I
5月はじめの連休のゴールデンウィークに対し、9月の、敬老の日と秋分の日という近接した祝日を含む週をシルバーウィークと呼ぶのは、けっこう以前からのことだったように思いますが、今年(2009年)は週末と「国民の休日」規定がからんで、文字通りゴールデンウィークに匹敵する大型連休となりました。 大体「国民の休日」という規定は、「2つの祝日に挟まれた日を国民の休日とする」というもので、本来5月3日の憲法記念日と5日のこどもの日に挟まれた5月4日を休みにし、恒久的に連休にするべく作られました。その後みどりの日が5月4日ということになり、もはや「国民の休日」規定は意味を失ったかに思われましたが、なんと伏兵が居たわけです。敬老の日が9月15日の固定祝日から、9月の第三月曜日という移動祝日になったため、21日になる可能性が出てきました。そうすると23日の秋分の日との間に一日しか挟まないことになり、22日がこの規定に該当することになります。 敬老の日は必ず月曜ですので、9月が火曜から始まる年であれば、今後ほぼ確実に土曜から数えて5連休ということになります。今年の次は2015年に同じ配置となります。その次は2020年ですが、実はこの年は秋分の日が閏年の影響で9月22日になるため、4連休にしかならず、5連休になるのは2026年になる見込みです。 祝日が今の通りだと、こんな状態になる時期は他には無く、急にシルバーウィークという呼び方がクローズアップされたのもうなづけます。
あちこちへお出かけだった人も多いと思いますが、私はと言えば、やたらと「歩いた」印象の強い連休でした。
19日は普通に仕事日でしたので、いつもと特に変わったところはありません。20日もほぼ家にいました。 出かけたのは21日からです。そもそもはしばらく前、ダイエットに邁進しているマダムが、思ったように減量できないと嘆いておりましたので、 「じゃあ連休に徒歩旅行でもするか?」 と、なかば冗談で提案したのが発端でした。 土曜は仕事があるので無理ですが、4日間もあればかなりの距離を歩けます。行けるところまで行って、列車などで帰ってくれば良いわけで、気持ちの良い季節でもありますし、なかなか魅力的なプランに思えました。 とはいえ、マダムも私もそれぞれにけっこう忙しく、結局21日と22日だけしかフリーの日がとれませんでした。しかも私は22日の夕方に所用があるので、少なくとも昼には帰途に就かなければなりません。実質「徒歩旅行」と言えるのは21日だけでしょう。 人間、一日でどのくらい歩けるものでしょうか。昔の人はよく歩いたもので、「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんも、のんびりとおちゃらけた旅をしているように見えて、長い時には13里(52キロ)近く、短くても7、8里(28〜32キロ)くらいは歩いています。「奥の細道」の芭蕉と曽良はもっとハイスピードで、現在では信じられないほどの距離を短時間で踏破しているため、芭蕉は実は忍者だったのではないかなどという説も出ています。まあ普通の成人男性で一日10〜12里、女子供連れで6〜8里というところが普通だったのではないでしょうか。 しかし現代人はなかなかそうもゆきません。昔よりも体力が落ちていることもさることながら、アスファルトの舗装道路を歩くというのは、歩きやすいようでいて実はかなり疲労するものです。硬いので跳ね返りが大きいし、日中など照り返しのために温度が高くなって体力を奪います。この道路の変化に対して、靴のほうも進歩はしているわけですが、長距離を歩く場合、草鞋(わらじ)掛けで未舗装道路を歩いたほうが、むしろ楽な気がします。 私自身が一日で歩いた最長記録は30キロほどですが、だいぶ若い頃のことでもありますし、まず20〜25キロくらいをメドに考えたほうがよかろうと思いました。
