忘れ得ぬことどもII

オリジナルオペラの計画

 板橋区演奏家協会のコンサートシリーズである「ライブリーコンサート」では、世界のナベアツ氏(現桂三度師匠)ではありませんが、3の倍数の回にはオペラ公演をおこなっています。2015年には記念すべき第100回を迎えるのですが、はじめてオリジナルオペラに挑戦することになりました。まあ、私が持ちかけ、役員会に企画書も出してゴーサインが出たわけなのですが。
 オペラ公演では、フルオーケストラを使うわけにはゆかず、私が「板橋編成」と呼んでいる独自の小オーケストラの形に編曲しており、毎年大変な想いをしているわけですが、オリジナルオペラとなるとその大変さは比較になりません。まず台本制作、それから作曲をおこなわなければならず、練習にも時間がかかります。なんと言っても、これまで誰も演奏したことのないオペラですので、歌も演技も、参考にすべき音源やらDVDやらが存在しないわけです。
 そういうわけで、2年前にあたる今頃から早々と動きはじめています。当分は私ひとりの作業になりますけれども。
 来年の春頃、「トゥーランドット」の編曲作業が本格化する前には、主な部分の作曲を済ませたいとは思っていますが、さてどうなることやら。今のところ、まだ台本のあらましを構想している段階です。

 ストーリーまでまったくオリジナルということになると、板橋区立文化会館の大ホールをある程度埋めるだけのお客を呼ぶのが困難だと思われますので、原作付きということにしました。それでしばらく前に、ネタをあれこれ探していました。
 演奏家協会で初演するオペラですので、協会のリソースをなるべく活用するべきでしょう。はっきり言えば、女性、少なくとも女性の演ずる役がわんさか出てくる物語が望ましいと言えます。既成のオペラというのは、意外と女性キャストが少ないことが多く、「フィガロの結婚」の5人(伯爵夫人スザンナマルチェリーナバルバリーナ、そして少年役のケルビーノ)などというのは破格の多さです。「ドン・ジョヴァンニ」も3人(ドンナ・アンナドンナ・エルヴィーラツェルリーナ)出てきますがこれだって多いほうです。ロマン派以降になると、いいところふたりというのが多くなり、「ラ・ボエーム」ではミミムゼッタ「トゥーランドット」トゥーランドットリューだけです。合唱とかモブ役でこの他に多少出てくることもありますが、どうしたわけか「主要な女性キャストはふたり」というのが原則みたいなことになってしまいました。
 それで毎年のオペラ公演でも、本来男性が演ずるべき役を女性に振ったりして、なんとか協会員を活用しようとしているのですが、いかんせん限界があります。一方で、男性キャストはいつも足りなくて、外部から呼んでくるはめにおちいっています。
 オリジナルオペラは、男性キャストが少なく女性キャストが多いという形態にしなければなりません。そういうネタを探したのですが、なかなか見当たらないので困りました。

 そんな時に、確かマダムが、
 「『マイ・フェア・レディ』みたいに、メイドさんが何人も出てきて一緒に歌うようなのがあるといいのにね」
 と呟いたのだったと思います。あとどういうつながりだったのか憶えていないのですが、「屋根裏部屋」がどうとか言いました。
 「メイドさん」と「屋根裏部屋」でひらめきました。バーネット女史の「小公女(A Little Princess)」です。

 「小公女」であれば、舞台が女子寄宿学校ですから、登場人物はほとんど女性で占められます。男の登場人物も居ますが、必ずしも舞台上に乗せなくとも構わない役柄が何人か居り、まず演奏家協会のメンバー中で間に合いそうです。
 女性キャストとしては、主人公のセーラ、副主人公というべきベッキーミンチン学院長とその妹のミス・アメリアの他、生徒役が少なくとも4人(アーメンガードロッティラヴィニアジェシー)必要ですので、最低8人の歌い手を使うことができます。原作にはあと、セーラ付きのメイドだったマリエット、乞食娘のアン、それにパン屋の女主人料理番、それにカーマイケル弁護士の娘たちなども登場しますが、それらを全部舞台に出すには及ばないでしょう。何人かピックアップできればと思います。
 この物語がオペラとして書かれたことは、マイナーなものとしてはあるかもしれませんが、メジャーな作品としては私は知りません。これから私たちが作るのがメジャーになるとは思いませんが、ともあれ既成作品によるイメージ固定はなされていません。世界名作劇場アニメの「小公女セーラ」はある程度固定化を促したかもしれませんけれども、もうけっこう前になりますし、やはりアニメとオペラとでは話が違うでしょう。
 ただいくつか問題はあります。まず、この完全な洋ものの話を、日本人である私がオペラとして書く正当性のようなものに、やや疑問を感じないでもありません。別に題材は自国の話に限るということでもありませんし、今まで書いた3つのモノドラマの舞台はそれぞれ古代ギリシャ(「蜘蛛の告白」)、古代中国(「孟姜女」)、中世フランス(「愛のかたち」)だったりするわけですが、近代英国が舞台である「小公女」の場合、イメージが明確すぎてかえって書きづらいような気がします。
 それから、主人公の年齢が、原作どおりであれば7歳から11歳という、非常に低いものである点も、どうなんだろうかと首を傾げてしまいます。まあオペラの場合は、ド迫力のおばちゃん歌手が15歳(!)の蝶々さんを演じても許されるわけですが、7歳というのはやはり少し幼すぎではないでしょうか。「ヘンゼルとグレーテル」あたりはもっと低年齢かもしれませんが、あれは全体がファンタジーなので気にならないのではないかとも思います。台本中に年齢を明記しないようにして、設定的にもあいまいにしておくほうが良さそうです。

