忘れ得ぬことどもII

夫婦別姓問題について

 夫婦で別の姓を名乗ることを禁止した民法の条項が憲法違反ではないかというので、かなり長いこと、最高裁まで争われてきた裁判に、合憲であるという判決が下りました。最高裁の判決ですからこれが最終的なものになります。
 原告のひとりの、もう80歳にもなるお婆さんは、判決を聞いて
 「これで自分の名で墓に入ることもできなくなった」
 と泣き崩れたそうです。またやはり原告のひとりである30代の学校の先生は、3人の子供が居るらしいのですが、生まれるたびに入籍と離婚を繰り返してきたとか。はたから見ているといささか変な人たちではないかと思わざるを得ません。原告団のみんながみんな変な人ではなかったのかもしれませんが、記事になるのがこういう人たちばかりだと、やっぱりおかしな連中のおかしな訴訟であったのでは……と思えてしまいます。
 そこまで夫の姓を名乗るのがイヤなら、別れりゃいいじゃん、と思うのが普通でしょうし、事実婚という手段もあります。内縁だと税金や保険のことで多少の不利益があるかもしれませんが、どうしても別の姓で居たいというのならそのくらいのことは辛抱するべきでしょう。
 また戸籍こそ同姓を求められますが、社会的に活動する上では旧姓を用いたり、ペンネームやハンドルネームを用いたりすることだって差し支えないわけです。
 そしてもちろん、夫が妻の姓に変えることだって、当今珍しくはありません。私の友人にも何人か、妻の姓になった人が居ます。訴訟を起こす手間と費用を考えたら、夫を説得して自分の姓になって貰うほうがずっと簡単だったでしょう。さすがに80歳のお婆さんが結婚した頃は慣習的にそうもゆかなかったかもしれませんが、30代の先生の場合は、選択肢として充分あり得たはずです。
 そうではなくて、夫と同じ姓であること自体が堪えられないというのであれば、もう愛情がまったく残っていないんじゃないのかと思えてしまいます。それならやはり別れたほうが良さそうです。
 苗字というのは、単なる個人の属性ではなく、「世帯」を整理するための一種の「タグ」という役割があります。少なくとも日本の近代社会ではそういう扱われかたをしています。従って、やはり世帯につきひとつということに決まっているべきではないかと私は思います。夫婦のどちらかの姓を用いるのが普通ですが、確かまったく新しい姓を創設することも、面倒くさくはあるでしょうが不可能ではなかったような記憶があります。
 いずれにしろ、結婚前に姓をどうするのかしっかり話し合う必要はあるでしょう。そういう問題提起をしたという意味においては、今回の訴訟もまったく無駄であったとも言いきれません。しかし、「夫の姓にすることが多いから女性差別だ」などという主張はまるで的外れと言うべきでしょう。差別というのは、ある属性の者に与えられる選択肢が、その属性の者以外に与えられていないときに発生するものであって、「夫の姓にすることが多い」というのは単に多くのカップルの選択の結果に過ぎず、制度的な問題ではありません。

 「諸外国ではこんなことは無いはず。日本は遅れている」というコメントも見かけました。無い「はず」で議論しているのもいい気なもので、どのくらいの「諸外国」を検証したのか聞いてみたいものです。また他の国が他のやりかたをしているからと言って、それがすなわち「日本は遅れている」ということにもなりません。考えかたが違うだけのことです。
 私も外国の民法についてはよく知りませんが、少なくとも慣習的には、英米では女性は結婚すると夫の姓になることが普通であるように思います。
 マダムに聞くと、フランスではそもそも正式の結婚自体が減っていて、事実婚全盛だそうです。事実婚でも税金などで不利になることはないし、正式に結婚すると最初に財産の持ち分などを決めなければならず、甚だしく面倒くさいのだとか。
 スペインや、南米などラテン系の国々では、かなりアバウトであるようです。確かに夫婦別姓という感じでもあります。そして、子供は父の姓と母の姓を両方名乗ったりらしい。ときには祖父の姓と祖母の姓を全部くっつけたりすることもあり、その結果、むちゃくちゃ長い名前ができてしまうのでした。有名なのはこの人ですね。

