「魔笛(ツァウベルフレーテ)」はモーツァルトの最後の年である1791年に書かれた音楽劇です。「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」と並べて「モーツァルトの三大オペラ」と称されることがありますが、口うるさい人に言わせると、他の2作品とは違って「魔笛」はオペラとは言えないそうです。 オペラではないなら何かというと「ジングシュピール」です。Singは歌うこと、Spielは英語のplayにあたる言葉です。「遊ぶ」ことでもありますが、ロールプレイングなどというときの「演ずる」意味であることもplayと共通します。つまり簡単に言えばジングシュピールとは「歌入り芝居」のことです。 オペラとジングシュピールとの違いは、これも細かく考えはじめるとややこしいところがありますが、もっともばっさりとした区別では、地のセリフがあるか無いかということになります。つまりアリアとか二重唱とかの「歌」があることはどちらも同じなのですが、オペラはそのあいだをレチタティーヴォという「叙唱」でつなぎますが、ジングシュピールは地のセリフでつなぎます。一箇所でも地のセリフがあるようだったらそれはオペラではなくジングシュピールだ……というような極論を読んだこともあります。つまりオペラというのは「すべてが『作曲されて』いなくてはならない」ということですね。 しかしオペレッタになると地のセリフも多いですし、それではオペレッタとジングシュピールの違いは……と考えはじめるときりがなくなります。近代になると、歌ってるんだかしゃべってるんだか判然としない「シュプレヒゲザング」というのも出てきて、これは歌なのかセリフなのかと考えてもあんまりらちはあきません。 そもそもイタリア音楽上の概念であるオペラと、ドイツ音楽上の概念であるジングシュピールのあいだに、そんなに画然とした区別がつけられるものだろうか……などとも思えてしまいます。 まあ、ジングシュピールについては、もっと漠然と、訳語どおりに「歌入り芝居」と理解するのが妥当でしょう。そして、広義のオペラに含めておいても間違いではないと思います。 モーツァルトは晩年、FA宣言をして貴族の雇う楽士という立場を捨てましたが、そのため仕事も減ってしまいました。病気がちだった妻コンスタンツェの長期療養の費用も稼がねばならず、四苦八苦しているところへ、友人のシカネーダーから依頼されたのが「魔笛」の作曲だったのでした。シカネーダーは自身も歌手であり、またプロデューサーでもあったようです。自分の一座のために一枚看板となる作品を打ち立てようと考えたのでしょう。 映画「アマデウス」ではいささかキワモノ的な、見世物小屋めいた一座のように描かれていましたが、たぶんそれは宮廷において作られた「フィガロ」などとの対比を考えた演出でしょう。そんなにヘンテコな劇団というわけではなかったと思います。ただ、お上品な宮廷楽団とは違って、いろいろ特色あるメンバーが所属していたのは確かだと思います。 例えば「魔笛」と言えばこの曲、と言われるほどの「夜の女王のアリア」……あの曲の中でたびたび極高音「ハイF」が出てくるのは、おそらくその劇団に、もともと人間離れしたような高音で歌う女性歌手が居たからに違いありません。その人を意識して書いたらああなってしまったのです。ちなみにこのハイFは、当時のピアノの最高音でもあります。 飲んだくれでヘタレで、欲望のままに生きているような、それでいて奇妙な魅力のあるダメ男パパゲーノなども、劇団に実際に居た歌手自身がモデルになっているような気がしてなりません。モーツァルトは、劇団員の個性を最大限引き出そうと努めたかと思われます。 そういう意味では、やはり作曲者のそれまでのオペラとは違う作りかたをしているな、と思います。 ドイツ語を用いたのもはじめてかもしれません。一般的に、ドイツ語を用いたオペラとして最初に成功したのはヴェーバーの「魔弾の射手」とされていますが、「魔笛」がそれよりずいぶん前に書かれていることを考えると、やはり当時としてはオペラとは見なされていなかったのでしょうか。 それはともかく、歌詞に用いる言語によって、曲の作りかたが変わってくるのは、私自身も経験したことです。