国立博物館の「三国志」展と共に、この夏(2019年)行きたいと思っていた国立科学博物館の「恐竜博2019」に行ってきました。会期は10月14日まであるのですが、ミュージアムクーポン「ぐるっとパス」の有効期限が9月22日までで、これを利用しないともったいないと思ったのです。 8月中に行かなかったのは、たぶん夏休み中の子供たちでごった返しているだろうと考えたからでした。夏休みが終わって、9月になってから行こうと考えたわけです。それで日程を調整した結果、今日行くことにしました。 一時期涼しくなったのに、このところまた暑くなっています。残暑というか、9月に入ったとは思えないような真夏っぽい暑さで、しかも湿気が多く、夕方からは雷雨が降ったり、ひと昔まえの8月ってこうだったよなあ、と思えるような天候です。今日も朝から蒸し暑かったのですが、10時半頃に出かけました。 科学博物館を訪れるのは久しぶりです。この前はいつだったかと考えてみると、もう20年以上経っていることに気づいてびっくりしました。その後何回か恐竜の博覧会には足を運んでいますが、考えてみると幕張メッセなどで観たことが多く、科学博物館でやっていたわけではないのでした。これだけ時間が経つと、だいぶ展示内容や展示方法も変わっているでしょう。特別展示である恐竜博を見終わったら、せっかくだから常設展示のほうも観てみようと思いました。 科博の建物に近づくと、手前に「特別展入口」という看板がかかっていて、チケットブースがありました。長い行列を整理するための柵などがその辺に折り畳まれていましたが、今日は使用していないようです。やはり夏休みが終わってから訪れたのは正解でした。とはいえ、中に入るとそれなりに人はいっぱい居て、夏休み中に来ていたらどんな状態だったのだろうかと怖気をふるいました。 さて、今回の展示は、デイノケイルスとカムイサウルス(鵡川竜)が主な目玉でした。 デイノケイルスというのは、1970年頃にモンゴルで前脚の化石だけ見つかっていた恐竜で、鋭い巨大なかぎ爪がついていたため、「おそるべき手」という意味でデイノケイルスと名づけられました。最近になって、その全身化石が発見され、意外な生態が判明したということで、今回の恐竜博の主役になったわけです。 デイノケイルスは、その鋭く長いかぎ爪からして、当然、獰猛な肉食の恐竜だったろうと思われていました。かぎ爪で獲物を切り裂き、あるいは動けないように押さえつけて狩りをしていたのだろうと考えるのは自然です。 ところが、全身骨格が見つかってみると、どうもそんなにおっかない恐竜だったわけではなさそうだったのでした。むしろ草食の、おとなしい種類の恐竜との共通点が多かったのです。あごの形なども、肉食より草食に適した形状であったようです。 それなら、なんのためにそんなに巨大で鋭いかぎ爪を装備していたのかということになりますが、それについての説明はありませんでした。研究者のあいだでもまだよくわかっていないのでしょう。 場内で、デイノケイルスとタルボサウルスが戦っている想定のCGビデオが流れていました。タルボサウルスは「アジアのティラノサウルス」の異名を持つ、こちらは掛け値無しの獰猛な肉食恐竜です。タルボサウルスはティラノの近縁らしく前脚が貧弱で、とにかくひたすらにでかい口を開けてデイノケイルスの首筋や脇腹に咬みつこうとしますが、デイノケイルスはかぎ爪のついた立派な前脚をふるってタルボサウルスを妨害し、ときどき斬りつけたりしています。最後は結局、タルボサウルスを撃退してしまいました。 そんな風に、防御用に使ったのかもしれません。あるいはまた、単にエサとなる大型の植物を固定するだけの役割であったのかもしれません。 ともあれティラノ類のように退化はしていないので、なんらかの使用方法があったのでしょう。雷竜類のように四足歩行していたわけではなさそうです。 全身骨格の中でその前脚を見ていると、なんとなくこれは、「脚」ではなく「翼」なのではないかと感じられてきます。前脚は下に向けて組み立ててありましたが、その状態だとかぎ爪は内側へ向いており、何かを抱え上げているような姿にすら見えるのですが、この前脚が、鳥のように翼の形をしていたらどうでしょうか。 鳥とはちょっとイメージが異なりますが、コウモリの翼手に似ているような気がします。コウモリは逆さになって枝などにぶら下がるため、腕にはかぎ爪がついていますが、デイノケイルスのかぎ爪のつきかたはコウモリに近いようです。