 ──パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニタード・ルイス・ピカソ

 その他世界には、ミャンマーのようにそもそも姓など存在しない国もありますし、父親の名前(父称)がつけられる場合もあります。ロシア人は最近は父称をつけないことも多くなりましたが、昔は必ずついていたもので、

 ピョートル・イリイチ(イリヤの息子)・チャイコフスキー
 モデスト・ペトロヴィチ(ピョートルの息子)・ムソルグスキー
 セルゲイ・ヴァシリエヴィチ(ヴァシリーの息子)・ラフマニノフ

 などなど。女性でも同様で、

 アレクサンドラ・ニコライエヴナ(ニコライの娘)・パフムトワ
 ワレンティナ・ウラディーミロヴナ(ウラティーミルの娘)・テレシコワ

 と、いずれも親父の名前をひきずっています。ちなみにパフムトワはロシア・ロマンスをたくさん書いた女流作曲家、テレシコワは言わずと知れた世界最初の女性宇宙飛行士です。こういうのは、訴訟を起こした人たちとしてはどうなんでしょうね。「なぜ母称もつけないのか、女性差別だ」とでも言うんでしょうか。

 多くの「別姓」論者がよりどころにしているのは、中国韓国が別姓になっていることであるかもしれません。
 これも歴史的にそういう習慣だというだけのことで、進んでいる遅れているといった問題ではありません。
 これらの国は基本的に父権性社会で、父親から息子へとつながる系統が大事であって、女性は余計者扱いなのです。だから女性はある家に嫁に来ても、その家の姓を名乗らせては貰えません。家族うちの呼び名はあるかもしれませんが、対外的には「張氏」とか「李氏」とか一生呼ばれ続けることになります。
 中国史上唯一の女帝である武則天は、その名のとおり武氏です。彼女はの3代皇帝・高宗の夫人でしたが、高宗の歿後、ふたりの息子(中宗睿宗)を擁立したのち彼らを廃し、自分が即位しました。唐というのは李氏の王朝の国号でしたから、武氏である彼女はその国号のもとで皇帝になることができません。そこであらたにという国号を建てたのでした。中国の「夫婦別姓」は、それが皇帝であった場合国号まで変えなければならないほどに厳しいものであったわけです。
 ちなみに中国や韓国ではイトコ同士の結婚はありえないとされていますが、これも「同姓のイトコ」の場合に限られます。異姓のイトコ、つまり両親の姉妹である「おば」及び母方の「おじ」の子供との結婚はわりにおこわなれています。これも結局、「嫁」は一族にとっての異物であるという考えかたに基づいています。中国や韓国の別姓は、女性の権利を認めているどころか、まったく逆なのでした。
 嫁さんのほうも、婚家と実家が対立した場合は実家に従うことが多いようです。

