京都の楽譜屋さんパナムジカが最近出版事業を始め、私の編曲集を出してくれることになりました。発行の日付は2013年5月1日ということになっていますが、今日(4月26日)あたりからそろそろ店頭に並ぶのではないかと思います。 「無伴奏混声合唱による中田喜直作品集『霧と話した』」というのが、今回刊行した本のタイトルです。以前、関西で活躍しているプロ合唱団「ザ・タロー・シンガーズ」で初演したものですが、同じ時に初演した中村八大作品集はすでにカワイ出版から刊行されています。しかし、中田喜直作品のほうは無理だと言われていたのでした。 中田先生が亡くなられて13年経ちますが、著作物管理などのために今でも事務所が存続しています。中田作品の合唱編曲は、その事務所が決してOKを出さないだろうと言われていたようです。カワイ出版の場合、中田先生ご自身による合唱編曲版を出してもいますから、余計に他の人間がタッチすることに神経質になっていたかもしれません。 そんなわけで、出版はできないと諦めていたのですが、思いがけずパナムジカから話があって驚きました。
どういう裏技を使ったのかと勘ぐってしまったのですが、担当者の話によると、裏技も何も、事務所に問い合わせてみたら、拍子抜けするほど簡単にOKが出たのだそうです。どうも、「中田作品の合唱編曲本は出版できない」ということ自体が、都市伝説みたいなものだったようです。
カワイ出版はもちろん、音楽之友社も全音楽譜も教育芸術社も、おそらくその都市伝説を信じて、手を出してはいなかったと思われますから、中田喜直作品の別人の手に成る合唱編曲本は、たぶんこれが最初のものになるのではないでしょうか。今まで、ありそうで無かった本の先鞭をつけることができたのはありがたい話です。もちろんパナムジカの目の付けどころの良さということになるでしょう。楽譜出版については駆け出しだからこそ、蛮勇をふるえたという点もあるかもしれません。
昨日サンプルが私の手許に届きました。あずき色と黒を基調としたシックなデザインで、どちらかというと原色系のカワイの本とは好対照です。
パナムジカは楽譜屋として、世界各国の楽譜店とコネを持っている会社です。そのおかげで、少なくともこと合唱楽譜に関しては、出版されていさえすればまず確実に取り寄せて貰えますので、重宝した人も多いと思います。私自身も何度か取り寄せたことがあります。
逆に、自分が出版した楽譜に関しても、日本国内のみならず、国外の流通を見据えているようです。それで、譜面に歌詞のローマ字を振っているばかりか、巻末の歌詞も、私の前書き(ザ・タロー・シンガーズの里井宏次先生のコメントもあります)も、英訳が併記されています。
自分の書いた文章が英訳されているのを見ると、なんとなく面映ゆいというか、自分の文章ではないような気がして、ついつい見入ってしまいました。なるほど、ここはこういう英語になるのか、と眼から鱗が落ちるような気持ちになったりします。実は、英訳されるというので、なるべく訳しやすいように、主語をあいまいにしないなどの配慮をして書いたのではありますが、それでも翻訳者にはだいぶ迷惑をかけてしまったかもしれません。
収録曲は表題作「霧と話した」のほか、「さくら横ちょう」「夏の思い出」「サルビア」「ちいさい秋みつけた」「雪の降るまちを」の全6曲です。「霧と話した」を表題作としたのは編集者の好みだったようです。
もちろん、これらのタイトルもみんな英訳を伴っています。「霧と話した」は「Talked with a fog」で、まあ順当と言うべきでしょうが、「ちいさい秋みつけた」などどうなるのだろうと楽しみにしていました。できてきたのを見ると、「A found a tiny autumn」となっており、なるほどと舌を巻きました。そして
──誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
のところは、
──Someone someone someone has found
確かにその通りだろうとは思いますが、Someoneを3回繰り返すことの意図というのは、この英文を読む外国人には伝わるんだろうか、とちょっと心配だったりします(笑)。
6曲中、「夏の思い出」だけは書き下ろしです。ザ・タロー・シンガーズで初演した時、「夏の思い出」も演奏したのですが、南安雄さんの既成の無伴奏合唱編曲があったので、そちらを使っていたのでした。今回本にするにあたって、「夏の思い出」も私自身のアレンジで入れたいということだったので、あらたに編曲したわけです。他のものはタローによって録音されたCD「上を向いて歩こう」(ジョヴァンニ・レコード)に収録されています(なぜか「ちいさい秋みつけた」は割愛されています)が、「夏の思い出」は音源が無いことになります。
