重力波がついに直接検出されたとの報に接し、またワクワクしはじめています。 ここ数年、ニュートリノが光より速く動くタキオンだったかもしれないとか(これは残念ながら間違いでしたが)、ヒッグズ粒子が確認されたりとか、113番元素を日本が見つけたりとか、けっこうワクワクする科学ニュースが相次いでいるような気がします。ややジャンルは違いますがニューホライズンズの冥王星接近なども心が躍りました。 こういうニュースは、わりと短期間でいろいろ話題になる時期と、停滞気味の時期があるようです。私は科学者でもなんでもなく、理系人間ですらなく、むしろ理系から遠ざかって久しい半可通に過ぎませんが、それでもこの種のニュースに接すると、科学少年……とまではゆかない理科少年であった昔を、ちょっと思い出してときめいてしまうのです。 幼児の頃は、もちろん自分に何が向いているかなどということはまったくわかりませんでしたが、小学校に上がった頃、集英社から出ていた理科学習漫画のシリーズを買い与えられ、夢中になって読みふけりました。確か12冊でひとそろいになっており、第1巻は宇宙を扱ったもの、第2巻は気象、第3巻は地球、第4巻は動物、第5巻は植物といった具合に、テーマ別にまとめられていました。順不同に入手しましたが、最初の気象の巻は父か母が買ってくれたと思うのですけれども、あとは父方の祖父がプレゼントしてくれたのだと記憶しています。祖父からお小遣いを貰ったとか、何かの入り用を補助して貰ったとかいう経験はほとんどないのですが、この理科学習漫画シリーズはその数少ない例だったのでした。
理科マンガを熱心に読みふけっているので、なんとなく周囲も、この子は理科系に強いのだろうと思ったのかもしれません。学研の学習雑誌を毎月とっていましたが、「学習」ではなくて「科学」のほうでした。それも自分の学年よりひとつ上のをとっていたような気がします。
小学5年生から学校でクラブ活動がはじまりましたが、私は科学クラブに入りました。本に出ているいろんな実験を、書かれている手順でおこなって、書かれたとおりの結果が出て喜ぶ、という程度の「活動」ではありましたが、とても楽しい想い出です。
学研の学習雑誌は3年生くらいで購読をやめ、そのあとは誠文堂新光社から出ていた「子供の科学」を購読しました。これは確か、友達の影響であったと思います。学研の学習雑誌よりも少しつっこんだ記述が多くて興味を惹かれました。ブラックホールなどのことを知ったのはこの雑誌からでした。
ただ、「子供の科学」はわりに工作の記事なども多く、不器用で図画工作が苦手であった私は、そういうところは飛ばし読みしていました。いま調べてみたら、この雑誌、まだ続いているようですね。
「子供の科学」の記事にあおられて、ハム(アマチュア無線)の勉強をはじめかけましたが、これはさすがに挫折しました。検定合格者には小学生も居るということだったのでその気になったのですけれども、まったく指導してくれる人が居ない状態で教科書だけ読む程度では、ものにならなかったのも無理はありません。教科書の巻末附録についていたギリシャ文字の一覧とか、単位系の一覧などが記憶に残ったくらいでした。
いま振り返ると、なんで父がもう少し教えてくれなかったかと思います。父は地学のほうで専門は違いますが、曲がりなりにも理系であり、電気や通信のことだって、少なくとも子供に教える程度ならわかっていたと思われるのですが……たぶん仕事が忙しい時期だったのでしょうけれども、残念なことをした、と40年以上経ってから悔やんでいます。
そんなわけで、中学に上がるくらいまでは、私が理系に進む素地は充分あったと言って良いでしょう。しかしその後、挫折が来ました。
中学1年の数学のテストで、惨憺たる成績をとってしまったのでした。まあ難関校と言われる学校だったので、ありうべき事態ではありましたが、それにしても予想を超えたひどさでした。
とはいえ、常勤の先生の教えてくれていた代数系のテストは人並みの点数でした。問題は非常勤の先生が受け持っていた図形のほうでした。正直言って、授業中もさっぱり理解できていなかったのです。黒板に問題を書いて、
