忘れ得ぬことどもII

『西遊記』の妖怪たち

 子供の頃からいろんな版の「西遊記」を読んできたことは前に書きました。最初は児童文学全集か何かの一冊で、タイトルも西遊記ではなく「そんごくう」であった記憶があります。それから小学校・中学校の図書館で、それぞれのレベルに応じたリライト本を読みました。高校生の頃に邱永漢氏の西遊記を読み、これが私の中では基本的に底本となっています。
 邱永漢版は、筋書きはかなり忠実に原典をなぞりつつ、現代的なギャグやウイットを採り入れて楽しい小説になっています。中央公論誌上で5年以上にわたって連載されたものでした。
 その後村上知行氏の訳本を読みました。こちらは後半をばっさりと切ってしまった抄訳です。蜿蜒と繰り返される大同小異の妖怪退治部分を「退屈であるという以上に愚劣である」として切り捨ててしまったのでした。これはこれで一見識です。
 平岩弓枝氏が毎日新聞に連載した西遊記も読みましたが、これは原典のいくつかのエピソードを平岩流に書き換えて、いちばんけしからんのは妖怪たちではなく人間どもであるという結論に至っています。まあこれは参考資料といったところでしょう。
 実は根本資料となるべき中野美代子氏の完訳版はまだ読んでいません。文庫で10冊という長さにちょっと怖じ気をふるっています。10冊くらいなら読めそうなのですが、何しろ後半は誰もが「退屈」と折り紙をつけているシロモノですので、買うのを躊躇しています。

 「西遊記」の後半がなぜ退屈なのかと言えば、上にも書いたとおり、蜿蜒と大同小異の妖怪退治譚が繰り返されるばかりになるからでしょう。しかも、孫悟空たち自身が力と智慧をふりしぼって解決するのならまだしも、たいていは誰か神仙を連れてきてやっつけます。なるほどこれでは、長編小説として読む限りは退屈してしまいます。
 しかし、「西遊記」は本来、寄席の高座で講談師が語っていた物語です。これは「西遊記」だけではなく、「三国演義」「水滸伝」も同様です。四大奇書の中では、もともと小説として書かれたのは「金瓶梅」だけでしょう。「西遊記」「三国演義」「水滸伝」はいずれも、続き物の講談として成立していたのを、末からあたりにかけての文人がノヴェライズしたものです。
 続き物の講談ということは、現代に比較してみれば、テレビの連続ドラマみたいなものです。それも10回かそこらで終わる最近のテレビドラマではなく、1年とか2年とかかけて放映されるロングランドラマです。
 元ネタが歴史書である三国演義はともかく、フィクションである西遊記や水滸伝は、ある程度マンネリに陥るのもやむを得ないと言えるでしょう。水滸伝も最初の形では後半がダレダレだったのを、代の文芸評論家金聖嘆が思いきって切りまくって、現在の標準版である70回本もしくは71回本ができあがりました。
 それでは西遊記も同じように切れば良かったではないかということになりますが、三蔵法師81度の法難を乗り越えて成仏するというテーマがあったために、そう簡単にはゆかなかったものと思われます。81というのは9×9で、仏の聖数とされているのでした。
 西遊記のラスト近くで、お釈迦様が三蔵法師の旅の記録をチェックするところがあり、その81難が全部リストアップされます。いや、実際にはそのときは80難でしかなく、これでは三蔵法師は成仏できないというわけで、雲に乗れるようになって空路で長安へ帰還しようとしている三蔵法師をいきなり地上に吹き落とすという「81難め」がお釈迦様の命令によって加えられます。あわや三蔵は墜落して死亡……と思われたのが、この瞬間81難が揃ったために三蔵法師は成仏し、事なきを得るということになっています。
 こんな背景があったものですから、旅の途中の難儀を全部記す必要がありました。近代作家なら適当にはしょったことでしょうが、当時の小説家は愚直に書き綴ったのです。81難の中には「なんだそりゃ」というものも含まれていますが、とにかく全部揃えることにこだわったようです。

