忘れ得ぬことども

秩父ウォーキング

I

 5月はじめの連休のゴールデンウィークに対し、9月の、敬老の日秋分の日という近接した祝日を含む週をシルバーウィークと呼ぶのは、けっこう以前からのことだったように思いますが、今年(2009年)は週末と「国民の休日」規定がからんで、文字通りゴールデンウィークに匹敵する大型連休となりました。
 大体「国民の休日」という規定は、「2つの祝日に挟まれた日を国民の休日とする」というもので、本来5月3日の憲法記念日と5日のこどもの日に挟まれた5月4日を休みにし、恒久的に連休にするべく作られました。その後みどりの日が5月4日ということになり、もはや「国民の休日」規定は意味を失ったかに思われましたが、なんと伏兵が居たわけです。敬老の日が9月15日の固定祝日から、9月の第三月曜日という移動祝日になったため、21日になる可能性が出てきました。そうすると23日の秋分の日との間に一日しか挟まないことになり、22日がこの規定に該当することになります。
 敬老の日は必ず月曜ですので、9月が火曜から始まる年であれば、今後ほぼ確実に土曜から数えて5連休ということになります。今年の次は2015年に同じ配置となります。その次は2020年ですが、実はこの年は秋分の日が閏年の影響で9月22日になるため、4連休にしかならず、5連休になるのは2026年になる見込みです。
 祝日が今の通りだと、こんな状態になる時期は他には無く、急にシルバーウィークという呼び方がクローズアップされたのもうなづけます。

 あちこちへお出かけだった人も多いと思いますが、私はと言えば、やたらと「歩いた」印象の強い連休でした。
 19日は普通に仕事日でしたので、いつもと特に変わったところはありません。20日もほぼ家にいました。
 出かけたのは21日からです。そもそもはしばらく前、ダイエットに邁進しているマダムが、思ったように減量できないと嘆いておりましたので、
 「じゃあ連休に徒歩旅行でもするか?」
 と、なかば冗談で提案したのが発端でした。
 土曜は仕事があるので無理ですが、4日間もあればかなりの距離を歩けます。行けるところまで行って、列車などで帰ってくれば良いわけで、気持ちの良い季節でもありますし、なかなか魅力的なプランに思えました。
 とはいえ、マダムも私もそれぞれにけっこう忙しく、結局21日と22日だけしかフリーの日がとれませんでした。しかも私は22日の夕方に所用があるので、少なくとも昼には帰途に就かなければなりません。実質「徒歩旅行」と言えるのは21日だけでしょう。
 人間、一日でどのくらい歩けるものでしょうか。昔の人はよく歩いたもので、「東海道中膝栗毛」弥次さん喜多さんも、のんびりとおちゃらけた旅をしているように見えて、長い時には13里(52キロ)近く、短くても7、8里(28〜32キロ)くらいは歩いています。「奥の細道」芭蕉曽良はもっとハイスピードで、現在では信じられないほどの距離を短時間で踏破しているため、芭蕉は実は忍者だったのではないかなどという説も出ています。まあ普通の成人男性で一日10〜12里、女子供連れで6〜8里というところが普通だったのではないでしょうか。
 しかし現代人はなかなかそうもゆきません。昔よりも体力が落ちていることもさることながら、アスファルトの舗装道路を歩くというのは、歩きやすいようでいて実はかなり疲労するものです。硬いので跳ね返りが大きいし、日中など照り返しのために温度が高くなって体力を奪います。この道路の変化に対して、靴のほうも進歩はしているわけですが、長距離を歩く場合、草鞋(わらじ)掛けで未舗装道路を歩いたほうが、むしろ楽な気がします。
 私自身が一日で歩いた最長記録は30キロほどですが、だいぶ若い頃のことでもありますし、まず20〜25キロくらいをメドに考えたほうがよかろうと思いました。

 そのくらいの距離を気持ち良く歩けるルートをいろいろ考えました。家から出発しても良いのですが、なにぶん首都圏の都会暮らしで、この程度の距離を歩いても、ビル街や住宅地を抜けることは困難です。徒歩「旅行」という感じがしません。
 しかるべき場所まで鉄道やバスで行ってそこから歩くのが良さそうです。山道はマダムが苦手なので、街道筋にしたいところです。あまり遠方だと歩き出しが遅くなってしまいます。
 あれこれ考えた結果、寄居から秩父まで歩いてみることにしました。秩父往還という古くからの街道ではありますし(現在は雁坂トンネルが開通して山梨側に抜けられるようになり、彩甲斐──さいかい──街道なる愛称もつけられました)、荒川に沿っていて気持ちが良いことでしょう。長瀞という観光地もあります。また、ずっと秩父鉄道と併走することになるので、途中でヘタレてしまった場合、電車で緊急避難することが可能だという点も考慮しました。
 秩父であれば日帰りでも良いのですが、まあ一応「旅行」の体裁をつけるべく、秩父で一泊して、翌日の西武特急で帰ってくるプランを立てました。泊まる場所もいろいろ悩みましたが、近在の温泉宿などは目の玉が飛び出そうなほどに高く、仕方なく駅前のビジネスホテルを予約しました。休日のビジネスホテルというのは空いているのが常なのですが、連休中で観光客や登山客が殺到し、他の宿泊施設からあふれ出したのか、そこもほとんど空室が無いほどで、きわどいところで確保できました。

