忘れ得ぬことどもII

マーラー『嘆きの歌』の編曲

『嘆きの歌』の編曲

 現在(2011年2月)、マーラー『嘆きの歌』を2台ピアノ用に編曲するという仕事をしていますが、なかなかはかどりません。
 『嘆きの歌』は最近あちこちで演奏される機会が増えてきましたが、本来はもちろん三管編成という大きなオーケストラと、3人の独唱者と混声合唱という編成を持つ大カンタータです。最初の形では独唱者は12人だったとか。マーラーの最初期と言って良い頃の作品で、ベートーヴェン賞というのに応募するために書いたけれども、残念ながら落選してしまったというエピソードがあります。
 この落選についてはマーラーも大ショックだったようで、後々になるまで
 「あの時受賞していれば、ぼくの人生は違ったものになっていただろう」
 と愚痴を言っていたとか。ただし受賞していれば、今残っているマーラーの作品は作られることがなかったかもしれず、そのあたりのかねあいは玄妙と言うべきでしょう。
 落選はしたものの、この曲を諦めきることはできなかったようで、その後もちくちくと改訂を重ねていたようです。指揮者としてメジャーデビューし、演奏会の選曲などにもある程度ワガママが利く頃になって、ようやく初演することができました。しかしこの時は、もともと3楽章構成だったのを、最初の楽章をまるまるカットして2楽章構成の作品としていましたし、もちろんオーケストレーションなども元のままではありません。すでに交響曲を3、4曲は仕上げたあとの時期なので、稚拙さは全く感じられなくなっています。
 以後、『嘆きの歌』はその2楽章ヴァージョンで演奏されるのが常だったのですが、マーラーがカットした第1楽章は、義理の甥の手許に残っており、作曲者の歿後しばらくしてから発表されました。
 現在はフルな形で演奏されることもありますが、やはり作曲者が演奏を手控えた第1楽章は、他の楽章に較べていささか見劣りするというのが大方の評であるようです。
 見劣りするというのは、作曲自体についてなのか、オーケストレーションについてなのか。
 私はオーケストレーション(オーケストラ用アレンジ)の仕事もずいぶんやっているのでわかるのですが、オーケストレーションというのは一種の職人技でして、場数さえこなせばけっこう熟達します。逆に、どんなに天才的な作曲家であっても、場数を踏んでいないとどこか生硬で、野暮ったい響きであることを免れがたいものがあります。ショパンシューマンのオーケストラ作品にしばしば寄せられる批判はまさにその点で、オーケストレーションの能力というのは、美しいメロディーを紡ぎ出したり、斬新な和音を繰り出したりする才能とは、別ものであると考えざるを得ません。
 自らも凄腕の指揮者であったマーラーは、オーケストレーションにも卓越していたのはもちろんですが、そんな彼も最初から熟練工並みであったわけはありません。演奏の現場で次第に能力を身につけて行ったに違いないのです。してみると、まだ自分の書いたものを音にする機会もほとんど無かったであろう時期の『嘆きの歌』初稿は、やはり落選も仕方がない出来であったのかもしれません。

 『嘆きの歌』は、昔話を題材にしてマーラー自身が作ったテキストがついています。
 森の中に咲く赤い花を持ってきた者と結婚する、というお触れを出した女王。ある兄弟が花を探しに出かけ、弟が見つけるものの、邪悪な兄に殺されて、花を奪われてしまう。(第1楽章)
 しばらくして、吟遊詩人が森を通りかかり、白く輝く骨を見つける。吟遊詩人はなぜかその骨で笛を作り、吹いてみると、笛は弟殺しの兄の話を語る。(第2楽章)
 吟遊詩人が城へ行くと、今しも邪悪な兄と女王との婚礼がおこなわれている。詩人は笛を吹く。殺人の物語が響き、大騒ぎになり、女王は失神し、城も崩れ落ちる。(第3楽章)
 ……という、なんとも陰惨なお話です。まあ若者らしいといえば若者らしいかな。ヴァーグナーもはじめて書いたオペラは、登場人物が全員死んでしまうというストーリーでした。若い頃は、そういう出口も救いも無いような話をわりと好むもので、私にも憶えがあります。

