忘れ得ぬことどもII

ヴァーチャル演奏会など

 皆様、連休はどのようにお過ごしでしょうか?
 まあ、武漢ウイルス蔓延による外出自粛要請が出ておりますので、旅行に出かけたなどという人はあまり居られないでしょう。観光地のほうでも来るなと言っており、無理やり出かけても、現地の人々にそこはかとなくヒンシュクを買いそうな雲行きです。
 盛り場に出かけるのもNGということで、渋谷新宿もがらんとしていたようです。そのあたりは先月初頭からすでに著しく人出が減っていました。私は4月5日に用事があって新宿に行きましたが、日曜の午後というのに、ほとんどゴーストタウンのような有様でした。
 その後、日帰りできるアウトドアといった感じの、高尾山やら江ノ島やらがずいぶん混み合ったという報道に接しました。密閉されていないし、宿泊するわけでもないので大丈夫だろうと考えたものと見えます。しかしそういうところも、だいぶあげつらわれて、人出が減ったと思われます。
 私も、山歩きなどはそう悪くないだろうと考えていたのですが、ダメだそうで。高尾山みたいに人がワーッと訪れるところは無理でも、あんまりひと気のない尾根づたいなどをひとりで歩いたりするのであれば、誰に伝染すわけでもなく、誰から伝染されるわけでもなく、問題は無さそうな気がします。が、山で発症してしまった人が居たようです。この場合、救助隊員などが危険なことになるので、控えて貰いたいと言われれば、諦めざるを得ません。
 いまのところ、許されるレジャーとなると、サイクリングがいいところであるようです。それもチームで走ったりするのはNGのようですが、まあひとりとか、せいぜい家族で走り、なるべく飲食店などに寄らないようにすれば良いでしょう。私は自転車で走るのは好きなので、近いうち天気の好い日があれば、少し遠出してみようかなどとも思っています。なるべく街中でなく、川沿いの土手道などを走るようにすれば、ウイルスに戦々兢々とすることも無さそうです。
 そんなこんなで、できることがきわめて限られている昨今、他の人がどんな休日の過ごしかたをされているかはたいへん興味があります。
 音楽家仲間などは、この機会に楽譜の整理をはじめたりしている人も居ます。すでに3~4週間かけて、まだ全然整理が終わった気がしないなどとぼやいていたりします。
 ビデオなどを観ているという人が多いのでしょうか。読書に邁進している向きも少なくないでしょう。せっかくだから「大菩薩峠」とか「ブッデンブロオク家」とか、ふだんだったらとても読む気のしないような大長編に挑んでみるというのも悪くないかもしれません。

 さて、私は『ラ・ボエーム』の編曲作業を終えてから、さほどのこともせずに日を過ごしております。少し休養を取りたいという気もしていました。例年だと引き続きパート譜作りにかかるのですが、オペラ公演が来年に延びた場合、まったく同じオーケストラ編成が可能かどうかはなんとも言えず、もし変わってしまったらスコアを手直ししなければなりません。パート譜はそういうことがはっきりしてから、つまり来年の作業ということで良いと考えます。
 ただ『ラ・ボエーム』に関しては、字幕の制作と操作も申しつかって居ました。こちらは来年に延期するのであればそのまま役立ちますので、いまのうちに作ってしまうことにしました。作業としてわりと好きだということもあります。
 板橋オペラの字幕は、去年の『セーラ』では日本語公演なので一字一句全部書きましたが、外国語の場合は言葉を全部訳して使うということはしません。ヨーロッパ言語と日本語では母音数がまったく異なるために、全訳するとすさまじい勢いで字幕が流れることになり、いささかめまぐるしくなりますので、かなり抄訳というか意訳というか、全体として意味が通じていれば可、という方針で作っています。
 ただ、抄訳するとしても、セリフの「数」そのものを減らしてしまうと、誰がその言葉を歌っているのかわからなくなります。無くても良いような相づちとかそのようなもの以外は、いちおう拾わなければなりません。『ラ・ボエーム』は短いセリフでの会話が多いので、思いのほか字幕の枚数が増えてしまいました。
 例によって、主要人物の一人称は全員別々にしたりしました。ミミが「あたし」でムゼッタが「わたし」、四馬鹿についてはロドルフォが「僕」でマルチェッロが「俺」、ショナールは「拙者」でコッリーネは「我」とししました。コッリーネは哲学者もどきなので「我」とものものしい一人称で、文語っぽくしゃべることにしました。ショナールの「拙者」は武士ではなく、キモオタっぽいイメージで、語尾には「……ですぞ」みたいなのを多用してみた次第。他、アルチンドロは「わし」、ベノワは「私」です。大家のベノワは配役の都合で女性が演じることになる可能性が高く、その場合だいぶ意訳の度合いを強めなければ話が通じなくなりそうです。
 最後のシーンはかなり言葉のチョイスに凝りまくり、けっこう泣ける字幕になったのではないかと自負しています。
 ともあれ数日は、この字幕制作に費やしました。その後は、録りためた深夜アニメを観たり、web小説をだらだらと読んだりしていましたが、今日(2020年5月5日)は少々面白いイベントがありました。

