『嘆きの歌』の編曲 現在(2011年2月)、マーラーの『嘆きの歌』を2台ピアノ用に編曲するという仕事をしていますが、なかなかはかどりません。 (2011.2.19.) |
1899年版2台ピアノ用初演 マーラー『嘆きの歌』2台ピアノ版初演が無事終了しました。境企画のハートフェルト・コンサートの第96回にあたる演奏会です。第88回には私の個展を開いて貰ったりもしており、いろんなスタイルの演奏会を開催していますが、枠内のシリーズとして、マーラーの歌曲の全曲演奏という企画があったわけです。まず第32回と第38回で『子供の不思議な角笛』の全曲演奏をおこないまいした。第55回には『さすらう若人の歌』と『若き日の歌』それにマーラー夫人アルマの作品『5つの歌』、第82回には『リュッケルトの詩による5つの歌曲』他とやはりアルマの『4つの歌」、第83回には『亡き子をしのぶ歌』他、第92回にはいよいよ『大地の歌』のピアノ版(作曲者による編曲版)と続けてきて、残ったのが『嘆きの歌』だったのです。 もちろん、マーラーは交響曲にやたらと声楽を導入した作曲家で、『大地の歌』も含めればほぼ半分の交響曲(11曲中5曲)が歌を伴っています。第8番『千人の交響曲』などはどう見ても声楽のほうが主体で、特に第2部などゲーテの「ファウスト」の終幕をそのまんまテキストとして使っているくらいですから、オラトリオと呼んだほうが実態に即していそうです。しかしまあ、「交響曲以外の全声楽曲の全曲演奏」というコンセプトであったようですので、『嘆きの歌』がシリーズ最終回ということになるのでした。 しかし、この最終回がまた2回に分かれたりします。前にも書きましたが、今日演奏したのは「1899年改訂版」と呼ばれるヴァージョンで、この曲に関するマーラーの決定稿をもとにしたものです。決定稿である以上、それでもう良いではないかと私は思うのですが、来年の6月に、「1880年初稿版」と呼ばれるヴァージョンによる2台ピアノ版も初演されることになっています。若き日のマーラーがベートーヴェン賞に応募してあえなく落選したというシロモノです。あまりに革新的すぎて審査員に理解されずに落ちた……と、マーラーファンは思いたいところでしょうが、それは今となってはなんとも言えません。もっと単純に、書法的に未熟であったために落ちた可能性もあります。元のオーケストラスコアをよく見ていると、その身も蓋もない解釈が絶対に誤りであるとは言い切れない気がしてくるのです。 が、ともかくこの初稿版はマーラーがはじめて本格的な作品を志して書いたものであり、改訂版とは長さも含めてだいぶ違うものでもありますので、いわばマーラーの原点としてぜひともやっておきたいというのが、プロデューサーの境新一さんよりもむしろ指揮の海老原光さんの強い意志であったようです。 はたして研究者や熱心な愛好者にとって以上に意味のあることなのかどうかは微妙な気もしますが、そんなわけで今日は「最終回その1」という態の演奏会になりました。 私がこの企画に参加して編曲に携わったのは、このマーラー歌曲シリーズで最初からピアノ伴奏を務めていた小笠原貞宗さんが、 「これ(既成のヴォーカルスコア)ではピアノが演奏不可能ですね」 と指摘したからだったようです。ヴォーカルスコアというのは、だいたいが練習用に作られているものですから、オーケストラパートをピアノ用にアレンジするにあたって、その演奏効果だとか演奏可能性だとかをあまり頓着していないことがあります。とにかくオーケストラに含まれている音を、10本の指で可能な限り採録しただけ、というようなヴォーカルスコアもあって、そのままの形でコンサートに乗せるわけにはゆかない場合もあるのでした。 私はそのヴォーカルスコアを見ていないのですが、『大地の歌』すらひとりで弾きこなしてきた小笠原さんが無理だというのですから、よほど超絶技巧だったと見えます。まあ、『大地の歌』はマーラー自身の編曲だったらしいので、無理なことはしていなかったのでしょうが。 それで境さんが、旧知の私に2台ピアノ用の編曲を依頼してきたのでした。 私のアレンジも、いささか超絶技巧を要するところがあったかもしれませんが、とりあえず要素をふたりの奏者に分けることでだいぶ弾きやすくはなったと思います。またオーケストラの立体感みたいなものを表したいと考えました。 指揮者の海老原さんが「(オーケストラ版よりも)マーラーの意図が透けて見えるようだ」と評してくれたことは前に書きましたが、小笠原さんも気に入ってくださったようで、「レッスンの友」という雑誌のインタビュー記事でかなり私のアレンジを褒めてくれています。 来年6月予定の初稿版のほうのアレンジは、ちょっと始めたところで他の仕事にかかって中断していますが、スケジュール的にそろそろ再開したほうが良さそうです。もうしばらく、マーラーとのつき合いが続きそうです。 8月も末というのに、道を歩いているだけで汗が噴き出してくるような暑さの中、渋谷区文化総合センター大和田に向かいました。新しいホールで、最近けっこう人気があるようです。実は私が作曲していた舞踊と独唱のための『月の娘〜五人の求婚者〜』は、本来の予定では先週の金曜日に同じ場所で初演されるはずでした。残念ながら歌い手の都合で初演は延期されてしまいましたが(だから作曲も目下中断しています)、実現していれば1週間差で同じ会場ということになっていました。もっとも、『月の娘』が予定されていたのは小ホールと呼ぶべき「伝承ホール」、今日の『嘆きの歌』は大きな「さくらホール」のほうでしたが。 はじめて行きましたが、渋谷駅からかなり近くて、アクセスは良いところでした。ただし胸を突くような相当な急坂を登るので、お年寄りには少々きついかもしれません。