 荒川沿いというのは前に歩いたことがあります。家の近くを荒川が流れているので、ある時、川に沿って遡ってみようと思い立ち、昼過ぎに出かけて、その日は羽根倉橋というところまで歩きました。橋を通るバスに乗ったら、北浦和駅に着いたので、そこから帰ってきました。次の時は羽根倉橋まで電車とバスで行き、その先を歩きました。太郎右衛門橋まで行き、桶川にバスで出て帰りました。
 以後、熊谷寄居上長瀞浦山口秩父湖と遡り、最後に源流を窮めようと思って登山支度をし、甲武信岳の山裾を分け入って行ったところ、見事に道に迷い、3日ばかり出てこられなくなりました。その時はなんとか自力で脱出できたものの、途中で崖を滑落するようなこともあって、下手をするとクレヨンしんちゃんの作者みたいな最期をとげていたかもしれません。あとから調べたところ、甲武信岳の荒川ルートはもはやほとんど道が無いような状態だったようです。「荒川の源流を訪ねるツアー」みたいなものもあったようですが、よほど登山に達者な人が先導してやっと辿り着ける感じで、素人の私ごときがひとりで窮められるような生易しい道ではなかったのでした。
 ともあれそんなわけで、いわば曽遊の地というわけでした。

 マダムとふたりでリュックサックをしょって、朝の7時過ぎに家を出ました。昔の人は夜明けと共に出立したわけで、7時過ぎともなればすでに1里半くらいは歩いていたことだろうな、などと思いました。
 東武東上線の快速急行電車で寄居へ向かいます。以前あった特急の代わりに導入された快速急行ですが、同時に導入されたTJライナーの車輌(50090系)を使っているのだろうと勝手に思いこんでいました。平日の夕方、TJライナーの「戻り」の運行として上りの快速急行が走っているので、そう考えるのも無理はありません。で、50090系を使うのなら、休日の快速急行は明らかに観光用ですし、クロスシートモード(50090系はクロスシートとロングシートの両方のモードに変形できる、いわゆるマルチシートを装備しています)になっているに違いない……と予想していたのですが、池袋でプラットフォームに上がると、なんのことはないごく普通の一般車輌に過ぎなかったのでがっかりしました。東武鉄道には、休日快速急行への50090系クロスシートモードの投入を強く要望したいものです。途中、ロングシートモードにした50090系電車と何回かすれ違いましたが、その都度
 ──東武は営業が下手だなあ……
 と思ったものです。
 以前は寄居直通の特急もあり、そのまま秩父鉄道に乗り入れて長瀞あたりまで行ったりもしていたのですが、現在は小川町ですべて乗り換えることになっています。ローカル線と化した東上線の末端部分を鈍行で走り、寄居に着いたのは9時20分過ぎでした。トイレに寄ったり、身支度もあったので、歩き始めはほぼ9時半でした。

 寄居はJR八高線・東武東上線・秩父鉄道の3社が乗り入れ、5方向に線路が拡がっている交通の要衝ですが、町としてはごく小さく、しかるべき商店街なども見当たらないまま住宅地となり、やがて田畑がちらほらと現れます。まだ市になっていないのが不思議なほどで、実際あちこちと合併して市になる話もあったようですが、すべて破綻し、今や大里郡唯一の町となってしまいました。
 彩甲斐街道こと国道140号線に出ると、思いの外すごい交通量です。大小のクルマがひっきりなしに通り過ぎてゆきます。前に歩いた時もこれほどだったろうかと思い返してみても、記憶は曖昧で、よくわかりません。雁坂トンネル開通前でしたから、先はどん詰まりで、これほどのことはなかったのではないかという気がします。
 そのクルマの量に対し、歩道の整備は実にお粗末で、路側帯を歩くしかない部分が非常に多いのでした。その路側帯もほとんど幅が無かったりして、かなり危険でした。こんなところを歩くのは無謀だったかと思ったほどでした。それで時々は国道から離れて、裏道を歩いたりしました。
 郡境を越え、長瀞町(秩父郡)に入ると、歩道の設置状況は少しましになりました。長瀞町は寄居町の4分の1くらいの人口しか無く、財政規模もそれに準ずると思われるのに、この差はなんだろうかと不思議に思いました。

