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『続・TOKYO物語』の女声版を作成したのは今年( 2019年)の1月のことでした。それを先日、 磯辺女声コーラスで初演し、ほぼ同時に カワイ出版から楽譜が刊行されました。 ときおり見られる、「初演会場での新刊楽譜販売」ということをやってみたかったのですが、今回のホールの規定により、物販は残念ながらできませんでした。いや、可能ではあったのですが、物販をやるとホールの使用料金が2倍近くに跳ね上がるということになっていて、断念したのです。公共のホールだから営利活動は良くないということなのでしょうが、少々頭が固すぎる感があります。 初演と楽譜販売を同時におこなうというのは、普通はなかなかできることではありません。たいていは、編集会議にかけるときに音源を求められ、楽譜と共に音源を聴いて、その結果として刊行を決めるという運びです。「この作曲家の作品なら、出しさえすれば必ず売れる」というような、故 三善晃先生ばりの絶大な信用が無い限りは、音源無しで出版が決められるということは無いのでした。 私などはそこまでの信用がありませんので、初演会場での新刊販売などは夢物語と思っていましたが、正篇 『TOKYO物語』のベストセラーぶりのおかげで、その続篇も、特例的なことながら音源無しの出版が決まりました。編集にあたってくれたカワイの Mさんも、実際の音を聴いたのはこの前の初演のときだったのです。 そんなわけで、楽譜販売ができなかったのはたいへん残念だったのですが、まだ望みは残っています。 来年の5月に予定されている Chorus STの演奏会で、混声版『続・TOKYO物語』の初演が決定しており、それに合わせて混声版楽譜の刊行も決定しているのです。今度の会場である 東京文化会館では、定かな記憶ではありませんが、確かロビーでの物販が普通に認められていたはずです。今度こそ、初演会場での新刊販売という私の夢がかないそうです。
さて、その混声版のためのリアレンジですが、もうとっくに済ませておいても良いようなものだったのに、まだ手をつけていませんでした。 正篇からのしきたりで、基本的にピアノパートには手を加えません。まったく同じものを使います。従って、和声なども女声版と混声版とに差はありません。なんなら女声版と混声版を一緒に歌っても違和感が無いようにしておき、例えばジョイントコンサートとか合唱祭とかで、その場で歌えることをもくろんでいます。こういう措置は、同じ曲の女声合唱版・混声合唱版・男声合唱版といった各種を作るときには当然の配慮なのですが、前にある合唱曲アンソロジーに関わったとき、女声版と混声版でまるで違うアレンジになっている人が居て困った、と編集者が頭を抱えているのを見たこともあります。 手書きの時代ならともかく、現在のFinale環境下であれば、合唱パートを女声二部から混声三部にアレンジし直せば済みます。そしてその作業も、パソコンの得意技であるコピー&ペーストをフル稼働することで、さほどの手間はかかりません。二部から三部にするわけなので、当然そのままにはできませんが、ソプラノパートなどは、たまに男声に主旋律を渡すといった箇所以外では、ほとんど手を加えずに使えます。アルトはそうはゆきませんけれども、それでもいちからアレンジするのに較べればはるかに楽です。 にもかかわらず、なかなか手をつけなかったのは、ひとつには女声版の校正作業がはじまったからでした。
充分にチェックはしたつもりであっても、校正がはじまると、やはりいろいろミスが発見されます。ミスでなくとも、ここには親切臨時記号を追加しておいたほうが演奏するときの間違いが少ないだろう、などと考えて付け加えたりすることもあります。私の送ったデータは正しくとも、出版社側での浄書時にミスが発生することもあります。
だいたい3、4回は、著者と出版社のあいだでゲラのやりとりがあります。まあそれも、かつてはいちいち郵送していましたが、いまはPDFファイルのやりとりで済むのでだいぶ省力化されました。私からの修正は、朱筆を入れるのではなく、修正点を列挙してメールで送れば良いのでした。稀に、メールの文章ではこちらの趣意が伝わらないということも無いではありませんが、たいていは問題ありません。 そうやって次々にミスが発見されてゆくのを見ていると、混声版を作成するのは、女声版の校正でミスを出し切ってからのほうが、あとあと都合が良いと考えたわけです。 校正中に磯辺女声コーラスのリハーサルがあって、私も2回ほど顔を出しましたが、実際に演奏に立ち会ってみると、これまた新たな修正点が発見されたりします。1回目のリハーサルのときはまだ余裕があったので、編集者に連絡して直しを入れて貰ったりもしました。 それでなんとか刊行にこぎつけたわけですが、そのあとでも「あっ、ここは……」と気がつくこともあります。