武漢コロナによる緊急事態で、毎日どこへ行くでもない日々が続いて、人によっては生活のサイクルがだいぶ乱れてしまったりもしているのではないでしょうか。 まあ、在宅勤務の場合は、そう乱してしまうわけにもゆかないかもしれませんが、どうしても人間は易きに流れやすいものです。在宅の学生・生徒などは、なかなか規律をもった生活を送るのはしんどい気がしているように思えます。 私は自由業ですので、実はそれほど変化がありません。もともと外出しなければならない仕事というのは週に数回であり、それも朝からというわけではないので、もともとまっとうな勤め人に較べると2時間ばかりずれた生活を送っています。その状態は、最近でもそれほど変わっていないのでした。 ひとつには、ゴミ捨ての問題があります。私のところはゴミ収集が週に3〜4回あり、そのいずれもが9時前くらいにはゴミ置き場に出しておかなければならないので、その朝は否応なく、遅くとも8時半くらいには起きている必要があり、それはコロナ騒ぎ以前から同じです。ゴミのおかげで、比較的規則正しい生活が送れているみたいなものなのでした。 まず毎週月曜に、一般ゴミと有害ゴミ(ガラスなど)の収集があります。その他に、月の第1週と第3週には飲料缶と空き瓶、第2週と第4週にはペットボトルと繊維類を出すことになっています。 火曜は隔週で金属ゴミと紙ゴミの収集です。飲料缶以外の空き缶、たとえばトマト缶とかコーン缶とかの空き缶は金属ゴミとして出さなければなりません。わざわざ分けられているのは、鋳物工場の多かった時代の名ごりかもしれません。紙ゴミは古新聞古雑誌のたぐいが含まれますが、それらはうちのマンションではまとめて回収業者に出しているので、収集日に出すのは段ボールとかそういったものになります。 水曜はプラスティック容器ゴミの日です。容器でないプラスティックはどうなのだろうかと疑問に思わないでもありませんが、いちおう一緒に出してしまっています。 木曜はもういちど一般ゴミの日。 そんなわけで、火曜収集のある第2・第4週は、月曜から木曜まで毎朝ゴミを出さなければなりません。ゴミも、場所によっては昼近くまでそのまま集積されていることもあるのですが、私の住んでいるあたりはいずれも収集ルートの最初のほうに廻るようで、9時頃までに出さないと出し損ねます。私はこのゴミ収集によって、かろうじてそれなりに規則的な生活を保って居られるような気がしています。 市内でも、収集日が異なる区域があり、出し損ねたときは、悪いとは思いつつ、そういった区域まで自転車でゴミを運んで行って捨ててきたりすることがあります。町内会の人などに見られると少々気まずいことになりそうです。 私の住む川口市は、ゴミの分別がかなり細かいほうであろうかと思います。上に書いただけでも、一般ゴミ、飲料缶、空き瓶、ペットボトル、繊維ゴミ、有害ゴミ、金属ゴミ、紙ゴミ、プラスティック容器ゴミと9種類、このほかに粗大ゴミとして扱われ、有料で個別に引き取って貰わなければならないゴミもありますので、しめて10種類に分けられることになります。事業所ゴミなどにはまた別の分類があるかもしれません。 これは最近のことではなく、昔からこうなっています。 私は35年近く前に川口市に越してきましたが、たぶんその最初からこういう分けかたであったと思います。ただ最初の頃は分けかたがわからず、しばらくはいい加減でした。 その前に住んでいた世田谷区では、可燃物、不燃物という単純明瞭な分別でした。いまはもう少し細かくなっているかもしれませんが、35年前はそんなものでした。 川口に越してきて、戸惑ったのは、可燃物と不燃物の区別がされていないように見えたことでした。実際のところ、芝川沿いの朝日環境センターにある川口市のゴミ焼却炉は、かなり熱量が高く、不燃物とされるものでも処理できてしまうようです。いずれにしろ、可燃不燃の区別が無いように見えたので、私は当初、川口市はずいぶんゴミ分別に無頓着な自治体だなあ、などと勘違いをしていたのでした。 それが勘違いだとわかったのは、越してきてからしばらく経った頃のことです。