 30分に一回程度の小休止を入れながら、長瀞まで歩いて昼食にしました。寄居から3時間40分ほどかかりました。そこまでの距離は12キロくらいかと考えていたので、小休止を入れたにせよずいぶん時間がかかってしまったなと思いましたが、あとで調べると鉄道の線路で12.7キロ、歩いた距離で言えば14キロ近かったと思いますので、まあそんなものかと納得しました。
 長瀞駅前は観光客でごった返しており、狭い道路に大型観光バスがひっきりなしに出入りしていて、なんともあわただしい雰囲気でした。長瀞ライン下りの切符売り場には長蛇の列が出来ています。駅から河畔に下りてゆく道には土産物屋や食堂が軒を連ねていますが、どの店も客であふれかえっていました。その中の一軒でそばを食べましたが、席に着くまでだいぶ待たされました。
 待たされはしたものの、クルミをすり潰した汁を用いたそばは大変美味で、その店の名物らしい卵焼きもおいしくいただきました。
 長瀞と言えば、岩畳などの奇岩が有名で、崖には地層が露出し、地質調査実習などによく利用される場所です。私も中学3年の頃、理科の校外実習で連れてこられたことがあります。写真入りの詳細なレポートを気合いを入れて書き上げ提出した記憶があります。
 もちろん観光地としても、準一級くらいのレベルではあり、特にあまり遠出をしたくない場合の日帰り観光にちょうど良いロケーションということで、休日には賑わいます。
 私たちも、少し河辺に出て過ごしても良かったのですが、何しろ先があるので、食事が済むと再び秩父へ向けて歩き始めました。

 が、ちょっと面白くない事態が生じてきました。
 私は十数年前に買ったウォーキングシューズを履いてきたのですが、もとから少しきつめな気がしていました。実は上記の遭難をした時もこの靴で、その時には親指の爪が完全に逝ってしまいました。それはまあ無理をしたからだと考えていましたが、今回履いてみて、どうもやはり小さすぎるようです。
 そもそも4年前に右足の甲を骨折して以来、右足が少し大きくなってしまったようで、それまでは靴のサイズが26センチだったのが、それではどうもきつくなりました。今は26.5か27のものを求めています。もともと小さめに感じていたウォーキングシューズが、何やら締め具のようになってきたのも無理はないかもしれません。
 ともあれ、昼食でしばらく靴を脱ぎ、そのあと再び履いてみると、右足がえらく痛いのでした。小指の先が押し潰されそうで、親指の爪も危ない感じで、親指の付け根あたりも腫れてきていました。これはヤバいなあと思いました。
 年柄年中脚がつったの脚が痛いのと訴えているマダムは意外と元気で、痛みで遅れがちな私の手をひっぱってくれたりしていましたが、長瀞町を抜けて皆野町へ入った頃から、彼女も急に脚をひきずるようになりました。マダムのほうは靴の問題ではなく、筋肉痛が出てきただけのようでしたが、ふたりともびっこをひくような状態で、ようよう皆野駅の駅舎へ辿り着いて、とりあえずベンチに坐りました。長瀞からは5キロほど歩いてきたのだと思います。
 「ここでリタイアして、あとは電車で秩父まで行こうか?」
 とマダムに訊いてみると、もう少し頑張りたいようなことを言うので、とにかく次の和銅黒谷駅まで歩くことにしました。鉄道沿いの道で、こういう調整ができるのはありがたいことです。皆野駅から和銅黒谷駅までは鉄道で2.6キロ、道路もこの区間はほとんど併行しているので差はありません。

 皆野駅で一旦坐ったのがかえって良くなくて、再度歩き出すと、私のほうも急に右の太ももに筋肉痛が来ました。足先の痛みをかばうように歩いていたので、無理がかかったようです。マダムとふたりで、ほとんどジジイとババアのごとくよたよたと歩きました。これはもう、和銅黒谷から先へは行けないなと思っていると、「秩父市」の標識がありました。市境を越えたのです。
 「これで一応、『寄居(町)から秩父(市)まで歩いた』と称することはできるわけだし、まあ20キロ近くは歩いたわけだし、一応目的は果たしたということで、次の駅で電車に乗るとしよう」
 そう言うと、今度はマダムにも異存はありませんでした。その時は20キロ近くと言いましたが、あとから調べてみると20キロは超えていたようです。秩父鉄道の線路で19.6キロですので、実際に歩いたのは22キロくらいになっていたと思います。
 なんとか和銅黒谷駅に辿り着いて、20分ほど待って電車に乗り、御花畑駅で下りました。予約したビジネスホテルは西武秩父駅前で、御花畑が西武秩父との接続駅になっています。両駅は200メートルほど離れており、その間に土産物屋や食堂が並んだアーケードがあります。遭難した帰り、この距離がおそろしく遠く感じて閉口したものです(実はその翌々日から尿管結石で入院するはめになり、その前駆症状で熱も出ていて体調最悪でした)が、今回もえらく遠いように思えました。
 たぶん予定通り全部歩いていたら、約30キロというところだったでしょう。最初の予測よりも多かったようです。それにしても、靴が合わなかったとはいえ、途中リタイアするとは衰えたなあと慨嘆せざるを得ませんでした。やはり日頃の運動不足が祟ったとしか思えません。5里半で音を上げるのでは、昔の人に笑われそうです。

 部屋に一旦落ち着き、風呂に入ってから、食事をしに出ました。なんだか脱いだ靴をもう一度履くのが耐えがたい気がしたのですが、やむを得ません。
 近くに昔ながらという感じの洋食屋があったので、そこに入りました。値段に比してえらく盛りが良く、満腹しました。マダムは減量のために歩いたのに、大丈夫だろうかと心配になるほどでした。
 テレビで「おくりびと」を放映していたので見ましたが、疲れていてところどころ朦朧としていたようです。何しろ爪先が痛くて、熱を持っているようでもあるので、「冷えピタ」を足に巻き付けて寝ました。
 朝食はホテルでビュッフェがあり、大体適量をいただきました。爪先はまだ痛いのですが、太ももの筋肉痛は少し薄らいだようです。10時頃までのんびりして、憂鬱な気分で靴を履きました。

