武漢ウイルスの蔓延はいよいよ拡がる一方で、いつごろ、どのように終熄するのかも誰にもわからないような状態になってきました。 「武漢ウイルス」などというとまなじりを吊り上げる人が居るようです。中国当局は、ウイルスの出どころが自分のところだとは絶対に認めたくないようで、いろんな国のサイトなどに「中国から弘まったウイルス」みたいなことが書いてあるといちいち抗議しているとか。米軍が持ち込んだなどと無理筋な難癖をつけたりもしていたようです。 で、中国大好きなWHOやわが国のマスコミなどでも、ウイルスが中国発だということになるべく触れないようにして、COVID-19などという名前をつけました。しかしこれではなんだかわかりません。かつてのSARS、MERSなどのような語呂の良さも無く、一般にはほとんど用いられていないような気がします。 スペイン風邪や日本脳炎、インフルエンザの香港型などのように、病原体が最初に発見された土地、あるいは病気が最初に流行した土地の名前を冠するのは自然なことで、別にその土地をおとしめているわけではありません。中国当局が、中国発とか武漢発とか言われるのを異様にいやがっているのは、かえって何かうしろめたいことがあるのではないかと疑わしくなります。 そんなわけで、3ヶ月以上経っていつまでも「新型コロナウイルス」でもなかろうと思うゆえ、私はとりあえず武漢ウイルス、武漢肺炎などと呼ぼうと思います。のちにもっとわかりやすい、語呂の良い命名がなされたら切り替えることにいたします。 最初はアジア人にしか感染しないなどと言われ、ヨーロッパ各国で日本人を含むアジア人が学校から閉め出されたり、罵詈雑言を浴びたりしていました。ところが言わんことではないので、たちまちのうちに欧米にも蔓延し、感染者数も死者数も、あっという間にアジア各国を上回りはじめました。 向こうの連中はなぜかマスク着用を嫌うようで、マダムも留学中にマスクをつけていたらよほどの重病人であるかのように見られて面食らったとのことでした。「顔を隠さなければならない→うしろぐらいことがある」みたいな連想があるようです。ただでさえ彼らの鼻腔はわれわれよりも大きめでストレートなのに、マスクをしないのでは感染しやすいのもあたりまえでしょう。 マスクの目はウイルスに較べるとはるかに大きいため、マスクには感染を防ぐ力は無い、などとも言われましたが、飛沫感染型のウイルスというのは単独で空気中を漂っているわけではなく、必ず人の唾液などの飛沫に混じってくるわけで、そういうものを防ぐにはマスクは充分に有効です。また感染者が他の人にうつさないためにも有効であって、欧米人もようやくそういうことに気づいてあわててマスクを買い求めはじめているようです。 その上ハグやキスといった「超濃厚接触」も日本人には想像もできないような頻度でやっているのですから、これはもう蔓延が決まったようなものなのでした。 ワクチンも特効薬も無い現状で、検査ばかりにいそしんだところは、たいてい医療崩壊状態に陥っているようでもあります。検査して陽性だった場合に、投薬などで治療できるというのなら良いのですが、いまのところ隔離するしかどうしようもないわけで、必要とされる病床数がたちどころにふくれあがるのは当然です。80%以上は軽症で済むとされている感染者をみんな隔離していては、他の病気に手が回らなくなるでしょう。 日本では、検査を受けるのにけっこう面倒くさい要件が科せられ、いろいろ批判を浴びてはいたものの、結果的にはいちばんうまくやっている国と言えそうです。なんと言っても死亡者数が文字どおり桁違いに少ないことには、各国が眼を瞠っています。マスクの着用と、うがい・手洗いの徹底という、ごく普通の予防策が、充分に効果があることを立証しました。 また、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の扱いで、人権無視だとかさんざん叩かれましたが、クルーズ船というのは地球上にずいぶんたくさん運航しているようで、同規模の船が次々と寄港しようとしはじめました。イタリアなどはその乗客をあっさり上陸させたために大変なことになり、オーストラリアでは離れ小島に隔離するなんて騒ぎになっています。パースに寄港しようとしたクルーズ船が実に14隻に及び、乗客は数万人になったそうです。結局のところ、日本の採った方法以上に適切なやりかたはどこの国でも思いつけなかったのでした。マスコミがいかに政権攻撃をしようが、日本の医療従事者の見通しの確かさと、その見通しを受けての安倍政権の舵取りは、いまのところ可能な最善手を打っているのだと言わざるを得ません。 さて、最善手を打っているとは思うのですが、自分のこととして考えると、いろいろと困ったことになりつつあります。 3月中の合唱指導などの仕事がすべてキャンセルになったことは前にも書きました。