中田喜直の歌曲というのは、ピアノが重要な位置を占めています。単なる伴奏ではなくて、音楽的発想の根本に関わるような存在となっています。中田先生ご自身が「ポピュラー歌曲」と規定していたもの、今回の収録曲で言えば「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」「雪の降るまちを」はまだ
──ピアノでなくても。
というところがありますが、「芸術系歌曲」と呼ぶべき「さくら横ちょう」「サルビア」「霧と話した」のほうは、「独唱とピアノ」という形態を崩してしまうと、音楽的価値そのものが半減してしまうと言って良いでしょう。その意味では確かに、安易に編曲などできないという「畏れ」を感じざるを得ませんし、編曲集を出すことに各出版社が尻込みしていた──というか、事務所が許可を出すまいという決めつけをおこなってしまっていたのもわからないではありません。
編曲したことによって損なわれる音楽的価値を補うに足るだけの、あらたな付加価値を創造しなければ、あまり意味のない企てということになってしまいます。
そのためには、ピアノ伴奏部分を合唱の主旋律以外のパートに移すという方法をとるわけにはゆきません。あくまで、「最初からアカペラコーラスのために作られた楽想である」という考えかたで発想してゆかなければならないわけです。
少し大げさですが、私はこの編曲をする時、リストの気分になっていました。リストは大作曲家で大ピアニストですが、大編曲家でもあり、自作他作のピアノ用編曲作品をオリジナル作品と同じくらいの分量残しています。その中には『パガニーニによる大練習曲』とか「愛の夢」のように、れっきとしたピアニストのレパートリーになっているものもありますし、圧巻なのはベートーヴェンの9曲の交響曲をすべてピアノソロにアレンジしたことでしょうか。
リストは、当時世の中にあったあらゆる音楽が、1台のピアノで演奏可能だという信念のもとに編曲を続けたのです。そしてその根底にあったスタンスは、シンフォニーでもオペラでも歌曲でも、一旦もとの編成を捨象し、「最初からピアノのために作られた楽想である」と考えることでした。この辺が、他のピアノリダクションの作り手とは一線を画すところだったでしょう。リストにとってピアノ用編曲は、リダクション(補正)などではなく、まさにリクリエイト(再創造)にほかなりませんでした。まあ、それゆえにむしろ、パッセージのニュアンスがどれもこれも似たり寄ったりな雰囲気になってしまったきらいはありますが、ともかくリストは、オリジナル曲と同じくらいの意気込みを編曲にも向けていたようです。
こんな大家と同じ気分になるとはおこがましいことですが、しかし私も「リクリエイト」のつもりにならなければなるまいと腹を据えたのでした。
たぶん、ピアノの美しい分散和音が続く「さくら横ちょう」が、いちばん原曲と離れた形になっていると思います。途中の小節数まで変えてしまっていますので、原曲を歌ったことのある人には違和感を禁じ得ないかもしれません。
レチタティーヴォの連続というべき「サルビア」も、そのままの形では合唱曲にはなりません。ピアノによる烈しい間奏のイメージをどう表すか苦心しました。
その点「霧と話した」は、わりと原曲のピアノの雰囲気を移すことが可能でしたが、繰り返しが多いので、4番あたりでは相当自由な処理をおこないました。
編曲したのはもう6、7年前のことですので、なんでこれらの曲を選んだのだったかよく憶えていません。たぶん里井先生からの提案だったのではないかと思います。
いずれにしろ、プロ合唱団であるザ・タロー・シンガーズの委嘱によるものだけに、合唱曲としての演奏難易度はかなり高くなっています。意欲的なアマチュア合唱団も増えていますが、なかなか一般に広く歌われるというわけにはゆかないかもしれません。むしろパナムジカのもくろみどおり、海外の合唱団などが扱ってくれるようになればありがたいことです。しかるべき海外合唱団が日本公演の時に歌ってくれて、逆に日本の合唱団に普及するというような形も、皮算用とはいえ、考えられないではありません。
ともあれ合唱人の皆様、店頭で見かけたらぜひお手にとっていただければと存じます。
(2013.4.26.)
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