もちろん全長11メートルという巨大な恐竜が、逆さに枝にぶら下がっていたはずはありませんが、前脚が実は翼になっていたのだとしたら、この奇妙な形状にも納得できそうです。 恐竜が現存の鳥類と近縁であるという説は、最近ではほぼ定説化しているようです。「中生代に生きていた巨大な爬虫類」という、私が子供の頃に聞いていた話とは全然違ったことになっています。変温動物である現存爬虫類とは違って、恐竜は恒温動物であったのではないかという説が唱えられたのは、もうずいぶん前のことであるようですが、最初の頃はあまり顧みられていませんでした。まさか、というわけです。 しかし、1990年代に入って、羽毛を持つ恐竜の化石が発見されて、恐竜は爬虫類よりもむしろ鳥類に近い動物だったのではないかという説に俄然信憑性が出てきました。羽毛つきの化石はその後続々と、主にいままで発掘が進んでいなかった中国や中央アジア地域から発見されました。 どうやら恐竜と鳥類とが系統的につながっているのは確かだということになりましたが、それでも恐竜の「大トカゲ」イメージは根強く、恐竜時代の末期(白亜紀)に至って、鳥につながる「羽毛を獲得した小型の恐竜」が出現したのだろうと見なされました。恐竜そのものはまだ爬虫類だが、そこから鳥類が分化するのが白亜紀ころで、そのあたりで羽毛が生えはじめたという解釈です。 ところがそののち、「鳥盤類」の羽毛つき化石が発見され、通説が根底から覆されました。恐竜は大きく分けて鳥盤類と竜盤類があり、鳥盤類のほうが原始的であるとされます。竜盤類のうち獣脚類と呼ばれる系統が、ティラノサウルスやトリケラトプスなどの有名どころの恐竜であり、かつ鳥類とリンクしている種類と考えられています(異説もあります)。鳥盤類のほうが竜盤類より鳥類から遠いというややこしいことになっていますが、命名の都合なので仕方がありません。 ともあれ、それまでに見つかった羽毛つき化石が、いずれも竜盤類だったのに対し、より原始的と考えられていた鳥盤類からも羽毛が見つかったとなると、そもそも恐竜は最初から羽毛が生えていたのではないかと解釈せざるを得なくなります。羽毛というのはよほどのことがないと化石化はしませんので、これまで発掘されていた化石から発見できなかったのはやむを得ないものがあります。 全身をウロコで覆われた「爬虫類的」恐竜像は、全面的な書き換えが必要になりました。恐竜は、モフモフの羽毛で覆われた、巨大な鳥のような動物であった可能性が高まりました。爬虫類と鳥類の分岐は、白亜紀などではなく、爬虫類から恐竜が分岐した三畳紀初期ころまで引き上げなければならなくなったのでした。 羽毛の発見は、他にも成果を生み出しています。羽毛化石に含まれている色素の分析により、恐竜の「色」さえも推定できるようになりました。もちろんどの恐竜もというわけにはゆかないでしょうが、種類によっては、「全身黒いが、背中に白いスジが入り、頭は赤く、おなかは少し薄色になっている」なんてところまでわかるのだそうです。古生物学というのはすごいな、と驚かざるを得ません。 羽毛が生えているだけではなくて、前脚が翼になっていたかもしれないと考えられる恐竜も出てきました。翼なのか脚なのかは、骨だけではなかなかわかりづらいでしょう。手羽先の唐揚げを食べて骨だけ残ったのを見て、ニワトリの翼を予測できるでしょうか。 やはりCGビデオで、抱卵する恐竜の想定動画が放映されていましたが、その恐竜はすっかり鳥のような翼を持つように描かれていました。 デイノケイルスも翼持ちの恐竜だったのかもしれません。 ただし翼を持っていても、空を飛べた恐竜はごく一部であるようで、たいていは飛べなかったのではないかと思われます。飛ばないのになぜ翼を持ったのか、それは謎であるようです。抱卵のときに温度調節をするためではないか、という推測は書かれていましたが、翼をそういう風に使ったかもしれませんけれども、「そのために」翼を獲得したのか、となると、なんとも言えません。 はたして、鳥は「飛ぶために」翼を生やしたのか、それとも翼を使ってみたら飛ぶのに都合が良かっただけなのか、いまや、かつては自明であるかに思われた「鳥が飛ぶこと」さえも疑ってかからなければならなくなっています。面白い時期にさしかかったと思います。 なお、「飛べない鳥」というのはどの時代にも一定数存在したらしいということもわかってきました。現在は主にダチョウなどの走鳥類が大半のようですが、他の種類でも、過去にも普通に居たようです。