 日本でも昔は夫婦別姓だったじゃないか、北條政子日野富子はどうなんだ、という意見があるかもしれません。
 まずこの話を検討する以前の問題として、昔の日本を引き合いに出すのならば、別姓は同姓よりも「古い」制度であるということになって、進んでいるの遅れているのと論じる立場からはむしろ不都合なのではないかという点を指摘しなければなりません。進み遅れの問題ではないということを認められない人とは、これ以上の検討は無意味でしょう。
 前に女性の名前について触れたときに書いたとおり、昔の女性の名前というのはよくわかりません。文献にも滅多に明記されることがないのでした。
 系図などには、他家から嫁に来た人のことは「誰某女」もしくは「誰某氏」などと書かれるのが普通です。その人の固有名などまず記しません。
 源頼朝の奥さんも、系図では「北條氏」と書かれるだけの人です。これは「北條氏から嫁に来た」という以上のことは示しておらず、彼女が結婚後も北條姓を名乗っていたかどうかなどということはわかりません……というより、そんなことを問題にしてはいません。名乗っていたかいないかと問われれば、たぶん名乗ってはいなかったでしょう。
 たまたま彼女の場合は、政子という名前が伝わっていました。これも、同時代としては単に「まさ」「おまさ」だったでしょう。北條時の娘だから「政」と書かれただけだ、という説さえあります。
 とにかく、珍しく名前が判明していたので、源氏本家の系図に書かれるべき「北條氏」と併せて「北條政子」と、後世の人間が呼んだだけの話です。
 日野富子も同様で、「日野氏から嫁に来た足利義政の奥さんの富子さん」という以上の意味はありません。彼女は公家でしたから「富子」というのはおそらく本名だったでしょうが、義政と結婚してから「わらわは日野富子と申す」などとは決して言わなかったはずです。
 ひとつには、昔の上層階級では、一夫多妻が普通で、何人もの側室を置くことがよくあり、それらを区別するために実家の姓で呼び分けたということもあったと思います。新田次郎「武田信玄」では、信玄の側室の名前は湖衣里美恵理と自由奔放に創作しながら、正夫人だけは「三条氏」と書いているのがなかなか笑えました。これらの側室たちも、正式な記録には「諏訪氏」「倉科氏」などと書かれているばかりで、名前などわかりません。
 細川ガラシヤは夫の姓で呼ばれますね。誰も実家の姓をとって明智ガラシヤなどとは呼びません。まあ、ガラシヤというのは結婚した後でつけられた洗礼名ですから、実家の姓を使うのなら明智たまと呼ぶべきでしょうが、そんな呼ばれかたをしているのは見たことがありません。
 豊臣秀吉の正室ねねは、正式な文書で豊臣吉子と書いてあるものが残っています。彼女の実家の姓は杉原もしくは木下で、養家の姓が浅野ですが、堂々と豊臣姓を名乗っています。ちなみに「吉子」とあるのは「秀の妻」ということであるようで、本名とは関係ありません。しかし姓ばかりか公的な名前そのものまで夫から字を借りているとは、訴訟を起こした人たちが見たらどう言うでしょうか。
 そんなわけで、北條政子や日野富子の例をもって「日本も昔は夫婦別姓だった」とはとうてい言えないわけです。後世の人が便宜上そう呼んでいるだけのことなのです。

 とにかく日本は近代的戸籍制度を作る上で、姓(正しくは。厳密に言えば「姓」と「氏」と「苗字」は全部意味が違いますが、この文では現在の慣習に合わせて、あまり正確には使い分けませんでした)を世帯のタグとして用いて戸籍を整理する方針にしたわけですから、夫婦同姓がどうしてもイヤなら、戸籍法を改正するよう求めるのが筋というものでしょう。女性差別とかいう観点から叫んでいる限り、なかなか同意は得られないと思います。
 ちなみに朝鮮を併合したときに、そちらでも同じ戸籍法を施行するために、世帯ごとに氏を決めるように定めました。当時、白丁(ペクチョン)と呼ばれる下層民以下には、氏とか苗字とかいうものはそもそもありませんでしたので、そのままだと戸籍管理に差し障りがあります。それで氏を作らせたのが、いわゆる「創氏」であって、韓国などでは「日帝の暴政」のひとつとして定着していますが、その内容からして、どこが暴政なのかわかりません。
 なお、「創氏」と常にペアにして言われる「改名」は強制でもなんでもなく、また改名しないとなんらかの不利益をこうむったなどという事実もありません。堂々と朝鮮名のままで高位の官僚や政治家、軍人などになった人もたくさん居ます。希望すれば日本式の名前に変更することを「許可した」というだけのことです。「創氏改名」で「名前を奪われた」などと言いつのるのは、言いがかり以外の何物でもありません。
 ともあれ、分離独立後、韓国も北朝鮮も、古来の夫婦別姓に戻りました。もしかすると、嫁と同じ「氏」を名乗るなどというのは、彼らにとっては、例えば実の兄妹で結婚するような感覚であって、気持ち悪いことこの上なかったのかもしれません。その気持ち悪いことを強制した日本の戸籍法が心情的に「暴政」に感じられた、というのならば、まあわからないでもない気がします。それにしても、「女性の権利を尊重した」結果として別姓にしたわけでないということは確かです。
 夫婦別姓の議論は、今後もちょくちょく噴出してくるかもしれません。しかし最高裁で今回のような判決が下された以上、感覚的にイヤだとか、女性差別だとか、外国はどうだとか、そういった雑な理由で訴え出ても、これからは門前払いになるだけのことでしょう。本当に覆したいのならば、よほど確乎とした論拠を用意しない限り、相手にされないと思います。

(2015.12.19.)

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