音楽にはたいてい拍子というものがあって、楽譜上では冒頭に記されます。だいたい分数の形をしており、4/4拍子とか、6/8拍子とかいうのはご存じと思います。
この分数の、分母にあたる数字は、4分音符(q)とか8分音符(e)を意味しています。これらの音符の種類は、全音符(w)をふたつずつに分けてゆくことで得られ、ふたつに分けたのが2分音符(h)であり、それをさらにふたつに分けて4分音符、もういちど分けて8分音符というように数字が増えてゆきます。ずっとふたつずつに分けてゆくわけですから、その数字は必ず2のベキとなり、3とか6とかになることは決してありません。5/3拍子とか4/6拍子とかはありえないわけです。
ちなみに細かい音符は、8分音符についている符鉤(ふこう。「はた」とも呼びます)を増やすことで表します。「はた」が2本ついていれば8分音符の半分の16分音符、3本ついていればそのまた半分の32分音符ということになります。理論上いくらでも細かい音符を作ることは可能ですが、「はた」が4本5本と増えてくると判別しづらくなりますので、そんなに細かくすることはありません。ベートーヴェンなどの譜面で、「はた」が5本ついた「128分音符」が出てくるのを見たことはありますが、まあそのあたりが限界でしょう。それ以降の作曲家はむしろ32分音符程度で済ませていることが多いように思います。
初学者がよく悩むのは、3/4拍子と6/8拍子が同じではないと言われることでしょう。算数では3/4=6/8であるはずなのにどうして……と考え込んでしまう人が少なくありません。 3/4拍子は、「4分音符が3つ」から成る拍子であり、6/8拍子は、「8分音符が6つ」から成る拍子……ということはわかっても、
──8分音符が6つなら、4分音符が3つということだろう? 何が違うんだ?
と思ってしまいます。 音楽の先生は、6/8拍子は「8分音符を3つ並べたものをふたつ置くんですよ」と教えることでしょうが、それでさらりと納得できる人は少ないのではないでしょうか。 実は、6/8拍子というのは、本当は「附点4分音符をふたつ」であって、つまり「2拍子」なのです。だから「3拍子」である3/4拍子とはまったく異なる系統の拍子ということになります。 「附点4分音符が単位の2拍子」というのが6/8拍子の本質であって、本来なら2/xという形で書きたいところなのでした。しかし、附点4分音符というのは、全音符を何等分しても出てきません。全音符から見れば3/8の長さです。ひとつの数字では表せないわけです。 それでやむなく、「3/8の長さの音符をふたつ」ということで6/8と書くことにしているのでした。言ってみれば「通分」して仕方なく6/8という分数を使っているわけです。「約分」して3/4にしてしまってはいけない理由がここにあります。 ただし、見かけ上、3/4と6/8は「8分音符で数えれば6つ」ということで共通していますので、近代以降にはそれを利用して、両方を混在したような曲もけっこう書かれています。わかりやすいのは『ウエストサイド物語』の中の「アメリカ」という歌で、サビの部分、
──I like to be in America, Okay by me in America,
と歌うところ、6/8と3/4を交互にめまぐるしく入れ替えています。「アイ・ライク・トゥ・ビー・イ・ナ」までが全部8分音符で、太字にしたところがアクセントになります。つまり「3つの8分音符の連なりがふたつ」というわけで6/8と判断されます。次の「メー・リー・カ」のところはそれぞれ4分音符で歌われ、「4分音符が3つ」つまり3/4となります。「オー・ケイ・バイ・ミー・イ・ナ」「メー・リー・カ」も同様です。8分音符をすべて「タ」で書くとすれば、「タタタ・タタタ」「タタ・タタ・タタ」というふた通りの切り分けかたをあえてまぜこぜにして、強烈なリズム感を打ち出している曲なのでした。 ちなみに、12/16拍子というのもあります。これも「約分」すれは3/4になりますが、この拍子は3/4とも6/8とも違います。「附点8分音符を単位とした4拍子」なのです。ただ、この拍子はバッハなどにはちょくちょく見られますが、その後はあまり使われていません。「連符」の書きかたが簡便になったため、2/4拍子や4/8拍子などのように表記して、「16分音符の3連符」という書きかたにしたほうがわかりやすいと考えられはじめたからでしょう。バッハやヘンデルだったら24/16拍子というのもあります。
