2日ほど小旅行をして参りました。
急に思い立ったと言うに近く、先週のはじめ頃までは考えてもいなかった旅です。
きっかけとなったのは、京都の魔獣ネコマタさんが、事実上同棲しているフィアンセのLED氏がしばらく海外へ行くというので、ひどく寂しがっているという話があったことでした。
「そんなに寂しいなら、私が行きましょうか」
とメールで提案。これは半ば冗談半分でした。もっとも、火曜日の午後から木曜日の夕方までは何も用事がなくて、フリーだということを確かめてメールを書いたので、全く可能性のないことを言ったわけではありません。
ところが魔獣ネコマタさんが案外乗り気だったので、行くことに決めてしまったのでした。フィアンセの不在中に女性に会いに行くというのは少々うしろめたい想いもありましたが、必ずしもそれが目的ではなく、口実というに近かったのです。口実と時間があればいつでもどこかへ出かけたい性癖が私にはあって、今回は魔獣ネコマタさんの無聊をお慰めするということを口実にさせていただいたまでのことでした。
それでルートを考えてみました。京都へ直行してそのまま帰るのでは面白くないので、他の所も廻りたい。そういえば富山のsawakoちゃんが水曜日はお休みだったような記憶があったので、ひょっとしたら会えるかもしれない。よし、北陸を経由しよう、と決めました。
あいにく、問い合わせてみるとsawakoちゃんは毎週水曜が休みというわけではなくて、この週は出勤しなくてはならない水曜だったため、会うことはできなくなりましたが、同じく北陸は金沢のだーこちゃんと会えることになり、行動計画ができました。
一昨日(25日火曜日)、午前中の仕事を済ませ、昼食を食べて、私は赤羽から高崎線の普通電車に乗りました。ポケットには、「東京都区内→東京都区内」とプリントされた切符が入っています。細かい字で、「経由:高崎・上越・ほくほく・信越・北陸・湖西」と印刷され、さらに手書きで「東海道」と書き添えられていました。ルートの途中に重なりがなく、一筆書きで戻ってこれる場合は、このように片道切符にすることが可能です。鉄道の運賃は逓減(ていげん)制と言って、距離が長いほど割安になっておりますので、例えば京都までの往復切符を買うよりこちらの方がずっと安くなるわけです。ただし、湖西線と東海道線が接触するのは京都ではなくてそのひとつ手前の山科なので、このルートからはみ出す山科−京都間については、別に切符を買わなくてはなりません。
鈍行を乗り継いで、その日は越後湯沢まで行って泊まりました。越後湯沢なら、新幹線に乗れば1時間半もかからないのですが、鈍行乗り継ぎだと赤羽から4時間近くかかりました。最近いつも新幹線だったので、たまには在来線で行ってみたかったのです。
高崎までは高崎線、その先は上越線となります。
上越線という路線、新幹線開通前は頻繁に特急や急行が行き交う大動脈で、乗ってもさほど面白くないという印象が強かったのですが、新幹線が通って普通列車ばかりになってみると、山岳路線としての車窓の楽しさは並々ならぬものだったのだと気づきました。
特に水上を過ぎると、そこから越後中里までは、現在昼間の定期列車は僅か5往復しか走っていないという、事実上の閑散ローカル線で、新緑に覆われた山深い車窓に、気分が洗われます。新幹線だとこのあたりはほとんどトンネルばかりで、味わうことができません。
下り線は上越国境で新清水トンネルを抜けます。トンネルの中に湯檜曽(ゆびそ)・土合(どあい)のふたつの駅があります。土合駅は出口まで500メートル近い階段を昇らねばならず、そのため時刻表には、
「土合駅の下りホームまでは10分ほどかかります」
と注記してあります。昔は「改札は10分前に締め切らせていただきます」と書いてあったのですが、合理化で無人駅になったのでしょう。日に5本しか走らない電車に乗り遅れては大変です。
トンネルを抜けて新潟県側に出ると、一面ガスがかかっていて、しかも雨が降っていたので驚きました。その日の関東は晴れ上がっていて、しかも真夏のように暑かったのですが、山を越えるとこれほど違うものかと思いました。
越後湯沢に18時過ぎに到着。駅前のビジネスホテルを予約してありました。雨が降っているので、駅前でよかった。ビジネスホテルとは言っても、温泉がついています。シーズンにはもちろんスキー客も泊めるはずで、スキーロッカーのようなスペースもあるようでした。
浴室は4人も入ればいっぱいになるような狭いものでしたが、他にほとんど客もいないようで、ひとりで悠々と漬かりました。着いてすぐ漬かり、寝る前に漬かり、翌朝起きてすぐ漬かりました。宿泊料と別に入湯税をとられているので、元を取らなければ。
それにしてもシーズンオフの平日の越後湯沢というのは実に閑散とした街ですね。
翌水曜日、朝のほくほく線の列車で越後湯沢を発ちました。ほくほく線というのは第3セクター北越急行の路線名です。国鉄の頃の計画線名が「北越北線」だったので、その中のふたつの「北」をつなげてほくほく線と呼ぶことにしたようです。雪国なので、「ほくほく」という響きの温かさも考慮したのでしょうが。
この線にはまだ乗っていなかったので、今回の旅行に組み入れたのでした。
関東から北陸へのバイパスルートということで、特急「はくたか」号が、最高時速150q(在来線では現在最速)で頻繁に走っているのですが、乗ったことのない線に乗るのに、そんなに急いで走り抜けるのもつまらないと思ったので、ここも鈍行を使うことにしました。
