2000年11月〜2001年6月の作品 |
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ワシが急性面毒症で寝込んでしまった昨年11月から、この6月までの作品136首を、まとめて扱うことにしよう。
えらく多いようぢゃが、連狂歌開始の翌月、昨7月の作品数は195首であった。それに較べるとだいぶペースが落ちてしまったな。しかし、多ければよいというものでもない。8ヶ月間、なかなか味のある作品も作り出されておるぞい。
常連の連狂歌師もだいぶ定着した。ふらりと立ち寄ってくれた詠み人も少なくない。それぞれがうまく咬み合って、名作は産み出されるのぢゃ。
今回も何人かの選評子に協力して貰ったが、選評子それぞれのセンスもさまざまで、ノミネート作品もワシとはだいぶ異なっているので、次回からは、各選評子のコメントも載せてゆくことにしようかとも考えておる。グランプリを決めるのはあくまでワシぢゃがの。ほっほっ。
さて、136首の中から、次の10首をノミネートいたした。
まず461番ぢゃが、これはアンリ・ド・モンテスト子爵閣下の推薦である。子爵閣下のノミネートセンスは独特なものがあり、ワシにはやや理解しがたいところがあるので、次回からはぜひ子爵閣下ご自身に一筆いただきたいと思っておる。
これなぞも、料理に失敗した光景をユーモラスに描いたおかしみはあるが、とりたててノミネートすべき理由はワシには見当たらなかったので見逃していた次第。しかし子爵閣下にはこのおかしみがいと爆笑モノに感じられたらしいのお。
470番は実名作品ぢゃ。常連詠み人だった栄螺夫人女史は最近見かけぬがどうしておるぢゃろう。ただこの発句は連狂歌師の栄螺夫人女史と、マンガのサザエさんと、両方にかけているように思われる。ドラ猫を追っかけさせた第2句の詠み人は明らかにそれを意識しておろう。結句のおかしみは、そのどちらと考えても成立する。栄螺夫人女史のお人柄を知らない者にはやや弱いものの、この両義性の面白さを買ってノミネートいたした。
479番はProたま氏(うじ)の撰。ユニクロはまことに安いのお。ワシもちょくちょく利用させて貰っておるぞい。何、ワシのようなぢぢいがユニクロを利用するのは変ぢゃと。ほっといてくれ。
しかし、安いとなると要らんものまで見境なく買い込んで後悔するのは人間のサガぢゃな。安物買いの銭失いというヤツぢゃ。昔の人は嘘を言わんものである。
「後悔すれど反省はせず」……普通は逆のことを奨められるものぢゃ。反省はすべし、しかし後悔はするなと。ぢゃが、そういうことが言われるというのは、人間はとかくその反対のことをしてしまうという事実の裏返しと考えられる。愚かなことをして後悔しても、いつかきっとまた同じ愚行を犯してしまうのが人間というもの。この作品はそういった真理を鋭く衝いておる。
485番は第2句と結句が完全に一致し、しかも発句と第3句も語形・意味共にほとんど同じになっておる。失敗作だと思った者が多かろうのお。実際、結句を詠んだあげさん氏(うじ)は、悔悟をこめて次の486番の発句を「ダブってた」と詠んでいるほどぢゃ。
ぢゃが、ワシがこれをノミネートしたのは、次の名唱を連想したからなのぢゃ。
吾はもや/安見児得たり/皆人の/得かてにすといふ/安見児得たり
ご存じかな? これは藤原鎌足が長年の想い人であった釆女(うねめ)の安見児(やすみこ)という美女をゲットした時に思わず詠んでしまった歌である。「ワイは安見児をモノにしたんやでぇ! 誰がアタックしてもあんじょう相手にされへんかったと言われるあの安見児をモノにしたんやでぇ!」というほどの意味ぢゃな。
