忘れ得ぬことどもII

朝日新聞の栄光と凋落

 かつて「クオリティ・ペーパー」とまで称賛されたことのある朝日新聞が大揺れになっています。
 朝日新聞のスタンスが「左寄り」であることは、別に最近にはじまったことではなく、昔から指摘されていました。私が中学生くらいの頃にもすでにそういう言われかたをしていた記憶があります。
 ただそのくらいの時代、1970年代後半〜80年代はじめごろには、「左寄り」であることは、一般には欠点とは見なされていませんでした。むしろ反体制、反権力という姿勢は正しいことであり、格好の良いことであり、ジャーナリズムはかくこそありけれ、というような受け止めかたをされていました。そういう時代であったために、「クオリティ・ペーパー」などという過褒もおこなわれていたのだと思います。
 良い大学・良い会社に入ろうとするならすべからく朝日を読むべし、というような風潮もありました。実際、入試問題が「天声人語」から引用されるということも珍しくなかったようです。

 社会全体が「左寄り」であったとも言えます。思い起こしてみれば、実際には思想的な左右の問題というよりも、単なる平和ボケであったような気もしますが、軍事的なことを考えること自体がけしからんことで、当然自衛隊在留米軍も悪の権化みたいなもので、戦前の日本は「気の毒なアジア」を侵略しまくった悪魔みたいなもので徹底的に否定し去るべきものである、といったような空気が、ごく普通のものとしてありました。
 朝日新聞は、そういった空気に見事に適合していたと考えられます。その空気自体をほかならぬ朝日が創り上げていたのではないか、という疑問も無いではありませんが、そこまで陰謀論的に考えることもないでしょう。もともと朝日新聞は、戦時中はきわめて好戦的に読者をあおっていた経歴もあり、おそらく社会を覆う空気に非常に敏感で、「こういう論調にすれば売れる」という見極めがうまかったのだと私は思っています。
 反体制・反権力──ということはつまり当時としては「反自民」というスタンスが、多くの国民に共感され、格好の良いものだと受け取られたために、朝日新聞はそちらの方向に最適化を繰り返して行ったのではないでしょうか。そして実際、ぐんぐん部数を伸ばしました。部数そのものは読売新聞に及ばなかったかもしれませんが、

 ──読売は大衆が読む新聞。いささかなりとも知的な層は朝日を読むものだ。

 というような印象づくりにも成功し、読者のささやかな虚栄心も満たすことができたために、ますます人気が高まったのでした。
 まさに1980年ごろこそ、朝日新聞の絶頂期であったと言えそうです。

 82年に、「世紀の大誤報事件」とも言われる教科書誤報事件が起こります。当時の文部省が、歴史教科書の検定で、「華北への侵略」という記述を「華北への進出」と書き替えさせたという風聞が流れ、各新聞社が一斉に報じたというものです。戦前の日本の侵略行為を正当化し糊塗するものだとして大騒ぎになりました。
 しかしほどなく、そんな書き替えを強要した事実は無かったことが判明しました。真っ赤な誤報であったのです。
 この時に誤報を一面で全面的に謝罪したのは産経新聞だけで、他の新聞は一応謝罪はしたものの扱いは小さなものでした。朝日新聞も産経に遅れること半月、一面ではなく「読者と朝日新聞」という囲み記事でとりあえずの「おわび」はしましたが、「『侵略』→『進出』今回はなし」というような歯切れの悪い見出しで、「ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか」責任の主要部分を政府に押しつける論調を展開していました。この論調、いまとなっては「ははあ」と思い当たるかたも多いでしょうね。
 この誤報事件から教科書の「近隣諸国条項」という、独立国として相当に屈辱的な規制項目ができてしまったのですから、各新聞社の罪は重かったと言わざるを得ません。自国の教科書を作るにあたってまわりの国々の感情に配慮するなどということをしている例は他に無く、中国韓国に対する官民上げての異常なまでの遠慮は、この時にはじまったと言えるのです。
 「クオリティ・ペーパー」であった朝日新聞にとっても、この事件は大ポカであったはずですが、はたしてこの大ポカを真摯に反省したかどうかは疑問です。他の新聞も足並み揃えての誤報であったために、罪悪感が薄められたのは確かでしょう。上記の囲み記事に見られるように、「より本質的な責任」を政府などに押しつけて逆に批判する、という態度が、次第にあからさまになりつつありました。いまで言えば「逆ギレ」というヤツですね。
 遺憾ながら、この

