『セーラ』もまだ道半ばですが、今年(2014年)中に仕上げなければならない作曲がもうひとつありますので、そちらにも着手しました。 複数の曲の同時進行というのは、やったことがないわけではありませんが、やはり私には荷が重いものがあります。そんなに器用にスイッチを切り換えられるたちではありません。売れっ子になるとそんなことは言っていられないのでしょうが、回路をいくつも持っている人でないと、それぞれの曲がやはりだんだんと似てきてしまい、ワンパターンのそしりを免れないことになりかねません。
合唱界などでも曲のはやりがあります。名前を挙げるのは遠慮しますが、2、3年前に爆発的に流行して、いろんな合唱団が争うように歌い、委嘱などもさかんにされていた売れっ子作曲家が居ました。それが2013年になると、ぱったり名前を聞かなくなりました。それはもう手のひらを返したような有様で、私もほとほとあきれてしまったほどです。もともとそんなにパレットが豊かな人ではなく、どの曲もわりと似たような傾向が見られたところへ、にわかに売れっ子になって短期間にたくさんの曲を書いた結果、どれもこれもおんなじという印象を持たれて、飽きられてしまったのだろうとしか考えられません。
そういう例を見ると、売れっ子になるのも善し悪しかな、と思ったりします。細く長く仕事を続けられたほうがありがたいかもしれません。
またぞろベートーヴェンの話になりますが、彼はこの点も驚くべき能力を見せています。よく知られた話ではありますけれども、ベートーヴェンは第5番と第6番、第7番と第8番の交響曲を、いずれもペアにして作曲しています。初演も2本立てでした。これらが相当に対照的な曲想を持っているのはそのためです。
特に第5番「運命」と第6番「田園」が同時進行であったと言われると、信じがたいような気がします。「運命が扉を叩く音」を主要モティーフにした第5番を書いている時、ベートーヴェンは悪くなる一方の耳、あるいは親族との確執などという苛酷な運命に対して、壮絶きわまる闘いを挑んでいたはずではなかったのでしょうか。それはもう、全精力をふりしぼった、血のほとばしるような悪戦苦闘であり、それだからこそ終楽章の勝利の凱歌が輝かしく鳴り響くというものではないのでしょうか。
ところが、彼は「田園」の太平楽なメロディを、それとまったく同時進行で書いていたのでした。「運命」を書き終えてから「田園」にとりかかったわけではありません。一緒に書き進めていたのです。
人によっては、なんだか騙されたような気分になるかもしれませんが、これは要するに、「運命」と言い「田園」と言うタイトルを、標題音楽的に捉えすぎているのが原因です。「運命」というタイトルであるからには、作曲者は書きながら本当に運命と熾烈に闘っていたに違いない、という思いこみが誤解を生んでいるわけです。
「これは、運命が扉を叩く音だよ」
ということを、あるいはベートーヴェン自身が誰かに語ったのかもしれませんが、私の印象では、そんなに深刻な口調だったのではなく、軽口のたぐいであるような気がしてなりません。
「この主題、なんだかノックの音みたいですね」
「そう思うかい? ま、運命のノック、てなところだな」
その程度の会話が、えらくシリアスに肉付けされただけのように思えるのです。
おそらくベートーヴェンは、第5番と第6番という、まるっきり正反対と言っても良いような曲想の交響曲を同時進行させることを、心から愉しんでいたに違いありません。
また、この2曲は、きわめて対照的でありながら、多くの共通点も持っています。第1楽章同士を較べると、いずれもごく少ないモティーフを徹底的に展開することで堅牢なソナタ形式を構成しています。そのモティーフは、第5番は音型的であり、第6番は旋律的でありますが、構成原理そのものはほぼ同じなのです。さらに終楽章同士を較べれば、むしろ似たような要素が多いとさえ言えそうです。どちらも分散和音を基本にしたモティーフで始められます。
