II
作品展にご来聴下さったかたに心より感謝を申し上げます。残念ながらネット経由での問い合わせなどはありませんでしたが、200名近い入場者で、見た感じは大入り満員に近くなりました。 私個人の動員力(親なども含めて)というのは、今のところ大体150人くらいかな、と思っておりますが、だとすると今回は50人くらいの、私の存じ上げないお客様がいらしたことになります。シリーズとしてのハートフェルト・コンサートの常連客とか、主宰者の境新一さんがあちこちに宣伝して下さったことの効果が、そのくらいの数になって現れたということでしょう。150人くらいの、私に「ついて」下さっているお客様はもちろん大事にしなければなりませんが、むしろ残りの50人くらいのお客様の感想などを聞いてみたいところです。
当日は14時少し前に会場のオペラシティ・リサイタルホールに入りました。 特に演出などがあるわけではない、普通の演奏会なので、ゲネプロ(舞台での通し稽古)というほどのことはやりません。3時間半ほどの時間をとってホールリハーサルをおこなうだけです。今までスタジオなどでリハーサルをやってきただけなので、実際のホールに入った時には響きかたが違ったりします。それでバランス調整などをしなければなりません。また、曲によってピアノの位置が違ったりしますので、それをステージマネージャーと打ち合わせる必要があります。 私自身が演奏するのは最後の『愛のかたち〜パラクレーのエロイーズ〜』だけですが、その打ち合わせがあったり、客席にいて音を聴いたりしなければなりませんので、わりと忙しいのでした。そうこうするうち、パンフレットにチラシを挟みに来る人が到着したりして、その応接もしなければなりません。
なんだかあっという間に時間が過ぎてしまい、早くも開場の時刻が迫ってきました。ふと気づくと、司会でしゃべることをなんにも考えていないことに気がつきました。 その場の出まかせでしゃべることができないわけではありませんが、そういうことをするとたいてい、えらく冗長なことになります。今回、演奏する曲数は多くありませんが、全体の時間にそれほど余裕があるわけでもありません。ある程度は原稿のようなものを作っておくほうが無難です。 あわててレポート用紙とボールペンを取り出して、最初の挨拶を書き始めましたが、そろそろ着替えをしないとまずい時間になってきました。燕尾服なので、カフスボタンをつけたりするのに手間取ります。ヒゲを剃り、頭髪をヘアリキッドで固め、挨拶文の作成に戻った時は、もう開演10分前になっていました。 大急ぎで最初に話す分だけの原稿は書いたものの、あとはもう間に合いません。曲の演奏中に書けば良いと思われるかもしれませんが、自分の作品展ですから、演奏を全然聴いていないのもどうかと思います。 まあ、2回目に出る時以降は、曲目について話せば良いわけなので、なんとかなるだろうと思いきりました。いちばん言葉に詰まりそうなのは最初の挨拶ですから、そこを書いておけただけでも良しとするべきでしょう。 なんだか狼狽しているうちに、場内アナウンスがあり、やがて本ベルが鳴りました。
マイクを手に舞台に昇って、上述の通り、ぱっと見ほとんど大入り満員に近いほどの客入りだったので、まず驚きました。 現代音楽の演奏会でこんな状態になることは滅多にありません。客席の真ん中のブロックはかろうじて埋まっても、両脇のブロックなどはちらほらとお客が居るばかりというのが常です。最前列から数列はほとんど空いていますが、たいていそこには見たような顔が数人。見たような顔というのは知り合いという意味ではなく、一種のマニアで、現代音楽の催しをどこかで探し出して必ず聴きにきては、あとでブログなどでけちょんけちょんに酷評するという趣味の人です。作曲家や現代ものの演奏家にはよく知られている札付きが何人か居て、 「またアイツ、来てるよ」 と舞台袖で囁かれたりしています。顔は知らなくても、そういう人はたいてい特有の挙動があるので、大体見当はついたりします。 見廻した感じ、今回はそれらしいお客は見当たらなかったので、ほっとしました。それ以上に、座席のふさがり具合に安堵する想いでした。 最初に、ご来聴に対するお礼を申し述べたあと、 「しかしですね、ひとりの作曲家の作品をひと晩聴き続けるのって、皆さん、どう思われますか?」 と言うと、どっと笑いが来たので、ここでまた安心。早い時期にお客をつかんでしまえば、あとはけっこう楽です。
上記の「I」の後半に書いたようなことを言い、 「そんなわけで、ちょくちょく出て参りますので、我慢して下さい」 と締めると、また爆笑。なごやかな気分の中で演奏が始められたのは何よりでした。
演奏者も大変熱を入れてくれていて、嬉しい限りでした。 最初のマダムによる『気まぐれな三つのダンス』は、比較的地味な感じではありましたが、導入にはぴったりだったと思います。ピアノのリサイタルの冒頭に、短くてさほど難解でなく、素直に愉しめるスカルラッティなどを入れておく感覚です。 次の『パルティータ』は無調性でもあり、若書きでもあり、今回のプログラムの中ではいちばんわかりづらい曲だろうと思いましたので、曲の構成などについて説明したのですが、これはやや評判が悪かったようです。そういうテクニカルな説明を受けてもよくわからん、ということですが、ついレクチャーコンサートっぽい語りになってしまっていたかもしれません。それにしても20分近い無伴奏曲を吹ききってくれた吉原友惠さんには感謝。伴奏付きの曲とは段違いの緊張感があった筈です。 『ノスタルジア』がいちばん良かったという感想が多く寄せられています。まあ、曲がいちばんロマン派風でわかりやすかったというのが大きな原因と思われますが、松村一郎さんとマダムの演奏も非常に熱く、それが伝わっていたのではないかと思います。 ところでこの曲の説明の時、だーこちゃんの結婚式での初演について触れ、 「その時の演奏は……やや微妙だったんですが」 などと言ってしまいました。あとでだーこちゃんが来聴していたことを知って、ちょっと慌てました。補足しておくと、自分の結婚式前の鬼のような忙しさの中で、一度しかヴァイオリンとピアノを合わせる機会が取れなかったのですから、そもそも万全の演奏ができるわけがなく、決して彼を貶めたわけではないのですが、言葉が足りずやや不穏当であったと反省。だーこちゃんゴメンナサイm(_
