忘れ得ぬことどもII

半島と日本海

 北朝鮮の情勢はますます緊迫の度を増してきた感じで、日米の高官がたから連日のように穏やかならぬ言葉が発せられます。
 昨日の朝などは北朝鮮のミサイル発射の報を受けて、東京メトロが10分ばかり電車の運行を停止したということです。これを大騒ぎしすぎだと批判する向きはありましょうが、たまたま昨日の発射が失敗に終わったから良かったようなものの、もし実際に飛んできたらと考えれば、対策は過剰なくらいでちょうど良いようでもあります。何しろ東京メトロといえば、オウム事件の時にサリン散布の被害に実際に遭っているわけで、北朝鮮のミサイルが核弾頭のみならず化学兵器弾頭も装着可能という情報がある以上、多少神経質になっても仕方のないことだろうと思います。
 USAの空母打撃群に、警告された上で接近されながらの発射ですから、金正恩としてももはや引くに引けない状態になってしまっているのではないでしょうか。
 USAのほうは中東での素早い行動と異なり、少々悠長に構えているかのようにも見えますが、見ようによっては水も漏らさぬ布陣を完成させようとしているとも考えられます。そんな最中に、佐世保港にはフランスの強襲揚陸艦ミストラルも寄港しました。しかもフランスの軍艦なのに、英国海軍の水兵たちまで少なからず搭乗させており、単純に親善や合同訓練のための寄港だとはとても考えられません。「国連軍」としての体裁を調えるべく招かれたと見るほうが自然です。いよいよ有事となった際の、中国ロシアの蠢動を牽制する役割を担っているとも思えます。
 とにかくUSAとしても、かつての朝鮮戦争ではかなり痛い目にあったことでもあり(「USA史上もっとも悲惨な敗戦」とすら言う人も居る)、イラクシリアを空爆するのとは違って、相当に慎重になっているのは確かでしょう。

 さて、そんな中で変に暢気なのが韓国です。大統領という最高司令塔が事実上存在しない状態ということもあって、政府があまり機能していないのかもしれず、USAや日本から充分な情報を受け取っていない可能性もあります。
 それにしても、日本が粛々と防衛対策にいそしんでいるのを見ては「日本がわざと緊張を高めようとしている」と批難したり、米軍の動きを見ては「わが国の諒解を得ずに北と事を構えるわけがない」と願望まみれの観測をおこなったりと、どうにも当事者意識に欠ける論調が目立ちます。東京メトロの運行停止についても批判しているそうです。
 ソウル38度線から至近の距離であり、北朝鮮がその気になれば、ミサイルなど一発も使わずとも、自国陣地からの普通の砲撃だけで充分都市機能を停止させることが可能だという事実認識があれば、そんなにのんびり構えては居られないはずなのですが、どういうわけだか韓国人は、北朝鮮が本気で韓国を攻める気は無いと信じきっているかのような様子なのでした。
 何度か指摘したことがありますが、韓国人のメンタリティには、「願望」を「既成事実」にすり替えてしまうところがあるようです。「こうだったら良いのにな」と考えたことが、いつの間にか「こうであるべきだ」ということになり、それがほどなく「実際、こうだったのだ」と変質してしまうのです。ウリナラ起源主張と呼ばれるもののほとんどがこれです。寿司も剣道も茶道も折り紙も漫画も、

 ●日本ばかりがもてはやされて悔しい。あれがわが国のものであったら良かったのに。
   ↓
 ●いや、劣等民族である日本人があんなものを産み出せるわけがない。いまは日本で隆盛を誇っているが、もとは優秀なわが国のものであったはずだ。
   ↓
 ●いま日本にある「良い物」は、実はすべてわが国が起源なのである。


 という経過を辿って、いまやそれらの起源が韓国であることは、韓国内ではすっかり「既成事実」となってしまっています。そして日本のものが流行している外国などへ出かけ、
 「こっちが源流なのだから、日本のものなどよりこちらを学ぶべきだ」
 と押しつけまくっているのが現状です。
 そんな国柄ですので、

 ●北が攻めてきたらどうしよう。そんなことが無ければ良いな。
   ↓
 ●いや、おなじ民族なんだし、きっと攻めてきたりはしないだろう。
   ↓
 ●北が攻めてくるなんて、そんなことがあるはずはない。


 という思考になっていたとしても驚くにはあたりません。かつて大挙して攻められた「歴史的事実」など、韓国人の「既成事実化された願望」の前ではさほどの力を持たないようです。
 そしてこの緊迫した情勢の中、何を言い出すかと思えば、ペンス副大統領の演説の中で
 「日本海」
 という言葉が使われたことに対して執拗に噛みつくという馬鹿な振る舞いをはじめたのでした。この記事に、ネットでも一斉に
 「気にするのは、そこかぁ?」
 とツッコミが入ったものでした。