そのくらいの距離を気持ち良く歩けるルートをいろいろ考えました。家から出発しても良いのですが、なにぶん首都圏の都会暮らしで、この程度の距離を歩いても、ビル街や住宅地を抜けることは困難です。徒歩「旅行」という感じがしません。 しかるべき場所まで鉄道やバスで行ってそこから歩くのが良さそうです。山道はマダムが苦手なので、街道筋にしたいところです。あまり遠方だと歩き出しが遅くなってしまいます。 あれこれ考えた結果、寄居から秩父まで歩いてみることにしました。秩父往還という古くからの街道ではありますし(現在は雁坂トンネルが開通して山梨側に抜けられるようになり、彩甲斐──さいかい──街道なる愛称もつけられました)、荒川に沿っていて気持ちが良いことでしょう。長瀞という観光地もあります。また、ずっと秩父鉄道と併走することになるので、途中でヘタレてしまった場合、電車で緊急避難することが可能だという点も考慮しました。 秩父であれば日帰りでも良いのですが、まあ一応「旅行」の体裁をつけるべく、秩父で一泊して、翌日の西武特急で帰ってくるプランを立てました。泊まる場所もいろいろ悩みましたが、近在の温泉宿などは目の玉が飛び出そうなほどに高く、仕方なく駅前のビジネスホテルを予約しました。休日のビジネスホテルというのは空いているのが常なのですが、連休中で観光客や登山客が殺到し、他の宿泊施設からあふれ出したのか、そこもほとんど空室が無いほどで、きわどいところで確保できました。
荒川沿いというのは前に歩いたことがあります。家の近くを荒川が流れているので、ある時、川に沿って遡ってみようと思い立ち、昼過ぎに出かけて、その日は羽根倉橋というところまで歩きました。橋を通るバスに乗ったら、北浦和駅に着いたので、そこから帰ってきました。次の時は羽根倉橋まで電車とバスで行き、その先を歩きました。太郎右衛門橋まで行き、桶川にバスで出て帰りました。 以後、熊谷、寄居、上長瀞、浦山口、秩父湖と遡り、最後に源流を窮めようと思って登山支度をし、甲武信岳の山裾を分け入って行ったところ、見事に道に迷い、3日ばかり出てこられなくなりました。その時はなんとか自力で脱出できたものの、途中で崖を滑落するようなこともあって、下手をするとクレヨンしんちゃんの作者みたいな最期をとげていたかもしれません。あとから調べたところ、甲武信岳の荒川ルートはもはやほとんど道が無いような状態だったようです。「荒川の源流を訪ねるツアー」みたいなものもあったようですが、よほど登山に達者な人が先導してやっと辿り着ける感じで、素人の私ごときがひとりで窮められるような生易しい道ではなかったのでした。 ともあれそんなわけで、いわば曽遊の地というわけでした。
マダムとふたりでリュックサックをしょって、朝の7時過ぎに家を出ました。昔の人は夜明けと共に出立したわけで、7時過ぎともなればすでに1里半くらいは歩いていたことだろうな、などと思いました。 東武東上線の快速急行電車で寄居へ向かいます。以前あった特急の代わりに導入された快速急行ですが、同時に導入されたTJライナーの車輌(50090系)を使っているのだろうと勝手に思いこんでいました。平日の夕方、TJライナーの「戻り」の運行として上りの快速急行が走っているので、そう考えるのも無理はありません。で、50090系を使うのなら、休日の快速急行は明らかに観光用ですし、クロスシートモード(50090系はクロスシートとロングシートの両方のモードに変形できる、いわゆるマルチシートを装備しています)になっているに違いない……と予想していたのですが、池袋でプラットフォームに上がると、なんのことはないごく普通の一般車輌に過ぎなかったのでがっかりしました。東武鉄道には、休日快速急行への50090系クロスシートモードの投入を強く要望したいものです。途中、ロングシートモードにした50090系電車と何回かすれ違いましたが、その都度 ──東武は営業が下手だなあ…… と思ったものです。 以前は寄居直通の特急もあり、そのまま秩父鉄道に乗り入れて長瀞あたりまで行ったりもしていたのですが、現在は小川町ですべて乗り換えることになっています。ローカル線と化した東上線の末端部分を鈍行で走り、寄居に着いたのは9時20分過ぎでした。トイレに寄ったり、身支度もあったので、歩き始めはほぼ9時半でした。
