忘れ得ぬことども

わが病歴

 インフルエンザがだいぶ猛威を振るっているようです。何人か死者も出たというので、皆様もどうかお気をつけください。私の周囲でも、ずいぶん風邪ひきが増えました。
 私自身は、今のところ無事です。プールで運動し始めたのがよかったのかな、と自画自賛しています。やはりからだを鍛えるに越したことはないらしい。しかし油断はできません。

 私は特に虚弱ではない筈なのですが、妙な病気をいろいろやっています。
 まず赤ん坊の頃に、小児喘息を患いました。自分では全く憶えておりませんが、夜になると発作が起こって夜泣きがひどく、母が大いに迷惑したらしいです。発病した頃、父は妻子をおいてインドネシアに20ヶ月の長期出張に出かけており、そのためもあってか赤ん坊の扱いをよく知らず、帰ってきてから息子が発作で夜泣きすると怒ったそうです。怒られてもねえ。
 ちなみにうちの父はその後も子供の扱いというものに理解がなく、私がやや長じて3歳くらいになった時、近所に散歩に連れてゆくのはよいのですが、子供の歩調に合わせて歩くということをせず、自分だけずんずん先へ行ってしまい、当然ながら私が泣き出すとやっぱり怒り、いつでも私はわんわん泣きながら、父はぷんぷん怒りながら家へ帰ってきたのでした。
 それはともかく、小児喘息は、その後父の転勤でそれまで住んでいた札幌から新潟県の長岡に移ったところ、すっかりおさまりました。転地療養のようなことになったらしい。

 幼稚園に通っていた頃は、中耳炎によくかかりました。耳鼻科系はその後もどうも弱いようで、高校時代には副鼻腔炎のためしばらく吸入に通っていたほどです。今は今で花粉症に悩まされます。

 小学校時代は、腹痛が多かったのでした。
 3年生の時に耳下腺炎、いわゆるおたふく風邪をやりましたが、私の場合おたふく状態にはならず、菌が膵臓(すいぞう)などという変なところに入って、急性膵臓炎を引き起こしました。これは内臓疾患の中ではかなり痛い病気のひとつで、七転八倒の騒ぎでした。
 また4年生くらいからちょくちょく原因不明の腹痛に苦しむようになり、あちこちの病院に通いましたがわかりません。国立小児病院まで出かけてもお手上げでした。結局、小児科を諦め、普通の胃腸科医院へ行って、バリウムを飲んで検査すると、胃潰瘍とわかりました。今でこそ子供の胃潰瘍も珍しくなくなりましたが、当時は滅多に症例がなく、小児科のお医者さんたちはまさか胃潰瘍とは思わず、従ってそういう検査もしなかったというわけです。
 それにしても、私は特に神経が繊細だったとも思えないし、勉強で悩んでいたとかいじめに遭っていたとかいうわけでもなかったのに、なんでまた胃潰瘍なんかになってしまったものか。別に暴飲暴食をした憶えもありません。
 幸い、手術をすることもなく、食餌療法と薬で治すことができました。
 その後、胃腸系は大変丈夫になったようで、腹痛は滅多に起こさなくなりました。

 高校2年以来、しばらくは医者にかかること自体なくなりました。ちょっとした風邪なら、寝ていれば治ったし、薬にしても売薬で充分でした。10年間以上医者知らずであったと思います。
 3年前になって、急に尿管結石を引き起こしました。これもとてつもなく痛い病気のひとつで、どうも私は痛い病気ばかりやっている気がします。寝てもいられないし、さりながら起きてもいられないし、とにかく七転八倒するしかない痛さでした。私は生まれて始めて救急車に乗り、生まれて始めて入院し、生まれて始めてモルヒネを打たれました。
 たまたま最初の発作の時に、母が来ていてくれたので助かりましたが、母の方がうろたえてしまい、
「タクシーじゃ間に合いそうにないから、救急車を呼んでくれ〜」
と私が叫ぶと、
「えーと、救急車救急車」
と一生懸命電話帳をめくり始めたのでした。
119でしょうが」
「あれっ、そうだっけ」
 病院に運ばれ、すぐに鎮痛剤を打たれましたが、そのあとでCTスキャンを撮っている最中に薬が切れたらしくまたもや発作が始まりました。
 「もう少しだから、動かないでください」
「む、む、無理ですっ」
で、やむなくモルヒネを注射されたのです。
 結石が2回あって、体質改善のために、それまで絶対的に不足していた運動を始めました。なんにしても、健康がいちばんです。皆様もご自愛下さいまし。

(1999.1.26.)

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