忘れ得ぬことどもII

「天と地とが」制作記

 2011年12月に、Chorus STとハンドベルアンサンブル「Handbell Ensemble YD」とのジョイントコンサートが予定されており、そのための新曲を作っていました。
 合唱とハンドベルのための作品などは、今まで作ったことがありません。というかハンドベルを使った作品自体がはじめてです。真似事のようなハンドベル(本物のハンドベルではなく、たぶんミュージックベルと呼ばれる廉価な楽器)の演奏に参加したことはありますが、本格的なハンドベルアンサンブルで、何ができて何ができないのか、やりやすいこと、やりづらいこと、あれこれがさっぱりわからず、かなり手探り状態です。
 音域とか、使える音の数の上限などは、YDの指導者の中尾幹さんに伺ったものの、それはまあ最低必要条件というべき事項に過ぎません。フルートやヴァイオリンといった、もっと親しいはずの楽器でも、リハーサルをしてみると案外と「演奏しづらい」「この形は無理」と文句を言われることがあります。ましてほとんど知らない楽器となると、かなり頭を使うことになります。

 ハンドベルというのは、本来鳴鐘術の練習のために作られた楽器だそうです。鳴鐘術というのは文字通り「鐘を鳴らす術」のことで、この鐘というのは教会の鐘です。教会の鐘は高い尖塔の上につけられていることが多く、鳴らすためには長い紐をタイミング良くひっぱらなければなりません。なんらかのメロディーを作るためにはかなりの熟練が必要とされます。
 有名なのはウェストミンスター寺院の鐘でしょう。「ド・ミ・レ・ソ、ド・レ・ミ・ド、ミ・ド・レ・ソ、ソ・レ・ミ・ド」という特有のメロディーは、学校の始業チャイムなどでも用いられています。これなどはきわめてシンプルなメロディーですが、寺院によってはもっともっと複雑なメロディーが奏でられる場合もあり、しかもクリスマスなどではそれが何時間も続けられると言います。

 ドロシー・L・セイヤーズ「ナイン・テイラーズ」というすこぶる長い推理小説があります。これがまさに鳴鐘術をテーマにした小説なのでした。豪雪で立ち往生した貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿が、立ち寄った寒村でクリスマスを迎え、鳴鐘要員がひとり欠けていると知って一肌脱ぐところから話が始まります。確か6時間くらい鐘を鳴らし続けて、終わってみると教会の小部屋で男が死んでいた、というストーリーです。
 ピーター卿が調べてみると、誰ひとりその男を殺せた人間が見つからず、一旦事件は迷宮入りになりかけます。数ヶ月後に村を再訪したピーター卿は、ひょんなことから真相を発見するのですが、推理小説として見た場合は若干拍子抜けするような結末です。
 そのため、

 ──推理小説としての薄さを、長々とした鳴鐘術の記述で煙に巻いている。

 というような評されかたをすることが多く、実のところさほど評価の高い推理小説とは呼べません。
 とはいえ、セイヤーズはおそらく、この小説を単なる「推理小説」として書いたつもりはなかったような気がします。「推理小説仕立てのマニア本」と見なしたほうが妥当かもしれません。「長々と」と言われる通り、鳴鐘術について何章も費やして詳述しているあたり、ほとんどヲタクと呼ぶべき執念を感じます。シャーロッキアン活動で堂々たる腐女子ぶりを発揮しているセイヤーズのことですから、何かに興味を持つと、とことん語りたくて仕方がなくなるのでしょう。
 ただ、ウェストミンスター寺院をはじめとして、教会の鐘を聞き馴れている英国人読者にはよくわかる記述なのだろうと思いますが、われわれ日本人には、鐘の鳴らしかたを蜿蜒語られても、よく理解できなかったりします。私も最初に読んだ時は、なんだかわかりませんでした。
 ハンドベルが鳴鐘術の練習用に作られたと聞いて、ようやくイメージが湧いてきた次第です。もう一度「ナイン・テイラーズ」を読み直してみようかと思っているところです。

 逆に言えば、ハンドベルの曲を作るのであれば、教会の鐘をイメージすれば良いのだろうと考え始めました。
 もちろん現在のハンドベルは、教会とは離れて、独立した楽器として扱われるようになっています。手許で操作できるお手軽さを活かして、図体の大きい教会の鐘ではとても不可能な素早いパッセージなども演奏することができます。
 ハンドベルがいちばん盛んなのは、英国ではなくてUSAだそうで、たぶんそちらではもはや教会とは関係なく、名人芸的なテクニックが磨かれてきているものと思われます。そして、「合唱とハンドベル」という編成の作品も、USAで数多く作られているそうです。
 Chorus STとHandbell Ensemble YDのジョイントが決まってから、いくつかそんな楽譜も目にする機会がありました。それらを参考にして自分の作品を書いてゆくわけですが、ハンドベルのための最初の作品であれば、やはり教会の鐘をイメージしたものを書いたほうが無難かもしれない、と思いました