たまたま月末頃に入っていたコーロ・ステラの指導が、私の担当していないステージの練習のため譲っていたのが、もうひとりの先生が体調を崩して(武漢肺炎ではなかったようですが)私に戻ってきたため、その1回だけは仕事ができましたが、あとは全部中止でした。 この状態は今月も続く模様です。川口第九を歌う会からは早々と4月の練習中止の通知が届きました。クール・アルエットは、6月はじめに新宿区の合唱祭があったのですが、それがやはり開催中止になったということで、メンバーのモチベーションが下がってしまったようで、月の後半は場所も使えそうだというのに、こちらも月末まで練習が取りやめになりました。 小樽商業大学グリークラブのOB会も、中旬までの練習が無くなりました。いちおう下旬から復活する予定にはなっていますが、今後またどうなるかはわかりません。コーロ・ステラも同様です。 練習もさることながら、予定されていた本番も次々と中止または延期となっています。前に書いたときには、私の関わっている演奏会などはまだ取りやめの話にはなっていないということだったのですが、その後、東京都知事などが声明を発表しはじめるようになると、雪崩を打つかのように事態が動き出しました。新宿の合唱祭のことは上に書きましたが、7月初旬に予定されていたコーロ・ステラの演奏会は11月に延期されました。平塚の七夕祭りも中止になったようで、それにひっかけて開催していた『星空のレジェンド』の演奏会も、いまのところ正式な通知は来ていないものの取りやめになるかもしれません。ミュージカル版のほうはまだ開催するつもりのようですが、現時点で稽古場所が使用できなくなっているために、充分な稽古ができないとなると、延期になる目算も小さくはない気がします。 そして、5月5日に予定されていたChorus STの演奏会も、ついに延期が決まりました。ただしいつまで延期するかはまだ決まっていません。 『続・TOKYO物語』混声版の初演がおこなわれるはずでしたが、形ばかりではあっても委嘱初演作品であるため、刊行のほうも延期されることになってしまいました。非常に残念なのですが、初演前に世に出すわけにはゆかないというわけです。確かに、楽譜が公刊されてしまうと、Chorus STより先にどこかの合唱団が歌うことを禁止する理由が無くなってしまうので、その措置はやむを得ません。 この演奏会では、『続・TOKYO物語』の他に、三人の作曲家(相澤直人、山下祐加、私)による新作ステージというのもあったので、初演があまり遅くなるのも他の作曲家に申し訳ない感じであり、本格的な演奏会は1年くらい延期するとしても、初演ものだけ先にやるわけにはゆかないだろうか、などという話もでてきています。 だいたいChorus STは、かなりぎりぎりまで、中止や延期をせずに予定どおり開催しようと頑張っていたのですが、都知事の最初の声明を境に、なんとなくメンバーの意欲が低調となった雰囲気でした。さらに翌週も週末の外出を自粛するようにとの要請があったことで、練習が日程的にほとんどできなくなってしまい、このままでは明らかに演奏会を開くだけのクオリティに達することができないだろうと予想されたのでした。やむを得ないならば仕方のないことです。 6月の板橋オペラは開催の方向で進めていますけれども、出演者がプロ奏者だけなのであればそれでも良いのですが、区民有志が参加することになっているので、これも稽古が充分におこなえなくなりかねず、微妙なところです。とりあえずいつもの編曲作業はいまのところ頑張っています。 もうひとつ予定されていたのが、明日、4月5日の、ピアノ教室の発表会です。 これも、ぎりぎりまで開催するつもりでした。しかし先週の土曜のレッスンの際、出演者の3人の生徒が雁首を揃えて、やはりこういう状況なので中止したいと訴えてきたのでした。 とにかく、人を呼べないというわけでした。週末の外出自粛要請が出ている以上、日曜日に都内(江戸川橋)まで聴きに来てくれるよう誘うのは困難だというのです。 身内だけでも良いのではないかとの意見もあったのですが、その身内もどこまで集められるか微妙です。 無観客でもやろう、みたいな勇ましい意見も、少し前までは出ていました。しかし、今回の会場は本格的なホールではなく、楽器店のショールームのようなところです。前にレ・サンドワが『いのちの渦紋』を初演してくれた際に、リハーサルで使っていた場所なのでした。そのため、使用料の半額というような大きなキャンセル料は発生せず、 「こういうときですから、事務費として5000円だけお支払いいただけば結構ですよ」 と言ってくれたそうです。 決行すればピアノの使用料なども含めて8万円くらいかかるようで、キャンセルすれば5000円で済むものを、8万円払って無観客演奏会にするのもばからしいわけです。私は中止でも開催でも構わないつもりでしたが、生徒たちは私に決定して欲しそうだったので、 「見送りますか」 と言いました。 