_;;;m 客受けはとても良かったとはいえ、上記のマニアのような人が来ていたら、この一曲で酷評されるだろうな、と思わぬでもありませんでした。
後半は声楽曲で、『幼年幻想』を歌った松永知子さんも、『愛のかたち』を歌った水島恵美さんも、暗譜してくれていたので感激です。歌い手としては、暗譜するところまでからだに憶え込ませておかないと充分な表現がしづらいという点、私も合唱をやっているのでよくわかるのですが、それと同時に、齢と共に困難になる暗譜のしんどさもわかるので、感謝の念もひとしおでした。 私のしゃべりはというと、なるべく短くしようとは思いながらも、前述のようにレクチャーコンサートっぽくなったり、『幼年幻想』では栃尾電車(詩人・矢澤宰の住んでいた見附市を通っていたローカル私鉄で、のちの越後交通栃尾線=現在は廃止)の話を始めてしまったり、『愛のかたち』ではアベラールとエロイーズの話をこと細かに語ってしまったりで、どうもどんどん長くなってしまっていました。話が入っていたので良かった、と褒めてくれる人も少なくないのですが、否定的だった人でもあんまり正直には言ってくれないと思うので、まあ褒め言葉を半分くらいに聞いておけば良いかな、と思います。
アンコールとして、『South
Island
Lullaby』を弾きました。最初、出演者全員で演奏できるような新曲を作ろうかとも考えたのですが、実際には作っている暇もありませんでしたし、演奏者もこれ以上出番が増えるのはいい加減負担が大きいので、私がひとりで短い曲を弾くことにしたわけです。最後の1週間くらいで決めて、4日くらいで練習しましたが、久しぶりに弾くとけっこう指の動きを忘れていたりして、直前までどこかにミスが出ており、実のところ『愛のかたち』より緊張ものでした。 ともあれアンコールを終えて舞台袖に戻って時計を見ると、当初のタイムテーブルより20分近くオーバーしていました。やはりぶっつけのしゃべりではよろしくないようですね。 各曲の演奏時間も、タイムテーブルを作る時に届けたものより少しずつ長かったようです。本番というのは、気持ちが入る分、たいていリハーサルよりは長くなるのが常です。空の客席に向かう時より、いっぱいのお客様に向かう時のほうが、ひとつひとつの表現が大きくなるのは当然で、それが生演奏の良いところでもあるのですが、タイムテーブルを作る時はその辺を計算に入れ、少し長めに設定しておくのが常道です。私も自分がステージマネージングをする時はそうしているのに、今回はなんだかむしろ短めに届けてしまったような気がします。
作品展としては、一応は成功だったと見て良いだろうと思います。 どの曲がいちばん良かった、という声が、すでにあちこちから聞こえてきていますが、いい具合にばらけています。趣向の異なる曲を選んでおいたのがうまく当たりました。作風の幅が広いですねえ、とか、こんな曲も作っているとは知りませんでした、とかいう感想もいただいています。 「どの曲を聴いてもそれぞれに違いがあって、なおかつどの音をとってもその人自身の音でしかない」というのが、たぶん作曲家に対する最大の褒め言葉だと思いますが、実際には「どの曲を聴いても同じようで、なおかつその人自身の音であることをあまり感じられない」というはめになってしまいがちです。 ある人が「ナンバープレート説」というのを唱えたことがあります。これはセリー音楽について言ったことだったと記憶していますが、
──確かにそれぞれの曲に違いはあるが、それはクルマのナンバープレートが一枚一枚違う程度のことだ。細部は違っていても、全体としてはどれもこれも似たり寄ったりだ。
という趣旨でした。セリー音楽全体としてそうであるならば、ひとりの作品だけ並べる個展という場ではさらに気をつけなければならない点かもしれません。さて、今回は私は、少しはナンバープレートから脱していたでしょうか。
初台駅近くのイタリア料理屋で打ち上げをしてから帰りました。駅まではすぐなので、まずは電車に乗りましたが、すでに午前零時を過ぎていて、新宿からの埼京線の電車は無く、おまけにマダムの衣裳箱の取っ手が壊れて、抱えなければ運べなくなってしまいました。花束でいちばん巨大だった川口市長からのものは実家の両親が持ち帰ってくれましたが、他にも大きなのをいくつか貰っています。やむなく、そのまま地下鉄で岩本町まで出て、タクシーを拾いました。岩本町から乗れば昭和通りをそのまま行ってくれると思ったのですが、クルマは御茶ノ水方向に進み、本郷通りに入りました。それなら岩本町の手前の小川町(御茶ノ水駅や本郷通りに近い)で乗れば良かったとちょっと後悔。帰宅は1時半くらいでした。
(2009.7.28.)
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