さて、混同しやすいと言えば、2/2拍子と4/4拍子というのもややこしいところがあります。上の例で、「約分」してはいけないということはおわかりでしょうが、2拍子と4拍子というのがなかなか明確には区別しづらいものだったりするので、初学者は迷います。いや、このふたつに関しては、プロの演奏家でも本当には区別がわかっていないのではないかと思われる場合があります。 2拍子は普通「強・弱」という拍でイメージされます。これに対して4拍子は「強・弱・中・弱」のように説明されることが多いようです。「中」を「中強」のように書いている教科書もあるでしょう。 この4拍子の「弱」拍を、いわば「ウラ」拍のようにとらえれば、「強・中」の2拍となり、事実上2拍子と変わらなくなってしまうのではないか……というもっともな疑問があります。 とはいえ、やはり違いますね、2拍子と4拍子。 拍子というのは、舞曲の性質、ステップを決める役割を持つことが多いので、4拍子の舞曲と2拍子の舞曲を較べてみるとわかりやすいでしょう。4拍子の舞曲は、古典舞曲ではアルマンドや、一部のジーグなどが属します。2拍子だと、ガヴォットやブーレなどが相当するでしょう。印象としては、4拍子は比較的落ち着きを持った感じであり、2拍子は軽快だったり、活溌だったり、あるいは「滑るように」という形容がふさわしい曲想だったりするようです。 もちろん、教会で歌われるコラール(合唱讃美歌)のように、2/2でも荘重でゆったりとしたものもありますが、やはり2拍子のテンポ感と4拍子のテンポ感というのは、聴いてみればはっきりと区別できると思います。 ハイドンやモーツァルトに較べ、ベートーヴェンはわりに2/2拍子が好きな作曲家で、例えばピアノソナタの第一楽章だけを考えても、第1番、第7番、第8番(主要部分)、第13番、第14番、第17番、第20番、第26番(主要部分)、第29番の全9曲が2/2拍子になっています。これに較べると4/4は6曲しかありません。あとは2/4が6曲、3/4が7曲、6/8が2曲、3/8と12/8が1曲ずつという割になっており、2/2の多さが眼を惹きます。 これらの2/2拍子の曲の中で、7番や8番のように非常に急速で、どう考えても2拍子としか思えないというものはまだ良いのですが、14番「月光」の第一楽章のようにゆっくりした曲の場合は、4/4のように弾いてしまう奏者が、プロでも案外と多いのでした。実は奏者が2拍子と感じているか4拍子と感じているかということは、聴いているとけっこうはっきりわかります。「月光」を4拍子で弾くと、かなりもたもたした感じの曲想となってしまい、聴いていても退屈してくるものです。 「ソナチネ・アルバム」に載っているために、子供もけっこう弾く機会の多い20番も同様です。こちらは「月光」とは違ってゆっくりした曲ではないのですが、4拍子として弾くか2拍子として弾くかによって、曲の持つ推進力のようなものがまるで違ってきます。マダムも子供の頃にこの曲を弾いて、つまらない曲だと思っていたらしいのですが、あらためて考えてみると、4拍子で弾いていたかもしれないとのことでした。実はこの曲、ちゃんと2拍子で弾けば、青空を滑空するような、前進する活力と魅力にあふれた名曲なのです。 一方4/4の曲としては、例えば21番「ヴァルトシュタイン」のように、大地をだっだっと踏みしめて進んでゆくような駆動力を感じるものが多いように思えます。「月光」の第三楽章なども同様ですね。 少なくともベートーヴェンに関して言えば、「天翔(あまかけ)る2/2」と「地を歩む4/4」といった対比があるように感じられます。楽譜上の見た目は似ているのですが、演奏者ははっきりと区別して考えるべきでしょう。 古典派以降の作曲家で、ベートーヴェンほど2/2拍子を愛した人は居なかったかもしれません。他の作曲家の作品を見ても、4/4の曲はたくさんあるのですが、2/2はあんまり見当たらないのです。例えばショパンで探してみても、めぼしいものとしてはソナタ第1番・第2番の第一楽章と第四楽章、幻想曲の主要部分、幻想即興曲の中間部分、練習曲作品25の第2番……くらいしかすぐには思いつきません。あと前奏曲集の中に何曲かあったかな。 リストのピアノソナタの、第一部分と第三部分はよく似ていて、まったく同じ動きになっているところもあるくらいなのですが、第一部分は2/2、第三部分は4/4となっています。はたしてこれを律儀に弾き分けている演奏者は居るものでしょうか。それともリスト自身が無頓着だったのでしょうか。 ブラームスは2/2でも良さそうな曲も4/4としてあることが多く、これはもしかするとベートーヴェン流の、天と地の差を感じていて、自分は地に足を着けて歩くのだという意識があったのかもしれない……などと想像してしまいます。 4/4と2/2、他にもいろいろ調べてみると面白いと思います。
