忘れ得ぬことどもII

「名探偵ポワロ」再見

I

 ケーブルテレビセットトップボックスを新しくしたのですが、私はそういろんなチャンネルを見るほうでもなく、ただ以前から、AXNミステリーチャンネルだけは愛用していました。前に「刑事コロンボ」の全話放映をやっていたときに重宝しましたが、その後は「ホワイトカラー」くらいしか見ていなかったところ、新しい機械が来て番組表を眺めていると、「名探偵ポワロ」が毎日放映されていることを知り、いまのところこれを見ています。

 1日2回、朝と深夜に同じエピソードを放映しているようですが、毎回録画の予約をしたのは深夜のほうでしたので、翌日に見ています。
 全話放映してくれるのかどうかはわかりません。いまのところ、拡大枠を必要とする長篇ものは抜いているようです。あとでまとめてやるのか、短篇ものだけの放映にするつもりなのか、AXNミステリーのサイトを見ても特に書いてありませんでした。
 ポワロの声を宛てていた熊倉一雄氏が先ごろ亡くなったので、その追悼という意味合いもあっての再放送なのかもしれません。ヘイスティングズ大尉の声だった富山敬氏はだいぶ前に亡くなって、後期シリーズには宛てられなかったと思われますが、熊倉氏は幸い、最終シリーズの「カーテン」まで全部宛てることができたようです。私は長篇主体となった後期シリーズはあまり見ていないので、この機会にぜひ最後まで見ることができればと念じています。
 というわけで今日は、テレビシリーズの「名探偵ポワロ」についてつれづれなるままに。「ミステリーゾーン」に書くべき事柄かもしれませんが。

 アガサ・クリスティが生前、

 ──どうしてポワロを演じる役者は、ああ揃いも揃って肥大漢ばかりなのかしら?

 とこぼしていたという話は前に書いた気がしますが、確かに映画「オリエント急行殺人事件」アルバート・フィニーにしろ、「ナイル殺人事件」ピーター・ユスティノフにしろ、堂々たる押し出しの巨漢でした。私が知っているポワロものの映画はこの2本くらいですが、クリスティが嘆いていたところを見ると、それ以前に作られた映画でもポワロ役には巨漢が宛てられていたものと思われます。
 主人公の押し出しが良くないと映えない、カッコ良くない、というプロデューサーサイドの判断だったのでしょう。原作の設定が「小肥りで卵形の頭をした小男」であることなど百も承知の上だったのではないでしょうか。ポワロファンにとっては違和感ありまくりなキャスティングでしたが、映画を観る人数に較べれば少数のポワロファン──最近のネットならさしづめ「原作厨」とでも言われる層でしょうか──の言い分をいちいち聞いているわけにはゆかない、というのが映画制作者側の考えかただったのではないかと思います。
 そこらへんは理解できるとしても、やっぱり違和感は拭えません。原作者がこぼしていたのも無理はないという気がします。
 そんな状況だったところ、原作者が亡くなって久しい80年代末になって、ロンドン・ウィークエンド・テレビLWT)がシリーズドラマとしてポワロものを制作することになり、デイヴィット・スーシェが起用されました。スーシェは原作を徹底的に読み込み、「もっともポワロらしいポワロ」と言われるまでの役作りをおこないましたが、制作サイドもこれまでの映画制作者たちとは異なり、「できる限り原作の雰囲気を活かす」という方針で臨んだようです。スーシェを起用したこと自体、その意気込みの顕れと言えるでしょう。「卵形の頭をした小男」のイメージどおりのキャスティングです。まあ、原作のポワロはスーシェよりもう少し背が低かったかもしれませんが、クリスティが生きていたらまずは満足したのではないでしょうか。
 日本での放映は約1年遅れて1990年からはじまりました。熊倉一雄氏が声を宛てると知り、私は我が意を得たように思ったものでした。それ以前から、もしポワロに日本語の声を宛てるとしたら熊倉氏しか居ないだろうと私は思っており、日本語版プロデューサーが私と同じ感覚であったことに満足を覚えたのです。
 熊倉氏もクリスティファンだったようで、ドラマ化される前にポワロものも全部読んでいたそうです。そしてスーシェのポワロを見て感心し、その声のオファーが自分に来たことに狂喜したと語っています。
 実際、熊倉氏のポワロは、小池朝雄氏のコロンボ以上にはまり役であったと言えるでしょう。スーシェも熊倉氏のアテレコを聴き、「私以上にポワロらしい声だ」と評したとか。
 テレビシリーズでは、当初は全作品を映像化する予定ではなかったそうですが、スーシェのはまりぶり、原作の雰囲気を活かしたドラマ造りなどが好評で、だんだん短篇だけでなく長篇も手がけるようになって、結局全70話を完全映像化するという快挙を成し遂げたのでした。そして熊倉氏も、そのすべてのポワロに声を吹き込むことができたわけです。最後の「カーテン」など、LWTでは一昨年、日本では去年の初放映ですから、まさにぎりぎりのタイミングでした。
 熊倉一雄氏といえば、井上ひさしテアトル・エコーの看板俳優で、私などは「ひょっこりひょうたん島」とらひげ役としてまず親しみました。独特なしゃべりかたなので役柄は限られたかもしれませんが、実力派俳優であることは疑いを得ません。晩年に至って一枚看板的な代表作に恵まれたのは、幸せな俳優人生であったと言えましょう。