 日本海のことを韓国が「東海(トンヘ)と呼んでいるのはよく知られています。それだけなら別に問題は無く、国際的に認められた地理呼称とローカル呼称が異なるのはよくあること、で済む話なのですが、韓国ではそれではおさまりません。彼らにとってはトンヘというのが「正しい」呼称であり、日本海とは「間違った」呼称だという認識になるわけです。
 正しいとか間違ったとか言っても、日本海という名称はかつて帝政ロシアの船乗りが命名し、もう何百年も使い続けられている呼びかたで、国際的にも定着しています。「一般的にその名で認識されている」ということであって、正誤の問題ではありません。
 ところが韓国的価値観によればそうでないようで、一般的呼称として国際的に「日本海」と呼ばれているのは、「みんなが間違っている」ということになるらしいのでした。そして「みんなの間違いを正してやらなければならない」と考えるのです。
 この不思議な感覚の背景には、儒教における「正名論」があるのかもしれません。儒教では名を正す(この場合は「概念を正確に規定する」という意味合い)ことが重要とされます。確かに議論をする上で、同じ概念を人によって違う言葉であらわしていたり、逆に同じ言葉でも違う意味合いを持たせたりしていたのでは話になりませんから、「まず名を正す」というのは妥当な手順です。西洋の論理学にも通じる、ごくまっとうな過程だと思います。
 しかし、儒教ではそこに価値論を持ち込むのでややこしいことになります。正名論は、議論のための概念の記号化という便宜を超え、「自分らが規定したのと違ったものの見かたはいっさい認めない」という、ドグマ的と言うほかない唯我独尊の思考へと変質してしまいました。中国でも韓国でも、もちろん北朝鮮でも、この思考の伝統は根強く残っています。もはや血肉と化していると言っても良いでしょう。自分たちがトンヘと呼んでいるからには、トンヘが唯一絶対の「正しい名」であり、同じ海域を他国人が「日本海」と呼ぶのは「間違ったこと」である、という信念に疑いを持ちません。
 ただちょっと姑息に思えるのは、韓国で西海と呼んでいる海域もあって、ここは一般的には黄海と呼ばれています。英語でもYellow Seaで定着しています。こちらに対して
 「黄海というのは間違った名前である。西海と呼ぶのが正しい」
 と主張したことは無さそうなのでした。黄海という名前は中国がつけたわけで、中国に対しては強いことが言えない事大主義が見え隠れしています。
 ともあれ、韓国人は日本海のことを東海と呼び替えさせることに異常な情熱を傾けており、外国の図書館の地図帳を勝手に書き換えたりしています。IHO(国際水路機関)の会議などにも乗り込んで、日本海とは誤った呼称であるから東海に正すべし、ということを主張しています。実は前回の会議のとき、IHOは
 「日本海の呼称は従来のままとする」
 という決定を下しているのですが、韓国側は「従来のまま」という文言を「棚上げ」と解釈し、今年の会議にも、今度こそ東海に正させるとばかり、大挙して押しかけたそうです。
 普通の感覚ならば、
 「国際的には日本海となっているが、韓国内でのローカル呼称として東海と呼ばれている」
 というだけの話で何が問題なのか、と考えますから、あまりまともには対応して貰えなかったようです。
 ペンス副大統領も、一般に呼ばれている日本海の呼称をそのまま言っただけで、これをEast Seaなどと言っては自国の海軍にすら通じなくなるでしょうから、なんの問題も無いわけなのですけれども、韓国ではこの「言い間違い(?)」が北朝鮮の脅威よりもよほど気にかかった模様なのでした。

 日本海のことを東海と記した史料は、当然ながら韓国内以外ではほとんど見当たりません。昔は各地域が好きなように呼んでいたわけで、日本側で朝鮮とのあいだにある海だから「朝鮮海」と記した古地図も存在するようです。こういう史料が出てくると韓国では鬼の首を取ったように大喜びするわけですが、それにしても「朝鮮海」であって東海ではありません。とにかく「日本海」以外の記載が少しでもあると、昔は日本海とは呼ばれていなかった証拠だ、と勇み立つのです。
 日本海と命名したのは上述のとおりロシア人であって、これも大陸側から見て「日本列島とのあいだにある海」ということで自然な名称と言えるでしょう。日本人がつけたわけではありません。
 そのせいかどうか、日本人の中にもときおり、日本海という呼称が適当でないのではないかと言い出す人が居ないわけでもありません。故網野善彦氏などがそうでした。
 網野氏といえば、日本の歴史を従来の「農民史」から解き放ち、商工業者や漂泊民などにスポットを当てた新しい角度から解析してみせ、「網野史観」という言葉さえ定着させた異色の歴史学者でした。隆慶一郎氏の時代小説が網野史観の影響を強く受けているのは有名です。
 その網野先生が、著書の中で再三「日本海という名称は不適当と考える」ということをおっしゃっているのでした。なぜそう考えるのか、日本海が不適当ならどんな呼称が適当と考えておられたのかについてはまったく触れていないので、韓国におもねったのかそうでないのかもわかりません。
 ただ網野史観から想像すれば、日本海は日本人だけでなく、それこそ朝鮮半島とか沿海州とかの人々が活溌に交易などで行き交っていた海域なので、まるで「日本の海」であるかのように感じられる日本海という名前よりも、もっとふさわしいものがあるのではないかと考えていたというところでしょうか。まさか「東海」がより妥当だなどとは考えていなかったと思いますが……
 網野先生にあえて物申さば、地名なんてものはわりといい加減な理由でつけられたりするもので、それがあまりに不適当であれば淘汰されるし、問題が無ければ定着する性質のものです。ロシア人が命名した「日本海」で特に誰も不自由しなかったから、それが定着したというだけの話でしょう。
 日本海ではその海域が日本の領海のように感じられてしまう、という論は、韓国側からもしばしば出されます。特定の国名を公海の名前につけるべきではない、というわけです。
 それにしては「朝鮮海」もしくは「韓国海」を代替名称の候補として持ってくることがあったりするのがいい気なものだと感じるところなのですが、とりあえず国名が公海の名称になっているところというと、まずインド洋があり、メキシコ湾があり、フィリピン海ノルウェー海アラビア海があります。東シナ海南シナ海もここに含まれるでしょう。もっと小規模な海峡名などまで考えれば、まだまだあるでしょう。実際に、朝鮮海峡Korea Straitというのもあるのであって、日本でのローカル呼称は対馬海峡です。
 このうち中国だけは東シナ海も南シナ海も自分らの領海だと考えているかもしれませんが、インド洋全域がインドの領海だと思う人はどこにも居ないでしょう。メキシコ湾もメキシコのものではありません。公海上につけられた特定の国名は、別にその国の領海を意味しているわけではないのです。網野先生も、そこをちゃんと理解なさって貰いたかったところです。

