忘れ得ぬことども

関東のローカル線

I

 急に関東鉄道に乗って来たくなって出かけてきました。しばらく前にあるサイトの掲示板で常磐線に関する話題が盛り上がっていたことがあって、その関連で気分が熟成されたようです。
 関東鉄道、と言っても、沿線住民か鉄道ファンでもないとピンと来ないかもしれません。社名はずいぶん雄大で、東武(東武蔵)や西武(西武蔵)、相鉄(相模)などより格上みたいに見えるのですが、実際には茨城県内だけを走っている非電化のローカル私鉄に過ぎません。
 取手下館を結ぶ常総線と、佐貫から分岐している竜ヶ崎線の2線区があります。以前はこれに加え、土浦から岩瀬までの筑波線石岡から鉾田までの鹿島線という線区を傘下におさめていたこともあるのですが、4線とも路線に全然接点がなく、いわゆる路線網を形成できなかったためか、筑波線と鹿島線は筑波鉄道・鹿島鉄道として独立し、筑波鉄道の方はすでに廃止されてしまいました。
 竜ヶ崎線は僅かに2駅、4.5キロしかない短小路線ですが、常総線の方は50キロを超える延長距離を持ち、ローカル私鉄としてはなかなか乗りごたえのある路線です。今日乗りに行ったのはもちろんこちらの方です。
 単独の線区で50キロを超えるというのは、私鉄ではそんなに多くありません。ことに大手と国鉄起源の第三セクターを除くと、秩父鉄道富山地方鉄道本線島原鉄道くらいでしょうか。

 昼前に家を出たのですが、取手までは案外と遠く、13時29分の下館行きに乗ることになりました。その前の13時12分という列車もあったのですが、これは途中の水海道(みつかいどう)止まり。もっとも、下館行きに乗っても水海道で一旦乗り換えることになっていました。水海道は取手から17.5キロのところにある駅で、そこまでは線路も複線だし、乗客も比較的多いようで、日中は1時間に4往復ほど運行しているのでした。
 水海道から先は線路が単線になり、運転本数も半減して1時間2往復となります。さらにそれでも足りず、そこまで2両編成のディーゼルカーで来たものを、単行(1輌)運転のものに乗り換えさせるようになっていたわけです。ギリギリまで運転経費を下げる工夫なのでしょう。
 もっとも、この常総線は、研究者によると、そろそろ電化工事を施した方が効率がよいそうです。電化がペイする利用者数はすでに大幅に上回っているとか。再来年につくばエクスプレスが開通すると、途中駅守谷で常総線と交差することになり、おそらく秋葉原から30分ほどで到達できるエリアになるはずです。そうすれば守谷や水海道あたりは東京への楽々通勤圏としてクローズアップされることになると思われ、常総線の利用客も格段に増えることでしょう。そのあたりを見込んで先行投資しておいた方が良いのではありますまいか。
 また、延長50キロを超える路線に、ロングシートしかないのはちょっとつらいし、鈍行しかないのも寂しいですね。新守谷と水海道には待避線があるので、優等列車を走らせるのはどうでしょう。新取手・守谷・新守谷・水海道以遠各駅停車という準急と、守谷・新守谷・水海道・石下・下妻以遠各駅停車という急行を走らせ、準急は水海道で先行の鈍行に追いついて接続し、急行は新守谷で先行の鈍行と緩急接続する、などという形にすればよいのではないか、などと考えながら列車に揺られていました。

 水海道までの複線区間は、駅に地下道もあるし、LEDによる案内表示などがついているところもあるし、近郊私鉄とちっとも変わらない雰囲気と言えます。小規模ながら駅前広場があったりもするようです。
 しかし、水海道から先の、全線の3分の2にあたる区間は、ローカル線そのもので、だだっ広い関東平野を坦々と進みます。起伏のない車窓はあんまり面白くもないのですが、このあたりはちょうど平将門(たいらのまさかど)が活躍した地域だな、と思いながらぼーっと景色を眺めます。
 今でこそ田畑や人家が拡がっていますが、将門の頃はもっと一面の荒れ地だったに違いありません。どこまでもだだっ広いだけの荒れ地が拡がる寒々とした光景……そんな中に起居していれば、ついつい革命を起こしたくもなるのかも。
 だんだん眠くなってきた頃、終点の下館に到着しました。取手からおよそ1時間半。

