忘れ得ぬことどもII

葬送曲「川口市民歌」

 川口市の元市長であった永瀬洋治氏が亡くなりました。私は直接の面識はありませんでしたが、川口総合文化センターリリアの建設を果たし、川口第九を歌う会の揺籃期にも後ろ盾になってくれた市長でしたから、間接的とはいえ関わりのあった人物と言えます。
 永瀬という苗字は川口市には妙に多くて、現在の市議にも永瀬秀樹氏が居ますし、「永瀬医院」「永瀬鉄工所」など町じゅうでこの名を見かけます。たぶん昔の大地主か小領主みたいな一族だったのでしょう。字の違う「長瀬」もわりに多く、そちらはおそらく分家の裔(すえ)なのだろうと思います。
 さて、ともあれその永瀬洋治前市長が今月の11日に亡くなったわけですが、長年の市政への貢献を評されて名誉市民の称号も持っていたため、来月市葬がおこなわれることになりました。市制が敷かれて以来3人目だそうです。名誉市民であって、なおかつ死亡時に市内に在住していなければおこなわれないらしいので、なかなか条件が厳しいようです。例えば演出家の蜷川幸雄氏も名誉市民でしたが、市内に住んでいなかったので、亡くなっても市葬はされませんでした。
 そういうレアなイベントですから、準備もなかなか大変そうです。遺骨の出入りの時に奏楽があるのですが、そのためにわざわざ某有名交響楽団から弦楽合奏を呼ぶという気合いの入れようです。
 ここで私が関わることになります。

 市の総務部長という人から電話があったのは、先週の中頃のことでした。
 「総務部長という人」などと他人行儀に書きましたが、やっぱり第九を歌う会のメンバーなので、ご本人は前から存じ上げていたことになります。ただ、総務部長であることなどは知りませんでした。所帯の大きな合唱団なので、個々のメンバーが何をしている人かなどということまでは、本人がアピールしない限りなかなかわかりません。しかし向こうからは、私がピアノを弾くだけでなく作曲や編曲もする人間なのだということを認識していたのでしょう。
 川口市には市民歌というのがあって、サトウハチローが作詞、團伊玖磨が作曲したというけっこう由緒正しい曲です。なんでも、永瀬前市長はこの曲を作るにあたっても、当時は市役所の職員として関わっていたそうです。サトウ氏や團氏に委嘱をしたりしたのでしょう。そういうゆかりのある市民歌であるため、葬儀の時にもぜひ流したいということになったようです。
 ただし、あいにくとこの市民歌はおそろしく元気で溌剌とした曲で、何やらラジオ体操にしてしまっても良さそうな曲調だったりするもので、葬儀の場にはなんとしても似つかわしくありません。そこで、

 ──葬送行進曲風にアレンジして貰えませんか?

 ……というのが、総務部長からの私への依頼でした。
 遺骨が入場する時にはショパン「葬送行進曲」を流し、会場から出てゆく時にこの市民歌の「葬送ヴァージョン」を流すというもくろみだったようです。
 ショパンの葬送行進曲と同じくらいのテンポに落とした市民歌を、7〜8分ばかり流し続けたいというのでした。
 他ならぬ自分の住まいする市のことではありますし、編曲料も公費から出ますので、私は即座に引き受けました。

 そしてすぐ着手したものの、これが案外頭を搾るはめになってしまいました。
 市民歌として存在する譜面は、ピアノ伴奏付きの歌の楽譜です。これを、歌無しの弦楽合奏に編曲しなければならないわけです。
 いちばん簡単なのは、第一ヴァイオリンに旋律を受け持たせ、第二ヴァイオリン以下
ピアノ伴奏の代わりを担当するというアレンジです。これはこれで、有効な方法です。しかしこの曲の場合はそうはゆきません。
 上記の通り、川口市民歌は大変に元気の良い、メロディーも伴奏も跳ね回っているような快活な曲想です。テンポはq=120(1分間に4分音符が120個)くらいでしょうか。
 一方、葬送曲としてのテンポは、q=60(1分間に4分音符が60個)くらいが妥当でしょう。原曲の半分くらいのテンポというところ。
 こんなにテンポが違うと、元のはずむような伴奏をそのまま移しただけでは、非常に間抜けな印象になってしまうことが目に見えています。
 また、この曲はフレーズの終わりが主和音(階名で言えばドミソの和音)であるところが多くなっています。主和音でフレーズを終えると、かなり強い終止感が出てきます。文章で言えばひたすら断定口調が続くようなもので、これまた元気良く断乎たる雰囲気にはなるものの、こまやかに悲哀を綴ってゆく葬送曲のイメージとは適いません。また、遅いテンポの曲でしばしば主和音が出てくると、正直言ってかなり飽きます。いつになったら終わるんだという苛立たしさをかきたててしまう結果になりそうです。
 伴奏形も、和音も、まったく違ったものを考えなければなりません。はっきり言って、メロディーだけ残してあとは総とっかえという体裁になりそうです。
 さて、歌はワンコーラス28小節です。4分の4拍子ですから、112拍あることになります。この計算だと、ワンコーラスを奏するのに2分弱というところです。7〜8分の長さにするためには、3コーラスか4コーラス繰り返す必要があります。前奏や後奏をつけることを考えると、3コーラスというあたりが良さそうです。
 BGMみたいなものですから、まったく同じことを3回繰り返しても問題は無さそうですが、それもなんだか沽券に関わるような気がして、やはり3通りのアレンジを施したいと思いました。