ところで、習慣的に、4/4のことをc、2/2のことをCと書くことがあります。この記号の由来は諸説あるのですが、「4/4拍子はいちばんしょっちゅう使われるから、Common(一般的)の頭文字の『C』を使うことにしたのだ」なんてトンデモ説明もありました。それなら2/2の縦棒はなんだという話なのですが、この説を唱える論者に言わせると、「2/2は4/4に似ているので、同じく『C』を使ったのだが、便宜上縦棒を加えて区別したのだ」というのでした。 まあ一般的(Common)には、いまの五線譜になる前の定量楽譜の時代、3拍子を円形で示し、2拍子を半円形で示していたので、その名残りだと言われています。つまり2/2の縦棒の入ったほうが半円形から由来した元の形で、4/4は縦棒を省いて2/2とは違うことを明確にしたというわけです。 私はいまはこの表記を好まず、普通に分数で4/4、2/2と書いていますが、もともとCであったものを2/2と書き直すと、なんとなく曲のイメージまで変わってしまう気がするのが不思議です。4/4のほうはそれほどにも感じないのですが。
いま定量楽譜という言葉が出ました。これは15世紀くらいまで使われていたもので、西洋音楽の楽譜の歴史の中で、音の高さと長さをはじめて「定量的に」記そうとしたものです。よくネウマ譜と間違われますが、ネウマ譜のほうはもう一時代前の楽譜で、文章のテキストにいろいろな記号を書き込みしたもので、定量楽譜ほどには音程や長さが明確ではありません。 定量楽譜も、初期と後期とではだいぶ様相が違うのですが、基本的には五線ではなく四線で書かれ、その四線のうちどこが基音になるのかを示すための記号が冒頭につけられます(これがのちに「ハ音記号」に変化し、さらにト音記号やヘ音記号が生まれました)。基音はドだとかミだとかの絶対的な音の高さを示しているのではなくて、あくまでもその曲を歌うときの基準となる音というだけです。だからルネサンス期あたりまでの声楽曲は、調性が固定されておらず、そのときの都合によってどんなキーで歌っても特に問題はありません。 音符は、現代の音符とある程度似ていますが、四角形をしています。もともとは「長い音符(Longa)」と「短い音符(Brevis)」の2種類しかありませんでした。ロンガは四角形の左辺に棒をつけ、ブレヴィスは棒無しということにして区別していたのでした。ロンガとブレヴィスの長さの比率は一定しておらず、おおむね2:1のときと3:1のときがあったようです。そして3:1のときは楽譜の冒頭に丸をつけ、2:1のときは半円を書いておいた……というのが、上記の2拍子と3拍子の表しかたにつながっています。 しかし、時代が進むにつれ、もっと細かい音の動きを記録したいという欲求が高まってきました。ロンガとブレヴィスの2種だけのときも、実際に歌う際には細かい経過音とか装飾音などをつけていたのですが、そういうのをきちんと譜面に書き留めたいと思う人が多くなったわけです。 それで、ブレヴィスの半分(または3分の1)の長さの音符が作られました。これを「半分の短い音符(Semi-brevis)」と呼びます。一方、ロンガの倍(または3倍)というのも作られ、こちらは「もっとも長い音符(Maxima)」と名付けられました。日本語の術語としてはマクシマが最長符、ロンガが長符、ブレヴィスが短符、セミブレヴィスが半短符などとも呼びます。 マクシマは、ロンガの幅を倍くらいに引き延ばした形で示されました。これは曲の終わりとか大休止するところとか、限られた箇所にしか使われなかったようです。 一方セミブレヴィスのほうは、ブレヴィスの幅を半分にしたいところだったかもしれませんが、それだと判別しづらいということだったのか、うまいことを考えた人が居ました。面積を半分にしたのです。つまり、ひし形で書き表すことにしたのでした。 これでもまだ足りなかったようで、もっと短い音価を表す音符が作られました。セミブレヴィスの下位に「もっとも小さい音符(Minima)」というのが設置され、さらに「半分のもっとも小さい音符(Semi-minima)」もできました。もう何がなんだかわかりません。 ミニマは、セミブレヴィスのひし形に棒を加えて書き表しました。セミミニマは、ミニマのひし形の中を塗りつぶして黒くして表現しました。 以上が定量楽譜で使われていた音符ですが、どれも長方形だったりひし形だったり、直線で書かれる角張った音符であることがわかります。