深夜アニメの『おそ松さん』が、このところ妙に受けているようです。 『おそ松さん』は言わずと知れた赤塚不二夫の代表作のひとつ『おそ松くん』の、パロディというかリメイクというか後日談というか、例の六つ子がそのまま大人になったという趣向で、彼らが日々まきおこす騒ぎを描いたギャグアニメです。
2015年10月に番組がはじまった頃は、 「誰得なんだ」 「いったいどういう層をターゲットにしてるんだ」 等々、批判の声や、先行きを危ぶむ声が高かったのですが、回を重ねるごとにじわじわとファンが増えたようです。1クールでは終わらず、来年も続くことが発表されると、喜びの声も上がりました。 『おそ松くん』は私の子供の頃にもアニメ化されていましたし、原作マンガもけっこう読みました。自分で買ったことはないのですが、友達の家で読んだり、学級文庫にあるのを借りたりしたのでした。面白いことは面白かったのですけれども、同じ赤塚作品である『天才バカボン』に、人気の点では一歩を譲っていたような気がします。確かバカボンは「少年マガジン」、おそ松は「少年サンデー」での連載でした。
全員同じ顔・同じ服装の六つ子という設定にはぶっ飛んだ凄みを感じますが、残念ながらさすがの赤塚先生も、その設定を活かしきることは難しかったようです。当初は六つ子ひとりひとり(おそ松・カラ松・チョロ松・一松・十四松・トド松)にそれぞれの性格づけなどもあったに違いないのですが、描き分けが成功しているとは言えません。6人一緒に登場して、一緒に声を揃えてしゃべる、なんてことが多かったように思います。読んでいても、誰が誰だか、セリフで名前が呼ばれていない限りはわかりませんでした。
むしろ、脇役のほうが目立っていました。赤塚作品では、まま「主役を食ってしまう脇役」が登場します。『天才バカボン』も本来はバカボンが主人公であったはずなのですが、どう考えてもパパのほうがキャラが立ち、途中から(かなり序盤からだったような気もする)パパが主役みたいになっていました。『もーれつア太郎』でも、主人公のア太郎は案外キャラ立ちが弱く、脇役であるニャロメやココロの親分のほうがよっぽど活躍していました。
『おそ松くん』では、言うまでもなくイヤミとチビ太です。特に後半は、このふたりのどちらかが主人公であるエピソードがほとんどになっています。六つ子のほうが脇役であったり、あるいは全然出てこなかったりもしました。
イヤミの決めポーズ「シェー」は、一時は国民的ポーズでさえあった気配があります。まったく関係のない映画やドラマで登場人物が「シェー」をやることも珍しくありませんでした。揚げ句はゴジラまでが「シェー」をやり、見ていた人々が揃ってずっこけたものでした。
「〜〜ざんす」という語尾のしゃべりかたも印象的です。これはトニー谷をモデルにしたのだと言われています。自分のことをミー、相手のことをユーと呼んだりするのも同様でしょう。やたらキザっぽい派手な服を着るのもそれらしいところがあります。しかしトニー氏の芸だけでは「ざんす」言葉もそんなに弘まりはしなかったのではないでしょうか。
「おフランス」という言いかたも人口に膾炙しました。今でもフランスのことを語るときにわざわざ「おフランス」と言う人が居ます。「おアメリカ」「おイギリス」などとは決して使われないところがミソです。
ふらんすに行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し(萩原朔太郎)
といった、フランスに対して近代の日本人が持つ独特の憧れ感覚がベースにあってこそ「おフランス」がギャグとして成立するわけで、そこに目をつけた赤塚先生はさすがに慧眼であったと言わざるを得ません。
チビ太のほうは、イヤミほどキャラの強烈さはありませんが、いつも三角・丸・四角の順に具材が並んだおでん串を握っているのがトレードマークでした。この配列のおでん串は「チビ太のおでん」として誰もが知るアイテムとなっています。マンガ起源の食べ物アイテムとしては、園山俊二の『ギャートルズ』に出てくる「マンガ肉」と双璧でしょう。たとえ『おそ松くん』を読んでいなくとも、現在40代〜60代くらいの年代で「チビ太のおでん」と言われてまったくイメージが湧かない人は、ことに男性ではごく少ないのではないでしょうか。
他にも、主役級とは言えませんが、デカパン先生やダヨーン氏、ハタ坊などのレギュラーの脇役が、それぞれにいい味を出していました。これに対し、女性キャラというと六つ子の母ちゃんとトト子ちゃんくらいしか居なかったように思います。
トト子ちゃんはほとんど唯一のヒロインなのにあまり印象が強くありませんでした。なお彼女のデザインが、ほぼそのまま『ひみつのアッコちゃん』に流用されています。アニメでは全然違うデザインになっていましたが、原作を読むと、特に初期のアッコちゃんはトト子ちゃんとあまり見分けがつきません。……それにしてもアッコちゃんが赤塚作品と知ったときはびっくりしたなあ。『魔法使いサリー』が横山光輝作と知ったときものけぞりそうになりましたが……
さて、現在放映中の『おそ松さん』は、見たところかなり注意深く赤塚テイストを守っているようです。
「昭和のギャグじゃん」
「こんなんで笑わないだろ、いまの若者は」
最初の頃はそんなことも言われていましたが、やっぱり「じわじわ来ている」みたいです。赤塚不二夫の笑いというものが、決して一発芸的なものではなかった証でもあるでしょう。
