忘れ得ぬことども

世紀末へ向けて

 1998年元旦です。皆様、あけましておめでとうございます。
 20世紀も余すところあと3年となりました。2年じゃないよ。20世紀最後の年は、1999年ではなく、2000年だったのです(^_^;;
 新しい年が始まったというより、世紀末へのカウントダウンが進められたという感じが強いのは、私だけでしょうか。
 これから3年間、20世紀を回顧するようなイベントや記事が実に数多く企画されるでしょう。どういう切り取り方をするかによって、いろいろな側面が現れてくると思いますが、私なりにこの世紀をまとめるとすれば、おそらく、「主義の時代」だったのではないかという気がします。
 なんでもかんでも、「主義」の名を付けて呼ばれました。最大級のものはもちろん「共産主義」でしたが、その他の実に小さな思潮や動きに対しても、「主義」と付けさえすればなんだか偉そうな気がするのか、「何某主義」「なんとかイズム」というものが雨後のタケノコのように乱立しました。
 私の専門である音楽の方でも、「印象主義」に始まり、「神秘主義」「原始主義」「表現主義」「新古典主義」「セリー主義」「社会主義リアリズム」「ミニマリズム」などなど、名前だけ聞いてもどんなものなのか見当もつかないような「主義」が続々と登場しています。
 そして、人と争うときも、まず相手を「何某主義者」と決めつけ、それによって全人格を否定するような方向へ持ってゆくことがよくありました。
 本人たちは、むろん大真面目なのですが、20世紀が終わろうとする今、振り返ってみれば、なんとも不毛な争いだったように思えてなりません。中世の神学者たちは、
 ――ピンの頭の上で何人の天使が踊れるか。
 という大問題について、口角泡を飛ばしながら議論し、あげくに誹謗中傷や陰謀が相次いだそうですが、20世紀の「主義」の争いも、時代が過ぎ去ってみれば似たようなものかもしれないのです。
 幸い、そうした「主義の時代」は終わりつつあります。中国などはいまだによその国や人に「何某主義者」というレッテルを貼っては非難するという時代遅れのことを続けていますが、まあ大体は、何主義者だってどうでもいいというか、「主義」なる言葉自体に胡散臭さを覚える方向に向かっているようです。
 ひとりの人間の中にも、いろんな側面があって、例えばその人が軍拡主義者であろうと社会主義者であろうと、それだけで全人格を規定してしまえるものではありません。不愉快きわまる民主主義者、横暴無比な自由主義者だっていくらでもいるのです。
 ほとんどの人間は、ほどほどに善人で、ほどほどに悪人でもあるはずです。ひとつの側面だけに着眼してどうこう言うのは、決して賢いことではありません。
 これからは、安易なレッテル付けで人を判断しない社会へと進んでゆくように願っています。

(1998.1.1.)

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