ピアノの先生について
メルさん 2001.7.27.
 私は今高3で受験生です。志望大はMICさんの母校のピアノ科です。
それで、ピアノの先生のことですが、
 今私がついている先生は、ピアノを弾くときは
「爪で弾け」とおっしゃいます。私は小学1年生の頃からこの先生についていますので小・中となんの不満もなくずっとこの「爪で弾く」弾き方でやってきました。
 でも、高校生になってからいろいろなピアノ奏法に関する本を読むようになりました。
 それで、ある本には(最近読んだ本ですが)
「指の一番やわらかいところで弾かないと柔らかい音がでない」と書いてあり、だんだん今の先生の教え方に不満を持つようになってしまいました。
 爪で弾くと、とても堅い音になってしまい、心のない演奏になってしまうような気もします。
 バッハあたりならまだびしっときまって(?)いいような気もしますが、ドビュッシーやラフマニノフの曲でもそういわれるのでいつも
「本当にこれでいいのかなぁ」と思いながら弾いています。
 それから、友達に言ったら、
 
「爪で弾くってのは間違ってるけど、音大行きたいのならそうやらないとだめだよ」といわれましたが、これって本当ですか? 日本の音大の先生はそうゆう古くさい弾き方をするように指導をするとか聞いたこともあります。

 なんかまとまってない・・・
 ごめんなさい。国語力が全くないので、文章書くの苦手で後から読み返してみると何が言いたいのかさっぱり・・・(汗)

 私が言いたかったのは、
 もし、音大のレッスンが
「爪でひけ」といわれる先生ばっかりだったら、音大に行くのをやめようかと考えています。
 この爪で弾く奏法が正しいのか否か・・・・
 これが嫌ならやはり音大にいかないほうがいいのか・・・または先生を変えた方がいいのか・・・ということでした。

 後から付け足ししたつもりなんですが、これも意味不明でごめんなさい。
MIC 2001.7.27.
 書き込みありがとうございます。
 確か、前に「クラシック音楽の部屋」のご相談を拝読したときには、楽典のテストが免除されるとかされないとかおっしゃっておられましたが……(^_^;;

 ピアノ科はちょっと独特な世界なので、専門が作曲の私にはよくわからないところがあるのですが、ついておられる先生が、その大学の先生なのであれば、やはり言われる通りにしておいた方が無難だろうとは思います。

 私個人としては、爪で弾いたりしては、タッチの時に雑音が出てかなわないような気がしますが……
 ただ、打鍵の際に指(特に第一関節)が反ってしまう生徒に対しては、とりあえず
 
「爪で弾くようなつもりで弾きなさい」
と指示することもありますけれど、メルさんは指が反るということはないでしょうね?
 一方、「指の柔らかいところで弾け」というのもどうかと思います。
オルガンやハープシコードならそういう弾き方をしますが、ピアノはやはり指の尖端の、少し硬い部分で弾くのが原則ではないかと。
 もちろん、曲想によって使い分けるべきでしょうけどね。
 レガートの部分は、指を寝かせ気味にして、指の腹で弾くようにするとよいですし、レジェーロであれば確かに指を立てて、半ば爪を使うくらいの感覚でもよいでしょう。

 メルさんの弾き方を拝見したわけではありませんし、メルさんの先生がどういうかたなのかも存じませんので、見当違いだったらお許し願いたいのですが、先生のおっしゃりたいのは、音色の怜悧さ(クリアランス)が欲しいということではありますまいか。
 透明で明瞭な音色というのは、何を弾く場合でも大事です。
 もし力任せの雑な音色になっているのだとしたら、「爪で……」という言い方もアリかな、とも思えます。


 いずれにしても、ピアノは指だけで弾くものではなく、手首、腕、肩、そして腰や脚までも全部連動して弾くべき楽器です。
 それらの連動さえうまく行っていれば、晩年のホロヴィッツのごとく不正確さはあっても人を感動させることはできるようなものです。
 ひじの伸ばし方や、肩の位置をちょっと変えるだけでも、驚くほど音色は変わるものですよ。
 指の形にこだわるのはともかくとして、そういう「全身の使い方」を教えてくれない先生なのであれば、確かに替わった方が妥当かも。
 この時期から先生を替えるのはちょっとつらいかもしれませんが……