そういうところは増刷するときに修正してゆくわけですが、版によって書いてあることが違うというのは、書物としては感心できることではありません。以前ある合唱団である曲を指導したとき、私が指摘したことがどうも合唱団員にうまく伝わっていないような気がして、合唱団員の譜面を見せて貰ったところ、私の使っていた譜面と全然違っていて唖然としたことがあります。作曲者が増刷時の修正や変更をやりすぎて、とうとう別物になってしまっていたのでした。 そこまでではないにせよ、『続・TOKYO物語』でも、刊行された本を見てみると、何箇所か誤りが発見されました。まあ音が致命的に違っているというほどのことはなく、よほどじっくり譜面チェックをする人でない限り違和感も覚えないような箇所ではありますが、それでも次の時には直さねばと思いました。 例えば、臨時記号が付いた音を次の小節までタイで延ばしたりする場合、私はタイでつながった次の小節の音にも臨時記号を付け直す習慣です。これは作曲家によって個人差があり、タイでつながった音の臨時記号は付けないという人も居ます。しかし私の方針としては付けるようにしているのであって、それがごっそりと(和音のすべての音に臨時記号が付いていたもので)抜けているというところがあったのでした。「間違い」ではありませんが、私の書法に違反しています。どうして校正のときに気づかなかったかと思いますが、そういう事態もままあるものです。 校正で出てきた箇所、それにそのあと発見された箇所などを、私の作成した元の女声版データに反映させ、それからようやく混声版の作成にとりかかったのでした。
手順としては、女声版データを一旦混声版データのファイルとしてセーブし直し、画面をスクロール表示にしてから五線を3段追加します。スクロール表示にするのは、ページ表示のままだとごちゃごちゃして作業がややこしくなるからです。 追加した3段の五線を、混声合唱としてグループ化します。これで、いちばん上に女声二部のパート、その下に混声三部(正篇と同じく、混声版は三部合唱ということにしました)のブランクの五線、いちばん下にピアノパートが置かれる形となります。ピアノパートには手をつけずに、女声二部のパートから必要な部分を混声三部パートにコピペし、足りないところを追加したり置き換えたりします。 ちょっとだけ困ったのが歌詞の扱いです。歌詞の編集は歌詞ウィンドウというコマンドでおこなうのですが、ここに表示される歌詞の分量には限りがあるようなのでした。ある程度の分量を打ち込むと、それ以後は歌詞ウィンドウに表示されなくなってしまいます。譜面上では表示されているので、見る人には問題ないのですが、歌詞ウィンドウに示されていないので編集作業ができません。例えば私は、日本語の歌詞にはMS明朝の13ポイントというフォントを使っていますが、ハミングを表す「m」や、ヴォカリーズである「Ah」「Oo」などのローマ字ではTimes New Romanの14ポイントを使います。このフォント変更などが、歌詞ウィンドウを用いないとなかなか面倒くさくなるのでした。 この歌詞ウィンドウの限界については、前に使っていたFinale2006にもあって、オペラのように厖大なテキストを用いる譜面の場合にはちょくちょく問題になりました。その場合、私は別のバースにその続きを入力するようにしていました。簡単に言うと、表示されなくなった「2番」として入力したわけです。そのままだと「2番」として、それまでの歌詞よりも下の行に表示されてしまうので、「歌詞のベースライン調整」というところをいじって、2番の歌詞が1番と同じ位置になるように設定します。 この問題が、『続・TOKYO物語』混声版を作成する作業においても持ち上がってきたのでした。この曲はメドレーということもあって、400小節を超えるかなり長いものになっていますが、それでも歌詞ウィンドウの表示限界に達するほどの分量になるとは思いませんでした。実際女声版のときには問題なく表示されていたのです。 それが限界突破してしまったのは、いま使っているFinale25では、ひとつの段から別の段にコピペすると、歌詞も新たなテキストとしてコピペされてしまう仕様だったからです。確か2006では、同一のファイル内でのコピペの場合は、歌詞は「増えない」ことになっていたと思うのですが、25ではそれがじゃんじゃん増えまくり、男声パートに移すときにも増え、あっという間に満杯になってしまったというわけでした。 「コピーされる事項」をひとつひとつ設定できるコマンドもあって、そこで「歌詞」のチェックを外しておけばこんなことにはならなかったのですけれども、そうなると今度は、新しくできた混声版のところに、いちいち歌詞を割りつけてゆかなければならず、それはそれで面倒くさいという事情もありました。どちらが良かったのかわかりませんが、とりあえず歌詞ウィンドウに表示されない部分も手動で細かく編集して、歌詞入力を済ませました。 