「あ〜、この薄汚い図形の、お〜、ここにこう補助線を引くと、まあ〜こうなって、え〜、こっちがわかる」
みたいな調子でぶつぶつしゃべっているばかりで、途中生徒を当てて答えさせるということも滅多になく、ただ自分で問題を解いて帰ってしまうという先生でした。言われたように補助線を引けば解けるということはわかっても、そもそもそこに補助線を引くことをどうすれば思いつけるのかを教えてくれないと、納得できないままで終わってしまいます。中高一貫校で、主に高校の幾何を教えている先生だったので、入学したての中学1年生を教えるようなメソッドを持っていなかったように思われます。
しかしまあ、そんな授業でも、ちゃんとテストで高得点をとった生徒は居たわけで、私の勉強不足であったことは疑いを得ません。しかし最初からひどい点数をとってしまったことで、数学、ことに図形問題に対する苦手意識が私の中に根付いてしまいました。
理科に関してはさほど悪い点でもなかったのに、数学に苦手意識が生じたために、
──おれは、理数系はダメだ。
と思い込んでしまったわけです。
と言って英語も苦手だったので、自分は文系だとも思いきれません。理系でも文系でもない道──音楽を志すことになったのは、もちろんそれが好きで得意だったからではありますけれども、若干、そうした消去法の結果であったとも言えます。
そうは言っても、理系から興味を失ったというわけではありません。一般向けの科学の本などはずいぶんと読みました。講談社ブルーバックスなど100冊以上持っているということは前に書いた記憶があります。
ただ、私の興味はいささか偏っているようです。数学なら整数論とか無限論、理科なら素粒子とか宇宙論とか、いささか浮世離れしたジャンルばかりに関心が行きます。言い換えるなら、高校までの学校の授業などではほとんど扱われないようなことばかりで、従っていくら本を読んでも、学校の成績にはまるで寄与するところがありませんでした。
ところで私が大学を受験した頃は共通一次試験時代で、私の受けた大学では共通一次の成績などほとんど顧慮されないとわかっていたにもかかわらず、五教科七科目を全部受けなければなりませんでした。いちばん難儀な年代だったと言って良く、私らの少しあとで「五教科五科目」に改められ、その後センター試験となりました。
ただ受験前にはいろんな噂が飛び交い、
「国語100点、英語80点(両方とも200点満点)が足切りラインらしいぞ。他の教科は見ないんだって」
「いや、合計で400点(1000点満点)は要ると聞いたぞ」
などとささやき合ってみんな戦々兢々としていたのだから、わがライバルたちの学力の無さ加減にはあきれるのですが、まあ芸術大学などそんなものです。みんな渋々、泥縄状態で学科の勉強もしている模様でした。
私は学科の勉強などほとんどせず、しかしちょっと心配だったので通信添削の模擬試験を何回か受けました。結果、「私の志望大学」に限っては1位とか2位とかの成績が送られてきましたが、もちろんそんな結果はなんの役にも立ちません。
まあ、私の高校は世間からは全国でも有数の進学校と見なされているところではあり、その中で私は決して優等生ではありませんでしたが、さりとて最下位争いをするほどではなく、不思議なことに下から3分の1くらいの位置をずっとキープし続けていましたから、共通一次に関してはたぶん大丈夫だろうと多寡をくくっていました。
実際、最初の年は東大だって狙えそうな820点超えでした。特に、中学以来あれだけ苦手としていた数学がほぼ満点近かったのが、自分でも驚きでした。自分の通っていた中学・高校がどれだけ高度なことをやっていたのか、はじめて思い知らされた気がしました。
浪人して学科とは縁の切れた2年目は、さすがにだいぶ落ちましたが、それでも770点くらいはとれていたと記憶します。しかも、特に理数がダメということもなく、社会科などよりむしろ高得点でした。私は自分で諦めていたほど理数系に弱くはなかったらしいと、眼が醒める想いでした。共通一次試験の結果は、大学の合否にもその後の人生にもほぼ無関係でしたが、私の自尊心回復にだけは多少役立ったようです。