 ──われわれにも落ち度はあったが、本当に悪いのは政府のありかたなのだ。

 という逆ギレ論理が、当時の読者たちに意外と受け容れられてしまったことが、長い眼で見た場合の朝日新聞の不幸だったように思われます。そのころは自民党の超長期安定政権であったため、国民も飽き飽きしていたところがあり、政府・自民党が悪いのだと言われれば「そうだそうだ」と雷同してしまう傾向があったことは否定できません。
 朝日新聞は、いわば「味をしめて」しまったと言えます。自身がミスを犯しても、より大きな責任を政府などに求めて攻撃すればそれで通ってしまい、自分たちはそれほど批判を受けないという行動パターンが身についてしまったのです。
 また、70〜80年代の社会の風潮に過剰適応してしまったとも言えます。気候の大変化についてゆけずに滅びた恐竜と同様、ある時代に過剰適応した存在は、次の時代にはうまく適応できずに衰退の道を歩んでしまうのが常なのです。

 朝日新聞に疑問符をつける人が目立って増えたのは、89年サンゴ事件あたりからかもしれません。沖縄のサンゴ礁に醜悪に刻まれた「K・Y」という文字。写真を見た人は、なんとひどいことをするのだろうと思ったものでした。記事は日本人の救いがたいモラル低下を嘆いていました。
 これがまったくの捏造記事であり、K・Yの文字は記者が自分で刻んだものであったと判明したのは1ヶ月ほど経ってからでした。それも最初は、「うっすらとした文字をはっきり撮影するためストロボの柄で少しこすった」などと言い逃れていたのですから、見苦しいことこの上ありません。モラルが低下していたのは朝日の記者のほうであったのでした。
 こちらはさすがに、どうこじつけても政府のせいにはできません。朝日新聞は白旗を揚げるしかありませんでした。
 「K・Y」は近年になってまた脚光を浴びています。「空気を・読めない」の略として使われていますが、サンゴ事件が無かったらそんな流行語は生まれなかったでしょう。
 朝日としては、謝罪もしたのだしこの事件は一件落着、と考えていることでしょうが、読者のほうはそうはゆきません。

 ──もしかしたら、他の記事にも虚報や捏造が入っているのではあるまいか?

 と疑念を抱くのは、むしろ自然なことであろうと思います。

 80年代初頭に絶頂期にあった朝日新聞は、
 「多少ソースがあやしげな報道であっても、政府や社会を攻撃してさえいれば読者はついてくる」
 という「成功体験」を持ってしまったのです。
 「市井のオピニオンリーダーになるような知的な層には絶大な信頼を得ているはずだ」
 という自信も肥大していました。そこに陥穽があったのです。
 朝日新聞が予想していなかったのは、インターネットのこれほどの急速な普及だったでしょう。ネットの普及そのものは認識していたと思いますが、例えば報道などに関して言えば、どうせ自分たちが主な牽引役になるだろう、と多寡をくくっていた気配があります。つまり、コントロールできるつもりでいたと思われます。
 ところがネットは誰の予想も上回るようなペースで拡大し、精密化しました。各社の報道を読み比べることも誰にでも簡単にできるようになりましたし、日本だけではなく海外のメディアを参照することも容易です。それどころか、いわゆる「一次ソース」、新聞記事のもとになった出来事を検証することさえ可能になりました。各新聞が、どのような切り口でその出来事を扱っているかということが、一目瞭然となったのです。言い換えれば、手品の種が明かされてしまったのでした。
 朝日新聞の、驚くほど偏ったスタンスでの報道姿勢がはっきりしてきたのは、まごうことなくネットの力によるものです。「左寄り」ということは昔から言われていたにせよ、自分の論調に合うように報道内容を選択しているくらいならまだしも、報道する事実そのものをねじ曲げたり、あるいはK・Y事件のように捏造したりすることが、あまり罪悪感無しに──というよりむしろ一種の使命感のようなものを持って──おこなわれているとあっては、もう報道機関ではなくどこかの機関紙ではないか、と思われはじめたのも無理はありません。
 象徴的な例が、第一次安倍政権の終焉にあたり、「アベする」なる言葉が「無責任にばっくれる」という意味合いで女子高生のあいだで流行っている……という記事でした。
 そんな言葉の流行などまったく無いことが、ネットを介してたちまちのうちに検証されました。「アベする」なる言葉は、記者の創作であったのです。その言葉を使っていたという女子高生も、記者の想像の産物に過ぎませんでした。だいたい若者言葉として「アベする」はどう考えてもおかしく、もし「安倍」を動詞化するなら「アベる」となるはずです。
 この検証を受け、ネットでは「アサヒる」という言葉が、こちらは本当に流行しました。自分の主張のために嘘話を創作するというような意味合いです。

