもしないと収まりがつかないようなものになっていました。
 オラトリオを書くのも悪くないのですが、すみだトリフォニー小ホールなどという小さな会場で上演するには大きすぎます。合唱などもきちんとしたところを頼みたいところですがそんな予算はないとかで。
 降誕劇でもよいので、あんまり真っ正面から取り扱わず、もう少し軽いものにならないかと意見を述べました。しかし、結局降誕劇という範疇では折り合いがつかず、予告とは違ってしまいますがキリストとは関係のないクリスマス劇を作ることになったのでした。
 まあ麻稀さんも私もクリスチャンではないという点からしても、その方が無難ではあります。非クリスチャンが降誕劇を書くとすれば、非クリスチャンとしての立場を明確にした形のものにすべきであるとも思えますし。何しろ台本の取り組み方が真っ正面すぎたので、私はいささかびびってしまったわけであります(^_^;;

 代わって送られてきた台本が「ダイアの涙」というものでした。登場人物が3人だけの小オペラということになります。同時上演する安藤由布樹さんの「街のぺてん師」も登場人物はふたりだけで、小オペラ二本立てのコンサートというわけです。
 「街のぺてん師」の方は、特にクリスマスネタというわけではありませんが、私の書いている「ダイアの涙」は台本が完全にクリスマス仕様になっており、従って曲の方もそのつもりで書かなければなりません。
 これがなかなか、夏の暑い盛りに書くのはしんどいものがあるのですね。
 1幕4場の芝居で、ようやく1場分の下書きを済ませましたが、興が乗らないこと乗らないこと(^_^;;
 少しペースを上げないと、稽古などの予定を考えればややまずい時期にさしかかってはいるのですが……

(2001.8.11.)

U

 ようやく小オペラ「ダイアの涙」の作曲の先が見えてきました。
 12月21日が本番なのですから、もう一ヶ月半しかありません。本当はむろんこんなに遅れるつもりはなく、9月中くらいに仕上げるはずだったのですが、あれこれと飛び込みの仕事が入ってきたり、並行して書かなければならないものが多かったり、その上テレビゲームにはまったりしていたために、遅れに遅れてしまったのです。
 まあ、ひとつには稽古入り予定日がかなり遅いという事情もありました。上演はまた音楽劇団熊谷組なのですが、今月の16日に掛川で「こおにのトムチットットットット」の学校公演があり、それが済むまでは新作の稽古にはかかれない状態だったのです。だから、早く早くという焦燥の裏に、なに、16日までに上げればなんとかなるさ、というような気持ちが潜んでいなかったと言えば嘘になるかもしれません。3人の登場人物のうちふたりまでは「こおに」にのっていますし、どうせ学校公演が終わるまではそんなにしっかり譜読みもするまい、などと多寡をくくっていたところもないとは言えず。
 しかし、11月に入ってしまっては、もうそんなことは言っていられません。お尻に火がついた気分になりました。公演のチラシやチケットももう配布を開始しているのです。

 そんなこんなで、ここ数日は大変でした。
 泉のように楽想が湧いてくればこんな楽なことはないのですが、そんなことは滅多にあるものではありません。テキストとにらめっこをし、ピアノの鍵盤を探り、意味もなく家の中をうろうろとしたりして、ちっとも埒があきません。鍵盤を探るうちに、何やら良さげなコードがうまくはまって、かなり先までつながってしまうようなことも時にはあるのですが、さてそれを更めて下書き用の五線紙に書き取ろうとするともう忘れてしまっていて頭をかきむしる、なんてこともしばしばです。
 まあこんな想いは、作曲家に限らず、小説家でもマンガ家でもしょっちゅうのことでしょうから、自分の苦吟を吹聴する気はありませんが、モーツァルトみたいにどんどん書ければさぞかし楽だろうなあと思います。
 ちっとも埒があかなくていらついていても、一日が終わってみれば、案外と進んでいることがわかったりして、そういう時は何やら曙光が見えたような気分になります。
 それでなんとか、先が見えるところまで漕ぎつけることができました。テキストはもうひと息で終わります。今度の作品は、そのあとに楽器のみの無言劇風のシーンがひとつつくので、まだ安心してしまうわけにはゆきませんが、歌い手に渡す部分が完成すれば大きな峠を越したことになります。楽器奏者(今回は、自分で弾くピアノと、フルートが一本だけ)は譜面を見て演奏するので練習期間が短くてもなんとかなるのに対し、歌い手は暗譜しなければならず、その上演技もつきますので、一ヶ月半というのはすでにかなり無理がある状況なのです。
 ここまで辿り着いたので、ようやく日誌でも宣伝する気になりました。(^_^;;

 上演は12月21日(金)19時から、すみだトリフォニー小ホールでおこなわれます。安藤由布樹さんの「街のぺてん師」との併演となります。「街のぺてん師」はもう何度も上演されたことのある作品です。登場人物わずかふたりというお手軽小オペラなのでやりやすいのでしょう。
 「豚飼い王子」などに較べますと大人向きと申しますか、台本も音楽もわりとオシャレな感じになっています。クリスマスネタでもありますし、デートの一部にしても効果的なのではないかと……(笑)

(2001.11.5.)