 マダムが秩父鉄道のスタンプラリーの紙を貰ってきていました。前日、寄居から2つめの樋口駅に立ち寄った時に貰ったもので、樋口駅のスタンプがすでに捺されています。もう一箇所、指定の駅や観光地でスタンプを捺して提出すると、何やら記念品が貰えるそうです。
 スタンプ設置駅に秩父駅があり、記念品引き替え駅に御花畑駅があったので、秩父の街中を散策しながら秩父駅まで歩き(約1キロ)、そこでスタンプを捺し、ひと駅だけ電車に乗って御花畑駅で記念品を貰ってから帰途に就くという行動予定を立てました。
 西武秩父駅と御花畑駅とで乗り換えたことは何度もありますが、街中を歩いたことはほとんどありません。なかなか趣きのある街だと思いました。
 靴屋があったので立ち寄り、新しいウォーキングシューズを買い求めました。蘇生する想いです。親指と小指の爪、それに親指の付け根の痛みは後遺症としてまだ残っていますが、それ以上圧迫が加えられなくなったので、深く深く安心しました。
 秩父神社にお詣りしたあと秩父駅に行くと、大きな土産物屋が附属していたので、そこでかなり時間を過ごしました。
 無事スタンプを捺し、御花畑駅では記念のボールペンを貰い、再びアーケードを通って西武秩父駅へ。マダムの脚の痛みもおさまり、昨夜よりだいぶ近く感じられました。
 特急券売り場にはかなり長い列ができていました。私たちは12時25分発の特急に乗りましたが、そのあと数本の特急はすでに満席の表示が出ており、危ないところでした。
 「ひだか曼珠沙華の里・巾着田」のイベントのため、この日はふだん停車しない高麗駅に臨時停車します。そういえば歩いている間、道端にはそこらじゅうに曼珠沙華=彼岸花が咲き誇って、炎を上げているかのようでした。まさにお彼岸の季節だと実感しました。「曼珠沙華の里」という形で売り出すのも良いですが、道を歩いていてふと眼に入る彼岸花の群落のほうが印象的な気がします。
 池袋でマダムと別れ、私は自分の用事のため新宿のほうへ出ました。この用事が無ければ、もう少し歩けたかもしれません。いや、この足の痛みではちょっと無理だったかな。

 ……無理だったかな、と思った翌日、また歩いたのだから懲りないというかなんというか。
 義父が尺八をやっていて(というかかなりの名手で、都山流最高位の竹琳軒の称号を持っています)、23日市の三曲協会の演奏会に出演したので、マダムと聴きに行きました。私は学生時代に生田流箏曲を習ったものの、あまり邦楽とは縁がなかったのですが、結婚後、義父のおかげで邦楽を聴く機会に恵まれるようになりました。洋楽と違う点、やはり音楽として共通するように思う点などいろいろあります。いずれ邦楽器を用いた曲も書いてみたいものだと思っています。
 さて、演奏会の後、また歩くことにしたわけでした。というのは、あれだけヘロヘロになるまで歩いたのに、マダムはあんまり減量できていなかったのです。まあ、夕食を食べた洋食屋で一挙にカロリーを補充してしまったのが原因と思われますが、ともかく効果が見えなかったので、また歩きたいと言い出したのでした。
 柏から武蔵野線南流山まで、最短距離に近い道で歩くと7キロくらいのようです。南流山からなら川口まで帰りやすいので、この道を歩くことにしました。私は爪先がまだ少し痛く、多少足をひきずり気味でしたが、なんとか歩けそうです。その回復力には自分ながらちょっと得意な気がしました。
 歩き出したのがすでに夕方で、間もなく陽が暮れました。しかも柏市内はまだしも、流山市に入ると街灯も疎らになり、歩きづらいことこの上なかったのですが、1時間40分ほどで南流山駅近くのサイゼリヤまで辿り着いて、そこで夕食を食べました。
 「けっこう食べちゃったし、カロリー消費にもう少し歩くか?」
 と提案すると、マダムも賛成したので、武蔵野線でもうひと駅、三郷まで歩くことにしました。結局柏から9キロちょっと歩いたことになります。秩父へ行った時の半分弱ですが、夕方から歩き出したにしてはけっこう頑張ったかなと思います。
 新しいウォーキングシューズも調子が良く、これからはちょくちょく歩くことにしようかと考えた次第です。

(2009.9.24.)