 その後、民主党政権となりました。朝日新聞の政府攻撃の舌鋒が眼に見えて鈍ったのは、あまりにあからさまであったと言えましょう。自民党政権の時ならば決して見逃さずに意地悪くつつきまわしていた政治家の片言隻語に対し、妙に寛容になったことは、誰の目にも明らかでした。朝日側も、読者にそう思われていることは自覚していたようで、「できたばかりの政権なのだから、しばらくは見守りたい」というような社説が出たこともありました。
 しかし、もう騙される人は少なくなっていたようです。朝日新聞は反体制・反権力の雄などという格好良い存在であったわけではなくて、ただ単に自民党嫌いの左翼機関紙に過ぎなかったらしい……という失望感が拡がりました。反体制・反権力なら、政権与党になった民主党にも批判的であるべきでした。
 時代も移っていました。70〜80年代には「格好良いこと」であった「左寄り」が、21世紀に入ると「バカじゃないの?」と言われるような立ち位置になってきたのです。近隣諸国とか国際社会とかいうものが、憲法前文に記されているような、善意と公正さに満ちあふれた平和なものではなく、むしろ悪意と攻撃性に満ちているものだということを、平和ボケだった日本人も、湾岸戦争9.11テロ尖閣問題や韓国の狂信的反日言動などをまのあたりにして、さすがに理解しはじめました。USAのプレゼンスも低下しており、このままではまずいことになると考える人が多くなりました。そんな中で十年一日のように「戦争ハンターイ」「原発ハンターイ」などなどと叫び続けている手合いが浮いてきてしまうのは当然の流れでした。
 「欧州の左翼は自国のことを何より大切に思っているのに、日本の左翼は自国を解体しようとしている」とも言われます。自国を貶め、骨抜きにして、例えば中国のような国の前に身を捧げるに等しいような言動ばかりしているので、そう思われるのも無理はありません。私は「自国を(意図的に)解体しようとしている」というほど悪質なのはひとにぎりで、多くは70〜80年代に主流であった空想的平和主義から抜けられないだけだろうと思っていますが、とにかくいまとなっては、「お花畑」と揶揄されるような考えかたになってしまいました。
 機を見るに敏なかつての朝日新聞であれば、この辺で方針の大転換があっても不思議ではないのですが、あいにくと、70〜80年代に過剰適応してしまった朝日は、それほど軽快には動けなくなってしまっていました。肥大化した鈍重な怪獣のようになっていたのです。

 そして、先日の「慰安婦」問題での誤報認定です。
 故吉田清治氏の「慰安婦狩り」なる「小説」が記事になったのは、教科書誤報事件とほぼ同じ頃の83年でした。済州島で年端も行かぬ少女たちを暴力的につかまえて連行し、前線に送って兵士たちの性欲処理の道具にした、という吉田氏の「手記」が、実際にはフィクションだったということは、わりに早い時期に検証されていますし、吉田氏自身もしばらくごねたあとに認めています。しかし、これを報じた朝日新聞は、長いこと訂正することもなく、「事実」としてこの問題を扱っていました。
 さらに91年、「日本軍に強制連行されて従軍慰安婦にさせられた」と名乗りを上げた人物が現れ、朝日新聞はスクープとして報じました。しかしこの人物は、スクープ記事を書いた当の記者の妻の母親であり、その後詐欺容疑で韓国の警察に逮捕されています。見るからにヤラセとしか思えません。
 「日本軍の命令で、多くの朝鮮人の若い娘が従軍慰安婦として強制連行され、前線の慰安所で筆舌に尽くせぬような性的暴行を受け続けた」
 というストーリーは、その後何度かの微修正を受けながらも、確乎とした「歴史的事実」として認定されてしまったふしがあります。このストーリーを作り上げた責任者はどう考えても朝日新聞です。そのおかげで日本人がどれほど道徳的に貶められたことか。
 反日を国是とする韓国では、もう完全にこれが「史実」とされているようです。疑問を差し挟む者には「歴史を直視せよ」という怒号が飛びます。最近ではさらに尾ひれがついて、強制連行されて「従軍慰安婦」となった朝鮮人女性は20万人などということになっています。
 「20万人もの非戦闘員を連れ歩けるわけがない」
 「20万人も若い女性を連れて行かれて、暴動ひとつおこらなかったのか」
 「そもそも当時の朝鮮半島の官憲は、日本人は少数でほとんど朝鮮人だったのに、そんなことができたのか」
 等々、すぐに思い浮かぶ反論はいくつもありますが、韓国側にはすべて「妄言」で片づけられてしまいます。実際には、20万人というのは、戦時中に「勤労挺身隊」に動員された女性の総数であり、その中の大多数は当然ながら内地の日本女性でした。
 さすがに日本国内ではストーリーに疑問を持つ人も多く、さまざまな検証がなされました。結局、軍が慰安婦を強制連行した証拠はなにひとつ見つかっていません。いちど「軍の関与の証拠」とされた戦時中の新聞記事が出ましたが、それは悪質業者を取り締まれという命令に関するものでした。要するに慰安婦を集めていたのは民間業者であり、その中には女性を騙したり、あるいは無理強いに連れて行ったというケースもあったらしいのです。それを取り締まれというのは、関与と言えば関与に違いありませんが、批難されるようなことではありません。
 「慰安婦」と呼ばれる女性たちが居たことは確かだが、それは民間の経営する娼館の従業員(プロフェッショナル・キャンプ・フォロワー)であり、高額の給料や花代も貰っており、借金を返したのちは廃業することも自由だった……というのが、現在までにほぼ明らかになったいわゆる「従軍慰安婦」の実態であるようです。客である兵士を拒否することもできたようですし、あるいは兵士たちと仲良くなって休日(休日もあったようです)にピクニックに行ったなんて話もあります。どう見ても、最近急に使われはじめた「性奴隷」などという言葉に該当するものではなさそうです。
 そして何より、大半は日本人女性でした。朝鮮人慰安婦ももちろん居ましたが、どんなに多くとも半分には達していなかったはずです。
 「従軍慰安婦」であった、と称するおばあさんたちの悲惨な証言もありましたが、仔細に検討すると、連行された状況とか年齢とかが合わず、大東亜戦争の話ではなくて朝鮮戦争の時のことだったんではないかと疑われます。
 そういうことはネットでは盛んに検証されていましたが、火元である朝日新聞は依然としてだんまりを決め込んでいました。と言うより、次々と明らかになる反証に対し、牽強付会や論点すり替えなどあらゆる手を使って反論してきました。強制連行の証拠が無いと言われれば「意志に反して連れて行かれたのならば広義の強制だ」→「強制性の問題ではなく、悲惨な境遇に居た女性が居たということが問題だ」、軍の関与の証拠が無いと言われれば「慰安婦の健康診断なども軍がしていたのだから関与が無いとは言えない」、高給取りであったと言われれば「自分の意思で外出もできなかったのだから、いくら高給を貰っていようが人権がふみにじられていたことに変わりはない」等々……
 それがこのたび、ようやく「吉田証言」が虚構であったことを公式に認めたわけです。
 どういう風の吹き回しかわかりませんが、日本政府の「河野談話」検証に対抗して韓国政府も検証をおこなうという話があって、そうなればこの騒動の中で朝日新聞のはたした役割が明らかになってしまうと考えられ、その事態を恐れたとも言われています。確かに韓国側が検証をおこなおうとすれば、「日本の朝日新聞によれば……」というくだりが頻発することは想像できます。検証がしっかりおこなわれ、それをじっくり読まれれば、韓国が日本を批難しているいろんな事柄の出どころの大半が朝日新聞であることがわかってしまうでしょう。