 ジョイントが決まってから、東日本大震災があり、コンサートの内容も「祈り」といったテーマに沿って考える方針となりました。私自身も、そういう内容の曲を書きたいと考えました。
 新曲は、コンサートの幕開けに置かれることになりました。それで、のっけから合唱とハンドベルを一緒に鳴らすのではなく、ベルを先行させることにしようと決めました。
 Chorus STとHandbell Ensemble YDは、田端の同じ練習場所で、同じ曜日と時間帯に練習を入れているので、合同で練習することは可能ですが、それぞれの持ち曲もあるので、そうたびたびおこなうわけにはゆかなさそうです。そんな事情から、ベルを先行させるというのも単なる序奏ではなく、ある程度まとまった部分にし、しばらくはベルだけの演奏と合唱だけの演奏が交互におこなわれ、最後だけ両方が一緒になる、という構成を思いついたのでした

 次はテキスト探しです。
 詩を読んで思わず感動して曲をつける、ということが無いとは言いませんが、そういう純粋な衝動での創作は、私に限らず職業作曲家の場合、案外少ないのです。むしろ依頼者に呈示された諸条件から曲の内容や構成を決め、それに適った詩を探すケースのほうが多くなります。私の作品中では、構成が先行したものとしては『女声合唱のためのインヴェンション』などがあります。まず「合唱で本格的なフーガを書いてみたい」と思い、フーガという展開に堪える詩を探したら立原道造の短詩を発見した、という経緯でした。
 今回は、「祈り」というテーマに即すべく、最後に「希望」が残る内容の詩、しかもハンドベルと交互に歌うために聯立てが明確な詩、という条件で探したわけです。場合によっては書店の詩集コーナーで何時間も立ち読みを続けなければならないこともありますが、幸い手持ちの詩集の中で適当なのが見つかりました。
 まど・みちおさんの「天と地とが」という詩です。まど・みちおさんにしては──というと失礼かもしれませんが──かなり大上段に振りかぶった観のある内容なのですが、ラストに「……絶望と/その中からいつも生まれてくる/新しい希望……」という、まさに私の欲しかった語句が置かれていて、読んだ途端
 「これだ!」
 と思いました。タイトルが海音寺潮五郎の有名な歴史小説の題名と紛らわしいのが若干気になりますが。

 いよいよ書き始めたのは、出雲市のホテルでのことです。4月末から5月あたまにかけて、Tasty 4の大社演奏会を聴きに行った時ですね。
 もちろんホテルでは音を確かめることもできず、そんなに時間もありませんでしたので、思いついたところを走り書きしただけのことでしたが、とにかく中核モティーフができたのでひと安心でした。詩はほぼ各聯が

 天と地とがあるからのように

 という句で始まっていますから、この句に対応するモティーフができれば、あとはその展開を考えれば良いわけです。これで、合唱部分についてはだいぶ気が楽になりました。
 問題はやはりハンドベルの部分です。最後の部分は合唱とのアンサンブルになりますから、使い方の注意点はあるにしても、楽想的にはそんなに悩まなくても良さそうです。しかしハンドベルだけの部分には頭をしぼります。
 合唱の中核モティーフから、さらに小さなモティーフを取り出して、イメージの中にある「薄明の中から教会の遠い鐘が聞こえてくる」という雰囲気をなんとか作ることができました。それが冒頭の部分です。
 あと2箇所、ハンドベルだけの部分があります。そちらはもう思いきって、「1分以内に終わる程度の独立した小品」のつもりで書くことにしました。もちろん多少モティーフ的な関連は持たせますけれども。
 少々苦労しましたが、なんとか書けました。「1分以内の小品」というところで参考というか、なんとなく頭の中で鳴っていたのがバルトーク『6つのルーマニア舞曲』だったりしたせいか、微妙に東欧風な響きになってしまったかもしれません。

 昨日(6月3日)ようやく脱稿しました。5月中か6月はじめくらいまでには作るという約束でしたし、Chorus STの練習に持ってゆこうと考えた場合、練習日が金曜ですから、昨日持って行かないと、来週は事情があって練習が休みということになっていたのでだいぶ遅くなってしまいます。なんとか昨日の練習に間に合わせようと考えました。
 Finaleで楽譜を打ち込み終え、すぐ印刷にかかります。
 ところが途中でインクが切れたり紙が無くなったりして買いにゆかねばならず、それらを交換している間にプリンタの機嫌が悪くなってうんともすんとも言わなくなり(この現象はしばしば起こります。たぶん内部のデータ処理に手間取っているので、20分くらい放っておけば回復するのですが、急いでいる時はどうにもいらつきます)、時間ばかりがどんどん経ってゆくので閉口しました。
 ようやく印刷を終えて駆けつけると、もう練習時間も残り少ない頃になっていました。ただ昨日は最後にHandbell Ensemble YDのかたがたが合流する申し合わせになっていたので、楽譜をそちらにも渡せたのは幸いでした。
 Chorus STとHandbell Ensemble YDのジョイントコンサートは12月3日(土)晴海トリトンスクエア内の第一生命ホールで開催です。脱稿して楽譜を渡せたのが、正確に半年前であったのは、偶然とはいえなんだか幸先が良い気がしました。

(2011.6.4.)

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