寄居はJR八高線・東武東上線・秩父鉄道の3社が乗り入れ、5方向に線路が拡がっている交通の要衝ですが、町としてはごく小さく、しかるべき商店街なども見当たらないまま住宅地となり、やがて田畑がちらほらと現れます。まだ市になっていないのが不思議なほどで、実際あちこちと合併して市になる話もあったようですが、すべて破綻し、今や大里郡唯一の町となってしまいました。 彩甲斐街道こと国道140号線に出ると、思いの外すごい交通量です。大小のクルマがひっきりなしに通り過ぎてゆきます。前に歩いた時もこれほどだったろうかと思い返してみても、記憶は曖昧で、よくわかりません。雁坂トンネル開通前でしたから、先はどん詰まりで、これほどのことはなかったのではないかという気がします。 そのクルマの量に対し、歩道の整備は実にお粗末で、路側帯を歩くしかない部分が非常に多いのでした。その路側帯もほとんど幅が無かったりして、かなり危険でした。こんなところを歩くのは無謀だったかと思ったほどでした。それで時々は国道から離れて、裏道を歩いたりしました。 郡境を越え、長瀞町(秩父郡)に入ると、歩道の設置状況は少しましになりました。長瀞町は寄居町の4分の1くらいの人口しか無く、財政規模もそれに準ずると思われるのに、この差はなんだろうかと不思議に思いました。
30分に一回程度の小休止を入れながら、長瀞まで歩いて昼食にしました。寄居から3時間40分ほどかかりました。そこまでの距離は12キロくらいかと考えていたので、小休止を入れたにせよずいぶん時間がかかってしまったなと思いましたが、あとで調べると鉄道の線路で12.7キロ、歩いた距離で言えば14キロ近かったと思いますので、まあそんなものかと納得しました。 長瀞駅前は観光客でごった返しており、狭い道路に大型観光バスがひっきりなしに出入りしていて、なんともあわただしい雰囲気でした。長瀞ライン下りの切符売り場には長蛇の列が出来ています。駅から河畔に下りてゆく道には土産物屋や食堂が軒を連ねていますが、どの店も客であふれかえっていました。その中の一軒でそばを食べましたが、席に着くまでだいぶ待たされました。 待たされはしたものの、クルミをすり潰した汁を用いたそばは大変美味で、その店の名物らしい卵焼きもおいしくいただきました。 長瀞と言えば、岩畳などの奇岩が有名で、崖には地層が露出し、地質調査実習などによく利用される場所です。私も中学3年の頃、理科の校外実習で連れてこられたことがあります。写真入りの詳細なレポートを気合いを入れて書き上げ提出した記憶があります。 もちろん観光地としても、準一級くらいのレベルではあり、特にあまり遠出をしたくない場合の日帰り観光にちょうど良いロケーションということで、休日には賑わいます。 私たちも、少し河辺に出て過ごしても良かったのですが、何しろ先があるので、食事が済むと再び秩父へ向けて歩き始めました。
が、ちょっと面白くない事態が生じてきました。 私は十数年前に買ったウォーキングシューズを履いてきたのですが、もとから少しきつめな気がしていました。実は上記の遭難をした時もこの靴で、その時には親指の爪が完全に逝ってしまいました。それはまあ無理をしたからだと考えていましたが、今回履いてみて、どうもやはり小さすぎるようです。 そもそも4年前に右足の甲を骨折して以来、右足が少し大きくなってしまったようで、それまでは靴のサイズが26センチだったのが、それではどうもきつくなりました。今は26.5か27のものを求めています。もともと小さめに感じていたウォーキングシューズが、何やら締め具のようになってきたのも無理はないかもしれません。 