シャーロック・ホームズ(3)
ホームズの収支決算
シャーロック・ホームズはしばしば、
「私にとっては、仕事自体が報酬なのです」
などとカッコいいことを言って、金銭に淡泊なところを見せる。
依頼人が貧乏な時など、場合によっては自腹を切って調査することさえある。
逆に、事件が面白くなさそうだと、依頼を容赦なく断ってしまう。
そんな営業ばかりしていて、生活は大丈夫なのかと言いたくなった人も多かろう。
ホームズは本来そんな金持ちというわけでもなかったはずである。探偵稼業を始めて間もない頃、事件の調査を依頼に来た大学時代の友人に向かって、
「自分の才覚で食っていかなければならなくなったわけでね」
と言っているし、そもそもワトスン博士と共同生活を始めたきっかけは、ベーカー街の下宿の室料が高すぎるので誰かと折半したかったからなのだ。少なくとも、遊んで食えるような身分でなかったことは確かである。
ところがその後、ホームズはどうやらめきめきと金を稼いだようだ。
お金に困っているような様子は少しも見られなくなったし、ワトスンがケンジントンで開いていた医院を、遠い親戚に金を渡して買い取らせたりもしている。ばかりか、ワトスンに言わせれば、
「ホームズがこれまでに払った家賃だけで、悠にベーカー街の家が買い取れるほどの額になっただろう」
とまでになったのである。
この稼ぎっぷりと、「仕事自体が報酬」のカッコいいセリフとが、どうも結びつかない。
一体、ホームズの収支は、どうなっていたのだろう。
ホームズの探偵料について触れられた物語はごく少ない。
「ボヘミアのスキャンダル」で、彼はボヘミア王から、当座の費用として1000ポンドを受け取っている。これは経費を精算して返却したのか、それとも経費込みの謝礼としていただいてしまったのか微妙である。依頼者の王様は調査の結果に満足していたようだから、返せとは言わなかっただろうが。さらに王様はホームズに、巨大なアメジストが飾られた金の嗅ぎ煙草入れを記念品として贈っている。
「緑柱石の宝冠」では、失われた3つの宝石を買い戻した立て替え代金として3000ポンド、
「それに私への謝礼も少々いただくことにいたしまして」
合計4000ポンドの小切手を書くように、依頼者の銀行家に要請している。つまりこの事件ではホームズは公然と1000ポンドの探偵料を請求しているわけだ。
「プライオリ・スクール」で、ホールダネス公爵は誘拐された息子の居場所と誘拐犯の特定に6000ポンドの懸賞金をかける。ホームズは見事謎を解き、懸賞金の6000ポンドを要求した。この時公爵はワトスンにも6000ポンド支払っている。
はっきり数字が出てくるのはこのくらいだ。
当時のポンドにどのくらいの価値があったのかとなると、なかなか難しいものがあるが、いろいろ読んだ揚げ句のごく大ざっぱな印象として、1ポンドが現在の2万円程度に相当するように思われる。
ちなみに当時の英国の通貨単位は、1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスだった。また1ポンドの金貨をソヴリン、5シリング貨幣をクラウン、2シリング貨幣をフロリンと呼んだ。ギニーというのもあってこれは1ポンド1シリングの金貨だ。なんでそんな半端な金貨があったのか不思議なのだが、どうやらこれはポンドが秤量貨幣だった頃の名残らしい。ギニー金貨は主に謝礼などに使われたのだが、秤量貨幣だった頃、感謝の念をこめていわば1ポンドにちょっと「色を付けた」のがはじまりなのではないだろうか。
1ポンドが2万円程度というレートで考えると、1シリングが千円くらい、1ペニー(ペンスの単数)が80円ちょっとになる。最小通貨はファージング(1/4ペンス)だった。
となると、上に書いた3つの事件だけで、ホームズは8000ポンド(「ボヘミアのスキャンダル」は経費込みだったから少し欠けるとしても)稼いでいることになる。1億6千万円ほどである。
時々こんなおいしい仕事が舞い込んできたのだとすれば、なるほど、貧乏人からちまちまと探偵料をふんだくらなくても、充分やってゆけたとも考えられる。