 実はそれらの問題を回避するべく、ネタ本としてもうひとつ候補を考えていました。宮澤賢治の未完成稿である「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」という話で、のちに「グスコーブドリの伝記」として完成された物語の初稿にあたるものです。グスコーブドリのほうも、どこだかよくわからない国が舞台になっていますが、初稿たる「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」はもっとぶっ飛んで、全体が化け物の世界の話ということになっています。
 登場するのはみんな化け物なので、演じるのが男だろうと女だろうと大した問題ではないというのが私のもくろみでした。主人公の青年期以降は男が演じたほうが良いでしょうが、あとは融通無碍に役を配してゆけば良いと思いました。それに、正真正銘国産のストーリーであり、なおかつ日本を舞台とした話ではないという点が、われわれのオペラにちょうど良いような気がしました。
 「グスコーブドリの伝記」は林光がオペラにしていますが、私はこの初稿版のほうが面白いと思っています。人間世界から離れて化け物の世界を舞台にしているだけに、はるかに奔放に想像力を噴出させています。
 グスコーブドリは、火山局の局員となり、最後に噴火の被害を防ぐために危険な地域にひとり残ります。一方ペンネンネンネンネン・ネネムは、いきなり「世界裁判長」というえらい地位に抜擢され、自他共に認める名判官として名声の限りを得ますが、あるとき調子に乗って自ら罪を犯してしまい、その償いのために「太陽のトゲ」を抜くため二度と帰らぬ旅に出ます。
 いずれも自己犠牲によりその生涯を完結させるわけですが、たぶん敬虔な日蓮宗徒であった賢治は、初稿版のネネムの「償いのための自己犠牲」にどこか偽善を感じたのかもしれません。決定稿のブドリは「無償の自己犠牲」によって生命を絶ちます。賢治にとっては、そのほうがより尊いことだったのでしょう。
 しかし現代に生きるわれわれは、賢治よりももう少し人が悪くなっており、ブドリの「無償の自己犠牲」にかえって欺瞞を覚えてしまいます。何をひとりだけ良い子ちゃんになっているんだ、と、じれったい気がするのです。それよりは、他人を裁く立場にありながら罪を犯してしまい、自らを裁く意味で決死の旅に向かうネネムの姿のほうが、よほど感動的であり、またリアリティを感じることができると思います。
 そんなこんなで、こちらの案にも私はかなり惹かれていたのですけれども、役員会に両案を持って行ったところ、圧倒的に「小公女」を支持する声が強かったので、ひっこめた次第です。支持の理由は、やはり知名度の問題が大きいようでした。
 「『小公女』で良かったの? ホントはもうひとつのほうをやりたかったんじゃない?」
 と親切に訊いてくれた人も居ましたが、そういうわけではありません。ただペンネンネンネンネン・ネネムのほうも、いつかは形にしてみたいと思っています。

 さて「小公女」をきちんと読んだのは子供の頃のことで、しかも子供向けの抄訳本でしたし、大体のストーリーは憶えているにせよ、細部はあやふやでしたので、あらためて全訳本を入手して読んでみました。新潮文庫で出ている伊藤整訳の本で、絶版にはなっていなかったものの近くの書店ではなかなか見つからず、池袋ジュンク堂でようやく買えました。それにしても訳者が伊藤整であったというのは驚きでした。
 いろいろ古い言い回しが多いですし、ヒロインの名前も現在ではセーラと書くのが一般的ですが伊藤訳では「サーラ」となっています。原文はたぶんSarahではないかと思われ、アメリカ英語であれば[sèirə]と発音するべきでしょうが、英国英語だとどうなるのか微妙です。ミンチン先生の学校は「神聖女子学校」と訳されていましたが、この原語はホーリー・ガールズ・スクールで良いのでしょうか、どうも原書のほうも一応眼を通す必要があるかもしれません。
 細かいエピソードなどはすっかり忘れていたようです。あるいは読んだのが抄訳本だったので、もともと私の知らないエピソードもあったのかもしれません。
 読んでいるうちに、おぼろげに全体の形が浮かんできました。まず冒頭の、セーラが父親に連れられてロンドンに来るあたりの描写は省略して良いでしょう。言い換えれば、父親は登場させなくて良さそうです。新入生を迎える側の学校の様子から開幕することにしたいと思います。合唱でミンチン女学院の校歌というか、頌歌みたいなものを歌うところからはじめることになりそうです。その途中でミンチン先生とミス・アメリアの掛け合いが入り、ふたりのキャラクターを浮き彫りにしてゆきます。
 フランス語の授業がらみでミンチン先生が面目を失うシーンは外せないと思いましたので、デュファルジュ先生は登場させたいと思います。デュファルジュ先生は原作では男性のようでもありますが、女性に変えても問題は無さそうなので、女声役にしてしまおうと思っています。この部分、本当にフランス語の歌詞を使ってやろうかと考えており、フランス語に堪能なマダムの協力を仰ぐつもりで居ますが、堪能と言っても韻を踏んだ詞を作れるかどうかは微妙で、まあどうなるかわかりません。
 父の訃報が届くところで第一幕終了ということにする予定ですが、この場面で原作に登場する弁護士などは出さなくても良いでしょう。
 街でのエピソードであるカーマイケル家とのからみ、パン屋のシーンなどは省略しても良いと思うのですが、それによって物語がどうつながるか、もう少し検討の必要があります。

 いずれにしろ、作曲のことを考えると、そろそろ台本制作にとりかからなくてはならない時期にかかっているように思われます。台本は他に頼んではどうかという話もあったのですけれども、やはり自分で書いたほうがあとあと扱いやすそうなので、頑張ってみます。
 まだろくろく形になっておらず、決意表明みたいなエントリーになってしまいましたが、今後も時々触れてゆきたいと考えています。

(2013.8.28.)

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