ともあれ、昼食でしばらく靴を脱ぎ、そのあと再び履いてみると、右足がえらく痛いのでした。小指の先が押し潰されそうで、親指の爪も危ない感じで、親指の付け根あたりも腫れてきていました。これはヤバいなあと思いました。 年柄年中脚がつったの脚が痛いのと訴えているマダムは意外と元気で、痛みで遅れがちな私の手をひっぱってくれたりしていましたが、長瀞町を抜けて皆野町へ入った頃から、彼女も急に脚をひきずるようになりました。マダムのほうは靴の問題ではなく、筋肉痛が出てきただけのようでしたが、ふたりともびっこをひくような状態で、ようよう皆野駅の駅舎へ辿り着いて、とりあえずベンチに坐りました。長瀞からは5キロほど歩いてきたのだと思います。 「ここでリタイアして、あとは電車で秩父まで行こうか?」 とマダムに訊いてみると、もう少し頑張りたいようなことを言うので、とにかく次の和銅黒谷駅まで歩くことにしました。鉄道沿いの道で、こういう調整ができるのはありがたいことです。皆野駅から和銅黒谷駅までは鉄道で2.6キロ、道路もこの区間はほとんど併行しているので差はありません。
皆野駅で一旦坐ったのがかえって良くなくて、再度歩き出すと、私のほうも急に右の太ももに筋肉痛が来ました。足先の痛みをかばうように歩いていたので、無理がかかったようです。マダムとふたりで、ほとんどジジイとババアのごとくよたよたと歩きました。これはもう、和銅黒谷から先へは行けないなと思っていると、「秩父市」の標識がありました。市境を越えたのです。 「これで一応、『寄居(町)から秩父(市)まで歩いた』と称することはできるわけだし、まあ20キロ近くは歩いたわけだし、一応目的は果たしたということで、次の駅で電車に乗るとしよう」 そう言うと、今度はマダムにも異存はありませんでした。その時は20キロ近くと言いましたが、あとから調べてみると20キロは超えていたようです。秩父鉄道の線路で19.6キロですので、実際に歩いたのは22キロくらいになっていたと思います。 なんとか和銅黒谷駅に辿り着いて、20分ほど待って電車に乗り、御花畑駅で下りました。予約したビジネスホテルは西武秩父駅前で、御花畑が西武秩父との接続駅になっています。両駅は200メートルほど離れており、その間に土産物屋や食堂が並んだアーケードがあります。遭難した帰り、この距離がおそろしく遠く感じて閉口したものです(実はその翌々日から尿管結石で入院するはめになり、その前駆症状で熱も出ていて体調最悪でした)が、今回もえらく遠いように思えました。 たぶん予定通り全部歩いていたら、約30キロというところだったでしょう。最初の予測よりも多かったようです。それにしても、靴が合わなかったとはいえ、途中リタイアするとは衰えたなあと慨嘆せざるを得ませんでした。やはり日頃の運動不足が祟ったとしか思えません。5里半で音を上げるのでは、昔の人に笑われそうです。
部屋に一旦落ち着き、風呂に入ってから、食事をしに出ました。なんだか脱いだ靴をもう一度履くのが耐えがたい気がしたのですが、やむを得ません。 近くに昔ながらという感じの洋食屋があったので、そこに入りました。値段に比してえらく盛りが良く、満腹しました。マダムは減量のために歩いたのに、大丈夫だろうかと心配になるほどでした。 テレビで「おくりびと」を放映していたので見ましたが、疲れていてところどころ朦朧としていたようです。何しろ爪先が痛くて、熱を持っているようでもあるので、「冷えピタ」を足に巻き付けて寝ました。 朝食はホテルでビュッフェがあり、大体適量をいただきました。爪先はまだ痛いのですが、太ももの筋肉痛は少し薄らいだようです。10時頃までのんびりして、憂鬱な気分で靴を履きました。