それでいて、原作における問題点もできる限り丁寧に解決しようとしているスタンスを感じます。
イヤミやチビ太が中心となるエピソードもあるものの、基本的には六つ子が主役という線を外さないように作っています。そのため、六つ子それぞれのキャラクター設定を原作より綿密におこなっており、キャラクターデザインも微妙に変えて、視聴者が注意深く見ていれば見分けられるようにしてあるのでした。空気を読まないマイペースのおそ松、目つきが鋭くて言動が「痛い」カラ松、比較的常識人でツッコミ役を振られることの多いチョロ松、コミュ障らしい一松、脳筋バカっぽいけれども心優しい十四松、要領の良い末っ子性格のトド松と、はっきり性格を分けてあります。しかしそうは言っても全員が童貞ニートのクズであると、ちゃんと現代性も付加しているのでした。
それらのキャラクターを立たせるため、声優陣も豪華です。六つ子のキャラクターヴォイスは、櫻井孝宏、中村悠一、神谷浩史、福山潤、小野大輔、入野自由という面々で、いずれも当節の主役級声優で、最近は「イケボ」とか呼ばれてもてはやされている諸氏なのでした。ちなみに昔の『おそ松くん』のアニメでは加藤みどり、貴家堂子、山本圭子などが担当しています。加藤さんと貴家さんはサザエさんとタラちゃんで、山本さんは初代ワカメですね。
原作でいまひとつキャラが立たなかったトト子ちゃんも、かなりゲスな性格(というより性格破綻?)の女の子として作り替えています。この辺は時代性かもしれません。少し前にアニメ化されていた松本ひで吉の「なかよし」連載マンガ『さばげぶっ!』のように、見た目はとても可愛いのにとことんゲスな性格の女の子というのは、最近のトレンドでさえあるようです。昔もゲスな女の子キャラは居ましたが、土田よし子のつる姫や室山まゆみのあさりちゃんのように、性格が悪い場合は容姿のほうも微妙というケースがほとんどでした。
登場人物が大人になり、深夜放送であることもあって、ギャグのネタにだいぶきわどいものも多くなりましたが、いちおう赤塚テイストの範囲内です。赤塚作品はもともとかなりブラックなところがあるし、後年の大人向きの作品(例えば『ギャグ・ゲリラ』など)ではシモネタも遠慮なく使っていますので、「やり過ぎだろ」とまでは感じません。
強いて言うと、脇役の女の子キャラが、トト子ちゃん以外もずいぶん可愛くなりました。イヤミとチビ太が「可愛い女の子に変身する薬」を服んで六つ子を騙すというエピソードもありましたが、その変身した姿も本当に可愛くて、本来の赤塚作品ではこういうことは無かったなと思います。
実は後年、「赤塚不二夫文芸シリーズ」と称して、遠藤周作の「おバカさん」とか筒井康隆の「家族八景」なんかをマンガ化し、「少年マガジン」などに連載していたことがあるのですが、そのときには従来の赤塚絵と違ったイメージの、けっこう可愛いデザインの女の子が出ていたりしたものでした。ただ、他のキャラと頭身その他がいまいちマッチしていないきらいがありました。
その点『おそ松さん』では、赤塚絵と乖離しないタッチで可愛い子がデザインされており、キャラクターデザイナーがずいぶん苦心したのではないかと思われました。十四松が恋をするエピソードなどでは、可愛いばかりでなく、いかにも薄幸な雰囲気を漂わせた美少女まで出てきて、つい感心してしまったほどでした。
古い作品をリメイクしたり後日談を作ったりという企画は、わりによくおこなわれますが、あまり成功した例がありません。オリジナルを知っている立場からすると、どうしても不満が残るものが多くなります。私の知る限りでも、「鉄人28号」「バビル二世」「鉄腕アトム」「キューティーハニー」「サイボーグ009」等々が、装いを新たに作られたことがありますが、あまり感心するリメイクはありませんでした。技術的には旧版よりはるかに進歩しているはずなのに、なぜかさほど感動しないのです。
「真マジンガー・衝撃!Z編」はアニメと違う展開だったマンガ版の「マジンガーZ」を基にしたリメイクでしたが、いろいろと要素を欲張りすぎて、消化不良のまま終わってしまった観がありました。
一方バカボンは「天才バカボン」「元祖天才バカボン」「平成天才バカボン」と3回作られましたが、これは変に改変せず、そのままの世界観と色合いで制作されたので、リメイクというよりはセカンドシーズン、サードシーズンというような感覚で見ることができました。これは藤子不二雄アニメなどでも同様かもしれません。
こうした意味で『おそ松さん』が当初危惧されたというのも理解できます。制作陣の自己満足で、思いきり外しまくるのではないかと考えた人が多かったのでしょう。特に第1回目がほぼ全篇、某イケメン歌グループアニメのパロディみたいなことになっていたので、
──1回目でここまでむちゃくちゃやってしまって、2回目から大丈夫なのか?
という意見がよく見られました。
しかし、この制作陣は、赤塚ワールドというものを充分に理解し、下手に自分たちの色を出し過ぎずに、それでいて現代性のある笑いを追い求めるという困難な仕事を、よくやっていると思います。言ってみれば、赤塚不二夫が「『おそ松くん』でできなかったこと」にチャレンジしているかのようにさえ見えます。
珍しく成功したリメイクものに数えて良いのではないでしょうか。まあ、第2クールを見てまた意見が変わるということも無いとは言えませんが。
(2015.12.23.)
【後記】第2クールどころか、「おそ松さん」は第2シーズン、第3シーズンと次々続篇が作られ、ますます好調であるようです。 |