 ポワロものの初期の短篇は、ごく短いものが多く、本当に忠実にドラマ化すれば1時間も保たないため、いろいろと色づけはされています。とはいえ原作の雰囲気をぶちこわすほどではなく、節度を持った脚色になっているのが嬉しいところです。
 また、実はそれらの初期の短篇には、ストーリー自体が破綻しているものもいくつか含まれています。実例を挙げるのは恐縮なのですが、例えば「猟人荘の謎」という話(ネタバレになるので文字を隠します)。

 最初にポワロのもとに依頼に来た夫婦が殺人犯と判明するのですが、彼らがなんのためにポワロに調査を依頼しに来たのか、どう読んでもわからないのです。自分たちを捕らえさせるためとしか思えません。
 実はホームズものにも依頼人が殺人犯という短篇があるのですけれども、コナン・ドイルはちゃんと、犯人がわざわざホームズに依頼してきた理由を最後で説明しています。残念ながら、若書きの頃のクリスティにはその配慮も無かったようです。


 テレビシリーズでは、そういう原作の破れをうまく補っており、そのあたりもなかなかよくできていると思います。
 なお初期の短篇を、のちにリライトしていることもあります。短篇「プリマス行き急行列車」は長篇「ブルートレインの謎」の、短篇「マーケット・ベイジングの謎」は中篇「厩舎街の殺人」のプロトタイプとなっています。また短篇同士ですが「潜水艦の設計図」がのちに「謎の盗難事件」(なんと霊感に乏しいタイトル!)に書き直されたりもしています。「マーケット・ベイジング」と「潜水艦」はさすがにテレビシリーズでは割愛されているようですが、「プリマス」と「ブルートレイン」は別個に作られています。「プリマス」は1時間ドラマにふくらませ、「ブルートレイン」は2時間ドラマに削っているので、余計にテイストが似てきやしないかと思います。まあ「プリマス」は1991年の第3シリーズ、「ブルートレイン」は2006年の第10シリーズですので、また違った色合いになっているのかもしれません。とにかく私はまだ「ブルートレイン」のほうを見ていないので、どういう処理をしているか楽しみにしています。

