将棋で前人未踏の29連勝を成し遂げた中学3年生の藤井聡太四段ですが、30連勝は先ほど阻止されたようですね。さすがに新記録を樹立したところで若干気がゆるんだのかもしれません。佐々木勇気五段に敗れ、連勝は29でストップしました。
そうは言ってもすごい記録ではあります。28連勝の記録を持って行ったのは神谷広志八段ですが、もう30年も前の話です。言い換えれば30年間誰も破れなかった記録だったわけです。
この種の連勝記録というのは、進めば進むほど、相手からそのつもりで研究され対策されることになりますので、だんだん厳しくなるのは言うまでもありません。もちろん逆に、何かが憑いているかのような気がして、相手が呑まれてしまうということもあり得ます。藤井四段の指し口は、途中多少不利に見える盤面でも、終盤でまさかの逆転をしてしまうのが常だそうです。どの棋士でも終盤というのは緊張するものだそうですから、「終盤に強い」と評される相手と向かい合っていて、つい魅入られたように悪手を指してしまうということもあったのかもしれません。
ともあれ初段以降すべて史上最年少で昇段を果たし、公式戦出場と公式戦勝利の史上最年少記録も書き替え、並み居る強豪をなぎ倒して29連勝の記録をマークしたのですから、その天才ぶりは間違いのないところでしょう。将棋や囲碁には、ときどきこういう天才が出現するので面白いと思います。 私は将棋についてそんなに詳しくはないので、馬脚を顕さないうちにこの話題からは離脱いたします。
それではなぜこの話を枕に持ってきたかというと、藤井四段が29連勝を成し遂げたときに、脳科学者という肩書きでよくテレビに出てくる人が、
「藤井四段は本当に凄い。もし勝率が1/2と仮定すると29連勝する確率は1/536870912だ」
とツイートして、ネットでさんざん叩かれるという出来事があったからです。
なぜこの人が叩かれなければならなかったか、きちんと検証しておく必要があるでしょう。
計算が間違っているわけではありません。2の29乗は確かに5億3687万0912ですから、勝率1/2と仮定すれば確かにこのとおりになります。
問題は、「勝率1/2」という「仮定」にあるのでした。
「勝つか、負けるかの二者択一」だから「どちらの確率も1/2」と考えてしまうのは、この人に限らず誰にでもよくある錯覚です。コイントスなど、勝敗が完全に運任せである勝負であれば、勝つか負けるかは確かに1/2ずつの確率になります。
みんながこの人を叩いたのは、「勝率1/2」という仮定が、実力とか努力とかを一切考慮しない、運任せに等しい数字であったことが要因でした。あまりといえば藤井四段に失礼な仮定ではないかというわけです。
この脳科学者なる人が、藤井四段に対し悪意があったわけではないでしょう。素直に称賛の気持ちがあったには違いありません。しかし、科学者を名乗るにはいささかお粗末な数字の引きかたをしたのが問題でした。
ついうっかりやらかしてしまった、のであろうとは思います。ただ、近年いやにもてはやされている脳科学なるジャンルが、一体「自然科学」に属するものであるのか、心理学の派生みたいな「人文科学」の一種であるのか、はたまたいわゆる「擬似科学」のたぐいであるのか、私にはよくわかりません。自然科学者としてはかなりハズカしいミスですが、そうでないならそんなに目くじら立てるほどのこともないのではないでしょうか。ただこの人は、テレビに出てきてもわりといつも上から目線な発言が多くて、反感を覚えていた向きが多いために、ことさらに槍玉に挙げられたということかもしれません。 それでは、どういう数字を挙げれば、この人は叩かれずに済んだのでしょうか。
いろいろ考えられますが、例えばこんなのはどうでしょう。
「藤井四段の勝率がもし90%だったとしても、29連勝できる確率はわずか4.7%に過ぎない」
こうすれば、凄さが充分伝わると思います。10人のうち9人のプロ棋士に平均して勝てるだけの、並はずれた実力を持った棋士であっても、29連勝するためには90%の29乗、すなわち約4.7%の確率をたぐりよせなければならないというわけです。
逆に、こういう言いかたもできます。
「29連勝できる確率が1/2を超えるためには、97.7%以上の勝率が必要になる」
40人と対戦して1回負けるか負けないかというほどの卓越した実力者でさえ、29回「連続して」勝つのは半々くらいの確率になってしまうのです。これもなかなかショッキングな数字ではないでしょうか。
仮にも科学者を名乗って数字を持ってくるのであれば、せめてこのくらいのものが必要でしょう。「勝率1/2と仮定する」ではさすがに雑すぎると思います。 これに限らず、数字を挙げるいうのは一見客観的なようでいて、その挙げかたによってはひどく無知をさらけ出してしまったり、逆に挙げられた数字に騙されてしまったりすることも少なくありません。ことに「確率」がからむとそういう傾向があるようで、実際確率と縁の深い「統計」を使って、「統計でウソをつく法」などという本が出版されていたりもするほどです。