 ところで、マーラーは交響曲にやたらと声楽を採り入れたことで知られています。9曲の交響曲のうち、2、3、4、8番の4曲に声楽が加わっています。事実上交響曲に加えても良いと思われる『大地の歌』を合わせると、半分が声楽入りということになります。
 しかも、いずれもかなり物語的な内容を持つテキストを伴います。有名な第8番「千人の交響曲」の第2部に至っては、ゲーテ「ファウスト」の終幕部分をそのまま用いていたりします。交響曲というよりオラトリオと称したほうがふさわしいようです。
 「千人の交響曲」を交響曲と呼ぶならば、『大地の歌』のほうがよほど交響曲らしい形を持っていますし、その意味ではこの『嘆きの歌』も一種の声楽付き交響曲と言えるかもしれません。少なくとも、その後に書かれた声楽付き交響曲のプロトタイプのようなものと称して差し支えないように思えます。
 何しろ三管編成というオーケストラのサイズは、「声楽曲の伴奏」としては大きすぎるのです。ベートーヴェンの9番も二管編成でしかなく、たいていのオペラも二管です。そのくらいでないと、オーケストラピットには入り切れません。
 オペラに三管以上のオーケストラを使ったのはヴァーグナーですが、そのためには特殊な劇場を必要としました。言うまでもなく、バイロイトの議会をヴァーグナーガ舌先三寸で言いくるめて作らせたあの劇場です。大編成オケを舞台下に収納できるようにし、そのままでは音が大きすぎるのですっかり蓋をしてしまう構造になっています。三管のオケがフルに鳴っていると、どれほど声量のある歌手でもほとんど聴きとれません。
 『嘆きの歌』のスコアを見ると、半分近くがオーケストラだけで演奏される部分となっており、声楽曲としては歌の活躍がいささか少ないように思われます。やはり、「オーケストラ伴奏付きの声楽曲」というよりは、「声楽付きのオーケストラ曲」というスタンスで書かれているようです。後年の交響曲と同じ考え方ではなかったでしょうか。
 ちなみに私は、「オペラを交響曲のように書いた」のがヴァーグナーで、「交響曲を(ヴァーグナーの)オペラのように書いた」のがマーラーだと思っています。マーラーの交響曲は、それまでの作曲家の交響曲と同じように考えると分析や研究が非常に困難で、例えばソナタ形式というような枠にはどうにもおさまりません。マーラーの作品の主要モティーフは、ソナタ形式の第一主題・第二主題のように考えるよりも、ヴァーグナーのオペラのライトモティーフのように考えたほうがしっくり来ます。声楽を伴わない、純器楽の交響曲であっても同様で、出てくる主題はそれぞれなんらかの「キャラクター」を表しており、それらのキャラクターがいろいろなお芝居をしているのがマーラーの作品であろうと思います。

 『嘆きの歌』を2台ピアノ化するという話は、かなり前から打診されていたのですが、この年明けからようやく具体化しました。
 上記のように、単なる「歌の伴奏」ではないので、ピアノに編曲することによって失われる持ち味も多かろうと思いますが、三管オーケストラを用意するのは大変なので、コンパクトヴァージョンとして作っておくことにはそれなりの意味があるかもしれません。
 音色的な単調さは免れないでしょうが、2台使うことで、音のそこそこの厚みは得られると思います。
 マーラーの作曲法は、単なるメロディーと伴奏というホモフォニーの形になっているところはほとんど無く、それぞれに流れを持ついくつかのモティーフを組み合わせて全体の響きを作ってゆく、いわばポリフォニーによるところが多いのです。学生時代のゼミで、
 「こういう作り方をしているのはベートーヴェンとマーラーだけだね。ブラームスなんか全然なってないよ」
 と故八村義夫先生がおっしゃっているのを聞いたことがあり、その時はそんなものかなあと漠然と思っていただけでしたが、今回詳細にスコアを見て、全く先生の言われた通りだと、遅ればせながら大いに納得しました。
 言い換えれば、ひとりのピアノ奏者では無理です。ずっと楽器の少ないベートーヴェンの交響曲でさえ、ピアノソロで演奏するためにはリストの超絶技巧を必要としました。マーラーをピアノソロに編曲しようとしたら、多くのモティーフを捨てざるを得ず、なんともスカスカな音楽になってしまうのは必然的です。その点、2台ピアノというのは良い企画だったのではないでしょうか。