 「根本教典」である吉田証言が虚構であった以上、「従軍慰安婦」についてのさまざまな「神話」も瓦解すると考えるのが普通でしょうが、朝日新聞はそう考えていないようです。
 吉田証言にあった「済州島での慰安婦狩り」は確かに虚構で、天下の朝日たるものがすっかり騙されてしまい、そこは認めるけれども、「従軍慰安婦」のストーリーそのものは事実である、と言い張っており、もちろん誤報の謝罪などはしていません。「一面で謝罪記事を載せるのが朝日新聞のためですよ」と忠告した評論家に対し、朝日の社長が「歴史的事実は変えられないのだから、謝るようなことではない」と突っぱねた話も伝えられました。なんだか
 「STAP細胞はありまぁす!」
 と叫んだ某研究者を思わせる反応です。あるいはガリレオを連想したほうが適切でしょうか。
 「それでも『従軍慰安婦』は居たのだ」
 ということでこれからも頑張ってゆくつもりかもしれません。ただ、こうしたことは、ひとつ過ちを認めると、次から次へと整合性がとれなくなって、論理破綻してしまうものです。これを端緒に、朝日新聞を追究する声は高まることはあっても鎮まることはないでしょう。どこまで「自分は悪くない」と言い張れるでしょうか。

 そういえば今年の春、東大から朝日新聞社に入社した者がついにゼロになったそうです。いつ以来なのか知りませんが、少なくともここ半世紀くらいはそんなことは無かったのではないでしょうか。東大卒業生イコール知識層とは思いませんが、いちおう世間的に知的レベルが高いとされる人々が朝日新聞を見放しはじめたひとつの顕れではあるでしょう。もはや大朝日に楯突くのは一部底辺のネット右翼だけ、などと多寡をくくっている段階ではありません。
 多寡をくくるのではなく、腹をくくる時に来ています。あくまでも自己の無謬性を主張して他罰的言動を続けてゆくのか、それとも戦争が終わった時のように豹変して世の中に迎合するのか。どちらの道を取るにしても、読者の激減は避けられなさそうです。朝日新聞は、これから苦悩の季節を迎えることでしょう。

(2014.8.11.)

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