どこへ行っても、朝の鈍行の客の大部分は高校生です。越後湯沢や六日町あたりから乗ってきた高校生が、十日町でどっと下りてゆきましたが、ほくほく線開通前は大変だったろうと思います。六日町から十日町は、ほくほく線なら15分足らずで着きますが、以前だったらバスを使うにしても、越後川口から飯山線を廻ってゆくにしても、1時間では利かなかったはずです。
新しい線なので、駅前などはそれほど開発されていません。ことに大池いこいの森駅なんかは、駅からどう見廻しても、見えるのは水田と森ばかりで、人家すらないようでした。見えないところにあるのでしょうが。
水田と言えば、ちょうど田植えが終わった季節です。米どころの新潟県は、平地があれば見渡す限りの水田に満々と水が張られて空を映しており、
──日本の原風景だなあ。
と感心しました。
ほくほく線は犀潟(さいがた)から信越本線に合流します。列車は直江津止まりでした。ここで後続の「はくたか2号」に乗り継ぎます。
「はくたか」はJRに入っても速く、富山までの約118qを、ノンストップでほぼ1時間で走り抜けます。在来線でこの速度だと、景色の焦点が近いせいか、新幹線よりずっと速く感じられます。
昨日と違って空は晴れ上がり、右手に日本海の青海原、左手に雪を冠した北アルプスを眺めながら疾走するのはよい気分です。
富山でsawakoちゃんに会うことはできませんでしたが、「ますのすし」を買いたかったので一旦下車し、15分ばかりあとの鈍行に乗り継いで金沢へ。
金沢駅でだーこちゃんと待ち合わせていたのですが、時間になっても現れません。彼とはこれで3回目ですが、1回目のオフ会の時は物陰に隠れていてなかなか見つけられず、2回目年末に会ったときは寝坊したとかで大幅に遅刻しました。どうもスムーズに待ち合わせられたことがありません(^_^;;
今度も、何か勘違いしているのではないかと心配になりました。日程か、時刻か、待ち合わせ方法か、何かを間違えているのかも。実は事前にメールで、連絡先を教えて貰っていたのですが、それをプリントした紙をうっかり家に置き忘れてきてしまったので、連絡のつけようもありません。
結局30分ほど遅れて出現。勘違いとかそういうのではなくて、ただ単に遅れたらしい。
時間もだいぶなくなったので、街中のファミリーレストランに入って一緒にお昼を食べただけで終わりました。しかし、旧交を温められて楽しかったです。
だーこちゃんと別れ、特急「サンダーバード30号」で京都へ向かいました。国鉄時代だったらこんなふざけた名前の特急は走らせなかったでしょう。昔から北陸線に走っていた特急「雷鳥」のグレードアップ版で、「雷鳥」をそのまま「カミナリのトリ」と直訳したらしい。ちなみに英語で言うサンダーバードはもちろん雷鳥のことではなく、アメリカ原住民の伝承に現れる巨大な怪鳥です。かつての人気番組「サンダーバード」は当然そちらの意味でした。
琵琶湖西岸を走り抜けて、17時過ぎ、京都に到着。
魔獣ネコマタさんとは18時に待ち合わせていたので、それまでみやげ物屋などを冷やかしていましたが、この季節、修学旅行の中学生が多いですね。みやげ物屋はそこらじゅう中学生であふれていました。
魔獣ネコマタさんとフィアンセのLED氏とは、10月に結婚式を挙げることになっていて、それと前後して東京で「披露宴オフ」なるネットフレンド限定のパーティを開く予定です。どういうわけか私がその披露宴オフの肝煎り役に任命されてしまったので、今回はそのための話し合いをするという用件もありました。もっとも当のLED氏が不在であるところであまり進めるわけにもゆきませんが。
夕食を一緒に食べたあとで、魔獣ネコマタさんのいわゆる「銀河ステーション」──京都駅ビル──の中のオープンカフェのようなところでしばらく話をしました。魔獣ネコマタさんはよほどこの建物が気に入っているようで、しばしば吹き抜けの高い天井を見上げては、
「やっぱりここ、いいわあ」
と溜息をついておられました。揚句、
「こんなとこに住みたいなあ」
などと言い出すので、少々返答に困りました。なんぼなんでも、住むのはねえ……(^_^;;
が、確かに、京都駅ビルは、古都京都にあってひどく異質な未来的な存在でありながら、不思議と溶け合っているようでもあり、現代建築の見事な成果であるように、私にも思えます。
魔獣ネコマタさんが寂しがっているというのが今回の旅行のきっかけでしたが、元気そうだったので安心しました。
寝台急行「銀河」に乗って帰途に就きました。銀河ステーションから「銀河」に乗るというのもなかなかオツなものです。かつては東京−大阪間の人気列車で、名士や有名人で常にいっぱいだった列車ですが、今は凋落して、客の数も多くありません。熟睡して朝6時42分、東京に帰着しました。
京浜東北線の電車に乗り換えながら、なんだか物足りない想いがしてなりませんでした。もう少しのんびりしてきたかったな。しかしそうも言っていられません。
(1999.5.27.)
【後記】この旅行の直後、魔獣ネコマタさんとLEDクンは入籍しました。おめでとうございます。披露宴オフは10月10日に開かれましたが、生憎私は当日が潰れてしまい、肝煎り役も降りざるを得ませんでした。残念。
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