 第1楽章のスコアはなかなか入手が難しく、現在企画者に取り寄せて貰っています。編曲作業は第2楽章から始めました。
 いきなり閉口したのは、弦楽器のトレモロが蜿蜒と続いていたことです。ヴィオラが最初からオクターブでドの音を小刻みに鳴らし始め、実に40小節の間その小刻みが続きます。ピアノでもトレモロという弾き方はできますが、弦楽器とは効果がまるで違います。弦楽器の弱音のトレモロのような、静謐でさざなみ立つような効果をピアノで出すのは至難の業です。かと言って、長い音符で伸ばしたりしたらこれまた雰囲気が全然違うことになりますし、そもそもピアノではそんなに音を長く伸ばすことができません。
 スコアにある音をピアノに移すことはそう難しくはありませんが、
 「これって、ピアニストは弾いてて楽しいんだろうか?」
 と疑問に思ってしまうこともしばしばです。ある程度の「弾きごたえ」は感じて貰いたいのですが、その辺の按配が自分の中で少々心許なくて困ります。ただ音を移すだけでは良くないのだろうと思います。
 手探りで少しずつ作業を進めています。しばらくはマーラーとの対話が続きそうです。

(2011.2.19.)

初合わせ

 マーラー『嘆きの歌』を2台ピアノ用にアレンジしているということを書きましたが、1899年改訂版と呼ばれる2部構成のものを一旦仕上げたあと、しばらく休眠状態になっていたのが、このところまた動き始めました。
 なんで休眠状態になっていたかというと、上演の方法について企画側の意見がまとまっていなかったのが大きな理由でした。
 1899年改訂版と呼ばれるものは、マーラーがこの作品の最終的な形として、自分の指揮で発表したヴァージョンです。
 1880年、マーラー20歳の時にこの曲の「初稿版」と呼ばれるものを作ったわけですが、ベートーヴェン賞というコンクールに出して落選してしまいました。マーラーファンに言わせると、審査員だったブラームスあたりのが保守的な作風の作曲家だったために、マーラーの斬新さが理解できなかったのだ……ということになるのですが、それはどうでしょうか。本人の作風が保守的でも、新傾向のものに無理解とは限りません。この初稿版は、やはり若書きだけあって、オーケストレイションや合唱の使いかたなどにかなり無理があり、全体的にもいささか散漫であることは否めないものがあります。つまり、落選する要素が皆無であるとは言い切れないのです。本当のところは誰にもわからないでしょう。

 ともあれマーラーはこの落選がかなりこたえたようで、後年に至るまで、
 「あの時受賞していれば、ぼくの人生は違ったものになっていただろう」
 と愚痴っていたことは前にも書きました。
 その後も彼はこの曲を棄てるに忍びなかったのでしょう、長い年月をかけて、ちくちくと改訂を重ねました。そして19年後にようやく演奏の機会を得たわけです。すでにマーラーは「巨人」「復活」の2交響曲で実力を認められ、さらに3番、4番の交響曲も発表し終えた時期で、言ってみれば脂の乗りきった頃でした。
 脂の乗りきった作曲家の眼で見れば、やはり若書きの初稿版は、そのままの形では発表できないと思われたのでしょう。大幅な改稿をして世に出したわけです。
 もっとも大きな変化は、もともと3部構成だった『嘆きの歌』の、第1部をまるまるカットしてしまい、2部構成の曲にしたところです。そして、かなり大勢のソロの歌い手が必要であったところを、3人だけに絞った点も見逃せません。あとで述べますが、実はこれは、構成を整理したという以上に、マーラーのこの曲に関する思想、いわば「マーラーが言いたかったこと」自体が大きく変化した結果だったようです。
 だからこの改訂版を、マーラーの最終的な結論として受け容れていれば良いはずのものなのですが、そう単純にゆかないのがこの曲の厄介なところなのでした。