V

 昨夜、「ダイアの涙」の初演がありました。
 昨日は日中、じとじととみぞれみたいな雨が降り続いていましたが、幸い開演前には上がっていました。とはいえ、やはり多少客足に響いたか、券を買ったのに来ていないという人が少なからず見られたようです。
 250ばかりのすみだトリフォニー小ホールも埋められないのでは情けない話ですが、なにぶん年末の忙しい時期で、出演者も配券には苦労していた様子でした。私も一生懸命売りさばいたけど50枚に達しなかったな。しかし、500円余計に払って当日券で入ってくれた人もけっこういたらしいです。
 驚いたのは、楽屋に
MICさん宛てです」と、キティちゃんの縫いぐるみが届けられたこと。誰か女性と間違えたのではないかと思ったのですが、確かに私宛てになっています。何やら小さな筒が同封されていたので開けてみると、祝電なのでした。差出人は関西のJOEさん。予想もしていませんでした。JOEさんありがとうございます。今度はぜひ聴いていただきたいです。

 事前のホール稽古はできなかったので、午過ぎから大急ぎで照明づくりと場当たりをします。今回の公演はそもそも、
 ・音楽劇団熊谷組の経営に携わっている劇団員のひとりが率先してホールを押さえ、
 ・それじゃあクリスマスコンサートでもしようかということになり、
 ・でもせっかく音楽劇団のクリスマスコンサートなら、ただクリスマスソングを歌ったりするだけではなく、オリジナルの芝居作品をやりたいという話が出て、
 ・ちょうど、よくこの季節にちょくちょく上演されている、かつてのオリジナル音楽劇「街のぺてん師」という作品があり、それを乗せることにしたのだけれど、
 ・「街のぺてん師」は20分ばかりの作品に過ぎないので、時間を埋めるため、もうひとつ新作を作ることになり、
 ・私にお鉢が廻ってきて「ダイアの涙」初演
 という経緯で実現したものなのでした。だからホール自体も芝居向きではなくコンサート専門みたいなところで、あまり大がかりな道具や照明を用いることはしないはずだったのです。
 しかし、稽古が進むとプロデューサー兼脚本家兼演出家の麻稀さんに欲が出てきたのでした。この場合、プロデューサーと演出家が別の人であれば、予算枠をきっちり決められてそんなに逸脱はできないものなのですが、同一人物の場合欲が出てくると、自腹を切っても納得するものを作りたいという気分になるものです。照明を入れることで、かなり予算に足が出たはずですが、それでもやっぱり「入れてよかった」ということになるのは当然でした。

 二本立てではありますが、今回の二本については、同じ街の同じ日に起こった出来事、という裏設定がなされました。街を象徴する、街灯とベンチという大道具は、二本を通して置かれたままになっており、そんなに装置の組み替えが厄介でないようになっていました。
 ゲネプロは逆順でおこない、装置移動の手間を省きます。演出上の関係で、ピアノの位置は少々変えなければなりませんでした。「街のぺてん師」はピアノのみによる伴奏であり、「ダイアの涙」はフルートが加わるという事情もあります。スタッフがしっかりしているので、そのあたりは心配要りません。

 本番前に軽く食事をして帰ってくると、ロビー開場していて、ちょうど湯長閣下が受付で入場券を買っているところでした。来てくれるとは全然聞いていなかったのでこれまたびっくり。先に言ってくれれば前売り券を用意したのに。湯長閣下、どうもありがとう。
 「街のぺてん師」の本番は楽屋のモニターで見ていましたが、お客の反応は最初からわりと上乗で、いい感じでした。たったふたりの登場人物のうち、「女」の平木郁子さんはこの作品の初演者であり、「男」の青木純さんは何度もこの作品を上演しており、初顔合わせではありましたが流れも大変良かったように思いました。
 このふたりの登場人物は、最後に相思相愛になって終わるのですが、「ダイアの涙」の冒頭で、犬を連れた夫婦(しかも亭主がすっかり尻に敷かれている)となって再登場します。台本にはない演出上だけのエキストラで、設定としては別人のつもりなのでしょうが、たぶん観客には同じカップルにしか見えなかったことでしょう。

 いよいよ初演開始です。さすがに緊張。フルートの吉原さんもだいぶ緊張している様子です。それもそのはずで、今回助奏楽器がフルートだけなので、かなりソリスティックで難しいパッセージも多用しましたし、特にラストシーンは楽器だけの長いアンサンブルになりますので、ごまかしが利かないというわけ。
 始まってみると、予想外の所で笑いが飛ぶところが多く、一瞬面食らいます。そんなにギャグのようなものは使っていない作品であるはずなのですが、何やら巧まざる可笑しみが漂っているようで。宝石店主役の富塚研二さん、夫役の田中孝男さん共に、大変ユニークなキャラクターの持ち主なので、そのせいもあるでしょう。
 妻役、すなわちプリマドンナの横山美奈さんもこれまた典型的なプリマドンナのオーラを発散している人で、しかも私は彼女に合わせて、思いっきり長くて甘ったるいアリアを作っておきましたから、もうアピール度は充分というものです。
 笑いもずいぶん起こりましたが、あとで聞くと、「泣いた」「涙が出た」というお客もずいぶん居たようです。宝石店主が妻(実は未亡人であったことが途中で判明)に求愛して一旦断られるところなんかは、私の実体験が思いきりにじみ出ていたりしますので、同じような想いをしたことのある人の琴線にはまともに響くに違いありません。
 自分の作った音楽で何人もを泣かしたとなると、やはり作曲者冥利に尽きるというものです。

 私の知る限り、ネット仲間では、湯長閣下のほか、きゅるさん、織田信長mk-2さん、crimsonさんが揃って観に来てくれました。3人とも初対面でしたが、なんだか3人でユニットを作って何かやったらどうだと思われるほど、おさまりのよい印象を受けました。
 それからもう常連となりつつあるきっぽさんも来てくれました。他にもおられるかもしれませんが、お話もできず失礼いたしました。とにかくすべてのお客様に感謝の言葉を申し上げたいと思います。

 客入りは「もう一声……」という感じの埋まり方ではありましたが、とても気持ちのよい本番が踏めました。やってよかったと思います。 

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことども」目次に戻る