それがなぜ現在のような丸い音符になったのかというと、これは筆記用具の違いだと思われます。 というのは、昔は羊皮紙に鵞ペンで、ひとつひとつ彫りつけるようにして書いており、この方法では曲線よりも直線のほうが書きやすかったはずです。筆書の字体なども、現在のジャーマンフォントに見られるような、直線の多いものになっていました。それが近代的な紙になると、ペンの滑りが良いので曲線が自在にかけるようになりました。そうすると、ひし形を急いで書く必要があれば、丸になることでしょう。これにより、音符も丸くなったのだと考えられます。 つまり、ひし形で書いていたセミブレヴィスが、現在の全音符に相当するわけです。全音符のことをいまでもセミブレヴィスと呼んでいる国も残っています。全音符というのは現在ではだいぶ「長い音符」と認識されていますが、もとの意味は「半分の短い音符」半短符であったのですね。 ブレヴィスのほうも、ときどき使われています。いまは倍全音符と呼ばれていますが、定量楽譜時代と似た四角形で書かれる場合と、両側に縦線を置いた丸い音符という形で書かれる場合とがあります。ブラームスのドイツ・レクイエムの第3曲と第6曲は、後半が4/2拍子のフーガになっており、その末尾にこの倍全音符が登場します。 ミニマは「白丸に棒」の2分音符となり、セミミニマは「黒丸に棒」の4分音符となりました。8分音符は、定量楽譜時代の最後期に至って、装飾音のように使われたFusaという音符が元になっているようです。想像はつくでしょうが、セミミニマの棒にヒゲをつけた形です。そのヒゲが、のちに符鉤になったわけです。ちなみにFusaという言葉は、ラテン語だと「撃つ」という意味らしく、なぜこの語が使われたのかよくわかりません。 音楽というのは、歌い継がれたりするうちにどうしてもだんだん遅くなってゆく傾向があるようで、これはメトロノームが発明されて「絶対的なテンポ」が確定するまで続きました。しかもそれでも、メトロノーム記号のついた初期の音楽を、そのままのテンポで演奏しようとすると、えらく速く感じます。われわれがその曲に感じているテンポと、作曲者が思っていたテンポとは、だいぶ開きがあるようです。 情感を込めて歌ったりすると遅くなるのは当然であって、メトロノーム記号が無かった当時は、その傾向がさらに甚だしかったのでしょう。それで、「短符」といえども時代を経るに従ってなんだか長く感じるようになり、「半短符」が主に使われるようになり、それもまた何十年か経つと遅いように思われてもっと短い音符が求められる、という事情も、どんどん音符が細分化される理由になっていたのではないかと思います。時代が流れて、バロック期あたりではミニマ、つまり2分音符を拍の基準とするものが多くなり、さらにバロック後期ころからは4分音符が基準になって現在に至っています。 しかし人によってはこの「短くなる傾向」はかなりあとまで続いていて、20世紀前半に活躍したヴェーベルンあたりの作品には、3/16といった拍子がよく見られます。彼にとって、4分音符や8分音符はなんだか間延びして感じられたのでしょう。
ところで2/2拍子のことを、アラ・ブレーヴェAlla breveと呼ぶことがあります。Alla breveは普通の言葉としては「間もなく」という意味ですが、要するに「短く、短時間に」ということです。実はこれも定量楽譜由来の術語で、長符が短符の2倍のときと3倍のときがあるという話は上に書きましたが、2倍になるときにAlla breveと注意書きをしていたのが発祥です。つまり「短いほうね」というメモ書きです。3倍のときはまた別の書きかたがあったのかもしれません。Alla lungaとでもしたのでしょうか。 こういう発祥ですので、本来であれば2拍子ならどれでもAlla breveで良いはずなのですが、なぜか2/2に限ってそう呼ばれます。たまに4/2のこともそう呼ぶようです。 音符関連は、古い言葉がそのまま、いまの意味とは食い違った状態で使われていることが多いようです。考えてみるとなかなか興味深いことです。 なお日本で全音符、2分音符等々と呼ぶのはアメリカ式の呼びかたの訳です。USAでは長い音符なのに「半短符」などと呼ぶ不合理を嫌ったのか、Whole note、Half note、Quarter noteとごく散文的な名称をつけ、それが日本語に訳されているわけです。しかしHalf noteを「半音符」などとしなかったのは見識であったように思います。
(2019.12.19.)
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