 成立事情は上のとおりですが、連続ドラマと考えた場合、似たようなエピソードの繰り返しというのも無理はなくなります。つまり、子供向け特撮ヒーロー番組などをイメージすれば良いわけです。ウルトラマンでも仮面ライダーでも秘密戦隊シリーズでも構いません。怪獣や怪人が出てきて暴れ回り、ヒーローがそれを退治するというステレオタイプを何十回も繰り返していますが、子供たちはそれを喜びます。西遊記でしばしば批判される「退屈な繰り返し」は、まさにこれと同じことではないでしょうか。
 毎回助っ人キャラが登場するのはいかがなものかと思いますが、続き物講談であれば、
 「次はどんな助っ人が来るのかな?」
 と楽しみになるというものです。近代の小説の概念で「西遊記」を推し量るのは的外れと言わなくてはなりません。
 また繰り返しと言っても、エピソードの配列には入念な配慮が施されています。西遊記の極端なまでのシンメトリー構造については、完訳をおこなった中野美代子氏などが詳細に研究なさっています。まあ「考えすぎでは?」と思われるところも無いではありませんが……
 もうひとつ批判が多いのは、現れる妖怪たちの大半が、もともと神仏がらみという点です。天界の住人が地上に下りて妖怪化したというのもあるし、老子とか観音菩薩とかの部下やらペットやらが妖怪化したものも多く、だんだん鼻についてくるのは確かです。三蔵一行を導くべき存在が、わざわざ苦難をあらかじめ配置しているようなもので、なんたるマッチポンプか、と現代人は思ってしまうのですが、この辺も物語成立期の受け止めかたを想像してみる必要があるでしょう。寄席の客たちは、そうした繰り返しに熱狂し声援を送ったのです。

 西遊記に出てくる妖怪の中で、いちばん強いのは誰だろうかとときどき考えます。前にウルトラマンシリーズの最強怪獣を考えたことがありますが、まあそのデンですね。
 物語序盤の孫悟空はデタラメに強くて、天界から派遣された十万の軍勢に一歩もひけをとらず、次々に勝負を挑んでくる猛者たちを片っ端から撃退しています。哪吒太子など相当の強さで、「封神演義」などでは大活躍するのですが、孫悟空にはかなわず敗退します。
 それほどの強者である孫悟空ですが、三蔵法師の弟子になって取経の旅に出てからは、出現する妖怪になかなか歯が立たず、天界や仏土にしばしば助けを求めに行きます。500年間石牢の中で過ごすうちに弱くなったのか、それともそのあいだに妖怪たちの強さもアップしたのか、それはよくわかりません。
 最初に出逢った妖怪は玉龍で、これは悟空と数合打ち合ったのち、とてもかなわないと見て水底にひきこもってしまいます。観音菩薩の仲裁により、玉流は三蔵の馬となって旅に同行することになります。
 次が熊の妖怪である黒風怪。三蔵の金襴の袈裟を盗んで行きます。悟空とはほぼ互角に打ち合いますが、なかなからちがあかないので悟空はまた観音菩薩をひっぱり出します。観音菩薩により禁箍児をはめられ門番になります。
 それから猪八戒が登場、このときは珍しく神仏の助け無しに解決し、猪八戒は三蔵の弟子になります。
 テンの妖怪である黄風怪には歯が立たず、霊吉菩薩に頼んで退治して貰います。
 その次が沙悟浄で、猪八戒とは互角に打ち合いますが、孫悟空にはかなわず、やはり川の底にひそみます。観音菩薩の弟子である恵岸行者の説得で三蔵の弟子になります。
 次に登場する鎮元大仙は、地味ながら最強候補です。悟空・八戒・悟浄が一斉に攻めかかってもまったく動じず、簡単に払いのけたばかりか、全員をあっさり捕縛しました。幸い平和的解決ができたから良かったようなものの、あくまで敵対していたら勝ち目がなかったでしょう。
 白骨夫人はなかなかしつこい敵でしたが、擬態を悟空に見破られて斃されます。しかしこの事件がもとで三蔵は悟空を破門します。
 悟空破門中に出くわしたのが黄袍怪で、八戒と悟浄、それに玉龍まで頑張りますがかなわず、八戒が悟空を呼び戻しに行ってようやく退治します。最後に天界が出てきますが、黄袍怪が天界の住人であったからで、退治するのに神仙の手は借りていません。
 そのあといよいよ、金角銀角の登場です。子供用のリライト本ではこのあたりをクライマックスにして終わらせてしまうことが多いようです。
 確かに金角銀角戦は、騙し騙され、捕まり逃げ失せ、めまぐるしく攻守が入れ替わったりして、全篇中でも手の込んだ面白いエピソードになっています。怜悧虫・精細鬼・倚海竜・巴山虎、それに狐阿七大王など、敵方の手下などの名前がたくさん出てくるのも珍しいですね。
 それにも増して、孫悟空たちが最後まで自力で敵を追いつめているところが、好まれる理由でもあるでしょう。勝った!……と思った途端に老子が出てきて、金銀を回収して行ってしまうのですが。
 いずれにしろ、このくらいプロットのしっかりしたエピソードがこのあとも続いていれば、退屈だの愚劣だの言われることもなかったかもしれません。