 そのまま、今度は真岡(もおか)鐵道に乗ります。
 こちらはもと国鉄真岡線だった第三セクターです。関東平野のどん詰まりの、山際で袋みたいな地形になっている茂木(もてぎ)まで行っています。盲腸線としては珍しく、路線の途中で県境を越え、栃木県に入ります。
 真岡鐵道ももちろん非電化、そして全線単線のローカル線です。下館から乗り込んだのは単行のレールバス。しかし常総線と違ってクロスシートなのが嬉しいところです。
 この路線は面白いことに、県境を越えるせいか、起点の下館附近よりも、末端の栃木県側に入ってからの方が利用客が多いようでした。列車も途中の(そして路線の中心と言うべき)真岡で1輌連結します。
 この真岡駅というのは「ユニークな駅舎」というような特集ではたいてい採り上げられる駅で、なんと駅舎そのものが巨大な蒸気機関車の姿をしています。真岡鐵道には休日などにSL列車が走って人気を呼んでいますが、それをアピールすべく、当時の真岡市長の鶴の一声で、駅舎自体をSLの形にしてしまったのでした。下館側から乗れば、列車の中からでもその雄姿を見ることができます。ちょうど機関車の動輪の形に建物の窓がうがたれたりしていて、バランスもほぼ現物通りのデザインで、知らずに目撃したら何事かと驚くことでしょう。
 私の乗った列車が真岡駅に着いた時、なんの拍子か操車場にいたSL(C12)が急に煙を吐きながら向こうへ走って行きました。なんだか得をした気分です。
 真岡駅には「SL館」というのも併設されており、とにかく「SLの町」として売り出そうとしているようでした。

 真岡鐵道のもうひとつの目玉は、益子(ましこ)でしょう。あの益子焼きの益子です。前に陶李さんに伺ったところでは、本来「益子焼き」という流儀の焼き物があるわけではなくて、全国からさまざまな流派の陶工が益子に集まったということだそうです。だから益子焼きと言っても、伊万里風のもあり、萩風のもあり、むしろ日本の陶器の集大成みたいな様相を呈しているようです。
 陶器市が開かれるような時には益子駅もずいぶん賑わうのでしょう。
 その益子駅、単線の片面駅だったのがちょっと意外でした。むかし複線だったのを、1本撤去したような形跡があります。駅舎はそこそこ堂々としていましたが。
 第三セクター路線の例に漏れず、真岡鐵道も国鉄時代にはなかった新駅がたくさんできています。笹原田など、なんでこんな場所に駅を作ったんだろうといぶかしく思えるほど周囲になんにもないところですが、見えないあたりに集落があるのかもしれません。終点間近になると、さすがに関東平野もどん詰まりで、そこかしこに丘陵がうねるようになってきます。
 そして終点茂木は、線路が少し先に延びたところに車止票があり、あたかもそれを囲むかのように山が迫ってきていました。ここまでしか行けないよ、と宣言されたような気がします。
 真岡鐵道の延長距離は約42キロ、常総線よりは短いですが、ローカル盲腸線としてはかなりの長さです。1時間15分ほどかけて走ってきました。

 茂木からは宇都宮へ抜けるバスがあったのでそれに乗り、宇都宮からはJRで帰ってきました。
 なんの目的があって雨の中を乗りに行ったわけでもないのですが、時々衝動的にこういうことをしたくなる性分なので致し方ありません。

(2003.5.15..)


II

 千葉県というのは不思議な形状をしているような気がします。利根川江戸川によって正確に他県から区切られており、川を渡らずに千葉県に入ることはできません。つまり、非常に細い海峡によって区切られている、独立した島と考えることもできないではないのでした。千葉県だけ本州から切り離されて漂流を始めるというようなマンガだったか小説だったかがあったような憶えがあります。
 半島の奥の方は案外にも山深く、関東平野の景観とは少し異なった趣きもあります。独立した島というのは現在では冗談としても、過去のいつか、太平洋プレートに乗って海の彼方からやってきて、本州に付け加えられたのではないかというような想像はできるかもしれません。
 今日はその千葉県のローカル線に乗りに行きました。一昨日看護学校の今年の授業が満了し、たいていその日に少し足を伸ばして気分転換してくることが多いのですが、今年はそのあとに用事があって行けなかったものですから、今日に振り替えたのでした。
 千葉県内の鉄道は、総武線成田線内房線外房線の4本の幹線とその支線によって構成されていると言ってよいのですが、この幹線からして、千葉を過ぎてしばらく行くといずれもローカル線めいてきます。総武線は佐倉以遠、成田線は成田以遠、内房線は君津以遠、外房線は上総一ノ宮以遠でそれぞれ単線になってしまい、その先はいかにもローカル線という風情になってしまうのでした。しかしまあ、この4線には一応特急が走っており、電化もされていますので、幹線としておいて差し支えはなさそうです。
 支線のうち、成田空港線は別格として、あとはJRに鹿島線・東金線・久留里線があり、民鉄に小湊鉄道銚子電鉄があり、第三セクターにいすみ鉄道があります。この他東京に近い方にはいろいろありますが、ローカル線とは言えないので省略します。
 今日は小湊鉄道、いすみ鉄道、そしてJR久留里線の3路線に乗ることにしました。いずれも半島の内陸部を走る路線です。