 ヘイスティングズ大尉は、原作では初期の短篇ではほぼ漏れなく登場しているものの、長篇第2作「ゴルフリンクの殺人」の末尾で結婚して南米に移住してしまっています。その後いくつかの物語に再登場していますが、いずれも一時帰国中という設定です。物語を「ヘイスティングズの語り」で進行させることにクリスティが限界を感じたのではないかと私は思っています。33篇の長篇のうち、ヘイスティングズが登場するのは8篇に過ぎません。
 しかしテレビシリーズでは、原作に登場しない話でも出てきています。全部ではありませんがほぼレギュラーと言えるでしょう。小説と違い「語り手」という役割から解放されているので扱いやすかったものと見えます。ポワロは常にヘイスティングズを「パートナー」「友人」と他人に紹介していますが、実際には探偵事務所のスタッフのひとりというような立場になっているようです。
 もうひとりのスタッフがミス・レモンで、彼女は原作に較べるとはるかに魅力的な女性として造形されています。原作のミス・レモンはなんの面白みもなく、それこそ能率が服を着て歩いているような実用一点張りの秘書です。ポワロの書類整理係に徹していて、時々事件に関する意見を求められたり操作の手伝いをさせられたりすると非常に迷惑そうです。しかし、テレビシリーズのミス・レモンはけっこうそういう方面の手伝いに乗り気ですし、表情も豊かになっています。原作信者からすると「こんなのミス・レモンじゃない」と言いたくなるかもしれません。
 そもそもミス・レモンはヘイスティングズが去ってからポワロに雇われたので、ヘイスティングズとは面識が無かったように思えます。ポワロが「南米に行った愛すべきヘイスティングズ」のことを回想していても、まったく興味を覚えた様子がありません。テレビシリーズではけっこう仲が良さそうで、このあたりはだいぶ改変されています。
 ところで未婚女性にはもれなく「マドモワゼル」と呼びかけるポワロが、ミス・レモンだけは必ず「ミス・レモン」と呼んでいるのが面白いですね。これはテレビだけではなく原作もそうなっています。雇用契約の時、マドモワゼルとは呼ばないでください、とでも言い張ったのでしょうか。
 ジャップ警部もほぼレギュラーとして登場しています。原作にはいろんな名前の警部が出てきますが、テレビではだいたいジャップに代用させているようです。そのため、田舎の事件でもいちいち出張させられて、えらく忙しそうになりました。
 ちなみにジャップの綴りは「Japp」で、日本人の蔑称である「Jap」とは関係ありません。

 日本語版脚本は、第9シリーズ(第53話)まで宇津木道子氏が担当しており、ポワロの口調などのフォーマットを調えました。ポワロとヘイスティングズがお互い敬語で話すというのは、実はそれまでの翻訳本ではあまり無かったのですが、両者のキャラクターを考えればこれがいちばん自然であるように思われ、私としては違和感がありませんでした。ポワロは慇懃無礼な外国人、ヘイスティングズはポワロより20歳以上年下と思われる退役軍人ですので、旧来の翻訳本で見られるようなくだけた友達言葉でしゃべっているのはかえって不自然です。
 このテレビシリーズ以降に新規に訳された本では、例えば深町眞理子氏の訳のように、テレビシリーズに逆に影響されたかと思われるような、お互い敬語でしゃべっている会話文になっているものも多くなりました。
 私が最初に読んだポワロものは「ABC殺人事件」でしたが、堀田善衛氏のかなり古格な雰囲気の訳文でした。ポワロとヘイスティングズはお互い「私・君」で話しており、どちらかというとビジネスライクなイメージを持ったものです。
 ともあれ、このLWTのテレビシリーズがポワロものに与えたイメージは甚大なものがあったと思います。もはやポワロの容貌はデイヴィッド・スーシェの役柄以外に想像できない状態になっていますし、本を読んでいてもポワロの声は熊倉一雄の声で脳内再生されます。声色だけでなく、しゃべりかたまで脳内変換されてしまいます。
 推理小説のドラマ化というのは、原作を知っている者には不満足な出来であることが多く、実際最近のブラウン神父はあまり納得できていませんし、つい先週までNHKで放映されていたトミー&タッペンスの新作シリーズと来ては「原作レイプ」というネットスラングが頭をよぎるほどでしたが、グラナダテレビ「シャーロック・ホームズの冒険」とこの「名探偵ポワロ」は、結果的に見事な成功であったと評価できると思います。

(2015.12.10.)