ただ、かなり後年の「ソア橋事件」で、ホームズは依頼者の大富豪に向かって、
「私への報酬は一定の率になっています。まったく申し受けないこともありますが、そうでない時はこの率を変えることは決してありません」
とタンカを切っている。
上の例を見ると、どうやらこれはハッタリのようだ。
この事件の依頼者は、大富豪ではあったがかなり性格が悪く、札びらで相手の頬を叩くような男であったので、ホームズもムッとしてハッタリをかませたものとおぼしい。
『シャーロック・ホームズの冒険』12篇について、収支決算を見てみたい。
「ボヘミアのスキャンダル」では上記の通り1000ポンド受け取っている。アイリーン・アドラーの家の前で騒ぎを起こすための役者を20人くらい日雇いしているようだが、ひとり2ポンドずつ支払ったとしても40ポンドくらいなもの。あとは辻馬車の御者に半ソヴリン。発煙筒や絵の具なんかも使っているが、合わせて10シリングにもならないだろう。王様にお金を返さなかったとすれば、950ポンド以上の黒字である。
「彼は何者?」(「花婿失踪事件」)では、ホームズは一歩も外へ出ていないが電報を2本打っている。ただ、この事件の真相を依頼人の若い娘には知らせないことを彼は決断している。だとすると探偵料は辞退した可能性が強い。軽微な赤字。
「赤毛連盟」では、依頼人である質屋のオヤジからは探偵料を取らなかったと思われるが、金庫破りを未然に防いでもらった銀行からは然るべき礼金が出たに違いない。ホームズは
「事件のために少しばかり費用をかけましたので、それさえ払っていただければ満足です」
なんてことを言っているが、どう読んでも、ホームズが使った費用は地下鉄の切符代くらいなもので、実際にはまとまった額を貰ったと思われるのである。
「ボスコム谷の謎」の依頼者は、容疑者の恋人である女性だったのだが、真犯人はその女性の父親だった。ホームズはこの事件では真相をもみ消してしまっているが、一応依頼者に頼まれたこと──恋人の容疑を晴らす──ことには成功したようなので、どうしたものだろう。出張旅費などの経費だけ請求したかもしれない。
「五つのオレンジの種」では依頼人が殺されてしまった。従って収入はゼロ。交通費や電報代などを自腹で払っているので、少額の赤字。
「くちびるのねじれた男」、行方不明の夫を見つけて欲しいという依頼は果たしたから、一応規定の料金は貰ったのではないか。もしかすると、人様にあまり言えないようなことをしていた夫の方から口止め料でもせしめたかも。
「青のガーネット」では、ガチョウ一羽、新聞広告代、ビール2杯、問屋のオヤジとの賭けで使った1ソヴリン(1ポンド)の経費がかかっている。ガチョウの値段は、文中に出てくる卸値を見ると24羽で12シリングということになっているから、小売値で一羽1シリング半というところだろうか。安いものである。新聞広告も1シリングだったらしい。つまり支出は1ポンドちょっとというところ。収入の方だが、貴重な宝石「青のガーネット」にかかっていた懸賞金の1000ポンドが誰のものになったかである。宝石を発見したのはメッセンジャーのピータースンだったのだから、彼に全額渡してやったか、それとも懸賞金を貰う手続きの手数料として少し分け前を貰ったか。まさかホームズが全額くすねてしまったとは思いたくないが。
「まだらバンド」(「まだらの紐」)では、数字は出ないが探偵料についての言及がある。今はあまりお金がないという依頼人に向かって、
「ご都合のよろしい時に、かかった経費だけいただけばよろしいのですよ」
と安心させている。そう言った以上、経費以上の額を請求するわけにはゆかなかったろう。従ってこの場合収支とんとん。
「独身の貴族」は、依頼人のセントサイモン卿にとってはきわめて不本意な結末になってしまい、料金の請求はしづらかっただろう。ホームズは5人分の豪華なディナーの出前を頼んでおり、これは自腹だったと思われる。かなりの赤字。
「技師の親指」では、依頼者である技師から料金をとったようには思えない。この事件ではホームズは犯人たちを取り逃がしてしまっているし、おそらく無収入だったのではないか。出張旅費分の赤字だろう。