 内房線の五井から、11時48分の小湊鉄道ディーゼルカーに乗りました。先々週の関東鉄道のディーゼルカーのような新型ではなく、かなり古ぼけたツートンカラーの単行(一輌編成)ディーゼルカーです。いかにもひなびたローカル私鉄という観があります。
 しかし、車掌が乗っていて、ワンマン運転ではないのに驚きました。最近ローカル線に乗ると、いずこも人件費削減のためにワンマン運転をしているものですが、ここは太っ腹です。太っ腹はいいけれど採算はとれるのかしら。駅もけっこう有人駅が多く、ひとごとながら心配になります。バス事業をかなり手広くやっていて、そちらではかなり儲かっているらしいものの、このご時世、もう少し合理化するべきではないかと思いました。
 五井を出てふたつ目に海士有木(あまありき)という、伊勢物語今昔物語の出だしのような名前の駅がありますが、京成千葉線につなげて建造した千葉急行は、当初ここまで延長する予定だったそうです。ところがバブルがはじけて千葉急行は不渡りを出し、京成電鉄に吸収されてしまいました。まだ計画が有効なのかどうかわかりませんが、千葉急行あらため京成千原線は、あまり延長しそうにもありません。今日乗った路線は、いずれもこうした計画倒れに縁があります。
 というのは、まずこの小湊鉄道。社名の「小湊」というのは、外房線の駅で半島南岸に位置する安房小湊のことで、本来は五井と安房小湊を結ぶべく計画されていたのでした。ところが、途中の上総中野まで建設したところで資金が底を尽き、結局そこまでの路線になってしまったのです。
 いすみ鉄道は、もと国鉄の木原線という路線でしたが、これは外房の大原から分岐して、内房の木更津を目指すはずでした。木原線の木は木更津の木、原は大原の原だったのでした。ところがこれまた資金繰りが苦しく、小湊鉄道と接続する上総中野まで敷いて力尽きたわけです。

 ──五井から小湊へ嫁取りに出かけた若者と、大原から木更津へ嫁入りしに行った娘が、途中の上総中野でお互い路銀を使い果たし、仕方なく一緒になった。

 と表現した人が居ましたが、言い得て妙だと思います。

 5つ目の光風台(こうふうだい)だけ、なんだか異色な駅で、跨線橋はあるし立派な屋根はあるし、電灯の入った駅名板まで下がっていて、まるで近郊鉄道のような趣きがありました。ニュータウンでもあるのかな。
 7つ目の上総牛久で、乗ってきた列車は終点です。先へ進むには30分ちょっと待たなければなりません。なんだか不細工ですが、何しろ終点の上総中野まで行くのは1日5本しかありませんので、まだましな方です。五井で次の列車を待ってもよかったのですが、途中駅で下りてみた方が面白そうなのでここまで乗ってきました。切符には「下車前途無効」と明記してありましたが、駅員に
 「先に行きたいんですが、ちょっと外に出てもいいですか」
と訊いたら、あっさり
 「ああ、どうぞ」
と許可されました。
 もっとも、下りてみても要するによくある田舎駅で、小さな駅前ロータリーがあり、ちょっと行くと線路に並行する道路に沿って地味な商店街があるという程度で、さほど面白くもありませんでした。
 次の上総中野行きで上総牛久を後にします。この先はほとんど無人駅になり、かつて交換可能駅だったのが廃止されて単線だけの駅になったようなところも目立ちました。
 また車窓も、それまでの変哲もない水田風景から、次第に丘陵地へと変わってきました。
 上総牛久から5つ目に里見という小駅があります。里見氏というのは戦国時代房総に盤踞していた小大名で、後北条氏の関東支配に抵抗し続けました。「南総里見八犬伝」のネタになった一族でもあります。もしかしたらこの小駅のあたりが発祥の地なのでしょうか。
 終点のひとつ手前の養老渓谷で大半の客は下りました。ここは千葉県には珍しい温泉地です。最後のひと駅を走らず、養老渓谷で止まってしまう列車が多いのでした。実際この最後のひと区間は、山岳路線と言ってよいほど山深いところを走ります。しかも利用客は少なく、今回も車内に残っていたのは4人だけでしたから、無理して終点まで走らせることもないという判断なのでしょう。