II

 今年(2010年)も引き続き、マダムとふたりで秩父地方へ徒歩旅行に行ってきました。去年と同じく9月頃に出かけたかったものの、今年はなかなか都合が合わず、10月31日(日)11月1日(月)という日程になりました。まあ、今年は9月末近くまでやたらと暑い日が続きましたので、このくらいの時期がちょうど良い気候だったかもしれません。
 先週は颱風14号が接近して、特に週末に関東地方に達しそうな動きでしたので、少々心配していたのですが、幸い予想されていたよりも速度が大きかったようで、土曜日に大雨となったのち熱帯低気圧に変わって、日曜の朝にはほぼ通り過ぎていました。とは言っても、颱風一過というにはほど遠い、重苦しい曇天で、いつ小雨がぱらついても不思議ではない空模様です。まだ完全に通過したわけではなかったのでしょう。
 去年は東武東上線の終点である寄居から、大体国道140号線周辺を歩いて和銅黒谷まで行きました。本当はもう少し先まで行きたかったのですが、私の靴がきつくて足が悲鳴を上げていた(帰ってから見たら親指の爪が死んでいました)のと、マダムの腰痛が出てきたのとで、終盤はほとんど爺さん婆さんのごとき歩きぶりとなり、残念ながら和銅黒谷の駅で打ち切ったのです。まあ、ぎりぎり秩父市内には入ったので、「寄居から秩父まで歩いた」と称してもウソではなくなるからいいか、と自分を納得させたものです。
 だから今回は和銅黒谷駅から再開して先を歩くということにしても良かったのですが、そこから秩父の中心部にかけては主に市街地を歩くことになるので、あんまり面白くありません。それに、どこまで歩くかということを考えると、少々中途半端に思われました。別に誰かにルールを強制されたわけでもないので、途中ちょっとはしょって、御花畑駅(ほぼ西武秩父駅)から歩き始めることにしました。秩父鉄道に沿って、終点の三峰口まで行き、そこから北へ転じて、旧両神村(今は合併して小鹿野町の一部になった)の中心部近くにある国民宿舎両神山荘で宿泊する、というプランを立てました。ざっと見て20キロほどの行程と思われ、距離的にはちょうど良いし、前回のように万一途中でリタイアしたくなった場合も、三峰口駅から両神村へ向かうバスが1時間1本程度走っているので、それを拾うことができます。
 出発点の御花畑駅までは、最初秩父鉄道のSL列車「パレオエクスプレス」に乗ろうと思いました。両神山荘の宿泊予約をしたついでに、パレオエクスプレスの自由席整理券を予約したのですが、よく考えてみるとこの列車は御花畑着が12時19分で、歩き始めるのが午後になってしまいます。そこから全部歩くと宿に着くのが遅くなりすぎますし、かと言って最初からバスに逃げるつもりになるのも業腹ですから、やはり「徒歩旅行」を重視することにして、もっと早い時間に歩き出せるよう、SLはキャンセルしました。

 早朝の6時半頃に家を出ました。川口駅前に並んでいる小食堂のひとつで朝食を済ませ、まず熊谷へ向かいます。池袋から西武線に乗っても良かったのですが、パレオエクスプレスの余韻のようなものがあって、なんとなく熊谷から秩父鉄道に乗りたい気がしたのでした。8時30分熊谷発の急行電車があり、それに乗ると9時半くらいから歩き出せそうです。
 秩父鉄道の急行は、私鉄としては珍しく急行料金を取られる列車です。東武鉄道が種別の組み替えをおこなって、急行を通勤型にして以後、大手私鉄からは有料急行は全く無くなり、現在は秋田内陸縦貫鉄道・大井川鐵道とこの秩父鉄道に残るだけとなりました。急行料金を取るだけあって、座席なども普通列車とは違って転換式のクロスシートを備え、いかにも格上な感じです。残念ながら途中で先行の普通列車を追い抜くことはできず、そのためスピードはいまひとつな印象がありますが、いちど乗ってみたいと思いつつ今まで果たせなかった列車のひとつではありました。
 「秩父そば祭り」のヘッドマークをつけた急行電車に乗り込むと、少々暖房が効きすぎて暑かったものの、座席の背にはそれぞれ白いカバーがかかっていたりして、昔の国鉄の急行より豪華な雰囲気でした。よく見ると3ドア式の車輌を改造して2ドアにしたものらしく、真ん中の窓だけ形が違っています。扉を潰してはめ込み式の窓をつけたようで、その窓だけが開閉できないタイプになっていました。
 そんなにスピードは速くないものの、小駅をどんどん飛ばしてゆくので快適です。途中、停車駅でない駅に交換のために停車しました。急行を待たせるとはけしからん、とちょっと憤慨しましたが、その時は対向列車も急行だったのでやむを得ません。
 寄居からは、去年歩いたあたりもちょくちょく見ることができます。特に波久礼から樋口にかけての大曲がりのあたりは、秩父鉄道・国道140号線・荒川がごく密集して通り抜けるので、川の様子もよく見えました。土曜日の大雨を受けて、一面真っ茶色の濁流になっており、水量もだいぶ増えているようです。長瀞に着く少し前の車内アナウンスで、長瀞のライン下りが今日は中止になっていることを告げていました。急行列車ががら空きなのはそのせいもあったことでしょう。長瀞の舟下りは、手軽な観光地として人気が高く、休日ともなると大賑わいを見せるのが常です。去年のウォーキングでも、長瀞にさしかかるといきなり観光客が密集し、食事をしようとしてもだいぶ待たされました。今日は長瀞駅前も閑散としています。