 マーラーの歿後に、義理の甥の手元に初稿版のスコアが残されており、それが公開されたのです。改訂版に較べればはるかに稚拙なそれが、やがて演奏されるようになりました。最初は作曲者自身がカットした第1部を、改訂版に加えて演奏するという形が主流だったのですが、その後第2部・第3部も初稿版の形で演奏されることが多くなりました。
 『嘆きの歌』の演奏形態は、現在のところ3パターンあると言って良いでしょう。

 1) マーラーの最終的結論である改訂版(初稿版の第2部・第3部)のみ演奏する。
 2) 改訂版を第2部・第3部と見なし、それに初稿版の第1部をつけて演奏する。
 3) マーラーの当初の意図である初稿版で全曲を演奏する。


 初稿版と改訂版とでは、演奏時間にも大幅な開きがあります。初稿版は約70分、改訂版は約40分です。初稿版を用いると、ある意味それだけでひと晩の演奏会が成立する(そうでなくとも軽い前座を入れる程度で済む)という、興行的な理由で2)や3)の方法がおこなわれはじめたような気がするのですが、今や2)や3)のほうが主流になった観があり、1)の形はあたかも不完全なヴァージョンであるかのように考えられつつあるのが現状だそうです。
 これまたマーラーファンに言わせれば、改訂版は演奏会のプログラムとして用いるために「やむなく」カットしたもので、作曲者の本意ではなかった、ということになるのかもしれません。
 が、それもどうでしょうか。本意であろうとなかろうと、マーラーは改訂版を最終的なものとして発表しているのです。しかも、ただ一度しか演奏しなかったということです。改訂版が不本意なものであったなら、さらに改訂した「完全版」を演奏する機会がマーラーに全く無かったとは考えられません。すでに彼はベートーヴェン賞に落ちて悲嘆に暮れている若者ではなく、作曲家としても指揮者としても世に認められた大物だったのですから。
 やはり第1部は「やむなく」カットされたのではなく、作曲者自身が「不要」と考えてカットしたのだと考えたほうが素直だと思います。
 マーラーのような巨匠の想いを、私ごときチンピラ作曲家が忖度するのは畏れ多いのですが、作曲家が旧作を改訂する場合、初稿より「悪く」するはずはありません。自信を持って世に問いたいのは絶対に改訂版のほうであるはずです。どこかに行ってしまった初稿版を誰かが掘り返してきて、「これこそ完全版!」とばかりに振りかざされるのは、気羞しいというか、むしろ迷惑だと思います。上述のように作品思想そのものが変わっているのならなおさらです。

 企画側でもめていたのは、結局1)〜3)のどの形で上演するかということでした。
 私が推すなら、上記の理由により、1)にならざるを得ないのですが、あいにくと40分ではひと晩の演奏会としては短すぎるのです。何か別の曲を用意しなければなりません。
 2台ピアノ版ですから、オーケストレイションに関してはあまり問題になりません。初稿版でも改訂版でも、ピアノにアレンジした場合はそれほどの大差が発生するとは思えないのです。もちろん細かいところにいろいろ異同はありますが、手直し程度でどちらにでも対応できます。
 だから2)とか3)の方法でも、この企画に関する限りは私には異存がありませんでした。
 ところが、今回の指揮者として起用された海老原光さんが、大変にこだわりのあるかただったのでした。
 なんでも、修士論文だかのテーマがこの曲だったとかで、思い入れも半端ではなく、語らせれば1時間でも2時間でも語り続けられるという人で、その海老原さんが、どうせやるのなら改訂版と初稿版を両方やりたいと言い出して、だいぶもめたようだったのでした。1回で済む演奏会が2回になるわけなので、それは企画側としてもホイホイと応じるわけにはゆきますまい。
 私はその辺、話だけ聞いていましたので、ずいぶんこだわる人なんだなあと他人事のように思っていたばかりでしたが、結論としては、海老原さんの希望どおり、2回に分けて演奏会を開催することになりました。実は、私の作業量もおかげで増えてしまいました。すでにアレンジ済みの改訂版に加え、初稿版のアレンジもおこなわなければなりません。手直し程度と言ってもやはり注意深い作業が必要ですし、特に声楽部分は全くあらたに入力し直すくらいの改稿の必要があります。そこは譜面作成上だけの問題で、私のアレンジにはなんの関係もないわけなので、作業としては退屈なものになります。
 ともあれその第1回、改訂版の2台ピアノ版初演が、来年(2012年)の8月31日(金)に決まりました。それで今日、顔合わせというか、初のリハーサルがおこなわれたのです。