「ブナの木荘」(「ブナ屋敷」)は貧乏な女家庭教師が依頼人だったので、おそらく料金は免除していたのではないかと思われる。出張旅費分の赤字だろうか。
「緑柱石の宝冠」は上記の通り。多少の経費もあったろうが1000ポンドせしめている。
という具合で、大変ムラがある模様。他の短編集を見ても大体似たようなものである。時に大きな仕事があったとはいえ、これで大丈夫だったんだろうかという心配が残る。
しかし、実はここで考えなければならないことがある。ホームズの「通常業務」はなんだったのかということである。
彼は「コンサルタント探偵(諮問探偵)」を自認していた。「世界唯一の民間コンサルタント探偵」とまで豪語している。これは一体どういう職業なのか。
当時のロンドンにも、「私立探偵」は少なからず居たはずである。「世界唯一」と豪語する以上、ホームズは自分の仕事が、普通の私立探偵とは違うという自負があったことになる。
その仕事の内容については、「緋色の研究」の中で、ホームズ自身が説明している。
「いまこのロンドンには警察の探偵や私立探偵がたくさんいる。この連中が失敗すると、みんなぼくの所へやってくるから、ぼくはなんとかして、彼らに正しい手がかりを示してやるんだ。依頼者がすべての証拠をぼくの前に提出すると、ぼくは犯罪史の知識を利用して、たいてい正しい方向を指摘してやることができるわけだ」
これでわかる通り、ホームズの通常業務は、警察や他の私立探偵に対して助言を与えることにあったわけである。確かに当の「緋色の研究」、あるいは「黒のピーター」「金縁の鼻眼鏡」「アベイ農場」それから「恐怖の谷」などなど、ホームズが警察官の要請で乗り出した事件も数多い。
この当時のスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)には、まだ事件資料のデータベースというか、中央資料室のようなものはなかったらしい。だから、独自のデータベースと検索システムを考案したホームズの持つ情報が役立つ余地があった。この検索システムについては物語中でもしばしば触れられている。ホームズはありとあらゆる人物や事件について、新聞の切り抜きや自分で作った抜き書きなどを整理した私家版百科事典を持っており、何かというとそれを持ち出すのである。その程度のファイルも本当に警察になかったのかどうか大いに疑わしいのだが、ともあれホームズ物語の世界ではそういうことになっている。
警察官や私立探偵に情報や助言を与える通常業務においては、ホームズはそれこそビジネスライクに、規定の料金を徴収していたのではないだろうか。そんなに大きく儲かる感じでもなさそうだが、けっこう着実に収入に結びついていたような気がする。
これに加えるに、時折は千ポンド単位の莫大な謝礼が入ってきたとすれば、困ってやってくる一般人の依頼人などは、いわば余技に過ぎないとも言える。それなら、謝礼を受け取らなかったり、面白くないからと依頼を断ったり、「それでもプロか〜〜」とツッコみたくなるような振る舞いが多いのも納得できるというものだ。
(ついでながら、ホームズのことを何ヶ所か「アマチュア探偵」と表現している部分がある。江戸川乱歩などもこの言い回しが気に入ったのか、明智小五郎をしきりに「しろうと探偵」と呼んでいるのだが、むろんのことホームズにしろ明智にしろ、事務所を構えて探偵業務の営業をしているのだから、アマチュアとか素人とかとは言えないはずである。これはおそらく、公務員としてのディテクティヴ──刑事──に対比させた言い方なのだろう)
大半の通常業務が、同業者に情報や助言を与えるだけなのだとしたら、そこにはワトスンが協力する余地などないだろう。つまり、ワトスンが筆にすることもないわけだ。ワトスンが関わるのは、ちょっと毛色の変わった事件、余技的な事件、はっきり言えば例外的な事件だったのかもしれないのである。