 韓国では、日本海の呼称は、彼らにとって諸悪の根源である「日帝」が、ごり押しして世界にそう呼ばせたものだという理解になっているようです。
 これもまた上記の「願望の既成事実化」の回路により、

 ──この海域は「もともと」東海の名で定着していたが、日帝が日本海の名を無理矢理に呼ばせた。いまや日本は戦争に負けた弱い国であるからして、日帝のごり押しをそのまま認める必要はさらさらない。東海という正しい名に「戻す」べきである。

 というストーリーが彼らの中では出来上がっているのでした。この名前は日本がつけたわけではなく、外国の船乗りたちがそう呼んでいるうちに自然に定着したのだ、と説明しても、聴く耳は持ちません。
 いまだに日本海と呼ばれているのは、
 「日本が各国でロビー活動をしてそう呼ばせているからに違いない」
 と確信し、それなら
 「日本に負けないくらいのロビー活動を繰り広げれば韓国の主張が通るだろう」
 という願望が、またしても既成事実化しています。なかなか東海の呼称が認められないのは、日本に較べて韓国のロビー活動がまだまだ弱いからだと政府の尻を叩いたりしているようです。もちろん、日本海呼称について日本政府がロビー活動をおこなっているなどという事実はまったくありません。
 とりあえず「呼び替え」は難しいので、「併記」を主張しています。つまり「日本海(東海)」と地図に書いて貰い、そのうち「東海(日本海)」とし、さらにあわよくば「東海」単独記載にしたいというわけです。
 USAでも、この執拗な工作が功を奏して、教科書に「Sea of Japan(East Sea)」と併記することにした州がいくつか現れはじめています。あまりにしつこいので担当者が根負けした(彼らにしてみれば遠い外国の話ですし)というところでしょうが、すでに韓国系住民の票が無視できない規模になっている地区も少なからずあるために、気をつけていないといつ名前が呼び替えられてしまうかわかりません。
 上にも書きましたが、呼び替え案は東海のほかにもいくつかあって、朝鮮海、高麗海、韓国海などのそれこそ「特定国名を冠した」案、あるいは「平和の海」とかいう抽象的な案なども出されました。こんなに次から次へと出してくるので、かえって信用を失っているようでもあります。
 そして日本側から見ていると、要するに彼らは広い海域に「日本」の名称がついていること自体が気に食わないのであって、「日本海」以外の名称であればなんだって構わないというのが本音ではあるまいかと思えてしまうのでした。

 ──東海がダメなら他の名前でもいい。とにかく日本の名前がついてさえいなければそれで充分なんだ。ウリたちがここまで譲歩しているというのに、どうして他の国の連中はわかってくれないんだ。これというのもあの憎き日本が邪魔をしているからに違いない。ちくしょぉぉぉ!

 彼らの胸の内をそんな風に想像してみたことがありますが、当たらずといえども遠からずではないかと私は思っています。
 もちろん、そんな主張を相手にするところは滅多に無いでしょうが、USAの一部の州のように、あまりのしつこさに根負けする向きが今後現れないとは限りません。外務省のホームページでもこの件は明確にアピールしていますが、油断はできないところです。
 それにしても北の脅威が高まって、来週あたりいよいよ開戦かと危惧されているようなときに、日本海呼称問題にこだわるとは、かの国の平和ボケ具合はひょっとして日本を上回るのではないかとさえ思いたくなります。あるいは、危険な状態であるからこそ、そこから眼をそらしたくて、些末な点に拘泥してしまうのでしょうか。

(2017.4.30.)

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