ミステリーゾーン

ブラウン神父
ブラウン神父の履歴書

 ブラウン神父の履歴はすこぶるわかりづらい。G.K.チェスタトンはブラウン神父の個人的なデータらしきものを慎重に避けて記述している。
 ファーストネームすら定かでなく、ただ「J」という頭文字が一回だけ出てきているくらいだ。ジョンか、ジェイムズか、はたまたジャックか、さっぱりわからない。係累も、エリザベス(ベティー)という姪が一回だけ登場する他はなんの手がかりもない。この姪は、貧乏地主に嫁いだ妹の娘だそうである。
 いつ頃どこに生まれ、どこの神学校へ行ったかなどということもまったく不明である。51篇もの物語で活躍しながら、これほど正体不明な名探偵も珍しい。
 カトリックの神父という職業柄もあってか、いろんなところに出没するのも特徴的である。英国各地は愚か、イタリア、アメリカ、南米にまで平然と登場する。いくらなんでも教区を転々としすぎてはいまいか。
 事件の順序もホームズ物語以上にわかりづらい。明確な日付が記された物語がひとつもないのである。
 実にもって曖昧模糊としたシリーズであり、それがまあ作者の狙いであったのは確かだが、少しはその生涯のアウトラインを辿ることができないものか。

 かろうじて、時々ブラウン神父の相棒を務めるエルキュール・フランボウの動向によって、事件の順序の見当がつく場合がある。
 フランボウは、最初は神出鬼没の大泥棒として登場した。巨大な体躯、それに似合わぬおそるべき敏捷さ、とてつもない腕力を持ち、変装はお手のもの、機知に富んだ手口で警察を翻弄する怪盗だったのである。
 記念すべき第1作「青い十字架」は、フランボウを追うパリ警視庁の探偵ヴァランタン氏の追跡劇から始まる。ヴァランタン氏は奇妙なふたり連れの神父に眼を止め、彼らの後をつけるのだが、その一方が変装したフランボウで、もうひとりの小柄な神父──これがブラウン神父──から、宝石をちりばめた銀の十字架を奪おうとしていたのだった。ブラウン神父は見事にフランボウの裏をかき、十字架を護った上にヴァランタン氏を誘導することに成功したのだった。
 この時フランボウはヴァランタン氏に逮捕されたはずなのだが、脱走したのか、第3作「奇妙な足音」で再び登場し、「真正十二漁師クラブ」ご自慢の銀食器を盗もうとし、またもやブラウン神父に阻止される。
 次の「飛ぶ星」が、フランボウの泥棒としての最後の事件となった。この物語のラストでフランボウはブラウン神父に懇々と説得され、ついに犯罪から足を洗うことにしたのである。
 足を洗ってどうしたかというと、なんとロンドンで私立探偵を開業したのであった。第5作「見えない男」では早くも敏腕な探偵として知る人ぞ知る存在となっていたらしい。
 以後「イズラエル・ガウの誉れ」「狂った形」「サラディン公の罪」と、ブラウン神父とフランボウの二人三脚が続く。「アポロの眼」事件の直前には、フランボウはウェストミンスター寺院の向かいの近代的なビルに事務所を移したらしい。「折れた剣」ではブラウン神父が歴史上の謎を解くのをフランボウが拝聴している。
 その後も、フランボウが神父に協力した事件は少なくない。第二短編集『ブラウン神父の知恵』では12篇中6篇に登場している。第三短編集『ブラウン神父の不信』には登場しないが、第四短編集『ブラウン神父の秘密』ではいつの間にか隠退したことになっていて、結婚もし子供も作って、スペインの小さな城郭に住みついている。ここでフランボウの本当の名前が明かされる。デュロックというのが本名だったらしい。
 『ブラウン神父の秘密』という本は、全体が、フランボウの求めに応じてブラウン神父が最近手がけた事件を語るという構成になっているから、ここで語られる物語はいずれもフランボウの隠退後であることはわかる。
 最後の短編集『ブラウン神父の醜聞』では、一篇だけフランボウが登場する。「とけない問題」で、これはフランボウが探偵稼業に就いていた頃の事件を回想したという形になっている。
 そんなわけで、フランボウの助けを借りてある程度はブラウン神父の履歴を跡づけることができなくもない。
 しかし、それが現実の暦の上でいつ頃だったのかという点については、なんの手がかりもないのである。