その頃、故堺屋太一氏が進行役を務めるトーク番組(「あすを語ろう」だったか「あすを創ろう」だったか、そんなタイトルでした)があり、私はときどき視聴していたのですが、その中で「ゴミ分別先進自治体」として川口市が扱われ、担当の市役所職員が出てきて堺屋氏のインタビューを受けていたのです。 確かその番組の中ですでに、10種類の分別ということを言っていたと記憶します。 あわてて調べてみるとそのとおりで、しかも各所の集積場所にちゃんと分別の仕方が明記されていたのでした。みずからの不明を恥じ入るばかりです。 なお私がそれまで出していた、いい加減な分別のゴミは、ある程度はマンションの管理人さんが正しく分けてくださっていたようでした。その頃の管理人さんはとっくに辞めて、もう何代も替わっていますが、ありがたかったとあらためて胸にしみます。 それにしても、こういう細かい分別は、初心者にはやはりけっこう難しいかもしれません。特に、隔週の収集というのは忘れがちです。週替わりの月曜収集のような形も、うっかり違うほうを出してしまうこともあるでしょう。 川口市は私が越してきてからの35年間で、人口が3割以上増えています。出入りを差し引いても15万人くらいの新規住民が居るわけです。まあ、その半分くらいは鳩ヶ谷市との合併で増えた分ですが、それにしても別の自治体だったのですからゴミの分別方法も違っていたでしょう。旧住民と新住民とのあいだに、ゴミがらみのトラブルも少なくなかったかと思われます。 さらに問題なのは、ここしばらく、外国人住民が増えてきていることです。 私の住んでいるマンション(と名乗る集合住宅)も、全29戸のうち、5、6戸がおそらく中国人と思われる名義になっています。中にはきわめて流暢に日本語を話し、日本人同様の物腰の人も居ますが、かなり言葉が不自由と察せられる住人も居るようです。 まあ、何国人が住んでいても差し支えはないのですが、いささかの懸念として、彼らにこういう細かいゴミ分別が理解できるのだろうかということがあります。 少なくとも彼らの母国に、こういう細かい分別を要求するところは無さそうな気がします。可燃不燃の区別をつけているところすら稀ではないでしょうか。別に中国がその点遅れているというわけではなくて、誰もが認めるであろう先進国であるはずのフランスでも、マダムが住んでいた20年ほど前には、ゴミの分別などという観念はまるっきり無かったと言います。せいぜいスーパーマーケットなどの店の前に空き缶や空き瓶の回収ボックスが置かれていた程度で、家庭から出るゴミは、それこそ味噌も糞も一緒くたに捨てていたそうです。さすがに最近は資源ゴミという考えかたが浸透してきたようではありますが。 だから分別の内容がよくわからない以上に、分別する必要性すら理解できないのではないかと思ってしまうのでした。 一応は分別しているようでも、明らかに日を間違えて出しているゴミを集積所でよく見ますし、粗大ゴミ扱いなのを知らずに出して、粗大ゴミだと注意されているのに一向に持ち帰らないなんてのもしょっちゅうです。 ゴミ収集の日程については、市役所で中国語版なども出しているはずですが、越してきたばかりの私と同じく、こういうことは自分で調べようとしないとわからないものです。しかし日本に来て間もない中国人住民が、わざわざゴミの出しかたの中国語版を役所から取り寄せるとはまず考えられません。繰り返すようですがそれは彼らの公衆道徳やら衛生意識やらの問題ではなく、ゴミ分別という観念が根づいていないということに尽きます。役所は告知の外国語版を作成することで満足せず、それをきちんと外国人住民ひとりひとりに伝えるところまで徹底していただきたいものだと思います。 昔は、庭のゴミを枯れ葉などと一緒にかき集めて、それを燃やし、その焚き火の中で焼きイモなどをこさえて、あとでみんなで食べる、なんて光景が、街のあちこちで見られたものでした。学校でもときどきそんなことをやっていました。 いまは、それはやってはいけないことになっています。灰が風に乗って周囲に飛んでゆき公害になりますし、何よりも枯れ葉やゴミを燃やすとダイオキシンが発生して土壌に蓄積するからというのです。 