前日の4日、つまり今日、本番前の最後のレッスンとして、教室で通しのリハーサルをするつもりでした。で、せっかくなので、そのリハーサルを本番に準ずるものとして、いわば公開リハーサルみたいな形にすることにしました。ゲネラルプローペ(舞台稽古)のもうひとつ手前の、ハウプトプローペ(通し稽古)というヤツです。教室から家の近いUさんなどは、近所の人に声をかけてみる、などとやる気まんまんになっていました。 が、結局、観客は来なくなったと連絡がありました。狭いスタジオですから、ホールよりももっと濃厚接触っぽくなって、怖じ気をふるったのかもしれません。無観客というのもちょっと寂しかったので、マダムに声をかけてみたら、聴きに行くと言いました。 それで今日、通常のレッスン時間の枠を使って、通しで演奏してみました。 3人がひとつずつソロの曲を弾いたあとは、全部2台ピアノの曲目です。まずシャブリエの『3つのロマンティックなワルツ』を、1曲ずつ私とそれぞれの生徒で合奏します。2台ピアノの曲というのはそれなりにレパートリーはあるのですが、連弾曲に較べると各奏者にハイレベルの技倆を要求する作品が多く、そろそろネタが尽きてきた感じだったのですが、楽譜屋でこの本を発見したときは「良し!」と拳を握る気分でした。シャブリエはピアノの独奏曲はやたら小難しいのが多いのですが、この2台ピアノ作品は中級用という感じで、合わせもそんなに大変ではなさそうです。洋書でなく国内版(パナムジカ刊)であったのも嬉しいところでした。 3曲とも、本来要求されているテンポよりもゆっくりめの演奏になってはいましたが、かなり演奏効果も高く、弾いたあとの充足感はなかなかのものでした。やはりお客の前で弾きたかったかな。 それから『くるみ割り人形』の8手連弾編曲。これは何回か前の発表会で演奏したのですが、そのとき生徒のOさんが体調を崩して参加できず、急遽私がOさんのパートを代行して弾きました。それでOさんにとっては今回がリベンジマッチだったわけですが、また人前で発表する機会が流れてしまったことになります。不運としか言いようがありません。 前回のときに演奏に加わっていたIさんが、今回は不参加でした。実は1週間後の11日に、Iさんの出身大学の卒業生による演奏会が予定されていて、あまりに時期がかぶってしまったので今回は参加を見送ったのでした。その演奏会では私の編曲した8手連弾版『春の祭典』第2部を初演予定だったので、実はそれもまた私の関わる演奏会ではありました。ところが、御多分に漏れずその演奏会も中止になってしまいました。ただ、前に『くるみ割り人形』を弾いたことがあるとはいえ、1ヶ月ばかりで復帰するのも無理で、今回はIさんのパートを私が弾くことになっていました。OさんやIさんも不運ですが、この曲も不運であったと言えるでしょう。 途中、換気のための休憩をはさみましたが、1時間15分ばかりで「通し」は終了しました。こうしてみると、やはり「本番」をしなかったのが残念な気もしましたが、お客が全然来ないのならやむを得ません。 まあ、「準本番」という程度のことができた点、他の演奏会よりは幸運だったと言えるかもしれません。合唱の練習はことごとく潰れていますが、ピアノのレッスンは特に休みにはしておらず、かろうじてその収入だけで食いつないでいる感じではあります。 演奏会を延期したとしても、その延期した時期に武漢ウイルスの蔓延が終熄しているかどうかは、これはそのときになってみないとわかりません。夏を越せばさすがに大丈夫ではないかと当初は言われていましたが、そんなに根拠のある話でもなかったようで、例えばコーロ・ステラの11月というのも、それまでに情勢が落ち着いている保証はどこにも無いわけです。
とにかくワクチンができるまでは、各自に予防措置をとるしか無く、発症したら重篤にならないことを祈る他やることがありません。そしてワクチンができるまでには、もしかしたら1年半くらいかかるかもしれないとも言われています。富士フイルムが作ったアビガンという薬が効きそうだとは噂されているものの、日本ではまだ認可されておらず、首相は特例的に認可を急ぐと言明しましたが、それでもここ1ヶ月以内でなんとかなるというものでもなさそうです。 感染者数が増える一方なのは、もう仕方のないことで、何十人増えた云々と毎日のように報道しおびえることも無さそうな気がします。死亡者数が跳ね上がってきたらちょっと怖いですが。 感染者数は増えるものだと割り切って、それを念頭に置いた上でいろんなことを動かしてゆくように考えたほうが建設的でしょう。おびえたあまりに何もかも停止させてしまうのがいちばん良くないと思うのです。 (2020.4.4.) |
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