作曲家として、私は通常、聴覚に訴える表現を主に行おうとしているわけですが、実際のところ、肉体自体を用いて行う表現には、かなわないな、と思うことがあります。
具体的に言うと、舞踊や、演劇を意味します。テレビや映画になるとまた別の要素が加わってきますので、ここでは舞台の上で行われる肉体表現の話ということにします。
もちろん、舞踊にしても演劇にしても、音楽を全く使わないことは稀で、その表現の上で音楽は不可欠のものと言ってよいですから、音楽とそれら肉体表現との間に優劣など考える必要はないのですが、それでも、自らの肉体を用いて表現のできる人はうらやましいな、と感じることがしばしばです。
1997年の12月24日、25日と、続けてそういう舞台作品を見ました。
24日は東京文化会館で行われた「カルミナ・ブラーナ」の演奏会です。
「カルミナ・ブラーナ」と言えばカール・オルフの世俗カンタータで、ピアノ2台を含む大編成のオーケストラと混声合唱、児童合唱、3人のソリストを用い、全25曲に及ぶ大曲ですが、この度の公演では、それにさらに20人余りのバレエが加わっていました。佐多達枝さんの振り付けによる、合唱団員をも巻き込んだ舞踊は、曲の題材としている中世に対するわれわれの幻想的な印象を、見事に体現していたと思います。休憩もなく、ぶっ通しの公演でしたが、ちっとも飽きることなく、最後まで惹きつけられました。
25日に見たのは、それよりだいぶ格は落ちて、ジャズダンススクールの発表会でした。私の妹がそこのスクールでダンスをやっていて、出演するので見に行ったわけです。
格が落ちる、とは書きましたが、プロではないというだけで、決して下手な踊りを見せられたわけではありません。こちらはスクールの発表会だけあって、人海戦術というか、次々と色とりどりの衣装をまとったダンサーが大量に出てきて群舞を繰り広げるので、とても楽しいひとときを過ごすことができました。
どちらにしても、「踊り」というのは人間の究極の表現形態なのではないかと感じさせられました。音楽が聴覚の表現であるという意味において、舞踊は視覚の表現なのかというと、そんなことはないようで、彼らのからだの律動は、舞台上だけではなく、観客席のわれわれをも巻き込んで全身をふるわせるのではないかと思います。触覚でもあり、嗅覚でもあるのかもしれません。それらの総合的なインパクトが、われわれを感動させるのです。
逆に言えば、聴覚表現でしかないかのような音楽にしても、演奏家の息づかい、からだの律動などが、聴客にもたらされる感動に大きく作用しているのではないかとも思えます。一流の演奏家は、客の呼吸を思い通りに支配することができるのだということを、私はかつて知ってびっくりしたことがあります。
私が純音楽より劇音楽を書きたいと思うのは、どうもそういう肉体表現への渇望があるからかもしれません。私自身は、昔ちょっと芝居はやったことがありますが、踊ることはできませんので、せめて作品を通して肉体表現に関わりたいという気持ちが、どこかにあるのではないかと思っています。
(1997.12.26.)
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