 御花畑駅9時23分着。大体9時半に歩き始めました。日曜の朝ということもあって、街はまだ起きていない感じです。
 国道なり県道なり、すぐに歩き始めれば良いようなものですが、しばらく住宅地の中の生活道路を歩き出しました。去年秩父に来た時、秩父駅の物産館で買った天然酵母パンをマダムが気に入り、そのパン屋が下影森「ジュリヤン」というところだと知って、ぜひ立ち寄りたいと希望していたのです。ネットで場所を調べて、そこを経由するルートを選びました。
 ところが、ネットで調べた時の地図をプリントアウトしてくることをせず、手持ちの2万5千分の1地形図に場所をポイントして来ただけだったものですから、少々道に迷いました。ほぼ道なりに進めば良さそうな感じなのに、そうすると人家で行き止まりになってしまっていたりして、なんだかよくわかりません。どうも最初に歩き出した道が間違っていたとしか思えません。地形図は便利ですが、街中ではいささか使いづらいようです。
 ネットで調べた時、目当ての店の近くに、スーパーマーケットのベルクや、キヤノンの工場があったことを憶えていたので、なんとか辿り着きました。ごく普通の個人経営のパン屋で、野菜なども売っているようですが、あいにくと日曜日は開いていないのでした。奥のほうからパンを焼いている芳香が漂ってきていたのに、店が閉まっているとは残念なことです。
 「もっとオシャレな店かと思ったんだけどなあ」
 とマダムが言いました。私が答えます。
 「いや、ジュリンと書かずにジュリンと書いている時点で、ぼくはこの程度の店だろうと思ったけどね」

 「ジュリヤン」を探してうろうろしていたため、少し時間を食いました。御花畑の次の影森まで、鉄道線路だと2.7キロですが、4キロ近く歩いた感じで、影森駅に立ち寄ったのはもう10時半くらいになっていました。
 駅でトイレ休憩だけ入れて、また歩き出します。ここからは一路三峰口を目指すことになります。
 主に国道を歩くのですが、思いの外交通量が多くて剣呑です。140号線は昔は行き止まりの道路だったので、そんなにクルマも多くなかったのですが、雁坂トンネルが開通し、埼玉県と山梨県を結ぶことから彩甲斐(さいかい)街道などと呼ばれ出してから、途端に増えました。埼玉県から山梨県にダイレクトに抜ける道は、確かにこれしかないのですが、この両県の間の輸送需要がそんなにあるというのも不思議な気がします。
 クルマは増えたものの、道路の整備はそれに追いついていないところがあり、歩道なども完備はしていません。歩道のないところでダンプカーなどに行き合うと、肝が冷えます。歩道が左側に数百メートルついていたかと思うとそちらが無くなり、今度は右側に数百メートル、などというところもあり、そんな場所ではいちいち歩道のあるほうに渡っていましたが、渡ること自体が危険である場合もあります。秩父は札所巡りのお年寄りなどもよく歩いているところですし、もう少し歩道をきちんと整備してはいかがかと思います。
 浦山口駅のあたりから、旧荒川村に入ります。今は合併して秩父市内になっていますが、やはり少しひなびてきました。これから三峰口まで、ずっと旧荒川村の中にあります。

 武州中川・武州日野の駅はほぼ国道沿いにありましたが、特に立ち寄らず、その先で少し左に入ったあたりにある「道の駅あらかわ」の附属の食堂で昼食をとることにしました。時刻もほぼ正午、おなかのすき具合も良い按配です。2時間半ばかり歩いたことになります。鉄道線路で言えば9キロくらいでしょうか。
 少し雨が降ってきたようで、道の駅に立ち寄るクルマがワイパーを動かしています。人間のほうは傘をさしていたりいなかったりで、雨と言ってもむしろ霧に近い感じです。歩き出した頃、山にかかった雲がやたらと低いところまで下りてきているように思いましたが、そんなに高度は上がっていないとはいえ、雲の中に入ったみたいな気もしました。
 鹿肉入りのラーメンと、この辺の特産である行者ニンニクを添えたそばがきを食べました。それから、最近になって妙に売れ出した「みそポテト」もひと皿とってみました。なんだか5月に食べた佐野いもフライに追随したみたいな食べ物です。これに限らず、近年になって急に「ラーメンの街」やら「焼きそばの街」やらが増えてきた観があります。どの地方も観光客誘致のために「名物」を作ろうと必死なのはわかりますが、土地の風土や伝統と無関係に導入したものは、そう遠からず廃れてしまうようにも思えます。
 私たちは線路に面した窓の近くに陣取っていましたが、ほどなく店の人が、
 「間もなく、12時40分頃にSL列車が通過します。ご興味のおありの方はご覧下さい」
 と案内していました。私たちが最初乗るつもりであったパレオエクスプレスが、ようやく追いついてきたわけでした。これに乗っていたら、今頃ようやく歩き始めることになっていたのだな、と慨嘆します。