館内に入ると、新しいホールの匂いがぷんと漂いました。 15時までピアノの調律がおこなわれており、そのあとで舞台リハーサルとなりました。今回の配置は一風変わっています。2台のピアノを用いる場合、横に並べて置くか、横に向かい合わせて置くか、いずれにしても横向きというのが普通なのですが、今日は縦に並べて置いてあります。つまり、ピアニストが指揮者およびお客と正対する形になるわけです。 伝えられるところでは、ピアノを今のように横置きにするようになったのはリストあたりからで、それ以前はお客と正対していたそうですから、言ってみれば古式に則ったようなものですが、その当時は今のコンサート・グランドのようなやたらと奥の深いピアノはありませんでした。7フィートとか9フィートとかの長いピアノのお尻がこちらに向かって並んでいると、なんだか不思議な迫力があります。 ピアノを中心にして、向かって左側(下手側)に合唱を、右側(上手側)に独唱者たちを並べるという配置でした。見た感じ、当然ながら下手側がやや重たいようでもありましたが、リハーサルを聴いてみると響きは悪くありませんでした。ただ、合唱の向きがやや上手側であることと、ピアノの蓋を取り去らずに半開状態で並べているために上手に音が飛びづらいという事情があって、上手側客席で聴いてみると若干ピアノの音がこもるようでした。とはいえまあ、「若干」「比較的」という程度ですから、許容範囲でしょう。 『嘆きの歌』のリハーサルのあと、前座(と言っては悪いかな)のツェムリンスキー「クラリネット三重奏曲」のリハーサルがありましたが、そちらは本番で聴かせて貰うことにして一旦会館を出ました。マダムと渋谷駅で待ち合わせて、少し早いですが夕食をとることになっていたのでした。 さくらホールは700人規模のホールで、いつものハートフェルトコンサート(200〜500人規模程度)に較べるとだいぶ広く、配券が伸び悩んでいるように聞いていました。実際のところ、私も「川口第九を歌う会」あたりにチラシを持って行って宣伝したものの、あんまり興味を惹かなかったようで、聴きに行きたいという人はひとりも現れませんでした。 どうなることかと心配していたのですが、2階席のある構造のホールであっただけに、上を閉めてしまうと1階席だけならけっこう埋まって見えました。前のほうなどは空席が目立ちましたが、そうみすぼらしくない程度の客入りにはなっていたと思います。 ツェムリンスキーはマーラーのちょっと後輩にあたる作曲家で、名前からするとロシア系に思えますがドイツ人です。ただしマーラーと同じくユダヤ系であったのか、晩年はナチスに追われてニューヨークに渡って亡くなったそうです。マーラーと同じくフックスに指導を受けていましたから、いわば弟弟子というわけです。そしてマーラー夫人アルマはツェムリンスキーの弟子だったようです。プログラムノートには「弟子であると同時に親密な関係にあった」と微妙な書かれかたがしてありました。 ちなみにアルマはなかなかの女流作曲家であったようですが、マーラーと結婚してから、なかば強制的に筆を折らされています。 「ぼくの作品をきみの作品と見なしてもらうわけにはゆかないだろうか」 とマーラーが言ったそうですが、要するに妻が「同業者」で居て欲しくなかったのでしょう。ただ、晩年は考えをあらためたようで、アルマにも作曲を薦めています。いい気なもんだと言えばいい気なもんです。 ツェムリンスキーは最晩年のブラームスに認められて世に出た人です。前述の、マーラーが落ちたベートーヴェン賞の審査員にはブラームスも加わっていたそうで、ブラームスとの関わりで明暗を分けたような趣きがあります。 このクラリネット三重奏曲がブラームスに認められたその曲なわけですが、聴いてみてさほどの面白みは無いような気がしました。ただブラームス好みだったかな、という気はします。30分ほどの曲ですが、実際より長く感じました。 休憩をはさんで『嘆きの歌』ですが、その前に海老原さんが出てきてプレトークをしました。マーラー好きであることが如実に感じられる熱いトークでした。来年の初稿版演奏会の客集めの布石になっていれば良いのですが。 『嘆きの歌』は冒頭かなり長いオーケストラだけの部分があります。ここが退屈しなければ良いがと懸念していましたが、小笠原さんと稲葉和歌子さんの2台ピアノのアンサンブルはリハーサルの時とは段違いに良く、惹き込まれるものを感じました。 合唱も熱を込めて歌ってくれていました。数日前の合唱リハーサルで、ディクション指導の三ヶ尻正さんが執拗に注意し続けていた子音の迫力も、充分に伝わってきていたと思います。 少しだけ残念だったのは、メゾソプラノソロ(ほとんど主役)の三谷亜矢さんの声が、時々ピアノに埋没することがあった点です。これは歌う位置の問題もあったようで、テノールの倉石真さんが立っていた位置がこのホールの「スイートスポット」であったらしく、出番の割合からすれば三谷さんをそこに立たせるべきでした。まあそれはそれとしても、オーケストラがフルで鳴っている時にその低音域ではそもそも聞こえっこないだろう、とツッコみたくなるような書きぶりであるのは事実で、曲自体が「メゾソプラノ」ではなく「どアルト」を想定して書かれているように思われます。日本人には「どアルト」なんて歌手はほとんど居ませんので、やむを得ないことで、三谷さんのせいではないでしょう。歌が聞こえるようにピアノの音量を落とすというのも、この曲に関しては少し違うような気がします。 ともあれ迫力のある演奏でした。クライマックスの部分では思わず肌に粟を生ずるような気がしたものです。 終演後、「マーラーがこんなに良いとは思わなかった」などと話しているお客も居ましたから、まずは成功であったと考えて良さそうです。 (2012.8.31.) |