「ニュータード」と「インタクト」 |
sawakoさん | 2001.5.31. |
実はつい先ほど「お客様の声」に書き込んだ話題の裏話を聞いてほしくて来ました。 現在私は犬を2匹飼っています。 2匹ともペットというよりは家族同然で、私の生活の中にすっかり溶け込んでいます。その子達はどちらも「インタクト」で育てていました。 しかしつい先日、そのうちの1匹が子宮と卵巣に腫瘍ができている可能性があると言われ、子宮摘出手術を行い「ニュータード」になりました。このままだと突然死を起こす可能性があると言われたからです。 「子宮摘出」の決断を迫られ、私は一晩中悩みました。 病気だとわかっていても、彼女の命を救うにはそれしかないと頭でわかっていても、私は同じ女として、生殖能力がなくなること、体の一部を摘出することがショックでたまらなかったのです。彼女には、自分の子宮がなくなることを理解できるはずがありませんし、痛みの原因を取り除くこと、死の可能性を取り除くことが彼女にとって、最良のことであると思っても、涙が止まりませんでした。 今彼女はすっかり元気になり、毎日2匹でじゃれ合って暮らしています。 しかし今でも心の中にあるしこりがとれることはありません。「彼女の子宮と卵巣を奪った」という事実が私の頭の中をぐるぐるとまわっているのです。 |
MIC | 2001.5.31. |
「お客様の声」の方にレスしておきましたが、こちらでも同じ内容になると思います。 「お客様の声」の方ではすぐ埋もれてしまうかもしれないので、こちらにコピーしておきましょう。 ──*──*──*── 要するに去勢手術ですね。 幸か不幸か日本人は、古来動物を去勢するという発想がなく、従って宦官も存在しなかったわけですが、それだから去勢ということについてsawakoちゃんのような感じ方をする人も多いのではないかと思います。 私も、なんとなく可哀相な気がしてしまうのは事実なんですよね。 人間に引き比べて、去勢されちゃかなわないという気持ちもありますし、子孫を残せなくするというのは自然の摂理に反しているのではないかという不安ももちろん感じます。 しかし、そうは言っても、去勢しておかなければ動物というのは子供を作ってしまうものですので、生まれた子供をなんとかできるかと言えば、現実問題としてなんともできないんですよね。 引き取り手にも限りがありますし、特に都市部ではペットを飼えない住宅の方が圧倒的に多いですから、結局は保健所に頼んで薬殺して貰うというようなことになりかねません。 生まれたものを殺してしまうよりは、最初から生まれないようにした方がまだましなんではないかとも思います。 ペットそれ自身についてはなんとも言えませんが、その子供のことを考えると私はニュータードに一票かなあ…… ──*──*──*── 以上はこちらを拝読する前に書いたレスで、去勢というのはまあ普通オスの生殖能力を停止させることですが、メスであっても事情はそんなに変わらないのではないかと思います。 獣医さんもsawakoちゃんも、彼女?にいちばん良いと思って決断したのでしょうから、あまり思い悩まぬことです。 sawakoちゃんが病気にさせてしまったわけでもないし、そのまま器官を残しておいて病状が悪化するよりは、良い判断だったのではありませんか? 実はうちの母も私が8歳の時に子宮筋腫で子供が産めなくなっております。 当時の母としてはつらい決断があったと思いますが、還暦過ぎた今はごく楽しそうに毎日遊び歩いていますし、まあ子供を産むことだけが人生ではないということで(^_^;; それと、やはりペットのことをあまり人間に引き寄せて考えすぎるのはよろしくないようにも思えます。 どうか元気を出してくださいね♪ |
sawakoさん | 2001.6.1. |
アドバイスありがとうございます。 頭ではわかっているつもりなんですが、なんだか割り切れないものがあるんですよね〜。特に私はうちの犬に子供を産ませたいと思っていたのに出来なかったから、なおさらなのかもしれないけど。 だいたい、どうして人間は動物をペットとして飼い初めたのでしょうか? 何の権利があって、自己満足のためだけに品種改良を重ね、自分たちに都合のいいように育てあげているんでしょうか? 実際にペットを飼っている人間が言う台詞ではありませんが、今、私はそのことにすごく疑問を感じています。 沢山考えている事があるのにうまく言葉にできないのがもどかしいです。 私は甘えすぎなんでしょうね。飼い主の責任から逃げているだけのような気もします。やっぱり私にペットを飼う資格なんて、ないのかもしれません。 |
MIC | 2001.6.2. |
ペットになっている動物というのは、もともとそうなりやすい性格があるんだという考え方もありますね。 人間が意図的に品種改良したということではなくとも、ペットになるような動物の場合、人間に愛玩される性質を持った個体の方が生き残りに便利だったので、適者生存の法則に従って、どんどんペットらしくなって行ったものなのでしょう。 ペットというのとは違うけど、カイコなんか、野生に放り出したらもう絶対に生きていけない、つまり人間に完全に依存した生物になってしまっているそうです。 人間が都合の良いものを飼い、飼われる方も人間が喜ぶような方向に進化したわけで、これはお互い様みたいなところがあるんでしょうねえ…… 前にちょっと、動物園の動物についての話題が出たことがあります。 「檻に入れられて、自由がなくてかわいそう」なのか、 「敵に襲われる心配もなく、エサも毎日与えられるのだからこれほど動物にとってありがたいことはない」のか。 人間に引き寄せて考える人は前者の意見が多いでしょうね。 しかし、多くの動物学者は後者の考え方であるようです。 はたして動物に「自由」という抽象的な観念があるのかどうか…… 「自由」という観念がないのに「自由」を望むなんてことがあるのかどうか、最終的には動物に訊いてみないとわかりはしないわけですが、動物園の動物ののんきそうな表情を見ていると、私なんかは後者と考えたくなります。 「子供が産めない」ことを、個体として悲しむかどうかもなんとも言えません。 たぶんそういう観念は犬にはないんじゃないかと思います。 犬という種族全体としては、遺伝子を残せないのは由々しきことでしょうが、個体としては考えもしないのじゃないでしょうか。 一般論としては異論があるかもしれませんが、ひとつ言えることは、sawakoちゃんのケースは普通の去勢手術ではなく、病気の治療として結果的に切除しなければならなかったということなのですから、残念ではありましょうが、sawakoちゃんが愛犬に対して済まながることはないように思います。 あまり、考えすぎないことです(^_^;; |