ダイオキシンの猛毒性は激しく喧伝されました。米軍がヴェトナム戦争で使った枯れ葉剤の主成分であり、これが使われた地域ではいまでも二重体児(シャム双子)などの畸形がよく発生すると言われます。ベトちゃんドクちゃんの衝撃的な写真と共に、ダイオキシンの恐ろしさは世界中に周知されました。 その猛毒ダイオキシンが、ただの落ち葉焚きくらいでも容易に発生するというのだから、人々は慄え上がりました。 まあ実際には、含有量とか含有率とかの問題であって、焚き火をしたところがすぐさま致死的な猛毒の地になってしまうのでは、人類はとっくに亡びていると思います。個人の庭先くらいでいくら焚き火をしたところで、蓄積されたダイオキシンで人が死ぬなんてレベルにはなりっこありませんが、イメージの力というのはおそろしいものがあります。「かきねのかきねの曲がり角……♪」の童謡「たきび」の光景は、日本ではほぼ永遠に追放されてしまいました。 それから、私は小学校を終えるくらいまでずっと社宅暮らしだったのですが、昔の集合住宅には焼却炉がありました。可燃物はそこで燃やしてしまうのです。焼却炉の当番などもあったと思います。そこで燃やせないゴミだけ、公共の収集で持って行って貰うという形でした。たまに燃やしている最中に焼却炉のところを通りかかると、鋳物の蓋の隙間からチロチロと赤い炎が見えて、怖ろしいような魅入られるような妙な気分になったものでした。 その焼却炉も、いまではまず見られないでしょう。 ゴミを燃やすとそれだけでダイオキシンが発生するのでは、一体どうすれば良いのだと言いたくなりましたが、その後、充分な高温をもって完全燃焼させてしまえばダイオキシンの発生は抑えられると判明し、各地のゴミ処理場には新型の焼却炉が据え付けられはじめました。川口市はいち早く高温の焼却炉を導入していたわけで、そのあたりはさすがに火を扱い馴れた「キューポラ(熔銑炉)のある街」であったかと思います。 ゴミ処理の過程で発生する熱量は、発電に使ったり、温水プールの熱源にしたりします。朝日環境センターにも温水プール施設があり、何度か行ったことがあります。 いずれにしろ、アパートや学校についていた程度の焼却炉では火力が弱すぎて、ダイオキシンの発生は防げないらしく、いつの間にか廃れてしまいました。古い団地などへ行くと、ここは焼却炉があったのだろうなと思われるスペースがあったりしますので、探訪してみても面白いかもしれません。団地の敷地内をうろうろしていると不審者扱いされる危険はありますが。 人間が生命活動を続けてゆく限り、ゴミは必ず出るものであって、ゴミの処理の問題はいつまででもついて廻ります。現在のような状況で、ストライキも起こさずにゴミ収集を続けてくださっているかたがたには頭が下がりますが、収集車が市内をくまなく廻って人力でそこにゴミを放り込んでゆくという方式をいつまで続けるのか、議論があっても良いところではないでしょうか。
少し前の未来もののSFなんかだと、それぞれの家にゴミのリサイクルキットが据えられていて、どんなゴミが出てもそこに放り込めば、何か有用なものにリメイクしてくれる、みたいな話も読んだことがありますが、個人宅の落ち葉焚きが事実上禁じられたように、あるいは集合住宅や学校の焼却炉が無くなって全部収集に出すことになったように、ゴミ処理についてはパーソナルなありかたから、むしろ集権化が進んでいます。生ゴミを家庭で堆肥にできる容器なんてのも一時期はやりましたが、いつしかブームが去ったようです。 ゴミの処理については、どうもパーソナルな方向に進むことは望み薄です。大規模な施設で高火力で消却したほうが効率も良いし環境にも優しいということになると、いまさら個人での処理に戻ることは考えづらいでしょう。再生可能な資源ゴミについても、ある程度まとまっていたほうが扱いやすいのは確かです。 そうなると、改善できそうなのは収集方法です。無人車が走ってロボットが収集するとか、各家庭にベルトコンベアが張り巡らされて処理場に直接送るとか、私の想像力ではその程度のことしか思いつきませんが、ぜひもっと頭の良い人たちに考えて貰いたいものです。 (2020.5.20.) |