忘れ得ぬことども

草津温泉ツアーオフ

 11月22日23日(平成11年)と、草津温泉へ行って参りました。仕事とはなんの関係もなく、単に温泉に漬かりに行っただけです。ずいぶん余裕のある生活だなと思われるかもしれませんが、そういうわけではなく、ある意味成り行きで決まった話だったので、スケジュール調整にちょっと手間取ったりしました。
 札幌のむくまえさんが、先週から少しまとまった休暇を貰ったそうで、温泉フリークのむくまえ氏としてはこの機に内地まで遠出して温泉に漬かりたい。ついては一緒に行ってくれる人はいないかという、しばらく前の掲示板への書き込みに、ついつい、22日23日ならなんとか空いていると答えてしまったのが運の尽き。あっという間に話が具体化してしまい、日本三名湯のひとつとされる草津への温泉ツアーが決まったのでした。
 もっとも、こう書くとなんだか私の関知しないうちにむくまえさんが勝手に進めてしまったみたいですが、そんなことは全然ないので、レンタカーや列車の手配など、押し詰まったスケジュールも顧みず、もっぱら私がやったのでした。まったくもう。

 月曜日の朝、6時過ぎに起き出して身支度を整え、7時に家を出ました。こんなに早く出かけたのは久しぶりです。前夜は早く寝ようと思っていたのに、HPの更新などをしているうちに時間が経ち、おまけに最後にどうせ誰もいないだろうと思ってチャットルームを覗くとあっくんが入ってくれていて、少し会話をしたりしたものでますます遅くなり、寝たのは1時半頃になりました。おかげで眠いこと。
 浦和まで京浜東北線で行って、そこで「新特急草津1号」に乗り換えました。その前夜、浅草のカプセルホテルに泊まったむくまえさんと、そのお友達で「椋前結社」幹部(?)のドクターNが、同じ列車に上野から乗ってきています。ドクターNは今回の温泉ツアーに賛同して、わざわざ釧路から飛んで来たのでした。
 むくまえさんは初めてのカプセルホテルで興奮したのかよく眠れなかったようで、ずっと眠そうな顔をしています。今回は、渋川駅でレンタカーを借りて草津へ向かうつもりで、運転はむくまえさんに一任することになっているので、あんまり眠そうなのはちょっと気になります。私の名義で借りたことでもあるし、私が運転してもよいのですが、何しろ長年のペーパードライバー状態を脱したのがつい最近のことなので、ここは馴れている人に委ねるべきでしょう。

 ただし、北海道のガラすきの直線道路をかっ飛ばすのと、クルマが多く紆余曲折も多い内地の道路を走るのとでは、おのずから多少勝手が違うようで、走りずらそうではありました。山にさしかかって、急カープの坂道が連続するあたりになると、運転者自ら気分が悪くなってしまったようです。睡眠不足と空腹のせいもあるでしょうが。

 途中で、箱島湧水という妙な水場に寄りました。むくまえさんが道路標示を見て、
「箱島湧水……?(……のところはよく聞き取れなかった)」
と呟いたので、私は地図を見てナビゲートしていたこともあって、そういうのがあるみたいですよ、というつもりで
「うん」
と返事したところ、むくまえさんは急ハンドルを切って脇道に入ったのです。どうも、「……」の部分は、「行ってみますか?」だったらしい(^_^;;
 日本百名水のひとつだそうですが、言うほどおいしいとは思えませんでした。多分、あまり冷たくなかったからでしょう。しかしこの水を全国へ宅配するというサービスがあるようで、業者らしいおじさんが、何十個ものポリタンクに水を汲んではクルマに運んでいました。

 中之条から「日本ロマンティック街道」と称されている県道55号線に入りました。日本ロマンティック街道というのは、いくつかの道路を結んで日光から草津までつながっている道につけられた愛称ですが、走った限りにおいては、どこがロマンティック街道なのかよくわかりませんでした。暮坂峠を越え、東側から草津に入ります。
 もう少しで温泉街に入るというあたりで、むくまえさんは再び、急ハンドルを切りました。ドクターNと私があっけにとられていると、クルマは「インド料理の店」と看板の出ている店の駐車場に入ったのでした。むくまえさんがカレー中毒であることは知る人ぞ知る事実ですが、それにしてもどこにそんな表示が出ていたのか、ドクターNも私もまったく気づかなかったのに、むくまえさんは非常に目ざとく発見して脇道へ入ったのでした。
 朝早く出てきたので、時刻はまだ11時15分くらいです。店は11時半開店とあり、まだ閉まっていましたが、むくまえさんは店員に掛け合って強引に開けさせてしまいました。
 3人共に各種のカレーを注文して食べましたが、これが大当たりというか、大変おいしいカレーでした。おまけにマサラティーが飲み放題という太っ腹な店で、むくまえさん大満足。どうも、おいしいカレー屋を発見する特殊な嗅覚のようなものが備わっているとしか考えられません。