 文面だけではこの程度のことしか申し上げられません。
 多少なりともご参考になればよいのですが……♪
メルさん 2001.7.28.
 あのころは、かなり(一時的にですが)やる気をなくしておりまして、「もうピアノなんてやだ!!」と思ってエチュードもやらなくなり(ってか楽理なら難しいのばっかりやる必要ないと勝手に決めてツェルニーまでもどって練習してましたが・・・)、楽理のほうに進路変更するつもりだったときです。それで試し(?)に講習会でも受けてみよう・・・ということになって。しかし、その講習会でその大学のレベルに幻滅し、再び志望校を戻したという経緯(?)があります。でもその分ブランクがあって後から遅れを取り戻すのが半端じゃなく大変でしたが・・・(汗)。それで実際取り戻せたかと言われたら自信もって取り戻せましたとは言えませんが。。。 私は過去に4回ほど音楽の道を挫折しそうになりましたので。。。そのたびにいろいろな人に支えられてなんとか今に至っているというわけです。

 さて、私は打鍵の際、指が反ったようになっていることはないと思います。昔からとにかく指の形にこだわる先生だったので、指の形はいつも気をつけていました。
 それから、全身を使うというのは、足に力をいれて下半身でふんばる(表現が悪いかも・・・)ということですか?これに関しては、
「電車にのるときはつかまらずにおなかに力をいれて堪えろ」とか「いすに画鋲をおいて空気椅子の状態で弾け」などといわれておりました。このようなことでしょうか?
MIC 2001.7.27.
 ご投稿を拝読して思ったのですが、メルさんはある意味頭が良すぎるのかもしれませんね。
 演奏家になるには、少なくともある時期、馬鹿になりきって、余計なことを考えずに──もちろん最終的には知性もないと困りますが──とにかく突き進まなければならないことがあるように思います。
 私自身も、それができなかったからプロのピアニストにはなれなかったのではないかと考えています。

 「人間としては」、迷いや寄り道が多いのは決してマイナスではありません。
 若いうちによく迷い、多くの寄り道をした人の方が、結果的には豊かな人格や人生を手に入れることができるのだと思います。
 しかし、楽器の演奏技術については──ことに声楽や管楽器はまだしも、ピアノやヴァイオリンとなると──若いうちに「迷わず」打ち込まないことには身につかないというのがジレンマなのですね。
 特に芸大と桐朋のピアノ科は他の音大に較べてまったく別格と言われており、附属高校から叩き上げの「ピアノ馬鹿」が大勢受けに来ますので、なかなか大変です。
 と言って、卒業して世の中に出てしまうと、「ピアノ馬鹿」であることが災いして、大した仕事もできずに終わる人も少なくないのですが(^_^;;
 何しろ、ソロの仕事などそうそうあるものではなく、演奏の場としては伴奏やアンサンブルが圧倒的に多いのに、「ピアノ馬鹿」は他の楽器や声楽に関する知識もセンスもまるで修得していないために、アンサンブルが下手で使い物にならないのです。
 しかし大学受験の頃はそういった「ピアノ馬鹿」の方が有利というわけで……難しいところですね。

 なお全身を使うというのは、別に空気椅子だなんだという話ではなく(^_^;;
 例えばフォルテの表現など、多くの場合は指の力だけで出そうとすると音が荒くなりますので、むしろ足の裏に体重を乗せるようにして「踏み込む」ことが大事だとか、そういうような意味です。
 体重の乗っていないフォルテと乗っているフォルテの差は、素人でもけっこうわかるものです。
 逆に弱音の場合、身をかがめて「近づけて」弾く人がプロでも多いのですが、むしろ背筋を伸ばし「遠ざけて」弾くようにした方が美しい音色になります。
 ……そんなことはわかっているよ、とおっしゃるかもしれませんね(^_^;; ともあれメルさんの演奏を聴いたことがないので、あまり具体的なことは申し上げられません。

 ところであまり専門的な細かいやりとりをここで展開するのもどうかと思われますので、このレスを読んでさらに何かございましたら、私までメールをくださいまし。
メルさん 2001.9.6.
 あれからMICさんなどの意見を参考にさせていただきながら一人でいろいろ考えました。
 それで、結局先生をかえることになりました。
 確かに前の先生は大学の先生ではありますが、何度も
「つめでカチカチッと弾け」といい、とにかく堅い乾いたかんじの音をだしたら「良く練習したね」などといわれ、今でもかなりの不満をもっておりレッスンのたびに反抗しているという状態です。
 ここまで不満をもっていたらこれ以上今の先生についていても伸びないだろうと思いまして。
 今月から先生を変わることになりました。
 今月15日には大きなコンクール(全日本学生)の予選があり、コンクールまであと10日というときに先生をかえることは自分でもいい結論だったのかはわからないですが、とりあえず今はコンクールに向けて練習をがんばろうと思います。
 入試の課題曲の発表まではまだ数ヶ月あるのでまだぎりぎり間に合う時期かと・・・・。

 それでは、相談にのっていただきまして本当にありがとうございました。

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