 合唱はまだ集めていませんし、ソリストもテノールがまだ返事を保留している状態だそうで決定していません。またソプラノの人はインフルエンザで寝込んでしまったとかで、今日集まったのは海老原さんと私、それにピアノを弾く小笠原貞宗さんと稲葉和歌子さん、アルトソロの三谷亜矢さん、そして境企画境新一さんの6人でした。なお境さんは、私が一昨年作品展を開いた際にお世話になりました。
 新百合ヶ丘昭和音大の練習室で顔を合わせました。リハーサルと言ってもみんなまだ手探り状態ですから、「一応合わせてみた」程度のことでしたが、それでもなかなか興味深い集まりでした。
 海老原さんは私より10歳ばかり下らしいので、まさに新進気鋭という観のある若い指揮者でした。なるほど熱っぽく語ります。上に書いた、初稿版と改訂版とでは作品思想そのものが異なる、という話は、今日海老原さんに伺って、なるほどと思った点です。
 つまり、初稿版はいわば「演技の伴わないオペラ」というようなスタンスで書かれているのに対し、改訂版は「吟遊詩人によって語られる物語」という意味合いが強くなっているというのでした。
 初稿版で多くのソリストを必要としたのは、「配役(キャスティング)が必要であったからなのに対し、改訂版で3人に絞ったのは、「語り部」さえ居れば良いという考えかたになったかららしいのです。第1部をカットしたのは、兄による弟殺しという事件が、いわばリアルタイムで起こるシーンであり、描写として直接的すぎるという判断だったのでしょう。第2部(改訂版第1部)は吟遊詩人の登場から始まり、全体が「昔語り」であるというイメージが明確になります。
 こう考えると、2)の方法などは、木に竹を接ぐとまでは言わなくとも、かなり便宜臭の濃いやりかたであるように思えてきます。
 ただまあ、予備知識無しに聴きに来る人に、そういうことまでちゃんと伝わるかどうかはわかりませんが。

 ピアノアレンジの演奏効果については、実のところ私は十全の自信を持って臨んだとは言えません。どうも、オーケストラだから良いけれど、ピアノで弾いてしまうとあんまり面白くないのではないかと不安にかられる箇所が、決して少なくなかったのです。
 オーケストラ曲のピアノ編曲というと、リストによるベートーヴェンの全交響曲の編曲などが有名ですが、「ピアノの鬼神」の超絶技巧をもってしても、やはり単調さはまぬがれません。「オーケストラが用意できない時の代用品」以上のものになっているとはどうも思えないのです。
 もちろん、リストが編曲した他の作品では。充分な演奏効果が発揮できるものも少なくはありません。「ラ・カンパネラ」など、パガニーニのヴァイオリンによる原曲をはるかに超えて、堂々たるピアノのレパートリーとして認められています。ただし、それらは原曲を相当大幅に改変しているものがほとんどです。ベートーヴェンを相手にした場合、さすがのリストもあまり「遊ぶ」わけにゆかず、わりと生真面目な編曲になってしまって、逆にあんまり面白くなくなったという事情があるのかもしれません。
 ピアノ用にアレンジする以上は、「ピアノ曲として」演奏者に愉しんで貰えるものを書きたいと思うのですが、なかなか難しいものがあります。
 そんなわけで少々こわごわだったのですが、海老原さんは
 「へぇ〜、これは面白いですね」
 と即座に言いました。
 「オケで聴くより、曲の構造がずっとはっきりわかりますね。マーラーの意図が透けて見えるというか」
 この曲には、のちに複調(ポリトナール)と呼ばれる、複数の調性または和音が同時に鳴るようなところがいくつもあります。例えばハ長調とホ長調が同時に鳴っていたりすることを言うのですが、20世紀のヒンデミットストラヴィンスキーなどが好んで用いた手法であり、1880年当時としては相当に先駆的だったと言えます。また、長調と短調がほとんど共存しているかのように細かく入れ替わったりもしています。
 ところが、そういう箇所が、オーケストラで演奏してしまうと、意外と「気にならない」のでした。音色が違うために、複数の調が鳴っていても、あまり違和感なく通り過ぎてしまうわけです。それがピアノという単色の音色で鳴らした場合、逆にその違和感が鮮明に出てきて、マーラーの「異様さ」が際立つというのが海老原さんの感想でした。
 喩えて言えば、色彩に眼を奪われて別に異様さを感じない絵画が、撮影してモノクロで現像してみたら実に変な構図だったことがわかった、という感じでしょうか。
 もっとも、『嘆きの歌』のヴォーカルスコアというものはすでに出版されていて、ピアノで演奏できるようにはなっているのですが、もちろんひとりの練習ピアニストによって弾く形になっています。相当多くの省略がおこなわれているはずです。海老原さんが2台ピアノ版を聴いてはじめて「異様さが際立つ」と感じたということは、私のアレンジにもそれなりの意義があったということになりそうです。
 これからピアノのコンビネーションをもっと詰め、ソリストや合唱が加わった場合にどんな響きになっているのか、なかなか面白いことになりそうな気がしてきました。