第7番と第8番も対照的です。全体的に舞曲の軽いノリが続く第7番に対し、第8番は一転してハイドン的と言って良いほどの古典的な端正さを主張しています。この2曲は作品92と93にあたり、70〜80番台の迷走状態からようやく抜けて、後期作品への助走を始めていた時期です。実は私はこの90番台の作品がけっこう好きで、ピアノソナタ第27番(作品90)、弦楽四重奏曲第11番「セリオーゾ」(作品95)、ヴァイオリンソナタ第10番(作品96)、それに有名なピアノ三重奏曲第7番「大公」(作品97)と、総じてそんなに大規模ではないけれども、独特の味とコクのある曲が並んでいます。ふたつの交響曲は、それまでの長い迷いの時期を総括するような位置にあったのではないかと私は考えています。
さてそれはともかく、私にはどうも作曲の同時進行はしんどいという話でした。作曲と編曲を一緒に進めるというのならまだ良いのですが、複数の楽想を同時に扱うのはなかなか骨が折れます。
今年は近年になく作曲の仕事が多く、『セーラ』が長引いているうちに、すでに『印度の虎狩り』と『法楽の刻』を書きました。『印度の虎狩り』は小品だったのでほぼ一気に書き上げましたし、『法楽の刻』もはじめてしまえばそんなに手間取りませんでした。いずれも『セーラ』と併行しての作業でしたが、実際には同時進行とは言えません。これらを書いている時は、ほぼ『セーラ』を中断した状態でした。
また、この2曲は器楽曲である点、発想そのものがだいぶ違っていたとも言えます。もちろんオペラには、かなり長時間にわたり器楽が続く部分もあり、『セーラ』でも1幕2場冒頭の間奏曲のようにまとまった器楽曲と呼ぶべき箇所も出てきます。しかし、基本は「歌」であり、間奏曲の主要モティーフもその「歌」からの変形みたいなものでした。最初から言葉を伴わない器楽曲とは、やはり少し趣きが異なります。
ところが、残ったもう1曲は、そうはゆきません。
基本的には声楽曲であり、かなり大規模であり、一種の音楽劇でもあります。演技こそ伴いませんが、音楽的にはかなりオペラに近い性格を持つ作品となり、『セーラ』とお互いに似てしまわないようにするのに、相当な注意が必要なのではないかと思うのでした。
それが、平塚合唱連盟から委嘱された『星空のレジェンド』です。
これについて何度か触れたことはありますが、少し詳しく書くと、平塚という街は七夕祭りで知られています。合唱協会で、その七夕にちなんだオリジナル曲を制作したいという話になったのは、市制とか協会設立とかの、何十周年といった節目であったのか、それとも別にそういうことではないのか、私はよく知りません。とにかくそんな話が持ち上がって、中心的な推進役となったのが、バリトン歌手で合唱指導者でもある大川五郎氏でした。平塚在住で、合唱連盟でも顧問とか相談役とか、そんな立場に居られるようです。
大川先生はご自分で作詞作曲などもなさるようで、何度めかにお会いした時、昔作ったという合唱組曲を渡されました。ちょっと多田武彦とか清水脩とかを思わせるような印象の作風かと思われました。それで、このたびもテキストを執筆したのでした。
七夕ですから織女と牽牛の話ですが、伝承そのままではなく、いろいろとアレンジしたストーリーになっています。混声合唱・女声合唱・児童合唱・独唱・重唱など取り混ぜた、かなり大規模な音楽作品になりそうで、それらの曲間を男女のナレーションでつないでゆく構成です。
さて、このオリジナル作品の作曲を誰に依頼するかということになって、思いがけず私に白羽の矢が立ったわけですが、大川先生とはそれまで面識も無く、こんな相当に大きな仕事をいきなり頼まれたのには驚きました。
どうやらこれは『TOKYO物語』の余得であったようです。ナレーション付きのメドレーで、それなりにストーリーを感じさせる配列構成で……というあたりを見て、どうやらこいつは使えそうだと思われたのでしょう。で、私のホームページをチェックしてみると、音楽劇が好きだということが書いてあったので、頼む気になったとおぼしい。
実は合唱指揮者協会でアルバイトをしているChorus STのメンバーから、2月頃だったか、
──MICさんの連絡先を大川先生から訊かれたので、教えてしまいましたけど、良かったですか?