II

 CS放送のAXNミステリーチャンネルで、LWT(ロンドン・ウィークエンド・テレヴィジョン)制作のテレビドラマ『名探偵ポワロ』の集中再放送をやってくれているという話を上に書きました。しかしそのシリーズは、1時間枠しかとっていなかったこともあって、短篇ものしかやってくれませんでした。前記エントリーを書いたときには、すでに放映終了間近だったのです。
 しかし、年が明けてから、ふたたび集中再放送がはじまりました。こんどは毎日2時間枠で、最初のほうの短篇ものは毎回2本ずつの放映になっていました。ということはこんどこそ、長篇ものもやってくれるのだろうと期待して、また見はじめました。
 去年やっていたシリーズでは、第1シーズンは見そこねていたようなので、とりあえず最初から見直しました。「コックを探せ」が第1回で、ポワロ役のデイヴィッド・スーシェもずいぶん若く見えるし、熊倉一雄氏の声もだいぶ若々しく感じました。熊倉氏はこのときまだ62歳であったはずです。宇津木道子氏の日本語台本でのポワロやヘイスティングズのしゃべらせかたも、まだちょっと試行錯誤している感じではあります。数回重ねるうちに安定したようです。
 長篇第1作は、第2シーズンの劈頭に放映された「エンドハウスの怪事件」でした。この作品は、決して出来が良くないというわけではないのですが、なぜ最初に選ばれることになったのかはよくわかりません。ヘイスティングズとジャップ警部が登場して、言ってみればいちばん典型的なポワロものという趣きがあったからかもしれません。
 ヘイスティングズが登場する長篇は8篇だけだということは前にも書きました。デビュー作「スタイルズの怪事件」、末尾でヘイスティングズが結婚して退場してしまう「ゴルフリンクの殺人」、冒険活劇風の異色作「ビッグ・フォー」、そして「エンドハウス」、続いて「エッジウェア卿死す」「ABC殺人事件」「もの言わぬ証人」と来て、最後の事件「カーテン」となります。
 さらにこの中で、ジャップ警部が登場するのは「スタイルズ」「ビッグ・フォー」「エンドハウス」「エッジウェア」「ABC」の5篇です。
 この5篇を考えてみると、「スタイルズ」はポワロ初登場の物語ですから、ちょっと特別感があります。実際、ドラマでも第2シーズンの最終回に、「アガサ・クリスティ生誕100周年記念スペシャル」として配置されていました。「ビッグ・フォー」は上記のとおりいささか異色の作品で、これを長篇第1作に持ってくるのはどうかと思われます。「ABC」もちょっと風変わりな事件でした。作品の中でもヘイスティングズが、
 「今回の事件は、いままでの殺人とは……そう、少し違っていますね」
 と述懐しています。
 そうすると、典型的なスタイルと言えるのは「エンドハウス」か「エッジウェア」ということになるでしょう。このふたつを較べると、「エッジウェア」はおおむねロンドン市内を舞台にして進行しますが、「エンドハウス」は英国南海岸の風光明媚な観光地が舞台になっており、いわばテレビ映えします。「エンドハウス」をテレビシリーズの長篇第1作に持ってきたのは、まったく妥当な判断だったと思います。

 この「エンドハウス」を皮切りにして、長篇33作品がすべて映像化されました。そして今日、最後の「カーテン」の放映があり、今回の再放送シリーズが終了したことになります。
 私も、このたびはじめてテレビドラマ全作品をコンプリートしたことになります。「もっともポワロらしいポワロ」と表されたスーシェの名演、そのスーシェをして「私よりもポワロらしい声だ」と言わしめた熊倉氏の名アテレコに感嘆した視聴者のひとりとして、ちょっとひとこと申し述べたくなった次第です。