2006のように、同一ファイル内でのコピペで歌詞を増やさない設定もどこかにあるのかもしれませんが、いまのところ発見できていません。また、不要な歌詞(例えばリアレンジ終了後に消してしまう女声二部パート)を消してしまうということも当然考えつきますけれども、それをやると音符と歌詞の関係がたいていぐちゃぐちゃになって収拾がつかなくなります。入力された音符と歌詞は、それ自体が対応しているのではなく、「歌詞の何番目の音節(あるいは文字)がこの音符に対応しているか」という形で結びついているので、不用意に消すと歌詞が勝手に移動してしまうのでした。五線を消したらそこの歌詞も消えてくれると助かるのですが、歌詞というのは音符その他の情報とは別のテーブルに記録されているらしく、それも無理です。
二部合唱を三部合唱にすることで、いくぶん動かしかたに困ったところもありましたが、それでもさほどに難渋することもなく、2、3日でリアレンジが終了しました。こんなに簡単にできるとはわれながらびっくりで、もっと早く済ませておけば良かったと思いました。 昨日、Chorus STの練習があったので、早速印刷して持ってゆきました。早く混声版で合わせてみたいという気持ちもありましたが、より切実には、出版社にデータを渡す前に、みんなに譜面チェックをして貰おうという魂胆がありました。ミスを見つけるには、実際に音を出して貰うのがいちばん早道です。 案の定、いくつかミスが発見されました。追加された男声パートにいちばん多く、次いで男声パートを増やしたために音が変わったアルトにもありました。ソプラノにはいまのところ発見されていません。ピアノにいくつか見つけたので帰宅してから本をチェックしてみましたが、そちらでは直っていて、どうやら校正の際の修正箇所を元データに反映し忘れていたようです。 それにしても、初合わせにしてはミスは非常に少ないほうで、やはりすでに校正済みの女声版を刊行していたのが良かったのでしょう。
正篇の女声版はすでに50刷を超え、混声版も25刷を超えています。最近は少ないロットでも増刷ができるようになってきたので、全部で何部出ているかは定かでありませんが、たぶん数万部は売れているでしょう。合唱楽譜としては、そのマーケットの規模からして、相当なベストセラーであることは間違いありません。合唱譜のマーケット規模は普通の本の100分の1くらいだと思われるので、1万部出れば一般書籍のミリオンセラー並みと言えます。 少し前、JASRACから、著作権料未払い分の目録というのが来ました。これらの曲があなたの作品として演奏されているのだけれども、本当にあなたの作品か、という問い合わせです。JASRACにはいろいろ思うところもあって、私はだいぶ作品登録をさぼっているので、相当な点数になっていました。その中で、「前奏曲」というのがあって、これが20万円分以上というすごい額になっています。 「間奏曲」というピアノ曲は作っていますが、「前奏曲」というのを作った憶えがないので、いままで問い合わせがあっても首を傾げていたのですが、最近になって事情が判明しました。 これは実は正篇『TOKYO物語』の「前奏曲」なのです。メドレーとはいえ、各曲の著作権登録は出版社からおこなわれているわけですが、その中の「前奏曲」の部分は私のオリジナルであって、私の「作品」として登録されていたらしいのでした。 『続・TOKYO物語』にも前奏曲があり、それが「前奏曲」というタイトルでは登録できないのですがどうしましょうか、と校正作業中に編集者から連絡があって、はじめてそのことを知ったのでした。同一の著者による同一のタイトルの曲というのは登録できないらしいのです。 登録名としては「前奏曲(続・TOKYO物語)」として貰うことにして、正篇のほうのも機会があれば「前奏曲(TOKYO物語)」に変更することに決めました。こうしておかないと、将来器楽曲の「前奏曲」などを作った場合にも困ることになります。 そういうことがあって、はじめてJASRAC書類にある「前奏曲」の正体がわかったのでした。20万円以上というすごい金額も、『TOKYO物語』の一部なのであれば納得です。編曲メドレーの一部であっても、オリジナル作品としての著作権料が入るのだとは全然知りませんでした。 いろいろ手数料が引かれたりして、額面どおりの金額が貰えるわけではないようなのですが、いずれにしろかなりの額のいわば「不労所得」(本当はそうではないのですが)がもうじき振り込まれるようです。まさに『TOKYO物語』さまさまなのでした。 さて、続篇のほうは同じくらいの人気を保つことができるものでしょうか。売れて欲しいものだと思います。
(2019.9.28.)
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