それが、「元は飛べていたのが飛べなくなった」のか、「最初から飛ぶ気がなかった」のかも不明です。翼のある恐竜も、飛べなかった、あるいは飛ばなかった種類がけっこうあったのかもしれません。 CGビデオは他にも何本かありましたが、登場する多くの恐竜を、羽毛を生やした姿で描いていました。しかしティラノサウルスなどをモフモフにする勇気はまだ無かったようで、お馴染みのトカゲっぽい質感の恐竜もまだ健在ではあります。また、恐竜が「爬虫類ではない」と言い切ることにもまだためらいがあるのでしょう、爬虫類を匂わす説明文なども若干ありました。それは来年公開予定の映画「恐竜超伝説〜劇場版『ダーウィンが来た!』」でも同様であるようです。 はたして恐竜が爬虫類から完全に切り離されて「恐竜および鳥類」というカテゴリーに分類される日はいつ来るのか。またすべての恐竜がモフモフに描かれるのはいつの日か。恐竜学からは、当分眼が離せません。 今回もうひとつの主役であったカムイサウルスは、北海道の日高地方で化石が発見され、鵡川竜という名でけっこう前から知られていました。しかし、新種の恐竜とは思われていなかったらしいのでした。恐竜ではなく首長竜だとも考えられていました。 首長竜というのはいわゆる恐竜とは分類的に違うものだそうで、プレシオサウルスとかエラスモサウルスとかのことを「恐竜」と呼ぶと 「それは恐竜じゃない!」 と噛みついてくる向きが少なからず居ます。ドラえもん映画の「のび太の恐竜」で出てくるフタバスズキリュウもエラスモサウルスの一種なので本当は恐竜ではなく、ケチをつける人も居るようです。しかしまあ、子供の頃に読んだ恐竜図鑑には首長竜も必ず掲載されていましたし、広い意味での恐竜と呼んでも差し支えないのではないでしょうか。これから恐竜の鳥類視がさらに進み、恐竜は鳥類だが首長竜は爬虫類だ、というところまではっきりすれば話は別ですが。 ともあれ鵡川竜は、既存の恐竜もしくは首長竜の一種だろうと考えられていたわけです。 しかしこれも最近全身骨格の化石が見つかり、新種の恐竜であることがはっきりしました。 鵡川竜というのはあだ名みたいなものだったので、新種とわかったこのたび、正式な種名がつけられることになり、北海道にちなんでカムイサウルスという名前が選ばれたのでした。言うまでもなくアイヌ語の「神」ですね。 草食で、海辺で群れを作って暮らしていたようです。CGビデオでは、日本附近にも居たらしいティラノサウルス系の肉食恐竜に襲われたり、あるいは海中に居る大型の首長竜に襲われたりしていました。ホッキョクグマやシャチのエサになるアザラシみたいなニッチ(生態的地位)だったのかもしれません。 幕張メッセのような広大な展示面積はありませんが、そう広くないスペースをうまく使って展示してあったと思います。
特別展の会場を出て、常設展示のほうへ足を進めました。 「地球館」と「日本館」に分かれていますが、昔からそうだったかなと首をかしげました。 地球館は地下3階から地上3階まで6つのフロアがあり、それぞれにテーマが設けられています。分量的に生物関係が多くなるのは、博物館の性質上やむを得ないでしょう。物理や化学などはどうしても、展示内容が限られます。昔の計算機などを見るのは面白いですが。 天文関係などはもう少し詳しく展示して貰いたい気がしました。太陽系の惑星について扱っていたコーナーで、まだ冥王星が惑星になっていましたし、その冥王星の写真も、ニューホライズンズが撮影したあのハートマーク付きのほっこりするヤツではなく、ずっと以前に天文台で撮ったボケボケの写真に過ぎませんでした。 かなり駆け足で観ても、地球館の展示を見終わるのに2時間以上かかったようです。マダムから、16時までに帰宅するよう頼まれていて、そろそろ帰途につかなければなりません。日本館のほうは諦めました。まあ、科博の常設展はけっこう廉価で見学でき、行く気になればいつでも行けます……というつもりで、前回から20年以上経ってしまっているわけですが。 前に書きましたが、私は小学生の頃はどちらかというと理科少年でした。毎月購読していた雑誌は、低学年時代は学研の「○年の科学」、次いで誠文堂新光社の「子供の科学」でしたし、5年生のときのクラブ活動は科学クラブでした。その後も講談社のブルーバックスを百冊以上も読破しています。 科博などに行くと、昔の虫がいくぶん騒ぎ出すのかもしれません。ついつい長居してしまうようでした。 (2019.9.11.) |