 ドラマは、第3シーズンがまた短篇集に戻り、第4シーズンで長篇3つ(「ABC殺人事件」「雲の中の殺人」「愛国殺人」)が作られ、第5シーズンはみたび短篇集となり、第6シーズン以降はすべて長篇作品となりました。
 短篇ものだと、原作に忠実にやると1時間はもたないものが多く、脚本化する上でいろいろオカズを混ぜたりしていました。一方、長篇ものになると、2時間(実際には約100分前後)では原作をすべて再現することはできず、だいぶはしょられた形になっています。これはまあ、やむを得ないことでしょう。私のとても好きなシーンのひとつである、「ホロー荘の殺人」でエドワードがガスオーブンに頭を突っ込んで自殺を図るくだりがカットされていたりしたのははなはだ残念でしたが……。
 このドラマシリーズ独特の改変は、事件の年代をほとんどすべて1930年代半ばという設定にしていたことです。「スタイルズ」は第一次大戦中ということなので動かせませんが、あとは19371938年頃に起こったことにしてあるものが大半でした。最後の「カーテン」は1949年になっています。
 「カーテン」は実際には第二次大戦中、つまり40年代前半に書かれていますので、それに近い年代ということにしたのでしょう。その後に書かれたポワロものの年代をどう扱うか、研究者のあいだでも意見が分かれています。私も考察してみたことがあります。ポワロは本当はふたり居たのだという素っ頓狂な説を唱えた人も居たようですが、要するにポワロ物語をシャーロッキアン的に整理しようという試みは無駄であると思われます。
 シャーロック・ホームズの場合は、「最後の挨拶」で登場した1914年を本当に最後として、その後に刊行された『シャーロック・ホームズの事件簿』に所収の各篇はそれ以前に起こった事件であるということでほぼ決着がついています。しかし、ポワロの場合は、「カーテン」が書かれた40年代前半を最後として、その後書かれた事件はすべてそれ以前……と考えることは無理なのです。何しろ後期の作品ではビートルズにまで言及されているのですから。
 つまりエルキュール・ポワロという探偵は時間を超越していたわけです。
 しかし、映像化するとなるとそれも不自然なことになりそうですから、すべてを30年代に置き換えたというのは賢明な判断だったかもしれません。もちろん原作にある、50年代・60年代・70年代を思わせるような道具やセリフは慎重に省略されており、代わって多くの話でヒットラームッソリーニの擡頭に触れさせたりして時代色を強調しています。
 制作者もだいぶつじつま合わせに苦労しただろうなあ、と敬服しますが、物語の根本が置き換え困難なことである場合はどうしようもありません。例えば「ヒッコリー・ロードの殺人」の舞台となるのは男女共用の学生寮で、こんなものが1930年代に存在したとは到底思えません。「サード・ガール(第三の女)などで扱われている、女性同士のルームシェアみたいな習俗も、30年代にはまだ無かったでしょう。60年代以降のものだと思います。
 そういう無理はときおり感じたものの、とにかくドラマシリーズの枠内でなんとか時間的なつじつまを合わせようとした努力は多とするものであります。

 ヘイスティングズやジャップの動向も、いちおうつじつまが合うように配慮されていました。若干前後することはあったようですが。
 ヘイスティングズが結婚する「ゴルフリンクの殺人」は、第6シーズンの3回目に置かれていました。ネタバレになって恐縮ですが、原作では双子のアクロバット女優が登場し、ヘイスティングズはその妹のダルシーと結婚します。姉のベラのほうは、被害者の息子ジャックと結婚することになります。ヘイスティングズは被害者が経営していた南米の農場を、ジャックの口利きで分けて貰って英国を離れることになっています。
 ドラマでは双子は登場せず、ヘイスティングズと結婚するのはイザベラという名の歌姫になりました。実は原作のほうで、「ビッグ・フォー」にヘイスティングズが再登場したときには彼は妻のことを愛称の「シンデレラ」と呼んでいるのですが、さらにそのあと「エンドハウス」に登場したときには、あろうことか妻の名を「ベラ」と呼んでいます。

 ──一体南米で何が起こっていたのだろうか?