この鎌足の歌と、485番が同じような構造を持っているのには、すでにお気づきであろう。 「安見児得たり」にせよ、「吐く息白し」にせよ、感動の大きさがひしひしと感じられるのぢゃ。全体の品格からすれば、鎌足の歌を凌駕しているようでもあるではないか。第4句の霧氷もいい小道具と言えような。
502番、忘年会ではだか踊りを定番の芸にしておる男。今年もいよいよその時が来た。酒の勢いもあり、2枚の盆をひっさげて隣の部屋へ入って、服を脱ぎ捨てる。
ぢゃが、その時部屋にあった姿見がふと眼に入る。白髪だらけの己れのみっともない裸身をまざまざと見せつけられ、酔いも醒め果てる想いにかられて彼は呟く。
「いい年して、いったい俺は何をしているんだろう」……
宴会場では彼の登場を今や遅しと待ちかね、手拍子が始まっておる。乗せられれば乗らずにいられないお調子者の哀しいサガ。
なかなかドラマのある作品だと思うぞい。
507番はお色気系ぢゃが、奇妙に静かな感じで印象に残った。雪白の肌にぷくんと飛び出した乳首。それを、つまむでもなく、撫でるでもなく、吸うでもなく、ただただ見つめている。おそらくいろいろなことを思っておるのぢゃろうが、それが一切具体的には呈示されないというのが含蓄を感じさせるのお。
546番もお色気系のように思えるが、むしろ何やら深刻な人間悲劇を思わせぬでもない。人間社会を成り立たせている大きな柱のひとつが「愛」であるが、人間を破滅に追い込むのもまた「愛」である場合が多い。始末の悪いことに、破滅に至る愛というのは、本人がそう自覚したとしても、もはや抜け出すことが困難であることがほとんどだということぢゃ。人の世の悲劇は、ほとんどそこに淵源を持っていると言えるのではなかろうか。この作品は、後悔しながらも愛欲から抜けられない悲愴な気持ちを歌った絶唱であろう。
571番は半覚斎宗匠の撰ぢゃ。宗匠、この作品一点押しでノミネートしおったが、何か思い当たる体験でもあるのぢゃろうかな。ワシから見ると、第3句から第4句への展開がいささか唐突な気がするのぢゃが、事実は小説より奇なりというからのお。
572番もアンリ・ド・モンテスト子爵閣下の推薦ぢゃった。これも子爵閣下みずからのコメントが欲しい気がするぞい。
「キャサリンに一票!」とのことぢゃったが、キャサリンとは誰のことかのお?
579番は時事ネタに近い。小泉総理の聖域なき構造改革は、もくろみ通りに進めば、既成の枠組みを何もかもぶっこわす勢いとなるはずぢゃ。既得権を持つ族議員や役人どもが抵抗しようとしても、世論に支えられた改革の奔流を押しとどめることは困難であろう。今までさんざんこの国を食い物にしてきた連中が、みなお手上げとなる日も近い。
タイムリーであり、句としてもよくまとまっており、第2句の字足らずもさほど気にはならぬ。ただし、第4句の「不適」は「不敵」の誤りぢゃな。それとも、こんな時に微笑むのは不謹慎だろうとの、既得権益者からのやっかみかのお。
さてグランプリぢゃが、今回はやはりネタのタイムリーさなどを買って、579番に与えたいと思う。502番なども味わいがあって悪くないと思うが、579番に較べるといかんせんスケールが小さすぎるのぢゃ。また、579番はワシをはじめ、Proたま氏(うじ)、きゅる氏などからの推薦もあったので、まあ妥当であろうと思う。ただし第4句の誤字だけは訂正させていただくことにするぞい。皆の衆諒解されたし。
579.お手上げだ/なにもかもが/ぶっこわれ/不敵に微笑む/小泉総理 |
8ヶ月分の作品はいかがであったかな? 今後とも、さらにすぐれた作品を期待しておるぞい。ではまた、お目にかかろう。じょわっ。