そういえば最近、「安倍政権の不支持率が9割超え?」なんて話もありました。このところの学園シリーズや「このハゲーッ!」代議士問題などでやや退潮気味とはいえ、まだたいていの世論調査では政権支持率は4割以上をキープしており、不支持率が9割なんてことはまず考えられないのですが、ツイッターなどではこの数字を得々と掲げていた向きもけっこうありました。
よく調べてみると、これはあるラジオ番組の聴取者を対象としたアンケートの結果で、その番組自体が非常に反政権的なスタンスの目立つものであったのだそうです。当然聴いているのも、番組のスタンスに賛同している人たちがほとんどでしょうから、それはアンケートをとれば不支持率9割にもなることでしょう。
この場合は数字があまりに極端であったのですぐに検証され、そもそも回答母集団がきわめて偏ったものであったことが暴露されたわけですが、数字がそこそこ「もっともらしい」価であったときは、母集団の偏りに気がつかないということが珍しくなさそうな気がします。 前に、ある新聞社の世論調査の電話がうちにかかってきたことがあります。私は勢い込んで答えようとしたのですが、
「お宅の世帯で上から2番目の年齢のかたにご回答をお願いしております」
と言われ、残念な想いでマダムに受話器を渡したものでした。
「上から2番目の年齢」というのは、うちだけだったのか、他の対象でも同じだったのか、それはわかりません。ランダムならそれで良いのですが、一律に2番目であれば、問題があります。
というのは、各世帯で上から2番目の年齢の者となると、相当な割合でその家の奥さんということになりそうだからです。最近は姉さん女房も増えましたし、どちらかの親と同居していたり、成人した子供が一緒に住んでいるシングルマザー・シングルファザーだったりすることもあるでしょうから一概には言えませんが、それにしても奥さんが該当するケースがいちばん多いと思います。そうすると、やはり調査対象全体が、ある偏りを持った母集団になる可能性が高いと言わざるを得ません。個々の例外はいくらでもあることを承知で言いますが、一体に女性は反戦とか護憲とかの言葉に惹かれる率が高く、自民党支持率などはおおむね男性より低い傾向があるようです。
このときの調査結果がどういうもので、どの新聞に載ったのかも憶えていませんが、「上から何番目の年齢の人に回答を求めたかは、対象世帯によってランダム」という確証が無い限り、私はこの調査の信頼度には首を傾げざるを得ないと思ったのでした。
さらに考えてみると、最近は固定電話を置かない家も増えています。新聞社の電話調査などで、携帯電話やスマホにかけるということはあんまり無いのではないでしょうか。だとすると、固定電話を持たない世帯の意見は、最初からはじかれることになります。
この種の調査は、母集団が本当にランダムに選ばれたサンプルであることを保証していない限り、うかつに信用するべきではないと思っています。新聞社が、自分のところの新聞の論調に都合の良いような偏りを持ったサンプル、ただし一見ランダムに思えるような選びかたを主張しうるサンプルを抽出するのは、さほど難しいことではないはずです。 「平均」という言葉にも注意する必要があります。「大体の傾向」を表そうとするときに、「平均」が役に立たないケースなどいくらでもあるからです。
「中央値(メジアン)」「最頻値(モード)」のことも中学校で習うはずなのですが、忘れている人が多いでしょう。どういう場合にメジアンやモードを使うのが平均よりもふさわしいのかということをしっかり教えないのでそういうことになります。
例えばあるエリアの分譲住宅を買うようなときですが、よく見る広告は例えば「1200万円〜」といったような表示方法です。この場合、1200万円というのはいわば「見せ札」であって、この値段で家を買いたいと言っても、不動産屋は言を左右にして断るでしょう。
で、次に参考にしたくなるのはそのエリアの平均価格ということになりますが、これが例えば1950万円だったとしても油断はできません。その値段で買える家はおそらくほとんど無いでしょう。見せ札である1200万円の物件が平均値を引き下げている可能性が高いのです。
良心的な不動産屋であれば、「最多価格帯」を明示するはずです。考えかたとしては「モード」です。これを呈示されて、われわれはようやく安心して家を探すことができるというものです。 数字に弱いことを自覚している人は多いでしょう。数字を見ると頭が痛くなる、という人も珍しくはないと思います。
しかし、そこで思考停止してしまうと、思わぬ不利益をこうむることになりかねません。数字とはうまくつき合って、くれぐれも騙されないようにしたいものです。
(2017.7.2.)
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