 とポワロ研究者のアン・ハートが評伝の中で疑問を呈していました。
 たぶんクリスティが、10年以上も前に書いた「ゴルフリンク」の登場人物の名前を混同してしまったのでしょうが、シャーロッキアン的に考えるといろいろ妄想がふくらみます。
 テレビシリーズでは、ヘイスティングズの妻は最初からイザベラ、つまりベラということで統一してしまったようです。
 第6シーズン4回目の「もの言えぬ証人」ではまたヘイスティングズが出てきますが、ここでは結婚のことはおくびにも出していません。が、まあ、婚約期間ということだったのかもしれません。
 ここで第6シーズンが終了しますが、第7シーズンが制作されるまで4年くらい間があいています。そして久しぶりの物語が「アクロイド殺し」でした。
 文章で読むとあっとびっくりな「アクロイド」ですが、映像で見た場合はさほどの意外性もないのが面白く感じました。叙述トリックというのはそういうものでしょう。
 ともあれ「アクロイド」では原作と同じく、1年くらい前からポワロが田舎暮らしをしているということになっていました。しかし最後のほうで古巣のホワイトヘヴン・マンションに戻ってきます。
 で、その次の「エッジウェア卿死す」で、南米に行ったはずのヘイスティングズも帰ってきます。原作では曲がりなりにも南米で成功を収めたということになっているのですが、ドラマでは投資に失敗し、尾羽うち枯らした様子で舞い戻ってくるのでした。だいたいドラマでのヘイスティングズは、株を買えば暴落し、新車を買えば納車前に壊され、レストランに出資すれば食中毒事件が起こり……と、まるで貧乏神に取り憑かれたような情けないキャラにされているのでした。
 第8シリーズの2回目が「メソポタミアの殺人」で、原作にはヘイスティングズは出てきませんが、ドラマでは登場人物のひとりが甥であるという設定を加えて出てきます。また、ポワロが憧れのロサコフ伯爵夫人に会おうとして結局会えないばかりか、伯爵夫人のホテル代の立て替えを頼まれるという妙なエピソードも付け加えられていました。ヘイスティングズが既婚者であることを笠に着て、いろいろ上から目線でポワロの恋路に口出しするのもドラマ独自のアレンジでした。
 これを最後に、ヘイスティングズはしばらく出なくなります。その後また南米に行ったのか、あるいは英国内のどこか田舎にひっこんだのか、その明確な描写は無かったようです。ジャップ警部とミス・レモンも、「エッジウェア」を最後にしばらく退場します。
 ポワロ、ヘイスティングズ、ジャップ、ミス・レモンの4人の初期レギュラーが再度集結するのは、最終第13シーズンの2回目、「ビッグ・フォー」でのことでした。制作時期を見ると12〜13年ぶりの再登場となります。ジャップは主任警部から警視監に出世したことになっていました。そしてこれが最後の「全員集合」となったのでした。

 初期レギュラー不在のあいだは、おなじみアリアドネ・オリヴァー夫人が活躍しています。
 原作の「ひらいたトランプ」は、オリヴァー夫人のポワロものデビュー(それ以前に『パーカー・パインの事件簿』に登場していた)であると共に、クリスティの別シリーズであるバトル警視レイス大佐も登場する豪華版でした。昔の「東映まんがまつり」「グレートマジンガー対ゲッターロボ」を見たときのようなスペシャル感があったものです。どうせならミス・マープルを出して貰いたいところで、バトル警視やレイス大佐だとちょっと格下というイメージがあるのですが、ポワロとマープルに勝ち負けが生じるのもまずいでしょうから、まあやむを得ないでしょう。
 バトル警視はそれまで「チムニーズ荘の秘密」「七つの文字盤」で活躍しています。犯罪捜査よりも、防諜などにかかわっている様子です。「ひらいたトランプ」に出演したあとは、「殺人は容易だ」「ゼロ時間へ」でふたたび主役探偵となりますが、こちらは普通に犯罪捜査をおこなっている模様で、配置換えがあったのかもしれません。「ゼロ時間へ」はクリスティのベストテンの常連になっているほどの作品で、バトル警視も面目を施したというところでしょう。
 レイス大佐のほうはもともと諜報組織の一員で、「茶色の服の男」で初登場します。「ひらいたトランプ」のあとでは「ナイルに死す」でもういちどポワロと協力し、「忘られぬ死」にも登場します。ただ、レイス大佐は自分で謎を解く「探偵役」ではなく、「茶色の服の男」「忘られぬ死」ともに他に主人公が居ます。大佐は言ってみれば「相談役」みたいな立場です。
 「ひらいたトランプ」はドラマでは第10シーズンの2回目に置かれていますが、オリヴァー夫人の初登場という他は、バトル警視もレイス大佐も出てきません。別の名前の警視と別の名前の大佐が出てきて、しかもその警視自身が容疑者のひとりだったりします。それでバトルではなくしたのかもしれません。レイス大佐のほうは「ナイルに死す」がこれより前の第9シーズン3回目に置かれており、そこに出てきているので、「ひらいたトランプ」に出しても良かったと思うのですが、役者の都合がつかなかったのでしょうか。
 「複数の時計」には、匿名の若い情報部員コリン・ラムが登場します。中のいくつかの章はコリンの独白という形で物語が進められます。文中にはっきり示されてはいないものの、彼の父親がポワロの旧友であるらしき描写があり、おそらくコリンはバトル警視の息子だろうということで、多くの研究者の意見が一致しています。ところがドラマのほうでは、それまでにバトルが出てきていませんので、レイス大佐の息子という設定になっており、変名も使っておらず、本名がコリン・レイス大尉ということになっていました。このあたりも、ドラマ世界の中でなんとかつじつまを合わせようとした意識を感じました。