 烏鶏国の偽王。これも追いつめたところで文殊菩薩が登場し、正体は菩薩の乗っている青毛獅子と判明します。
 紅孩児。見た目は子供ですがこれは強敵でした。武術では悟空と互角である上に三昧真火という秘密兵器を持っており、何度も苦汁を飲まされます。のちに父親の牛魔王と戦ったとき、悟空は
 「兄貴の息子はもっと手強かったぞ」
 と牛魔王に述懐しているほどです。観音菩薩に助けて貰ってようやくクリア。紅孩児はそののち善財童子になったというオマケ付きでした。
 黒大河の化け物。さほどの強さではないのですが、悟空が水中戦を苦手としたため、西海龍王の息子(玉龍の兄)が代わって戦い、あっさり退治されました。
 三大仙虎力・鹿力・羊力の3人の妖怪です。武術は大したことがないようですが、神通力を駆使して三蔵一行に勝負を挑み、各個撃破されます。途中、雨乞い勝負の際と、油浴勝負の際に龍王の力を借りていますが、まあ悟空たちが自力で解決したうちに入るでしょう。
 霊感大王。三蔵が通天河の底に捕まってしまい、八戒や悟浄とは戦いますが悟空が出てくるとひっこむためらちがあかず、これも観音菩薩に退治して貰います。
 独角兕大王。悟空の如意棒を奪い、哪吒の秘密兵器をことごとく奪い、火徳星君の火も黄河水伯の水も全然効果がないというとんでもない相手。実は老子の牛で、函谷関を抜けるときに乗っていたアレですね。本人の武術というより、老子から盗んできた金剛琢の威力でした。金剛琢といえば、かつて悟空が暴れたときに老子が投げて、悟空にひと泡吹かせた武器ですから、強いわけです。老子が迎えに来たので降参しました。
 如意真仙。紅孩児の叔父ですが、武術はからきしで、あっさり悟空に負けます。
 サソリの女怪。猛毒の尾で悟空と八戒が刺され、難儀します。観音菩薩すら手を出せない「毒女」でしたが、ニワトリの化身である昴日星官により退治されました。
 六耳獼猴。孫悟空に化け、悟空とまったく同一の実力を持っているとされますが、お釈迦様に正体を看破されて退治されます。
 羅刹女牛魔王。紅孩児の両親です。牛魔王はかつて孫悟空と義兄弟のちぎりを交わした兄貴分でもありました。いろいろな因縁がからんで、このエピソードはなかなかの熱戦となっています。
 羅刹女の秘密兵器である芭蕉扇にいちどはしてやられますが、霊吉菩薩に対抗兵器の定風丹を貰って風を封じます。牛魔王とはガチの実力勝負で、化け合いのシーンは楽しく読めます。ただしこの化け合いは、序盤で出てきた悟空と二郎真君の勝負の二番煎じのようでもあります。
 進退窮まった牛魔王は巨大化して破れかぶれに暴れますが、哪吒太子の火輪児により退治されます。

