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ケーブルテレビのセットトップボックスを新しくしたのですが、私はそういろんなチャンネルを見るほうでもなく、ただ以前から、AXNミステリーチャンネルだけは愛用していました。前に「刑事コロンボ」の全話放映をやっていたときに重宝しましたが、その後は「ホワイトカラー」くらいしか見ていなかったところ、新しい機械が来て番組表を眺めていると、「名探偵ポワロ」が毎日放映されていることを知り、いまのところこれを見ています。
1日2回、朝と深夜に同じエピソードを放映しているようですが、毎回録画の予約をしたのは深夜のほうでしたので、翌日に見ています。
全話放映してくれるのかどうかはわかりません。いまのところ、拡大枠を必要とする長篇ものは抜いているようです。あとでまとめてやるのか、短篇ものだけの放映にするつもりなのか、AXNミステリーのサイトを見ても特に書いてありませんでした。
ポワロの声を宛てていた熊倉一雄氏が先ごろ亡くなったので、その追悼という意味合いもあっての再放送なのかもしれません。ヘイスティングズ大尉の声だった富山敬氏はだいぶ前に亡くなって、後期シリーズには宛てられなかったと思われますが、熊倉氏は幸い、最終シリーズの「カーテン」まで全部宛てることができたようです。私は長篇主体となった後期シリーズはあまり見ていないので、この機会にぜひ最後まで見ることができればと念じています。
というわけで今日は、テレビシリーズの「名探偵ポワロ」についてつれづれなるままに。「ミステリーゾーン」に書くべき事柄かもしれませんが。
アガサ・クリスティが生前、
──どうしてポワロを演じる役者は、ああ揃いも揃って肥大漢ばかりなのかしら?
とこぼしていたという話は前に書いた気がしますが、確かに映画「オリエント急行殺人事件」のアルバート・フィニーにしろ、「ナイル殺人事件」のピーター・ユスティノフにしろ、堂々たる押し出しの巨漢でした。私が知っているポワロものの映画はこの2本くらいですが、クリスティが嘆いていたところを見ると、それ以前に作られた映画でもポワロ役には巨漢が宛てられていたものと思われます。
主人公の押し出しが良くないと映えない、カッコ良くない、というプロデューサーサイドの判断だったのでしょう。原作の設定が「小肥りで卵形の頭をした小男」であることなど百も承知の上だったのではないでしょうか。ポワロファンにとっては違和感ありまくりなキャスティングでしたが、映画を観る人数に較べれば少数のポワロファン──最近のネットならさしづめ「原作厨」とでも言われる層でしょうか──の言い分をいちいち聞いているわけにはゆかない、というのが映画制作者側の考えかただったのではないかと思います。
そこらへんは理解できるとしても、やっぱり違和感は拭えません。原作者がこぼしていたのも無理はないという気がします。
そんな状況だったところ、原作者が亡くなって久しい80年代末になって、ロンドン・ウィークエンド・テレビ(LWT)がシリーズドラマとしてポワロものを制作することになり、デイヴィット・スーシェが起用されました。スーシェは原作を徹底的に読み込み、「もっともポワロらしいポワロ」と言われるまでの役作りをおこないましたが、制作サイドもこれまでの映画制作者たちとは異なり、「できる限り原作の雰囲気を活かす」という方針で臨んだようです。スーシェを起用したこと自体、その意気込みの顕れと言えるでしょう。「卵形の頭をした小男」のイメージどおりのキャスティングです。まあ、原作のポワロはスーシェよりもう少し背が低かったかもしれませんが、クリスティが生きていたらまずは満足したのではないでしょうか。
日本での放映は約1年遅れて1990年からはじまりました。熊倉一雄氏が声を宛てると知り、私は我が意を得たように思ったものでした。それ以前から、もしポワロに日本語の声を宛てるとしたら熊倉氏しか居ないだろうと私は思っており、日本語版プロデューサーが私と同じ感覚であったことに満足を覚えたのです。