 ところが、そう簡単にはゆきませんでした。
 原曲と和音を変えることをリハーモナイズと言います。私は手練れの編曲者として、リハーモナイズがけっこう得意なはずなのですが、今回に限って、なかなか作業が進まないのです。
 哀しみを感じさせるようにと言っても、長調の曲を短調にするわけにはゆきませんので、長調のまま、少し重厚で心に沁み入るようなハーモニーをつけたいと思いました。そういうハーモニーというのは、実は瞬間瞬間で響いている単発の和音で決まるわけではなく、時間的に変化する和音進行によって生み出されるところが大きいのです。
 そこでいろいろ工夫して和音進行を考えてゆくのですが、行きたい和音に対して、メロディーがどうにも邪魔だ、という事態が頻繁に起こるのでした。メロディーそのものが快活明朗、元気横溢な動きをしているため、哀調のこもったような和音進行を拒否するところがあるのです。
 喩えて言うなら、赤塚不二夫の骨太で明朗なキャラクターに対して、寺沢武一っぽい背景と陰翳をつけて、しかも違和感の無いようにしろというようなものです(あんまりわかりやすくないかな?)
 いっそのことメロディーも少しいじってやろうかという誘惑にかられましたが、そこまでやってしまうともはや團伊玖磨の作品ではなくなってしまいます。
 ほとんど一小節ごと、ひどい時には一拍ごとに、実際に音を出して確認しながら進めるという、なんとも要領の悪い作業を続けるはめになりました。
 ようやくワンコーラス分のアレンジを終えて、ひと息つきましたが、あとツーコーラス分違ったアレンジなどできるのだろうかと不安になったほどです。

 私はこれまで何百曲も編曲の仕事をしてきましたが、今回のはその中でもトップクラスの歯ごたえだったと言って良いかもしれません。
 結局、「2番」はメロディーを低音部(チェロコントラバス)に持ってきて、上に軽めの伴奏をつけました。メロディーが上にある時と下にある時とで、和音進行は多少違ったものになります。2番のラストでは自分でも思いもよらなかった進みかたになってしまい、「3番」で元の調に戻れるか心配になったなんてこともありました。少し長めの間奏をはさむことで事なきを得ましたが、間奏はもちろん原曲には無く、完全に私のオリジナルです。
 3番はメロディーのオクターブを上げ、細かい音型で伴奏をつけました。その終わりのほうでは妙に盛り上がってしまい、

 ──あっ、葬送曲だった。

 と思い出して、あわてて後奏で鎮静化を図りました。
 なんとか昨日の午後、市役所を訪ねて総務部長に譜面を渡すことができて、ほっとしました。
 はたしてこのアレンジが、葬送曲として違和感のないものになっているかどうか、神のみぞ知るというところです。前市長が化けて出てこないことを祈るばかりです。

 ところで、ショパンの葬送行進曲のほうは、既成の弦楽合奏版の譜面があるはずだという話だったのですが、この件で総務部長の手助けをしているリリアのIさんが交響楽団に問い合わせてみたところ、そんなものは無いという驚きの返答があったそうです。
 それで、急遽こちらも私が編曲することになりました。
 自由業の身として、仕事が増えるのは喜ばしいことです。そして、ショパンの編曲は、市民歌の編曲に較べると、実のところはるかに楽な作業なのでした。
 なぜなら、最初から葬送行進曲として書かれた曲だからです。リハーモナイズの必要もないし、曲調を変えることもありません。大ざっぱに四捨五入して言ってしまえば、それこそ「ピアノをそのまま弦楽に移す」だけで済みます。
 もちろん、ピアノなら効果的だけれども弦楽ではそうでもない、というようなことはあります。ショパンのこの曲について言えば、中間部の左手の伴奏形などがそれに当たるでしょう。そういう部分は弦楽合奏らしい形に書き換える必要がありますが、そんなことは編曲の仕事としてあたりまえの作業ですから、ほとんど事務的にやることができます。
 実際、今朝から手をつけて、昼に外の仕事に出かけるまで作業しただけで、ほぼ半分近くまで書き上げることができました。この曲は3部分から成り、第1部分と第3部分は原曲ではまったく同じものですから、事実上は半分以上です。何しろ記譜ソフトで書いているため、「まったく同じもの」であればコピー&ペーストという強い武器を使って、瞬時に埋めることができるからです。手書きの時代はこうはゆきませんでした。
 そんなわけで、すぐに仕上がりました。あたかも赤子の手をひねるようなものです。
 ただ、簡単だということをあまりアピールしてしまうと、

 ──そんなに楽な仕事だったのなら、編曲料を少し下げさせてください。

 などと言われても困りますから、この件に関してはどうかご内密に……(笑)

(2012.2.25.)

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