 もともと、5月5日には、Chorus STの演奏会が予定されていました。創立30周年記念であり、正規団員だけでなくOBOGや関係合唱団など各所から有志を募って、東京文化会館で大々的に開催されるはずだったのでした。私の『続・TOKYO物語』混声版の初演のほか、「詩人フルリーナと三人の作曲家」と題して、書き下ろしの詩にもとづく相澤直人山下祐加それに私の3人の新曲初演もすることになっていました。
 ぎりぎりまで、開催する方向で頑張っていたのですが、さすがに無理ということになりました。会場費もこういう折りなのでかなりの程度返金して貰えるということで、とにかく練習ができない状態ではとても本番を強行するわけにはゆきません。合唱の練習というのは三密(密閉・密集・密着)の最たるものとして、いまのところ社会的に目の敵のようにされています。大声で歌うのは、笑うことと同様免疫力を高めるはずだ、と反論したいところですが、現実問題として合唱練習によってクラスターが発生したところもあるため、あまり説得力を持ちません。
 それで5月5日の演奏会開催は涙を呑んで断念したわけですが、毎週の練習時間を使ってZoomでwebミーティングをしているうちに、せっかくだからその日・その時間に「歌おうじゃないか」、という話になったのでした。
 もちろん、物理的に集まって歌うわけにはゆきません。ヴァーチャル演奏会です。
 どうすればそれが実現できるか、みんなでああでもないこうでもないと智慧を絞りました。そして考えついた方法は、Zoomでホストになっている団長のタガワくん、すずりん夫婦のところで、過去に合唱祭などで演奏したり、通し練習をしたりした際の音源を流し、それを「サウンド共有」というZoomの機能を使って参加者全員が聴けるようにします。それに合わせて歌ってみるというわけでした。
 ただし、Zoomというアプリは、参加者の誰かが音声を発するとそこに焦点が当たる性質があるため、同時に発生する歌声をそれぞれのマイクが拾ってしまうと収拾がつかなくなります。
 それで、参加者はタガワくんたちのところ以外すべて「ミュート」をかけます。これでマイクは音声を拾わなくなります。
 つまり、他の人の声を聴くことはできません。音源に合わせて自分が歌うというそれだけです。あとで聞いたら、近所迷惑になるので抜いた声で歌っていたとか、適当に鼻歌っぽく歌っていただけの人も居たようですが、私はいちおう本気で歌ってみました。
 流れる音源のボリュームをうまく調整すれば、けっこう合唱団の中で歌っている気分になれるので驚きました。まあ、私のところはパソコンアクセスで、古くて安っぽいとはいえ曲がりなりにもスピーカーをつないでいますから、スマホアクセスの人よりは音質が良かったかもしれません。
 みんなのリアルタイムの声は聞こえないとはいえ、歌っているところを画面で見ることはできます。口の開きかたなど、若干タイムラグがあるようにも思えましたが、これは仕方のないことでしょう。そこそこ、みんなで歌っているという意識にはなれました。まあ、私のところはまだwebカメラが無いので、私の画像は映っていないのですが。
 予定されていた本番のプログラムの順番のとおりに、音源が流されてゆきます。残念ながら1曲だけ音源が無かったのでカットされましたが、オープニングからアンコールまで、ほぼ全曲を歌いました。
 前半はChorus STの正規団員だけ、後半の新曲2ステージが賛助参加です。そのため、賛助出演者にも今日のヴァーチャル演奏会のことは周知してありました。さすがに全員参加というわけにはゆきませんでしたが、団員と併せて30人近いアクセスがあり、それぞれの画面で歌っていました。
 アンコールの曲を音源に合わせて歌いながら、なんだか胸にグッと来るような想いさえしました。歌うのが久しぶりだったということもあるのでしょう。
 久しぶりすぎて、第2ステージのグアテマラの合唱曲のうち、いくつかの速い歌では、口の動きや滑舌がついてゆかなくなっていることに気づきました。歌は筋肉だなあ、と実感します。
 ことさら高い音が出なくなっていたり、息が続かなくなっていたりはしなかったので安心しました(演奏的にも、武漢肺炎の症状的にも)が、音域によっては、求められる弱音で保つのがしんどくなっていたところがあります。これものどの問題というよりは筋肉の問題でしょう。少しは発声練習などしておかなければなりませんね。
 終わってみると、1時間半くらい過ぎていました。曲間のインターバルなど、平均すれば実際の演奏とさほど変わらないようですし、途中の休憩も短めでしたので、現実に演奏会をやっていれば、けっこう2時間くらいかかる堂々たるコンサートになっていただろうと思われました。やっぱりやりたかったなあ、と思う次第です。
 さて、合唱が大手を振ってできるようになるのはいつのことでしょうか。自分が歌う立場であるChorus STもさることながら、私の現金収入のうち合唱指導によって得ている部分はかなり大きいので、できるようになって貰わないと本当に収入激減です。
 オンラインレッスンということを試みている先生も居るようですが、はたしてどの程度効果があるものやら。1対1でおこなうピアノのレッスンくらいなら良いでしょうが、合唱となるとやはり難しいのではないでしょうか。Zoomにしても、上記のとおりタイムラグがあるので、「他のメンバーと声を合わせて歌う」ということはまず無理です。いずれはそんなことのできるアプリが開発されれば良いのですが……

(2020.5.5.)

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