 終点の上総中野は、小湊鉄道といすみ鉄道の共同使用駅になっています。当然のごとく無人駅です。
 お互い正面から向き合っており、駅まで一緒なのだから、いっそのこと直通運転すればよさそうに思えるのに、両鉄道の線路はそれぞれに途切れています。双方を連絡する線路があることはあるのですが、その線路にはプラットフォームがありません。路銀を使い果たした若者と娘は、同棲はしているものの不仲らしい趣きです。
 いすみ鉄道が国鉄木原線だった頃には直通運転など無理だったかもしれませんが、今や両方とも私鉄となり、双方非電化で、線路の規格などにも差違はないようですし、その気になれば直通は可能です。半島中央部を横断する路線を一本くらい作っておいてもよいのではないでしょうか。
 駅舎には双方の時刻表や運賃表が掲げられていましたが、小湊鉄道の方は曲がりなりにも活字で印刷されていましたが、いすみ鉄道は板にマジックで手書きしたらしきもので、第三セクター化はしたものの、経営が苦しいんだろうなと思いました。もともと大赤字路線だったから第三セクターになったわけで、それだからこそ小湊鉄道と連携して京葉地域への短絡を目指すべきだと思うのですが……
 いすみ鉄道は完全にワンマン運転、駅員も大原と大多喜(おおたき)以外は無配置で、合理化に努めているようでした。
 その大多喜あたりからは、再び平野部に下りてゆきますが、内房側に較べるとひなびた雰囲気です。

 大原着14時40分、ここでも30分ほど待って、特急「ワイドビューわかしお13号」に乗って安房鴨川へ。このあたりに来ると、鈍行を待っていると埒があきません。もっとも、ひとりで千葉県を旅する時に特急にのることは従来まずなく、そういえば「ワイドビュー(Boso Wide-View Express)」に乗ったのははじめてだったかもしれないと気がつきました。内装を海の色に合わせたマリンブルーで統一しており、なかなか快適です。
 鴨川では50分ばかり待って、上総亀山行きのバスに乗ります。上総亀山は久留里線の終点。
 50分待ちというのもどうにも不細工ですが、このバスは実に一日3本しかなく、50分待ち程度で捕捉できたのは上出来と言うべきでしょう。
 このバスは、途中で安房国と上総国の国境を越えることになるせいか、まったく意外なほどの山間部を走ります。山並みが折り重なった様子はまるで山梨県あたりを走っているような雰囲気で、千葉県の先っぽであるとは信じられないほどでした。
 ちなみに千葉県の最高峰は標高383メートルの清澄山に過ぎませんが、山の深さというのは必ずしも高さとは関係がないのではないかと思いました。
 多少標高が高めになっている半島先端部の真ん中あたりに亀山湖(ダム)があり、そのほとりと言えるような場所に上総亀山駅がありました。この路線も本来は鴨川か小湊あたりまで延ばすつもりだったのではないかと思えるのですが、とりあえず今はそっけなく車止票が立てられて、バスはその先をぐるりと廻るようにして駅に着きました。片面の地味な駅ですが、無人ではないようでした。

 久留里線も非電化で、走っているのはディーゼルカーですが、着いた列車はなんと3輌もつながっていたのでびっくりしました。ぱらぱらと人が下りてきましたが、上総亀山から乗ったのは私ひとりで、3輌編成の列車に自分ひとりしか乗っていないというのはなんとも落ち着かない気分です。
 なんでまたこんなに長い編成にしてあるのだろうと思っていたら、途中の久留里(くるり)でどっと高校生が乗ってきました。久留里に高校があるらしいのですが、むしろ起点側である木更津の方に帰る生徒が多いのでした。満席と言うほどではありませんが、3輌の列車がかなりふさがります。
 18時40分頃、途中の馬来田(まくた)で対向列車を待っているうちに、5月の長い日が落ちました。そのあたりまで来ればもう平野部で、車窓もそれほど変わり映えがしません。木更津に着く頃にはすっかり暗くなりました。
 今日乗った3つのローカル線はいずれも30キロから40キロ程度の中型路線でしたが、家を出てから帰るまでにはかれこれ11時間ほどかかったことになります。千葉県など、私の住むあたりからだととても近場という印象があるのですが、その中の田舎を廻ってくるとこれだけかかるのかと驚くほどでした。

 

(2003.5.29.)

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