熊倉氏もクリスティファンだったようで、ドラマ化される前にポワロものも全部読んでいたそうです。そしてスーシェのポワロを見て感心し、その声のオファーが自分に来たことに狂喜したと語っています。
実際、熊倉氏のポワロは、小池朝雄氏のコロンボ以上にはまり役であったと言えるでしょう。スーシェも熊倉氏のアテレコを聴き、「私以上にポワロらしい声だ」と評したとか。
テレビシリーズでは、当初は全作品を映像化する予定ではなかったそうですが、スーシェのはまりぶり、原作の雰囲気を活かしたドラマ造りなどが好評で、だんだん短篇だけでなく長篇も手がけるようになって、結局全70話を完全映像化するという快挙を成し遂げたのでした。そして熊倉氏も、そのすべてのポワロに声を吹き込むことができたわけです。最後の「カーテン」など、LWTでは一昨年、日本では去年の初放映ですから、まさにぎりぎりのタイミングでした。
熊倉一雄氏といえば、井上ひさしのテアトル・エコーの看板俳優で、私などは「ひょっこりひょうたん島」のとらひげ役としてまず親しみました。独特なしゃべりかたなので役柄は限られたかもしれませんが、実力派俳優であることは疑いを得ません。晩年に至って一枚看板的な代表作に恵まれたのは、幸せな俳優人生であったと言えましょう。
ポワロものの初期の短篇は、ごく短いものが多く、本当に忠実にドラマ化すれば1時間も保たないため、いろいろと色づけはされています。とはいえ原作の雰囲気をぶちこわすほどではなく、節度を持った脚色になっているのが嬉しいところです。
また、実はそれらの初期の短篇には、ストーリー自体が破綻しているものもいくつか含まれています。実例を挙げるのは恐縮なのですが、例えば「猟人荘の謎」という話(ネタバレになるので文字を隠します)。
最初にポワロのもとに依頼に来た夫婦が殺人犯と判明するのですが、彼らがなんのためにポワロに調査を依頼しに来たのか、どう読んでもわからないのです。自分たちを捕らえさせるためとしか思えません。
実はホームズものにも依頼人が殺人犯という短篇があるのですけれども、コナン・ドイルはちゃんと、犯人がわざわざホームズに依頼してきた理由を最後で説明しています。残念ながら、若書きの頃のクリスティにはその配慮も無かったようです。
テレビシリーズでは、そういう原作の破れをうまく補っており、そのあたりもなかなかよくできていると思います。
なお初期の短篇を、のちにリライトしていることもあります。短篇「プリマス行き急行列車」は長篇「ブルートレインの謎」の、短篇「マーケット・ベイジングの謎」は中篇「厩舎街の殺人」のプロトタイプとなっています。また短篇同士ですが「潜水艦の設計図」がのちに「謎の盗難事件」(なんと霊感に乏しいタイトル!)に書き直されたりもしています。「マーケット・ベイジング」と「潜水艦」はさすがにテレビシリーズでは割愛されているようですが、「プリマス」と「ブルートレイン」は別個に作られています。「プリマス」は1時間ドラマにふくらませ、「ブルートレイン」は2時間ドラマに削っているので、余計にテイストが似てきやしないかと思います。まあ「プリマス」は1991年の第3シリーズ、「ブルートレイン」は2006年の第10シリーズですので、また違った色合いになっているのかもしれません。とにかく私はまだ「ブルートレイン」のほうを見ていないので、どういう処理をしているか楽しみにしています。
ヘイスティングズ大尉は、原作では初期の短篇ではほぼ漏れなく登場しているものの、長篇第2作「ゴルフリンクの殺人」の末尾で結婚して南米に移住してしまっています。その後いくつかの物語に再登場していますが、いずれも一時帰国中という設定です。物語を「ヘイスティングズの語り」で進行させることにクリスティが限界を感じたのではないかと私は思っています。33篇の長篇のうち、ヘイスティングズが登場するのは8篇に過ぎません。