 ともあれ、「青い十字架」で登場した時、ブラウン神父はエセックス州コボウルという土地に住んでいたようだ。ここにはけっこう愛着があったようで、のちにも回想していることがある。文中で、神父はハートルプールという土地の副司祭を務めていたことを言っているので、少なくともコボウルが初任地でないことは確かである。
 『知恵』の中の「器械のあやまち」で、ブラウン神父はフランボウと、嘘発見器について話をしている。現在の形のキーラー式嘘発見器が発明されたのは1932年のことだが、「器械のあやまち」はそれより20年も前に書かれている。似たような器械はその頃もあったものらしい。
 その種の器械など、かつての異端審問と同様、信用できないと主張するブラウン神父は、フランボウにその時点からさらに20年前の想い出話をするのである。するとその物語は、遅くとも1892年以前のことであったはずで、とすると嘘発見器はそんな昔から考案されていたらしい。
 ここで、ブラウン神父の経歴上、見逃せない記述が出てくる。神父がフランボウに語った想い出話は、神父がシカゴの刑務所の教誨師として赴任していた時期だというのだ。1890年頃にブラウン神父はアメリカで仕事をしていたわけである。ということは、神父の生年は1860年前後だろうか。神父の資格を得るためのカリキュラムは私はよく知らないのだが、当時としても30歳近くならないと無理だったのではあるまいか。このあたり詳しい人がおられたらご教示願いたい。

 ところが、『不信』の「天の矢」ではこれと矛盾する記述が現れる。ブラウン神父がこの物語ではじめてアメリカの土を踏んだことになっているのだ。「天の矢」がシカゴ時代より前の話でないことは明らかで、ブラウン神父は異色の探偵フランボウの友人として、到着前すでにアメリカでも有名になっていたというのだから、ずっと新しい時代であることは間違いない。『知恵』と『不信』の出版は13年ばかり間があいており、途中第一次大戦を挟んでいたりするので、たぶん作者も混乱したのだろう。「久しぶりに」アメリカの土を踏んだ、と書くべきだったのである。
 再びアメリカに行くまで、ブラウン神父はどこにいたのだろうか。
 ロンドンにいることが多かったらしいのは確かだが、物語に顕れる限りでも、パトニーグラスゴーボーハン・ベーコンスカーバラデヴォンシャーオックスフォードと、神父の赴任先の地名が次々と登場する。よほど忙しく飛び回っていたとおぼしいが、それにしては各赴任地に早々と馴染んでしまっており、何やら昔からそこに住んでいたような顔で現れるのは神父の人徳だろうか。
 それにしてもどう考えても転勤が忙しすぎるので、フランボウの登場しない物語は、フランボウと出会う前のことだと解釈してもよいかもしれない。
 『不信』の冒頭に置かれている「ブラウン神父の復活」は、南米北岸のある国での物語となっているから、コロンビアベネズエラあたりであろうか。この任地にはかなり長いこと滞在していたようで、原住民の教化に相当の実績を上げていたらしい。ブラウン神父物語には、ホームズ物語、リュパン物語、ポワロ物語などに比して第一次大戦の影がほとんど感じられないが、もしかすると神父は大戦中は英国におらず、この南米の任地で宣教に専念していたのかもしれない。だとすると「天の矢」は大戦の少し前くらいの話になるだろうか。
 『不信』の第4話「ムーン・クレサントの奇蹟」もアメリカでの物語である。「天の矢」と同時期か、もしくは南米での任期を終えて一旦合衆国に戻ってきた時の話だろうか。そして第5話「金の十字架の呪い」で神父は英国に帰ってくる。
 第8話「ギデオン・ワイズの亡霊」がまたアメリカの話になっているが、これは以前の物語であろう。そして、この物語中、アメリカの禁酒法が出てくる。禁酒法の施行は1919年から1933年だが、「ギデオン・ワイズの亡霊」が発表されたのは1926年だから、物語自体の時期は1919年から1926年までのいずれかということになる。ようやく多少具体的な手がかりが出てきた。