 「ビッグ・フォー」と「ヘラクレスの難業」の2作をどう扱うか、楽しみにしていました。両作品とも最終の第13シーズンまで持ち越されていますので、制作者側でもいろいろ迷いがあったのではないでしょうか。
 「ビッグ・フォー」はポワロが世界的な陰謀組織と対決する話です。ナンバー1が中国人の大立者、ナンバー2がアメリカ人の大富豪、ナンバー3がフランス人の天才女性科学者、ナンバー4が謎に包まれた英国人という4大幹部によって率いられた闇の組織がビッグ・フォーで、参謀役としてロサコフ伯爵夫人も登場しました。世界制覇をもくろむビッグ・フォーの暗躍を阻止すべくポワロとヘイスティングズが大活躍……という血湧き肉躍る活劇篇なのでした。いわゆる本格推理小説とはとても呼べない、まさに異色作であって、それゆえポワロものの中ではえらく低評価を受けている作品でもあります。本格推理小説という思い込みを棄てて読めばけっこう楽しいのですけれども。
 そのまま扱えば、シリーズの中で妙に浮いた回になりかねません。それに前後編とかにしないと、1回の放送では尺が足りなさそうです。どんなアレンジが施されているのかと期待していたのでした。
 また「ヘラクレスの難業」は、本来連作短篇集です。ギリシャ神話のヘラクレスの12の難業になぞらえた12の短篇より成っています。例えば「ネメアの谷のライオン」はライオンならぬ狆(ちん)を探す話、「アウゲイアスの家畜小屋」は政治家のスキャンダルを阻止する話です。第12話の「ケルベロスの捕獲」ではまたロサコフ伯爵夫人が出てきますが、原作での登場はこれが最後となります。
 この短篇集を1回の放送でやってしまうらしいので、これもどんな処理がおこなわれているか興味津々だったのでした。
 ネタバレになるので詳しく書くことは遠慮しますが、「ビッグ・フォー」はある個人による狡猾な劇場型犯罪に換骨奪胎されていました。また、「ヘラクレス」は短篇集の中のいくつかの物語、たぶん4つくらいを組み合わせて同時進行させるという方法をとっていました。
 そしてどちらにおいても、最終的に真犯人と名指された人物が、ポワロのやりかた自体を痛烈に批判してから去るという趣向になっていました。制作者側のそれとない主張にもなっているようです。
 ロサコフ伯爵夫人は「ビッグ・フォー」には登場せず、「ヘラクレス」に出てきましたが、第3シーズンの「二重の手がかり」で演じたキカ・マーカムではなく、オーラ・ブレイディに配役変更されていました。マーカムは最終シーズンの頃はすでに70過ぎだったので、さすがに無理と判断されたのでしょうが、「二重の手がかり」のときには何やら妖しくはかなげな美しさを醸し出していたもので、「ヘラクレス」での変更は少々残念でした。

 第13シーズン最初の「象は忘れない」を見たときに、熊倉さんの声が急に衰えたのを感じました。考えてみれば第13シーズンというのは、わずか3年前の2013年に制作され、日本語版はその翌年でしたから、熊倉氏はもう87歳であったはずです。よくぞそこまで頑張ったものだと感嘆しきりです。そのお齢では、セリフのタイミングを測ることすら大変だったのではないでしょうか。
 最後まで取り置かれた「カーテン」の日本語版が初放映されてほぼちょうど1年後、2015年10月に熊倉氏は帰らぬ人となりました。深い達成感を抱きながらの逝去だったに違いないと思います。
 私もこのような「晩年のライフワーク」に打ち込める幸せが訪れれば良いものだと思わざるを得ません。
 そしてまた、全70話という厖大な映像化をやりとげたLWTのスタッフの皆さんにも、惜しみない拍手を送りたいものです。

(2016.4.4.)

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