(2011.12.27.)

1899年版2台ピアノ用初演

 マーラー『嘆きの歌』2台ピアノ版初演が無事終了しました。
 境企画ハートフェルト・コンサートの第96回にあたる演奏会です。第88回には私の個展を開いて貰ったりもしており、いろんなスタイルの演奏会を開催していますが、枠内のシリーズとして、マーラーの歌曲の全曲演奏という企画があったわけです。まず第32回と第38回で『子供の不思議な角笛』の全曲演奏をおこないまいした。第55回には『さすらう若人の歌』『若き日の歌』それにマーラー夫人アルマの作品『5つの歌』、第82回には『リュッケルトの詩による5つの歌曲』他とやはりアルマの『4つの歌」、第83回には『亡き子をしのぶ歌』他、第92回にはいよいよ『大地の歌』のピアノ版(作曲者による編曲版)と続けてきて、残ったのが『嘆きの歌』だったのです。
 もちろん、マーラーは交響曲にやたらと声楽を導入した作曲家で、『大地の歌』も含めればほぼ半分の交響曲(11曲中5曲)が歌を伴っています。第8番『千人の交響曲』などはどう見ても声楽のほうが主体で、特に第2部などゲーテ「ファウスト」の終幕をそのまんまテキストとして使っているくらいですから、オラトリオと呼んだほうが実態に即していそうです。しかしまあ、「交響曲以外の全声楽曲の全曲演奏」というコンセプトであったようですので、『嘆きの歌』がシリーズ最終回ということになるのでした。

 しかし、この最終回がまた2回に分かれたりします。前にも書きましたが、今日演奏したのは「1899年改訂版」と呼ばれるヴァージョンで、この曲に関するマーラーの決定稿をもとにしたものです。決定稿である以上、それでもう良いではないかと私は思うのですが、来年の6月に、「1880年初稿版」と呼ばれるヴァージョンによる2台ピアノ版も初演されることになっています。若き日のマーラーがベートーヴェン賞に応募してあえなく落選したというシロモノです。あまりに革新的すぎて審査員に理解されずに落ちた……と、マーラーファンは思いたいところでしょうが、それは今となってはなんとも言えません。もっと単純に、書法的に未熟であったために落ちた可能性もあります。元のオーケストラスコアをよく見ていると、その身も蓋もない解釈が絶対に誤りであるとは言い切れない気がしてくるのです。
 が、ともかくこの初稿版はマーラーがはじめて本格的な作品を志して書いたものであり、改訂版とは長さも含めてだいぶ違うものでもありますので、いわばマーラーの原点としてぜひともやっておきたいというのが、プロデューサーの境新一さんよりもむしろ指揮の海老原光さんの強い意志であったようです。
 はたして研究者や熱心な愛好者にとって以上に意味のあることなのかどうかは微妙な気もしますが、そんなわけで今日は「最終回その1」という態の演奏会になりました。

