受験と片想いの狭間で……
きゅるさん 2001.7.3.
 今自分でも完全にはわからないんですが2つの悩みがあります。いや、2つの原因による悩みです。
 音楽に関する悩みと、恋に関する悩みです。
 それらは全く別々の問題だけど、どちらも密接に絡み合っていて切り離せない問題です。
 でも、周りには片方ずつしか相談できる人物がいないんです。
 友人には音楽に関わっている人はいますが、普通科の高校だけに趣味の領域を出るものではないですし、音大受験となると相談しても相手が困るだけです。
 師事している先生にはとても恋に関する悩みなんて相談できそうにない...ですね。
 それでここに現れた次第です。

 音楽が好きではじめたのに、最近それが苦痛になってるような気がします。曲を作るのは好きだし、もっといい曲が作れるようにもなりたい。でも、音大受験を決意した時から、「作りたいもの」ではなくただ単に「表面だけ形式にのっとった形だけのもの」になっているような気がします。和声課題などをやっていても、それが本当に自分のやりたい音楽なのか疑問に感じます。
 音楽が嫌いになったわけでは決して無いんです。ただの甘えだといえばそうなんですが..。
 音楽は好きだけど音楽に振り回されている現状が嫌になった...?
 いや、実情は少し違います。

 自分にとって「音楽」が一番だった。でも恋をして、その人への思いが募るにつれて、その人のことしか考えられなくなっています。勉強に身が入らないんです。
 
「音楽で生きていく者としてはそんなんじゃダメだ。」「ただでさえスタートの遅い僕にはそんな余裕は無い。」「このままじゃいけない」という考えが自分へのプレッシャーになっています。

 
「つまり恋のために音楽に集中できない自分に対して嫌になった。でもそれでもどちらも捨てられない」ってことでしょうか。まだ何か違うような気がします。自分でも何がここまで自分を苦しめているのかが完全にはわかりません。

 僕の音楽に対する情熱はその程度だったのでしょうか?いや、そうじゃないんです。少なくてもそうは認めたくない。

 
「そもそも何のために音大を目指しているのか?→作曲技術を磨くため→となると作曲の上での究極的な目標は?→自分の本当に納得できる曲を書く→それは何のため?→わからないけどそれが存在意義になっているのかもしれない→ではなぜ身が入らない?→恋の方が〜→そんなんで音楽で生きていく資格があるのか?」

 こんな感じの自問自答を繰り返しています。
 つい先日も師事している先生に

「最近たるんでるんじゃないか?」

とお叱りを受けたばかり。
 それはいいんです。心配してくれてのお叱りですから。でもこのままの状態が続けばいつか見放されるかもしれない。それが怖くて最近先生との関係がギスギスしてます。思ったことが素直に言えなくなってきています。
 
「やめた方がいい」と言われるのが怖いんです。

 恋のほうをどうにかするのがこの悪循環から抜け出す最善策だとは思います。
 でもこの想いを打ち明けたとしても本当に楽になるのでしょうか?
 何の行動しないよりはマシだと思うのですが...
 
「告白してダメだったとしても、その人を想いつづけていたい。」
というのが正直な気持ちである以上、引きずる可能性も高いですね...。
 でもその想いがその人の重荷になるかもしれない。
 だとしたら自分一人で苦しめばいい分だけこのまま伝えないほうがいいのかもしれない。
 自分は悪循環から抜け出せなくても。

 でもそんな考え(=悪循環から抜け出せない)ではいけないですね。
 この悪循環を自力で抜け出すことが音楽を本職として生きていくための最初の試練として受け止めるべきなのかもしれません。

 どうしても耐えられなくてとうとうこんな長文書き込んでしまいました。
 でも自分の考えを文章にしたことによって少しだけ道が見えてきたような気がします。
 長々と失礼いたしました。
MIC 2001.7.3.
 真摯な書き込みありがとうございます。
 きゅるさんご自身の決意によれば、恋のお悩みについては、今月20日になんらかの結果を出すつもりとのことですので、まずはそれをお待ちしたいと思います。
 ただ音楽との関わりの部分だけ、簡単に触れておきます。

 受験勉強というのはそもそも、少しでもものを考える人にとっては、
 
「こんなものが本当に役に立つのか?」
と思ってしまうに決まったもので、それは音楽に限ったことではありません。
 和声課題なんか、特にその観が強いでしょうね。
 しかしまあ、当面の目標は音大に入ることで、そのためには受験勉強をしなければならないということなのですから、ある程度「手段」として割り切るしかないことだと思います。
 手段としてすらやる気が起きないとすれば、それは音大に入ること自体に意味を感じられなくなっているということですから、進路を再考した方がよいのかもしれませんよ。
 作曲をするために、音大に行くことが必須というわけでもありませんから。
 とはいえ、多くの志を同じくする仲間、あるいは演奏畑の知己を得るという意味では音大はそれなりに有意義な環境ですし(というより、その意味がほとんどすべてなのではないかと思う私)、やはり一度は身を置いてみる価値があるでしょうから、つまらない受験勉強といえども、もうしばらく頑張ってみてはどうでしょう。

 和声課題が役に立つかどうかですが、私の経験で言いますと、私は合唱に関連した仕事が多いものですから、合唱アレンジをする上ではかなり役立っています。
 和声法そのものが、基本的には合唱音楽を基礎にして組み立てられているので、当然と言えば当然なのですね。
 だから将来合唱も関わってみたいとお思いならば、やっておく方がよいでしょう。
 直接作曲に役立っているかどうかははっきりしません。
 作曲の面では、むしろ対位法を勉強したことが糧になっているという自覚があります。
 ただ、間接的な意味では、和声法をやることによって楽曲分析がやりやすくなるという点があります。
 先人の作品を分析するというのは、自分の作曲に大いに役立ちますから、その点ではやはり、やらないよりはよいと言えそうです。