私が日本語以外で書いたことがあるのはラテン語、英語、フランス語くらいですが、メロディーの発想、リズム感の発想など、いろいろなことが違ってくるので自分でもびっくりしたほどでした。モーツァルトも、それまでオペラで使っていたイタリア語ではなく、母国語であるドイツ語を使ってみて、それなりに新鮮な気持ちを味わっていたのではないでしょうか。もちろん歌曲などにはドイツ語のものもたくさんありますが、これだけ大規模な作品では使ったことが無かったでしょう。 この芝居の台本を書いたのは誰だかはっきりしないようです。前にこの一座のためにヴラニツキが書いたオペラ「オベロン」は、「魔笛」の下敷きになっている作品とも言われており、「オベロン」の台本を書いたギーゼケが「魔笛」も書いたのではないかという説が有力で、ギーゼケ自身も「自分が書いた」と発言していたという話もありますが、否定している研究者も居ます。ギーゼケがシカネーダーの劇団員のひとりで、ちょくちょく一座のためにテキストを提供していたのは確かなようです。 モーツァルトとシカネーダーは共にフリーメイソンの会員でしたが、やはり会員であったテラッソンという作家の書いた「セトス」という小説が「魔笛」の元ネタで、台本もフリーメイソンつながりでテラッソンに依頼して書いて貰ったのだ……と、ある研究者は主張しています。 その根拠はというと、「魔笛」の節々に、フリーメイソンの儀式からの影響が見られるということであるようです。 フリーメイソンの儀式というのは基本的に秘儀で、公開されません。そのため、本当にそんな影響が見られるのか、検証のしようがなさそうです。 しかし、「魔笛」の中で儀式のネタばらしをしてしまったために、モーツァルトはフリーメイソンの刺客により暗殺されたのだ、というような一種の陰謀論が、ある時期ずいぶんもてはやされました。フリーメイソンは秘密が多くていろいろ勘ぐられやすいものの、裏切り者を暗殺するなどという、マフィアかオウム真理教みたいな真似をする団体ではなさそうです。 ついでに宗教的な側面を考えてみます。この物語にはザラストロと夜の女王というふたりの「親玉キャラ」が出てきて、それは確かに対立するふたつの教団みたいな印象があります。王子タミーノが受ける試練なるものも宗教的な通過儀礼を思わせますし、一部の研究者に、「魔笛」がきわめて宗教的な話だと考えられてきたのもうなづけます。 ただ、「ドン・ジョヴァンニ」であれほど痛快な背徳者を描ききったモーツァルトが、そんなに敬虔な想いを「魔笛」に乗せたとも考えづらいところではあります。 あまり指摘されていないようですが、ザラストロはイシスとかオシリスとかの、エジプトの神様を称えます。ところが、ザラストロというのは別名ツァラトゥストラ、すなわちゾロアスターのことであり、エジプトとはなんの関係もありません。ゾロアスターは言うまでもなく、古代ペルシャで信奉されたゾロアスター教の教祖です。 ゾロアスターであるなら、称えるべき神はアフラ・マツダとかアンリ・マンユとかであるべきで、エジプトの神様を拝むはずはないのです。 台本作者やモーツァルトがそんなところを間違えるはずはなく、要するにこれは「仕掛けは宗教めかしているけど、実はとんでもないデタラメですよ」と白状しているようなものです。現代のファンタジー小説などで、いろんな宗教の神様が平気で入り乱れているのがよく見られますが、その先駆と言っても良いでしょう。 どちらかというと、宗教的権威だの宗教的儀礼だのを茶化しまくる内容だと言えます。 何しろ、タミーノもパパゲーノも、いわば女のために試練に挑むという、色欲全開な動機です。タミーノはまだなんとか試練をしのぎきりますが、パパゲーノは早々とヘタれてしまい、楽なほうへ楽なほうへと流されてゆきます。もちろん試練を成し遂げることもなく、当然「カノジョが欲しい〜☆」という欲望もかなうべくもないところ、最後にはちゃっかりパパゲーナというお似合いの嫁さんを獲得します。 こんな不真面目な宗教儀礼があったものではありません。試練から逃げ出したパパゲーノが望みを叶えたのには、何か寓意でもあるのでしょうか。