と訊ねられていました。その時はなんの話だかまったくわからず、何か仕事を頼まれるんだったら良いな、と漠然と思った程度でした。時期的に、例の佐村河内事件の頃でしたので、もしや佐村河内氏が請け負っていた仕事があの騒ぎで宙に浮き、お鉢がまわってきたのかも、などと考えた記憶もあります。
その後しばらく何事も無かったので、あれはなんだったのだろうと思っていたところ、ある朝清水雅彦さんから電話が来て、大川先生が連絡を取りたがっているが良いか、と訊いてきました。清水さんはその少し前、1ヶ月ばかり海外に行っていたのですが、どうも大川先生は、私がChorus
STのメンバーでもあることに鑑み、まず清水さんに話を通してからと考えておられたようです。その清水さんが日本に居なかったので、なかなか話を通せず、従って私にも連絡が無かったということでしょう。清水さんに応諾の返事をすると、30分も経たないうちに大川先生から電話が入りました。
電話口では、まだどんな仕事であるかのイメージがつかめなかったのですが、その後お会いして、かなり分厚い台本を渡され、これはなかなかに歯ごたえのあるシロモノだという実感が湧いてきました。
曲は全部で13曲となります。そのいずれもが、かなり分量の多いテキストになっています。しかるべき長さの作品になることは間違いありません。
楽器はピアノだけではなく、他にもいろいろ入れたい意向であるようでした。ただ、これはまずピアノ伴奏という形で作り、後日編曲すればよろしかろうと思います。
他の仕事の進行状況、締め切り状況などを勘案し、この曲は9月に入ってから着手し、年末までになるべく速度をつけて作曲するというスケジュールを立てました。
9月までは着手できないだろうということを、大川先生にも、平塚合唱連盟の人にも言っておいたのですが、大川先生は毎月のように様子見の電話をかけて来られました。その都度
──そのお、まだ着手しておりませんので……
と返事をするのが、どうにも心苦しくてかないませんでした。
『セーラ』がこの時期まで持ち越すのは予定外でしたが、『法楽の刻』は予定どおり8月中に仕上がったので、少し前から『星空のレジェンド』に着手したわけです。
まず序曲と名付けられた第1曲に取り組みました。わらべうたのようなフレーズではじまる、児童合唱による楽章で、ある程度まではわりにすらすらと進んだのですが、テキストが思いのほか多量で、案外と時間がかかりました。
Finaleに打ち込んでみて、演奏時間を計算するユーティリティを試してみたところ、なんとこの序曲だけで約8分半を要しています。ゆったりとしたテンポの部分が多いとはいえ、児童合唱の子供たちの集中力がもつだろうかと心配になりました。合唱曲で8分以上というのは、相当に長大で、地域の合唱祭などでは一団体あたり「出入りを含めて8分」とかの制限をつけているところが少なくありません。そしてたいていはその枠の中で2曲くらい歌います。つまり8分半というのは、普通の合唱曲の2曲分に相当する長さであるわけです。
このあとの曲も似たようなことになったら、音楽だけで100分なんてことになりかねません。つなぎのナレーションを含めれば、ほとんど2時間を要する大作になってしまいます。
さすがにそこまでのことはあるまいとは思うものの、台本を見る限りそんなに簡単に終わりそうな曲はほとんどありません。2、3分で済むようなのは無いと言って良さそうです。
心づもりよりペースを上げないと、年末までに仕上がらないかもしれません。なおかつ『セーラ』とは違ったものを書かなければならず、これはえらいことになるのではあるまいかと、いささか心配になっています。
(2014.9.18.) |