共立女子大学の合唱団が、私の作品を初演してくれました。
この合唱団はこのたび40周年を迎えるということで、その記念の演奏会のために、曲を委嘱してくれたのです。今までいくらかの関係はあった合唱団とはいえ、作曲家があまた居る中で、私に書かせてくれたのはとても晴れがましい想いです。
テキストは、垣内磯子さんという詩人の、「恋が終った日には」なる詩集からとらせていただきました。
実は、作曲すべき詩を選ぶのは結構大変な作業です。どんなに素晴らしい詩であっても、それが歌になるかどうかというのは別問題で、文学として完結してしまっていて、音楽が割り込む隙がないという場合もよくあるのです。
――この詩は、メロディーに乗りたがっているかな?
と考えながら、いろいろな詩集を読むのですが、案外乗りたがらない詩が多いのです。まあ、作曲するに当たっては、詩を選ぶ前からある程度のイメージがあって、例えば今回は女子大生が歌うのですから、みずみずしい感覚があって、彼女らの琴線に触れるようなもの、という具合に考えます。従って条件はさらに絞られるわけです。
今回も、詩を選ぶ段階で、実に感動的な、いい詩を発見しました。これに曲をつけたいなあと思ったのですが、生憎とその詩は、若いお母さんが幼いわが子に向けて語りかけるような内容で、女子大生にはいささかふさわしくない感じですので、残念ながら却下となりました。将来、若いママさんコーラスあたりから頼まれれば、その時の詩が復活する可能性もあるわけです。
そうして絞ってみると、100篇の詩を読んで、その中にテキストとして使える詩が1篇あればいい方というような、かなり厳しいことになってしまいます。テキストを選ぶときは、書店の詩歌コーナーをむなしく行脚することが多くなります。
それだけに、これは、と思える詩に巡りあったときには、理想の女性を見つけたときのような感激がありますし、作曲するにも思い入れが深くなるというわけです。
私がどちらかというと器楽曲より声楽曲を作ることを好むのは、そういう感激がこたえられないから、なのかもしれません。
最後になりましたが、お忙しいところ、わざわざ聴きに来て下さった音朋さん、本当にありがとう。嬉しかったです。
(1997.10.31.)
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