 九頭駙馬。駙馬というのは君主の娘婿の称号で、ここでは万聖龍王の娘婿なのでそう呼ばれました。湖を本拠にしているため、水中戦の苦手な悟空は困りますが、二郎真君梅山六兄弟の手助けを受けて退治します。このエピソード、下っ端の妖怪が登場しますが、白ナマズのペンポルパ(奔波児覇)、黒ナマズのパポルペン(覇波児奔)というふざけた命名が笑えます。
 樹木の精たち十八公(松)、孤直公(柏)、凌空子(ヒノキ)、払雲叟(竹)の4人で、さらにあとから杏仙(アンズ)が加わります。三蔵法師と詩の応酬をする風流なエピソードです。八戒のマグワのひと振りで全部斃されてしまいますが、別に斃さなくとも良かったかもしれません。邱永漢版では斃さずにそのまま一行は立ち去ります。
 黄眉老仏。なんでも包み込んでしまう秘密兵器を持ち、悟空の呼んでくる援軍を片端から捕獲するというあたり、独角兕大王と似たタイプです。万策尽きたところへ弥勒菩薩がやってきて解決してくれます。
 七絶山の大蛇。これは悟空と八戒が自力でやっつけていますが、やっつけかたは悟空が敵の腹の中に入って暴れるというもの。この方法、黒風怪に使い、羅刹女に使い、黄眉老仏にも使って、さすがに「またかよ」と言いたくなります。このあとにも獅駝洞の老魔や地涌夫人で同じ手を使います。邱永漢版はほとんどのエピソードを活かしていますが、ここの柿の木の話は省略しています。
 賽太歳。火煙を吐き出す秘密兵器が厄介でしたが、悟空はぎりぎりまで追いつめます。しかし最後に観音菩薩が出てきて止めるのでした。賽太歳の正体は観音菩薩の乗る金毛吼で、朱紫国の国王の罪を償わせるために派遣されていたのです。
 七仙姑。7人の女妖怪で、蜘蛛の精です。ヘソから糸を吐きますが、特に強くはなく、悟空にあっさり叩き潰されます。
 百眼魔王。七仙姑の兄弟子で、ムカデの精。三蔵たちに毒を盛ります。百の眼から放射される殺人光線には悟空もかなわず、藜山老母の薦めで毘藍婆菩薩に助けを求めます。毘藍婆はサソリの女怪を退治した昴日星官の母親、つまりメンドリで、あっさりとムカデを退治してしまいます。
 獅駝洞の三妖怪。金角銀角と対をなすようなエピソードで、悟空が密閉容器に閉じこめられたりするのも共通しています。老魔は烏鶏国の偽王として前に戦ったことのある文殊菩薩青毛獅子、二大王は普賢菩薩白象、そして三大王は大鵬でした。大鵬といえば中東のロック鳥やアメリカ大陸のサンダーバードと近縁とも言われる巨大な鳥で、実のところめちゃくちゃに強く、お釈迦様自身が乗り出してようやく制圧できたのでした。

 白鹿精。悟空と八戒が追いつめますが、寿老人が迎えに来ます。正体は寿老人の乗る鹿でした。
 地涌夫人。女ながらに武術もなかなかの達人で、悟空と八戒がふたりがかりで攻めかかってもわりに余裕で相手をします。しかしさらってきた三蔵と祝言を挙げたいというのが先にあるので、あんまり戦おうとしません。ついにどこかに隠れてしまいます。困った悟空でしたが、本拠に残されていた位牌から、妖怪が托塔天王李靖の養女で哪吒太子の義妹と知り、訴訟騒ぎののちに哪吒太子に来て貰って連れ帰させます。
 南山大王。ヒョウの精です。三蔵法師をすでに食べてしまったと偽って悟空たちを絶望させたり、なかなか心理戦がうまかったのですが、いざ戦いとなるとあっさりやられてしまいます。珍しく、神仙の手助け無しに解決したエピソードです。
 九霊元聖。獅子の精7頭を配下に持つ大ボスで、9つの頭は脅威でしたが、眠りこけているところを飼い主の太乙天尊に制圧されます。前半が大騒ぎだったわりに最後はあっけないですね。
 辟寒大王・辟暑大王・辟塵大王。エアコンみたいな名前ですが犀の妖怪です。この連中、手下の軍勢もなかなか優秀で、悟空たちと戦ってなかなからちがあかないと見るや、軍勢をけしかけて撃退します。これまでの敵は、手下が居ても大体ザコばかりで、戦いの役には全然立たなかったのですが……
 二十八宿の木星宮に居る4人の星官の助けを得て退治します。なおこの4人のうちのひとり、奎木狼は、かつて黄袍怪として悟空たちと戦っています。
 玉兎。天竺皇帝の皇女に化けていましたが実は男性らしい。太陰星君、つまり月の配下でした。なお月のウサギというのは日本独特の見かたで、中国では月の模様をガマガエルと見ているという話を聞いていたのですが、その辺はどうなのでしょう。

 以上、敵として登場する妖怪たちをリストアップしてみましたが、文句なく強いのは鎮元大仙、紅孩児、大鵬というところでしょうか。持っている秘密兵器が強いということも含めれば独角兕大王や黄眉老仏などもエントリーできそうです。金角銀角や牛魔王は、接戦であることの面白さがありますが、他の神仙の助けをあまり借りずに退治しているので、強さランクから言うと一歩下がるかもしれません。
 しかしこうして丹念に見てみると、妖怪たちとの戦いの様子こそワンパターンですが、エピソードそれぞれにはけっこう工夫がこらされているように思われます。そのあたりも、特撮ヒーローものの連続テレビ番組に近いような気がします。この種の番組を、各エピソードごとに丁寧にノヴェライズしてひとつづきの長編小説にした場合に、面白いかと言われればやはり退屈が先に来そうです。「西遊記」でしばしば言われる「退屈さ」というのは、そういうことではないかと私は考えています。

(2018.3.4.)

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