「結果は出せなくても、努力さえすればいいことがあるんだよ」ということなのかな、とも思いましたが、考えてみればわれらがパパゲーノは努力すらしていないようです。「試練なんか受けようが受けまいが、この世はなるようになるんだよ」ということでしょうか。どんな宗教がそんな教えを唱えるやら。 先人たちのご高説をまるごと否定し去るという気はないのですが、「魔笛」に何か宗教的な意味合いを見出そうとするのは、まるっきり見当外れなのではないかと愚考する次第です。 実は私は中学生の時に「魔笛」の公演をはじめて観て以来、 「全然努力もしていないパパゲーノが、なぜあんないい目を見る結末になるのだろう?」 とずっと疑問に思っていました。40年経って、そもそも「魔笛」は、勧善懲悪とか善因善果とかいう世間の常識的な固定観念を笑い飛ばそうとする、けっこう大胆不敵なお話であるという気がしてきてきます。 こうなると、私がこれまでもたびたび指摘している、序曲の剽窃問題にも、別の光があたってくるのかもしれません。モーツァルトは「魔笛」の序曲の冒頭のモティーフを、ほぼ同年代であったクレメンティのピアノソナタから明らかにパクっています。同音連打とターンを組み合わせた特徴的なモティーフは、どう見てもたまたま似てしまったというレベルではなく、一方が一方を剽窃したとしか考えられません。そして時期的に見れば、モーツァルトがクレメンティをパクったのは明白なのでした。 確かにこのモティーフは、クレメンティのソナタでは最初に出てくるだけで、その後ちっとも展開に用いられず、主題のきわだった個性に対してもったいない使いかただと思います。モーツァルトはそれを見て、おれならもっとずっとうまく処理できるとばかりに、モティーフを徹底的に展開させました。フーガ仕立てにして、いろんな音域、いろんな楽器で同じモティーフを何度も何度も流しています。音楽的な価値は、どう見てもモーツァルトのほうが上でしょう。 通常、盗作というものは、オリジナルを超えることなどありえないと考えられています。しかし、盗んだほうが天才であれば、その原則もいとも軽々と破られるものだと感慨を覚えざるを得ません。 モーツァルトはごく平然と、天真爛漫にこの剽窃をやらかしています。悪いことをしているという気はまるっきり無かったでしょう。クレメンティがさっぱり活かせなかったモティーフをとことん活用し尽くして、得意満面ですらあったかもしれません。 「魔笛」という歌入り芝居全体が、既成観念とか既成権威とかを笑い飛ばすという意図を持って作られていたのだとしたら、この序曲の剽窃も、わざとやったのかもしれないという可能性が出てきます。当時、この種のパクリが大目に見られていたというわけではなく、やはり多くの場合は厳しい眼を向けられる行為だったとすると、そういう固定観念にあえて挑んでみた、のかもしれないのです。 王子タミーノに与えられている歌が、モーツァルトにしてはどうにも野暮ったく思えるのはなぜか、なんて疑問もあります。モーツァルトはテノールが嫌いだったとも言われ、オペラの中でもテノールを冷遇しているのが少なくありません。「フィガロの結婚」でも、テノールに宛てられているのはバジリオという陰険な音楽教師です。「ドン・ジョヴァンニ」ではドン・オッターヴィオという、面白くもおかしくもない、まじめだけれどヘタレな男がテノールの役です。とにかくテノールにはろくな役を与えていないので、何か、若い頃にテノール歌手に女を寝取られたといったようなトラウマでもあったのだろうかと疑われたりしています。
そもそもタミーノが最初、巨大なウワバミに追われていたのはなぜでしょうか。これが神話なのであれば、いろいろ寓意を推測することが可能かもしれませんが、あいにくと近世と言える18世紀の作家が書いた台本に過ぎません。蛇に呑まれるのが成長儀礼を象徴しているのだ、などと無理矢理に解釈しても牽強付会の難を免れないでしょう。 むしろ、そういう深読みをされそうな材料を、わざといろいろばらまいておいたのだという考えかたのほうがしっくり来るようでもあります。 まあ、私の見かたもいささか一面的かもしれません。「魔笛」という音楽劇には、まだまだ多くの謎が残されているような気がするのです。 (2019.11.4.) |