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確定申告をして参りました。
なぜかうちの管轄の税務署は、通知や書類送付ということをいたしません。冗費節減のためかもしれませんが、こちらから出向いて行って用紙を受け取り、記入して提出しなくてはなりません。馴れない人だと、用紙を受け取ったものの記入する数字のデータがなく、2度手間になってしまいます。他のところはどうなのでしょう。
私はもう何年もやっているので、去年の申告書の控えを見ながら、数字を全部計算した上で行くようにしています。それでも、記入には結構面食らう場所がいくつか発生するのですから、まったく面倒な話です。勤め人は楽だなと思いますね。
前は相談員が記入してくれていたこともあるのですが、数年前から、記入は本人がやるということになりました。制度が切り替わった年、お年寄りを中心に、かなりもめていたようです。
「去年は全部書いてくれてたのよ。今年も書いてくれたっていいじゃない」
「申し訳ありませんが、今年からご本人が記入するということになりましたので」
「そんなこと言われたって、困りますよ」
向こうではお爺さんがダダをこねています。
「どうやってええんか、わからん」
「いえ、ちゃんとご説明いたしますから」
「説明されたって、わからんもんはわからん」
世の中には、一旦わからないと思ってしまうと、どんな懇切な説明もかたくなに受け付けなくなってしまう人がいますが、お爺さんはそのタイプだったらしい。とにかくあっちこっちでもめていて、私の提出した書類は大して目も通されずにパスしてしまいました。
今日も、受付を待っている間に書類に記入していたのですが、隣にいたおじさんは、
「えい、これはどこなんだ。ここか、いや違うな。ああ、さっぱりわからん」
とぼやきにぼやいていましたっけ。
私の仕事柄、収入からはほとんどが10%の源泉徴収を引かれています。経費や控除を差し引くと、税率20%以上になるほどの所得になったためしはないため、ほぼ確実に還付金が戻ります。
戻るのは嬉しいのですが、源泉徴収という制度、どうなんでしょうね。
やはり税金というものは、実収入の中から納めにゆくのが本当ではないかという気がします。そうでないと、自分自身が税金を納めたという実感が得ずらいのではないでしょうか。実際に手元からお金が出ていくのは惜しいものです。惜しいから、そのお金をまじめに使って欲しいという気にもなるのです。
みんながそういう風に思えば、税金の使い道にももっと厳重に目を光らせるようになるでしょう。大蔵省などの不祥事も、今ほど救いがたい状態にならずに済んだかもしれません。
収入がはじめから源泉徴収されていると、なんとなく間接的な気分になって、使い道にも鷹揚になってしまいそうです。しかも今や国民の大多数を占めるサラリーマンがその状態なのですから、税金の無駄遣いが多いのも、それを糾弾する側になんとなく真剣さが足りないのも、うなづける気がします。
日本は貿易だけは依然として黒字ですが、財政赤字はおそろしく大きくなっています。もっと税金の使い道を、みんなまじめに考えた方がよさそうです。そのためにも、税金は自分で納めにゆくのが至当と思うのですが、いかがでしょうね。
(1998.3.12.)
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今年も確定申告をして参りました。毎年、早めに行こうと思うのですが、結局ぎりぎりになって行くことになってしまいます。最終日の今日など行っても、むやみと混んでいて、なかなからちがあかないのはわかっているのですが……
今日も、10時半頃に行ってみると、受付は長蛇の列でした。税理士さんたちの相談窓口もいっぱいで、並んでいるうちに、
「ここからあとの方は、午後1時からの相談とさせていただきます」
と宣言されてしまいました。
私はとりあえず必要な数字は算出した上で税務署に行ったので、特に相談をしなくても自分で記入できてしまい、そのまま提出して帰って来ましたが、待たされる人は大変だなと思いました。全く面倒なことです。
しかし、私の場合は所得規模が小さいので、申告すれば還付金が戻りますから、放っておくわけにもゆきません。今年も大体18万円ほど戻るようです。おろそかな額ではありません。
会社勤めの人は、会社で全部やってくれるので楽だなあと思いますが、それだけに税金についてあまりちゃんと考える機会が持てないということも言えるかもしれません。そもそも収入と所得の違いもよくわかっていない人が少なくないようで、うちの親なども、私の「課税所得額」を聞くと、
──それしか稼いでないのかい、おまえは。情けないねえ。
とあきれ顔をします。収入から経費や各種控除を全部引き去った残りが課税所得になるのですから、実際の収入に較べればずっと少ないのは当然なのですが、サラリーマンにはなかなかわかりずらいらしい。例えば私は水道光熱費の半分を経費として計上しています。半分というのはかなり良心的で、全額経費にしてしまう人だって結構います。会社員の家庭だとそういうことはありませんから、感覚がわからないのは仕方がないでしょう。
ところで、昔は郵便料金のことを郵税と呼んでいたそうです。また、鉄道の急行料金も急行税と呼んだ時期があるようです。税という響きが悪いので「料金」に変えたのでしょうが、それなら所得税も「所得料金」、住民税も「居住料金」と呼び替えてしまったらどうでしょうか。こうすれば、税金というものの本質もむしろわかりやすいかもしれないという気がします。特に住民税は、「そこに住んで各種行政サービスを受けるための料金」と解した方がよいようです。税金は「納める」ものですが、料金は「払う」もので、「納める」というのは「上納金」という言葉でわかるように上に向かって差し出すというイメージがあります。一方「払う」となると、授受が対等、あるいは払う方が立場が上という感覚になりますから、納税者の心証もよくなりそうです。
行政のお世話になどなっていないと豪語する人がいるかもしれませんが、火事になれば消防車がやってくるし、お巡りさんがパトロールをしてくれていればこそ治安も保たれているわけで、そういう一見あたりまえのことを看過してはいけません。それらはみんな行政サービスなのです。税金というのはそのサービスに対する代価と考えるべきです。
だからこそ、自分たちの不利益になりそうな使われ方をすることには声を大にして反対しなければならないのですが、行政に文句を言う人は多いのですけれど、案外、納税者の立場からというのが多くないのは、やはり納税者の大多数を占める会社員が、税金についてあまり深く考えていないからではないかという気がいたします。
アメリカなどではこの辺がもっとシビアで、たとえ福祉関係であっても、納税者の意思に反してお金を使うことはできません。ましてや道路工事など、それが納税者にとってどういう得になるのかということをアセスメントで明確に示さない限り、そうそう役所の勝手にはできない仕組みになっています。
国や地方自治体の財政改革が問題になっていますが、役所に任せておいてはなかなか進まないのは当然のことで、もっと国民が、納税者という立場からシビアに監視してゆく必要があるのだろうと思います。
(1999.3.15.)
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