なお、ホームズはオランダ王室、スカンディナヴィア王室、フランス共和国、ローマ教皇庁などからの依頼を受けて、事件を見事に解決している。これらの依頼では、おそらく莫大な額の謝礼が贈られたことであろう。万単位であったかもしれない。これだけで、一生食うに困らぬだけの財産は作れたと思われる。後半はそれこそ、興味を持った事件だけ、あたかも道楽のごとく引き受けるみたいな生活になっていたのかもしれない。
他の推理小説で読んだのだが、現在ニューヨークで私立探偵を雇うと、だいたい日当が200ドルから250ドル、それに経費が加算され、依頼の内容と結果によっては成功報酬を出さなければならないようだ。円安がだいぶ進んでいるが、まあ日当は2、3万円というところか。日本の探偵社のデータは調べられなかった。この日当というのは、調査が成功しても失敗しても、その継続中は払わなければいけないようである。
ホームズの時代の通貨に換算すると、やはり日当は1ギニーというところが妥当だったようだ。ホームズも「通常業務」の場合はこのくらいの率で受け取っていたのではないだろうか。
ついでながら、この当時の英国では、どうやら警察官を個人が「雇う」こともできたようである。ホームズの登場より少し前に、ウィルキー・コリンズが「月長石」というすこぶる長い推理小説を発表しているが、この小説の探偵役であるカッフ部長刑事に対し、事件の関係者がしきりに「謝礼金は払うから……」という意味のことを言っている。カッフは警察官としての職務というよりも、個人に雇われて調査をしていたらしい。
当のホームズも、「バスカヴィル家の犬」の最後の方で、年来の好敵手であったレストレイド警部を協力者として田舎に呼び寄せている。レストレイドはスコットランド・ヤードの警察官なのだから、本来ならば地方警察から要請がない限りロンドンを離れる必要はない。どうやらこの時は個人としてホームズに雇われたということらしい。
この時代は、公務員の服務規程がまだ曖昧だったようだし、何より警察に対する信頼度がまだあまり高くなく、個人に雇われるような形であってもとにかくその仕事ぶりをアピールしなければならなかったという事情があったのかもしれない。いずれにしろこれでは警察官と私立探偵との境界線がそんなにはっきりしていなかったようで、民間人である私立探偵があたりまえのように犯罪を捜査するという、今ではかなり不自然に思われる設定が、当時はべつだん違和感なく受け容れられたのではないかと思う。
ホームズの生活費については、そんなわけで心配するには及ばないことがわかった。
むしろ気になるのはワトスンの生活費である。
ワトスンの収入は、最初の頃は傷痍軍人として支給される年金くらいしかなかった。避暑にでも行きたいが金がないとぼやいていたこともある。「緋色の研究」でホームズと出逢ったのは1881年だが、その時の冒険談が発表されたのは7年近くあとだから、それまでは原稿料や印税の収入があったわけでもなさそうだ。
結婚を機に、一念発起して医師として開業することにしたのだったが、かなり高額であったろう開業費をどうやって工面したのか、おそらくだいぶ借金をしたのではないか。
開業医としてはなかなか繁盛していたようだが、しょっちゅうホームズにつきあって留守していたのだから、そのうち客足も遠のいて大変だったのではないかと心配する人が多い。
いや、詳細に調べてみればワトスンが医業を放り出してホームズに同行したことはそう滅多にはなかった、という研究者もいる。ともあれ開業後は、金がないとぼやくこともなくなったようだから、そこそこの収入はあったのだろう。
そのうち、冒険談の発表によって、原稿料や印税も入るようになってきたろうから、その後はそんなにお金に困るということもなくなったものと思われる。上述のように、時にはホームズが、6000ポンドの懸賞金をワトスンのためにも貰ってやったりして、日頃の助力に酬いることもあっただろう。
ホームズとのつきあいにかまけて左前になったワトスンが妻ともめる、というようなパロディも書かれたことがあるものの、まずは成功した人生だったと言ってよいのではないか。
(2002.2.7.)
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