 私がこの企画に参加して編曲に携わったのは、このマーラー歌曲シリーズで最初からピアノ伴奏を務めていた小笠原貞宗さんが、
 「これ(既成のヴォーカルスコア)ではピアノが演奏不可能ですね」
 と指摘したからだったようです。ヴォーカルスコアというのは、だいたいが練習用に作られているものですから、オーケストラパートをピアノ用にアレンジするにあたって、その演奏効果だとか演奏可能性だとかをあまり頓着していないことがあります。とにかくオーケストラに含まれている音を、10本の指で可能な限り採録しただけ、というようなヴォーカルスコアもあって、そのままの形でコンサートに乗せるわけにはゆかない場合もあるのでした。
 私はそのヴォーカルスコアを見ていないのですが、『大地の歌』すらひとりで弾きこなしてきた小笠原さんが無理だというのですから、よほど超絶技巧だったと見えます。まあ、『大地の歌』はマーラー自身の編曲だったらしいので、無理なことはしていなかったのでしょうが。
 それで境さんが、旧知の私に2台ピアノ用の編曲を依頼してきたのでした。
 私のアレンジも、いささか超絶技巧を要するところがあったかもしれませんが、とりあえず要素をふたりの奏者に分けることでだいぶ弾きやすくはなったと思います。またオーケストラの立体感みたいなものを表したいと考えました。
 指揮者の海老原さんが「(オーケストラ版よりも)マーラーの意図が透けて見えるようだ」と評してくれたことは前に書きましたが、小笠原さんも気に入ってくださったようで、「レッスンの友」という雑誌のインタビュー記事でかなり私のアレンジを褒めてくれています。
 来年6月予定の初稿版のほうのアレンジは、ちょっと始めたところで他の仕事にかかって中断していますが、スケジュール的にそろそろ再開したほうが良さそうです。もうしばらく、マーラーとのつき合いが続きそうです。

 8月も末というのに、道を歩いているだけで汗が噴き出してくるような暑さの中、渋谷区文化総合センター大和田に向かいました。新しいホールで、最近けっこう人気があるようです。実は私が作曲していた舞踊と独唱のための『月の娘〜五人の求婚者〜』は、本来の予定では先週の金曜日に同じ場所で初演されるはずでした。残念ながら歌い手の都合で初演は延期されてしまいましたが(だから作曲も目下中断しています)、実現していれば1週間差で同じ会場ということになっていました。もっとも、『月の娘』が予定されていたのは小ホールと呼ぶべき「伝承ホール」、今日の『嘆きの歌』は大きな「さくらホール」のほうでしたが。
 はじめて行きましたが、渋谷駅からかなり近くて、アクセスは良いところでした。ただし胸を突くような相当な急坂を登るので、お年寄りには少々きついかもしれません。館内に入ると、新しいホールの匂いがぷんと漂いました。
 15時までピアノの調律がおこなわれており、そのあとで舞台リハーサルとなりました。今回の配置は一風変わっています。2台のピアノを用いる場合、横に並べて置くか、横に向かい合わせて置くか、いずれにしても横向きというのが普通なのですが、今日は縦に並べて置いてあります。つまり、ピアニストが指揮者およびお客と正対する形になるわけです。
 伝えられるところでは、ピアノを今のように横置きにするようになったのはリストあたりからで、それ以前はお客と正対していたそうですから、言ってみれば古式に則ったようなものですが、その当時は今のコンサート・グランドのようなやたらと奥の深いピアノはありませんでした。7フィートとか9フィートとかの長いピアノのお尻がこちらに向かって並んでいると、なんだか不思議な迫力があります。
 ピアノを中心にして、向かって左側(下手側)に合唱を、右側(上手側)に独唱者たちを並べるという配置でした。見た感じ、当然ながら下手側がやや重たいようでもありましたが、リハーサルを聴いてみると響きは悪くありませんでした。ただ、合唱の向きがやや上手側であることと、ピアノの蓋を取り去らずに半開状態で並べているために上手に音が飛びづらいという事情があって、上手側客席で聴いてみると若干ピアノの音がこもるようでした。とはいえまあ、「若干」「比較的」という程度ですから、許容範囲でしょう。
 『嘆きの歌』のリハーサルのあと、前座(と言っては悪いかな)のツェムリンスキー「クラリネット三重奏曲」のリハーサルがありましたが、そちらは本番で聴かせて貰うことにして一旦会館を出ました。マダムと渋谷駅で待ち合わせて、少し早いですが夕食をとることになっていたのでした。