いまはもう、科学とはなんの関わりもない毎日を送っていますが、しかしめざましい科学ニュースなどが報じられると思わず心ときめく程度の、いわば「理系的感性」あるいは「理科少年的感性」はまだ胸の奥に残っているようです。
今回検出された重力波は、1世紀前にアインシュタインが予言し、必ず存在するはずだと信じられながら、あまりに微弱であるためにいままで直接検出できなかった波動です。天体の重力レンズ効果など、傍証はいくつも発見されていますが、実物を押さえないことには仮説の域を出ません。それがついに見つかったのですから、これは文字どおり世紀の大発見です。1辺4キロメートルに及ぶL字型の装置を用いて検出したというのもスケールの大きな話でした。
重力は非常に強い力であるようにわれわれには思われますが、実は他の種類の力に較べるときわめて微弱なのでした。自然界に存在する4つの基本的な力の中でいちばん強いのはその名も「強い力」、原子内のクオークをとじこめたり陽子と中性子をくっつけたりしている力で、グルーオンという素粒子を媒介として伝わります。次が「電磁気力」でこれはしょっちゅう眼にしますね。光子を媒介とします。それから「弱い力」で、こちらは日常生活ではあまり馴染みがありません。原子のベータ崩壊という現象に関与する力だそうで、ウィークボソンという素粒子を媒介とします。
重力の強さを1とすると、「弱い力」の強さは1015、つまり1000兆となります。電磁気力は弱い力のさらに1023倍(1000垓倍)、強い力は電磁気力の100倍くらいです。強い力は重力の1040倍(1正倍)ということになります。信じがたいような気がしますが、素粒子レベルのサイズで見るとそういうことになっているそうです。
重力の弱さを実感することもできます。脇の下で下敷きをこすった程度の微弱な静電気があれば、髪の毛とか紙切れなどを吸いつけることができますが、あれは言い換えれば、そればかりの電磁気力で地球レベルの重力がキャンセルされていることになります。下敷きの重さ(数十グラム)と地球の重さ(60垓トン=1兆トンの60億倍)を考えれば、重力と電磁気力に10の38乗倍の大差があるというのも納得できるでしょう。
ただし、強い力と弱い力は原子核レベルのごく短い距離でしか働かない性質があるのに対し、電磁気力と重力は原理的には無限遠まで到達しうる力であるため、サイズが大きくなってくると圧倒的に強力になってきます。しかも電磁気力はプラスとマイナスがあるため打ち消されたり隠蔽されたりすることがありますが、重力はいまのところ1種類しかないと考えられているので、銀河レベル、銀河団レベルくらいになると、電磁気力よりさらに支配的な力となります。
だから重力波の検出は、宇宙を考える上でも素粒子を考える上でも、きわめて重要なことなのでした。
重力波が確認されれば、波動と粒子は素粒子レベルでは同じことであると考えられているので、重力子(グラヴィトン)の存在が確認されたのと同値になります。そうすると理論のほうも一挙に進みはじめるに違いありません。
前に発見されたヒッグズ粒子は、すでに統一が成功している電磁気力と弱い力(電弱力という1種類の力が、状況によって電磁気力として働いたり弱い力として働いたりすることがわかっている)に加えて、強い力をも統一する「標準理論」あるいは「大統一理論」に必要な最後のピースでした。これらの理論が完成されたのか、もう少し時間がかかるのか、最先端事情はよく知りませんが、ともかく物理学者たちの念願に近づく大きな一歩だったのでした。
それからさほど時を経ずして重力波が検出されたとなると、いよいよ重力をも包含する最終統一理論への踏み出しがはじまるのかもしれません。つい最近、その最終統一理論候補である超ひも理論のことをあれこれ書き散らしましたが、それから半月も経たないうちのビッグニュース、まだ充分な検証はこれからでしょうが、どうも思っていたより早い進展が見られそうで、この先もワクワクさせて貰うことができそうな按配になってきました。
理科少年のなれのはてとして、この種の報道に心躍らせる気持ちを、生涯持ち続けてゆきたいと思う次第です。
(2016.2.13.)
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