マダムが秩父鉄道のスタンプラリーの紙を貰ってきていました。前日、寄居から2つめの樋口駅に立ち寄った時に貰ったもので、樋口駅のスタンプがすでに捺されています。もう一箇所、指定の駅や観光地でスタンプを捺して提出すると、何やら記念品が貰えるそうです。 スタンプ設置駅に秩父駅があり、記念品引き替え駅に御花畑駅があったので、秩父の街中を散策しながら秩父駅まで歩き(約1キロ)、そこでスタンプを捺し、ひと駅だけ電車に乗って御花畑駅で記念品を貰ってから帰途に就くという行動予定を立てました。 西武秩父駅と御花畑駅とで乗り換えたことは何度もありますが、街中を歩いたことはほとんどありません。なかなか趣きのある街だと思いました。 靴屋があったので立ち寄り、新しいウォーキングシューズを買い求めました。蘇生する想いです。親指と小指の爪、それに親指の付け根の痛みは後遺症としてまだ残っていますが、それ以上圧迫が加えられなくなったので、深く深く安心しました。 秩父神社にお詣りしたあと秩父駅に行くと、大きな土産物屋が附属していたので、そこでかなり時間を過ごしました。 無事スタンプを捺し、御花畑駅では記念のボールペンを貰い、再びアーケードを通って西武秩父駅へ。マダムの脚の痛みもおさまり、昨夜よりだいぶ近く感じられました。 特急券売り場にはかなり長い列ができていました。私たちは12時25分発の特急に乗りましたが、そのあと数本の特急はすでに満席の表示が出ており、危ないところでした。 「ひだか曼珠沙華の里・巾着田」のイベントのため、この日はふだん停車しない高麗駅に臨時停車します。そういえば歩いている間、道端にはそこらじゅうに曼珠沙華=彼岸花が咲き誇って、炎を上げているかのようでした。まさにお彼岸の季節だと実感しました。「曼珠沙華の里」という形で売り出すのも良いですが、道を歩いていてふと眼に入る彼岸花の群落のほうが印象的な気がします。 池袋でマダムと別れ、私は自分の用事のため新宿のほうへ出ました。この用事が無ければ、もう少し歩けたかもしれません。いや、この足の痛みではちょっと無理だったかな。
……無理だったかな、と思った翌日、また歩いたのだから懲りないというかなんというか。 義父が尺八をやっていて(というかかなりの名手で、都山流最高位の竹琳軒の称号を持っています)、23日に柏市の三曲協会の演奏会に出演したので、マダムと聴きに行きました。私は学生時代に生田流箏曲を習ったものの、あまり邦楽とは縁がなかったのですが、結婚後、義父のおかげで邦楽を聴く機会に恵まれるようになりました。洋楽と違う点、やはり音楽として共通するように思う点などいろいろあります。いずれ邦楽器を用いた曲も書いてみたいものだと思っています。 さて、演奏会の後、また歩くことにしたわけでした。というのは、あれだけヘロヘロになるまで歩いたのに、マダムはあんまり減量できていなかったのです。まあ、夕食を食べた洋食屋で一挙にカロリーを補充してしまったのが原因と思われますが、ともかく効果が見えなかったので、また歩きたいと言い出したのでした。 柏から武蔵野線の南流山まで、最短距離に近い道で歩くと7キロくらいのようです。南流山からなら川口まで帰りやすいので、この道を歩くことにしました。私は爪先がまだ少し痛く、多少足をひきずり気味でしたが、なんとか歩けそうです。その回復力には自分ながらちょっと得意な気がしました。 歩き出したのがすでに夕方で、間もなく陽が暮れました。しかも柏市内はまだしも、流山市に入ると街灯も疎らになり、歩きづらいことこの上なかったのですが、1時間40分ほどで南流山駅近くのサイゼリヤまで辿り着いて、そこで夕食を食べました。 「けっこう食べちゃったし、カロリー消費にもう少し歩くか?」 と提案すると、マダムも賛成したので、武蔵野線でもうひと駅、三郷まで歩くことにしました。結局柏から9キロちょっと歩いたことになります。秩父へ行った時の半分弱ですが、夕方から歩き出したにしてはけっこう頑張ったかなと思います。 新しいウォーキングシューズも調子が良く、これからはちょくちょく歩くことにしようかと考えた次第です。
(2009.9.24.)
|