 おそらく神父は、第一次大戦直前から10年間程度、新大陸に渡っていたのではあるまいか。そしてこの期間はさすがにフランボウと会うこともなく、その間にフランボウは私立探偵を廃業してスペインに隠退してしまったのであろう。
 とすると『秘密』におさめられた8篇の物語は、いずれも英国が舞台であり、かつフランボウが知らない最近の話ということになっているので、新大陸から帰国したのちの事件ということになる。この8篇では、ブラウン神父はロンドンをそれほど離れない地域に住んでいたようで、その他の土地が舞台である場合、知人から呼び出されるという形をとっている。
 最後の短編集『醜聞』の表題作となった「ブラウン神父の醜聞」メキシコを舞台としているが、これも(2度目の)アメリカ時代の事件であろう。
 同じく『醜聞』の中の「共産主義者の犯罪」と、工事現場の労働争議を背景に使った「ピンの意味」の2篇は、いくぶん時代色を感じないでもない。1922年のソヴィエト連邦の成立はヨーロッパ各国にショックを与え、各国内のコミュニズム運動も尖鋭化し、それに対する圧迫も強まった。英国における保守派を代表する論客であったチェスタトンとしては反共的な言辞が目立つようになったのは当然だが、それがブラウン神父にも反映されていることは言うまでもない。『醜聞』の刊行は1935年だったが、その意味でこの2篇が比較的最近の事件であったと考えるのは当を得ているのではないかと思う。
 あとは、上述したフランボウとの共同捜査の想い出話「とけない問題」を除いては、時期の設定をいつにしても問題はなさそうである。

 というわけで、ブラウン神父の手がけた事件を年代順に並べるというシャーロッキアン的な試みはどうもうまくゆかないにせよ、神父の経歴のごくざっとしたアウトラインは、なんとかつかむことができたようである。
 今一度まとめておくと、ブラウン神父はおそらく1860年頃の生まれ。兄弟としては、かなり齢の違った妹が少なくともひとり。というのは、『秘密』の「世の中で一番重い罪」に登場する姪のベティーが、上に述べた『秘密』各編の発生時期を根拠にして考えれば、おそらく1900年頃の生まれであり、だとするとその母親は1870年代半ば以降の生まれと考えられるからである。
 出身地はわからないが、英国のどこか。妹や姪の結婚相手から考えて、おそらく実家は郷紳階級(ジェントリー)であろう。没落して土地を失ったか、もしくは地所を相続した兄でもいたかと思われるが、妹が没落地主としか結婚できなかったところを見ると、どうも前者のような気がする。もしかしたらブラウン神父が幼少の頃に実家が没落し、そのみじめな有様をまざまざと見ていた結果、世の無常を感じて聖職を志すようになったのではあるまいか。
 ともあれどこかの神学校で神父の資格をとり、1890年頃にはシカゴに赴任していた。
 やがて英国に戻り、任地を転々とする。コボウルに赴任している間、たまたま開かれた聖体大会に出席すべくロンドンを訪れ、フランボウと知り合う。1900年代(最初の10年間)のことであろうか。
 それから10年くらい、あいかわらず任地は転々としながらも、フランボウとの交際が続いたのだろう。フランボウはこの期間に私立探偵として成功、英国はもとよりアメリカでも評判になる。
 第一次大戦直前、ブラウン神父は再びアメリカに渡る。合衆国にしばらく滞在したのち、宣教師として南米へ行き、土地の人々の教育と地位向上に尽力し、大いに成功を収める。この時期、2回ほどいささか不名誉な事件に巻き込まれるが、適切に対処して危難をまぬがれている。
 新大陸滞在中も、フランボウとは連絡を取り合っていたと思われるが、おそらくフランボウはその間に隠退し、スペインにひっこむ。
 1920年代初め頃に、再び合衆国を経て英国へ帰国。60代になっていたであろうブラウン神父は、そのあとはあまりあちこちに飛ばされることもなく、大体ロンドン近辺で仕事をしたようだが、あいかわらず腰が軽く、持ち前の親切さともあいまって、頼まれればひょこひょことどこへでも出かけた。スペインのフランボウの許にも出かけてしばらく滞在している。
 歿年ははっきりしないが、たぶん1930年代、七十いくつかで亡くなったのではないか。

 ごくざっとブラウン神父の履歴を想像してみた。詳細に読めば、私の気づかないもっといろいろな手がかりがあるかもしれないが、まあ大体こんなところではあるまいか。
 ブラウン神父の物語は、推理小説と言うよりもどちらかというと寓話に近い雰囲気を持っている。年代とかいうことを細かく言い始めるとその雰囲気を壊しかねないし、言ってみれば野暮の骨頂であろう。
 しかしながら、その野暮をあえてやりたくなってしまうのがシャーロッキアン魂というものなのである。

(2002.2.15.)


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