 窓からSLの通過を眺めて、それから店を出て再び歩き出しました。国道より線路の近くに沿っている道がありましたので、そちらを歩きます。クルマの量も少なく、またこのあたりで平地が尽きて林間となり、歩きやすくなりました。
 ときおり、パアアンという音がこだまを伴って聞こえてきます。何回も聞こえるので、
 「どこで花火を上げてるんだろ?」
 とマダムが不思議がりました。
 「花火じゃなくて、猟銃の音じゃないかな」
 今年は夏の猛暑の影響で山の中の食物が少なく、熊や鹿が里近くまで下りてくるケースが多いようです。今朝の新聞にも、自宅の庭で熊に襲われた人の記事が出てきました。撃ち殺すのは可哀想だという人が多いのですが、一度人里で食物を得た熊は、その後何度でもあさりに来るようになるので、やむを得ません。プーさんりらっくまのイメージばかりで考えてはいけないので、熊はあくまでも「猛獣」なのです。それにしても、都会に住む人間としては、近くで猟銃の音を聞くような体験はなかなか無いので、少しギョッとします。

 白久駅を過ぎると、また少し平野部が拡がり、やがて秩父鉄道の終点・三峰口に着きました。埼玉県最西端の駅でもあります。
 三峰口駅のプラットフォームには、先ほど通過して行ったパレオエクスプレスが停まっていました。すでに機関車が反対側に付け替えられ、熊谷行きとなって発車時刻を待っています。
 駅の外のベンチに坐って休憩していると、パレオエクスプレスの発車時刻が近づくにつれ、どこから湧いて出たのかと思うばかりの大勢の子供たちと、その親たちが見物に集まってきました。最初は乗るつもりなのかと思ったのですが、発車数分前になっても一向に改札を通って行こうとしません。みんなただSLを見に来ただけのようです。クルマで来て、秩父鉄道にはお金を落とさず、クルマで帰るのでしょう。
 あいにくと、発車直前に、別の列車が手前のプラットフォームに入ってきました。要するに、単線なので、この列車の到着を待ってパレオエクスプレスが発車するという段取りになっていたわけです。それで、せっかくのSLの雄姿は、あとから来た列車の切れ目からかろうじて見えるくらいになってしまいましたが、それでも白煙を濛々と吐き出して、ゆっくりと動き出す機関車の姿には、わくわくするものがありました。
 パレオエクスプレスを再度見送ってから、また歩き出しました。秩父鉄道の引き込み線の先を大回りしてから白川橋を渡り、国道に出て僅かに東方向に戻ると、ほどなく両神への分岐路がありました。ちょっとした住宅地を抜けたあたりに、目的地である両神山荘への案内表示が出ていました。そこから7キロだそうです。私は地図上でざっと測って、三峰口駅から10キロくらいかと考えていたのですが、もう少し近かったようです。
 三峰口駅を出発したのが14時10分くらいでしたから、全部歩いても16時半頃までには着けることでしょう。途中でバスに待避する必要も無さそうです。
 道路のアップダウンは多くなったものの、なんだか地図上での距離は今までよりはかどるようです。思ったよりも早く、地図に書かれていたトンネルをくぐり、古池という集落を通り抜けて、やがて小鹿野町(旧両神村)との境界を越えました。
 ほどなく小森の集落に入り、建物が多くなってきたと思ったら、「道の駅薬師の湯」に着きました。両神山荘は「薬師堂」というバス停が最寄りですが、名前からするともう隣まで来ていると思われます。まだ16時前ですし、少しだけ道の駅に寄って、ジャムなどを買い求めてから宿へ向かいました。
 思った通り、数百メートルも行かない間に薬師堂のバス停があり、両神山荘への案内板がありました。少しだけ横道に入ったところにありますが、途中に、中華風な朱塗りのやたら豪華な建物があってびっくりしました。これは神怡館といって、埼玉県と中国の山西省が友好を結んだ記念に建てられたものらしく、中ではいろんな展示やイベントをおこなっているとか。今は剪紙(切り紙)の展覧会をしているそうです。
 その奥に両神山荘があります。かなり広い前庭がありますが、3日に予定されているお祭りの準備のため、いろんな資材が置かれており、少し雑然としていました。

 国民宿舎というのは正直言ってピンキリなのですけれども、この両神山荘はけっこう上質なほうではないかと思います。オフシーズンのせいもありますが、通された部屋は広々としていました。
 一旦腰を落ち着けると、急に疲労が出てきたようで、再度立ち上がろうとするとひどく腿やふくらはぎが痛みました。私が足をひきずっているとマダムが見て笑いましたが、その後マダムも立ち上がった時によろけていました。歩いた距離は正確にはわかりにくいのですが、どうも20キロよりは少し多かった気がします。正味の歩行時間は5時間半くらいでした。20キロくらいで足を引きずっていては昔の人に笑われそうで、50〜60キロを一日で平然と走破した松尾芭蕉はもちろん、のんびりと太平楽を並べながら旅している弥次さん喜多さんだって長い日には40キロ以上歩いています。他に交通手段が無かったとはいえよく歩いたものだと思います。それにしても、去年の終盤に較べればだいぶ元気に踏破できました。チェックインしている時、フロント係が
 「今日はおクルマでいらっしゃいましたか、それとも電車とバスで……」
 と訊ねてきたので、
 「御花畑から歩いてきました」
 と答えると眼をむいて驚いていました。
 両神山荘は温泉旅館です。強アルカリ泉で、入っていると肌がツルツルになってくるのがわかります。露天風呂もあって良い気分でした。ただ、私たちが宿に着いてから、本格的に雨が降り出したようで、露天風呂のスレート屋根が大きな音を立てていました。
 食事も良い味でしたが、ただお決まりのコースだけだと川魚と野菜ばかりで、若い人には少々物足りないかもしれません。天ぷらと漬け物と野菜サラダは食べ放題なので、その辺でおなかを満たしても良いのですが、私たちは猪肉の陶板焼きとイワナのお造りを追加注文しました。ちょっと食べ過ぎたような気もします。