 恋との関係については、なかなか難しいものがあると思いますが、拝読する限り、「音楽と恋」の狭間でお悩みなのではなく、本当は「受験と恋」の狭間なのではないかと拝察いたします。
 個人差はありますが、音楽家にとって恋愛が妨害になるということはあまりないように思います。
 作曲者の恋愛に関連して生み出された名曲はたくさんありますし、私自身も恋愛の結果として(たいてい失恋ですが(^_^;;)いくつかの曲を書きました。
 表現者は自分の全人格、全経験をもって表現に立ち向かうわけなので、どのような経験だろうと糧にならないことなどないと言ってよいし、まして恋愛経験など、それが成功しようが失敗しようが、非常に「おいしい」糧と言わなければなりません。
 その意味では「音楽を取るか、恋を取るか」なんて問いはナンセンスです。
 トスカではありませんが、「歌に生き、恋に生き」これですよ♪

 きゅるさんの焦りは、おそらくそういうことではなく、受験を控えたこの時期に、恋愛が気になって勉強が手につかないという、そちらにあるのではないでしょうか。
 それは音楽とは関係なく、多くの受験生が悩んでいるところです。
 ですから、相談する人は何も音楽を志している人には限らないと思いますよ。
 とにかく、結果を出すとお決めになったのですから、まずはそれからです。
 成功すれば、それを励みにしてあと半年頑張ればよいし、失敗すれば、忘れるために勉強に没頭するということになるかもしれませんし……
 幸運をお祈りいたします。
きゅるさん 2001.7.3.
 MICさんどうもありがとうございます。

 僕はとても感情の起伏が激しいみたいです。
 「感情が高ぶってどうにもならない」ということが周期的にあるようです。(特に夜中。)
 昨晩は眠れなくてつい感情に任せてわけのわからない文章を書いてしまいました。今冷静になって自分の書いた文章を読み返すと、「どうしてこんなこと書いてしまったのだろう」と思うばかりです。

 受験のことについては、落ち着いている時にはそれなりに勉強にも身が入るのですが、昨晩みたいな状態になると...
 もともと経済的に苦しいためバイトと両立している状態なので、少ない時間を無駄に使ってはいけない...と焦っています。
 でもようやくまとまった時間が取れても恋愛のことで頭がいっぱいで手につかないことがたびたびあり、レッスンの間際にたまった課題を徹夜でこなす...なんてこともしばしばです。
 それで
「そんな状態になってまでやっている受験勉強とは一体何なのか?」と考えてしまったようです。
 音大の環境自体は僕にとってとても魅力的だと思うので、MICさんのアドバイスどうり「手段」と割り切ってでも頑張ろうと思います。

 恋については、「結果を出す」(=想いを伝える)決意をしても少し考えると「そんなことしない方がいいんじゃないか。最悪傷つけることになるのではないか」という考えに苛まれ...昨晩なんかもそうだったのですが。
 答えを出したつもりでもしばらくするとまたわからなくなり逆戻り...の繰り返しです。
 それについてはもう少しよく考えてみることにします。
 アドバイスありがとうございました。
MIC 2001.7.3.
 まあアドバイスと言うほどのことはできなかったと思いますが(^_^;;

 
>>恋については、「結果を出す」(=想いを伝える)決意をしても少し考えると「そんなことしない方がいいんじゃないか。最悪傷つけることになるのではないか」という考えに苛まれ...昨晩なんかもそうだったのですが。

 私ももっと若い頃はそんなことを考えました。
 しかし、好きだと言われたことで傷つくなんて人はいないはずです。
 まず嬉しいというのが最初にあるはずで、
「だけど……」となる場合もあるもののそれは次の段階です。
 たぶん、きゅるさんが心配しているのは、
 
「自分の気持ちを受け容れてくれない場合に、“断る”ことが彼女にとってつらいのではないか」
ということではありませんか?
 確かに、相手の気持ちを拒絶するというのもつらいことではあります。
 こちらの経験もないわけではありませんので、それはよくわかります。
 しかし、それを心配して告白をためらうというのは、一見彼女を案じているようでいて、実は自分が傷つくのを怖れているのに他ならないのだと思います。
 きついことを言うようですが、自分の優柔不断の原因を彼女に預けているのだと言えます。
 その方が、彼女に対してもっと失礼だと思いませんか?
 今後も片想いを続けてゆく気なら、
「ご自由に」と言うほかありませんが、せっかく決めたことであれば断乎として行動してみるべきでしょう。
 がんばって下さい。
きゅるさん 2001.7.4.
 >>しかし、それを心配して告白をためらうというのは、一見彼女を案じているようでいて、実は自分が傷つくのを怖れているのに他ならないのだと思います。
 >>きついことを言うようですが、自分の優柔不断の原因を彼女に預けているのだと言えます。
 >>その方が、彼女に対してもっと失礼だと思いませんか?


 言われてみて初めてその事に気がつきました。
 
「相手が傷つくかもしれない」などと勝手に思い込んで実際はただ単に勇気が無い自分を都合よく正当化していたに過ぎないんですね。何故今までそこに気がつかなかったのでしょう。
 今度こそもう逃げません!!
 MICさん、本当にありがとうございます。これに気がつかなかったら一生後悔していたかもしれません。

 とりあえず、7/20まではきゅるは一旦姿を消します。
 今の精神状態では常時愚痴をこぼしてばかりになりそうですし。
 それにネットは交流の場であって「逃げ場」ではないですよね。

 7/20以降、結果が出たらまた来ます。
 本当にありがとうございました。

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