 さくらホールは700人規模のホールで、いつものハートフェルトコンサート(200〜500人規模程度)に較べるとだいぶ広く、配券が伸び悩んでいるように聞いていました。実際のところ、私も「川口第九を歌う会」あたりにチラシを持って行って宣伝したものの、あんまり興味を惹かなかったようで、聴きに行きたいという人はひとりも現れませんでした。
 どうなることかと心配していたのですが、2階席のある構造のホールであっただけに、上を閉めてしまうと1階席だけならけっこう埋まって見えました。前のほうなどは空席が目立ちましたが、そうみすぼらしくない程度の客入りにはなっていたと思います。
 ツェムリンスキーはマーラーのちょっと後輩にあたる作曲家で、名前からするとロシア系に思えますがドイツ人です。ただしマーラーと同じくユダヤ系であったのか、晩年はナチスに追われてニューヨークに渡って亡くなったそうです。マーラーと同じくフックスに指導を受けていましたから、いわば弟弟子というわけです。そしてマーラー夫人アルマはツェムリンスキーの弟子だったようです。プログラムノートには「弟子であると同時に親密な関係にあった」と微妙な書かれかたがしてありました。
 ちなみにアルマはなかなかの女流作曲家であったようですが、マーラーと結婚してから、なかば強制的に筆を折らされています。
 「ぼくの作品をきみの作品と見なしてもらうわけにはゆかないだろうか」
 とマーラーが言ったそうですが、要するに妻が「同業者」で居て欲しくなかったのでしょう。ただ、晩年は考えをあらためたようで、アルマにも作曲を薦めています。いい気なもんだと言えばいい気なもんです。
 ツェムリンスキーは最晩年のブラームスに認められて世に出た人です。前述の、マーラーが落ちたベートーヴェン賞の審査員にはブラームスも加わっていたそうで、ブラームスとの関わりで明暗を分けたような趣きがあります。
 このクラリネット三重奏曲がブラームスに認められたその曲なわけですが、聴いてみてさほどの面白みは無いような気がしました。ただブラームス好みだったかな、という気はします。30分ほどの曲ですが、実際より長く感じました。
 休憩をはさんで『嘆きの歌』ですが、その前に海老原さんが出てきてプレトークをしました。マーラー好きであることが如実に感じられる熱いトークでした。来年の初稿版演奏会の客集めの布石になっていれば良いのですが。

 『嘆きの歌』は冒頭かなり長いオーケストラだけの部分があります。ここが退屈しなければ良いがと懸念していましたが、小笠原さんと稲葉和歌子さんの2台ピアノのアンサンブルはリハーサルの時とは段違いに良く、惹き込まれるものを感じました。
 合唱も熱を込めて歌ってくれていました。数日前の合唱リハーサルで、ディクション指導の三ヶ尻正さんが執拗に注意し続けていた子音の迫力も、充分に伝わってきていたと思います。
 少しだけ残念だったのは、メゾソプラノソロ(ほとんど主役)の三谷亜矢さんの声が、時々ピアノに埋没することがあった点です。これは歌う位置の問題もあったようで、テノールの倉石真さんが立っていた位置がこのホールの「スイートスポット」であったらしく、出番の割合からすれば三谷さんをそこに立たせるべきでした。まあそれはそれとしても、オーケストラがフルで鳴っている時にその低音域ではそもそも聞こえっこないだろう、とツッコみたくなるような書きぶりであるのは事実で、曲自体が「メゾソプラノ」ではなく「どアルト」を想定して書かれているように思われます。日本人には「どアルト」なんて歌手はほとんど居ませんので、やむを得ないことで、三谷さんのせいではないでしょう。歌が聞こえるようにピアノの音量を落とすというのも、この曲に関しては少し違うような気がします。
 ともあれ迫力のある演奏でした。クライマックスの部分では思わず肌に粟を生ずるような気がしたものです。
 終演後、「マーラーがこんなに良いとは思わなかった」などと話しているお客も居ましたから、まずは成功であったと考えて良さそうです。

(2012.8.31.)

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