 時間があるので、チェックインする前に、白根火山まで行って来ようと私が発案したのですが、標高2千メートルを超える白根火山への道は、すでに雪も降って、殺生ヶ原から先は通行止めになってしまっていました。上まで行くロープウェイもあるのですが動いていませんでした。残念ながら引き返します。
 温泉街へ戻ってクルマを駐め、まずはバスターミナル上の温泉資料館で基礎知識を仕入れ、それから西の河原へ足を伸ばしました。温泉街の西側にあるから西の河原というだけのことなのですが、わざわざ「さいのかわら」と思わせぶりな読み方をします。ここには実に巨大な露天風呂があります。屋根もなんにもない文字通りの露天風呂で、向こう側の遊歩道を歩いている人たちから男湯は丸見えでした。
 そんなに長いこと入っていたつもりはないのに、泉質が強いため、たちまち足に来た感じでした。

 草津の中心にあるのが湯畑(ゆばたけ)です。草津の源泉は90℃以上という高温であるため、木の樋をくぐらせて冷ましてから各旅館などへ配湯するとともに、温泉成分が凝固した湯ノ花を採集します。湯ノ花を採集するので湯の畑としゃれたわけです。なおここで湯ノ花を採集されてしまうせいか、それぞれの宿や浴場のお湯はあまり白濁したり湯ノ花が沈澱したりはしておらず、透明に近いお湯であることが多いようです。白濁していた方がありがたみはありますけどね。
 この高温の温泉に漬かるために、草津には湯もみ湯長(ゆちょう)という独特の風習があります。湯もみというのは、何人もの人が一斉に六尺板を手に持ち、お湯につっこんで揉むように空気と混ぜ合わせるのです。これによって、入浴可能な温度まで下げようというわけです。
 この場合、48℃くらいまで下げられますが、48℃の風呂に不用意に入るわけにはゆきません。普通、43℃くらいでもかなり熱く感じるもので、48℃では熱湯に近く感じられます。下手をすると心臓麻痺を起こしてしまいます。そこで、熟達した指導員の指示に従って入浴しなくてはならないのです。この入浴指導員が湯長と呼ばれる存在です。湯長は草津の人々から高い尊敬を受け、入浴に関してのみならず、いろいろな相談事にも乗ったりするのだそうです。
 そういったことは、資料館でもわかりましたが、湯畑に面した熱の湯というところで、日に4回「湯もみショー」なるものが開催されて、実演するところを見ることができます。ショーではなく本当に経験したい場合は、「時間湯」というのをあらかじめ予約しなくてはなりません。
 温泉フリークのむくまえさんは、これがすっかり気に入り、
 ──これからハンドルネームは「湯長」にしよう。
 とか、
 ──温泉関係の掲示板の名前は「時間湯」に改称しよう。
 とか、いろいろ計画を立てていました。

 温泉街には18軒ばかりの公衆浴場があって、これは町営で無料で入浴できます。私たちはいくつかそれをハシゴしました。さらに「大滝の湯」という、ヘルスセンターみたいな大きな施設があり、有料ですがそこにも行ったので、22日だけで6回ほども温泉に漬かったことになります。むくまえさんはさらに、宿の内湯にも2回ばかり入り、ドクターNと私を残して出かけてまたもや公衆浴場に入っていました。草津のような泉質の強い温泉の場合、一日の入浴回数は4回程度とされていますが、むくまえさんはその2倍以上もの回数をこなしていたのでした。さすがは温泉フリーク。
 なお、大滝の湯には、先述の湯もみと時間湯を疑似体験できる「合わせ湯」というかなり熱い湯がありました。

 わりと早く寝たせいか、翌朝私は4時頃に眼が醒めてしまい、なんだか寒いようでしたので、宿の内湯へ出かけて朝湯を浴び、また部屋に帰って寝直しました。そのあとでむくまえさんも朝湯に行ったらしいです。
 9時前にチェックアウトして、土産物屋などを覗き、帰路につきました。前日とは違うルートを通り、途中「ロックハート城」に寄りました。スコットランドから本当に移築した城塞を中心としたテーマパークです。
 「往年のロックスターたちの熱い魂を偲ぶところなのだろうか」
とドクターNがわくわくした口振りで言いましたが、残念ながらRock-heartではなくてLockheartです。王様の遺言に従って、その心臓をエルサレムまで埋めに行って無事帰還した騎士ロッカードに与えられた新しい姓がロックハート(鍵をかけた心臓)であり、その騎士の持っていた城がロックハート城だったのでした。もっとも、入ってみると外人のアンちゃんが中でギターを構えて「Yesterday」を歌っており、確かに往年のロックスターの魂を偲んでいたようでもありますが。

 渋川駅に帰り着いて、レンタカーを返そうとしたら、事務所が閉まっています。13時まで昼休みらしいのですが、12時59分の電車に乗ろうと思っていたので困りました。係員が多少早く切り上げてきたとしても、手続きをしているうちに電車は行ってしまうでしょう。仕方なく、電車を遅らせることにして、近くのファミレスで昼食を食べました。結果、飛行機の時刻の関係でドクターNは新幹線で帰らざるを得なくなりました。
 むくまえさんはそう急ぐこともなかったので、新幹線には乗らず、鈍行で帰りました。私もそちらに同行しましたが、電車は例によってロングシートで、だいぶ疲れました。
 でも楽しい2日間でした。また機会があったら温泉ツアーオフをしてみたいものです。

(1999.11.23.)

【後記】
 むくまえさんはその後本当にハンドルネームを「湯長」と改め、「お客様の声」に元気に出没しておられます。

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