しかしテレビシリーズでは、原作に登場しない話でも出てきています。全部ではありませんがほぼレギュラーと言えるでしょう。小説と違い「語り手」という役割から解放されているので扱いやすかったものと見えます。ポワロは常にヘイスティングズを「パートナー」「友人」と他人に紹介していますが、実際には探偵事務所のスタッフのひとりというような立場になっているようです。
もうひとりのスタッフがミス・レモンで、彼女は原作に較べるとはるかに魅力的な女性として造形されています。原作のミス・レモンはなんの面白みもなく、それこそ能率が服を着て歩いているような実用一点張りの秘書です。ポワロの書類整理係に徹していて、時々事件に関する意見を求められたり操作の手伝いをさせられたりすると非常に迷惑そうです。しかし、テレビシリーズのミス・レモンはけっこうそういう方面の手伝いに乗り気ですし、表情も豊かになっています。原作信者からすると「こんなのミス・レモンじゃない」と言いたくなるかもしれません。
そもそもミス・レモンはヘイスティングズが去ってからポワロに雇われたので、ヘイスティングズとは面識が無かったように思えます。ポワロが「南米に行った愛すべきヘイスティングズ」のことを回想していても、まったく興味を覚えた様子がありません。テレビシリーズではけっこう仲が良さそうで、このあたりはだいぶ改変されています。
ところで未婚女性にはもれなく「マドモワゼル」と呼びかけるポワロが、ミス・レモンだけは必ず「ミス・レモン」と呼んでいるのが面白いですね。これはテレビだけではなく原作もそうなっています。雇用契約の時、マドモワゼルとは呼ばないでください、とでも言い張ったのでしょうか。
ジャップ警部もほぼレギュラーとして登場しています。原作にはいろんな名前の警部が出てきますが、テレビではだいたいジャップに代用させているようです。そのため、田舎の事件でもいちいち出張させられて、えらく忙しそうになりました。
ちなみにジャップの綴りは「Japp」で、日本人の蔑称である「Jap」とは関係ありません。
日本語版脚本は、第9シリーズ(第53話)まで宇津木道子氏が担当しており、ポワロの口調などのフォーマットを調えました。ポワロとヘイスティングズがお互い敬語で話すというのは、実はそれまでの翻訳本ではあまり無かったのですが、両者のキャラクターを考えればこれがいちばん自然であるように思われ、私としては違和感がありませんでした。ポワロは慇懃無礼な外国人、ヘイスティングズはポワロより20歳以上年下と思われる退役軍人ですので、旧来の翻訳本で見られるようなくだけた友達言葉でしゃべっているのはかえって不自然です。
このテレビシリーズ以降に新規に訳された本では、例えば深町眞理子氏の訳のように、テレビシリーズに逆に影響されたかと思われるような、お互い敬語でしゃべっている会話文になっているものも多くなりました。
私が最初に読んだポワロものは「ABC殺人事件」でしたが、堀田善衛氏のかなり古格な雰囲気の訳文でした。ポワロとヘイスティングズはお互い「私・君」で話しており、どちらかというとビジネスライクなイメージを持ったものです。
ともあれ、このLWTのテレビシリーズがポワロものに与えたイメージは甚大なものがあったと思います。もはやポワロの容貌はデイヴィッド・スーシェの役柄以外に想像できない状態になっていますし、本を読んでいてもポワロの声は熊倉一雄の声で脳内再生されます。声色だけでなく、しゃべりかたまで脳内変換されてしまいます。
推理小説のドラマ化というのは、原作を知っている者には不満足な出来であることが多く、実際最近のブラウン神父はあまり納得できていませんし、つい先週までNHKで放映されていたトミー&タッペンスの新作シリーズと来ては「原作レイプ」というネットスラングが頭をよぎるほどでしたが、グラナダテレビの「シャーロック・ホームズの冒険」とこの「名探偵ポワロ」は、結果的に見事な成功であったと評価できると思います。
(2015.12.10.) |