 前の晩が寝不足だったせいもあり、私は22時過ぎには眠ってしまいました。マダムは24時くらいまでテレビを見ていたようです。
 早寝したおかげで、翌朝は5時頃に眼が醒め、ゆっくりと朝湯に漬かってきました。天気はまだ雨模様です。私が風呂から出た頃になって、マダムが起きてきてやはり朝湯に行きました。
 朝食を済ませて、9時過ぎにチェックアウトします。ネット予約したおかげで、何やらずいぶんと廉価なプラン扱いにしてくれたようで、追加料理を頼んだのにずいぶん安く済みました。
 9時28分のバスに乗り、ミューズパークで下りました。秩父のミューズパークというのは名前は知っていましたが、どんな施設なのかはよく知りませんでした。そもそも街中にあると思っていたのが、ずいぶん山の中で下ろされたので驚きましたが、山腹の緩斜面を利用して作った、南北3キロ半に及ぶ広大な園地なのでした。
 レンタサイクルがあったので、借りて園内を廻ることにしました。朝方の雨は上がり、青空が見えてきていたので好都合でした。雨のままだったらミューズパークに寄るのを断念せざるを得なかったと思います。
 途中、「昆虫の森」と称する遊歩道の入口に自転車を停めて歩いてみました。前日の足の痛みは、温泉のおかげかそれほど残っていません。ミューズパークの一角を占めるだけのエリアですが、全部廻るとかなり歩きごたえがある遊歩道でした。雨上がりのためところどころ道がぬかるんでおり、マダムは一度スッテーンと見事に転びました。リュックザックをしょっていなかったら頭を打ったんではないかと心配したほどです。幸い、ちょっと指先をすりむいただけで、大した怪我もありませんでした。
 その遊歩道にかなり時間を費やしたので、自転車を借りている2時間がだいぶ少なくなってしまいました。真ん中あたりにある音楽堂を眺めつつ、とにかくいちばん下まで行って、Uターンしました。私たちが自転車を借りた南口とは別に、北口にもレンタサイクルがあったのですが、相互に乗り捨てるということはできないのでした。できるようになっていればずいぶん便利だと思います。
 秩父市街に向かうバスはしばらく無いようなので、園内のレストランで昼食を食べるべく、今度は歩いて並木道を下りてゆきました。このころになると空はすっかり晴れて、見事に黄葉したイチョウの並木が黄金色に輝いていました。何年か前に行ったロシアの秋の景色を思い出します。

 園内の「森のレストラン」という店で食事をしました。その近くには「森のコテージ」なる宿泊施設もあって、レストランの窓から見ると、なるほどコテージが森の中に散在しています。温泉大浴場もあるそうで、こんなところに泊まってみるのも面白いかな、と思いました。
 バスで西武秩父駅に戻り、それから駅の近くにある「矢尾百貨店」というところに行きました。地方都市によくある、デパートともスーパーマーケットともつかない店ですが、その階上で高橋久雄という人のフレスコ画の展覧会をやっており、マダムがぜひ見たいと希望していたのでした。この人のことは私は知らなかったのですが、旧両神村の出身で、フランス・オータン市にあるユルスリーヌ塔という建物に壁画を描いているそうです。フランスに拠点を置いている人で、絵画修復家としての業績が認められてレジオン・ドヌール勲章を貰っているばかりか、シュヴァリエ(勲爵士――英国のナイトに当たる)の叙爵も受けているとか。両神山荘でも盛んに宣伝していたので、フランス大好きなマダムとしては見逃せない気持ちだったのでしょう。
 こぢんまりとしたサロンで、その日が最終日だったせいか画家本人の姿も見えました。フレスコ画ということで、いずれも漆喰を塗った板の上に描かれており、キャンバスに描くのとは違った独特の味があります。フレスコ画というのは描き直しが全くできず、直そうと思ったら漆喰そのものを掻き落とすしかないそうで、絵画技法の中でもきわめて高度なテクニックを要するのだそうです。

 運動と食欲と芸術と、遅ればせながら秋のレクリエーションを満喫できた気分です。
 西武秩父から、特急ではなく普通列車に乗って、東飯能八高線に乗り換え、川越線経由で帰ってきました。ひと晩おいて、筋肉痛もさほど残っておらず安心しています。年一度と言わず、この種の徒歩旅行にもっとちょくちょく行きたいと思いました。

(2010.11.2.)

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