面毒斎の「連狂歌寸評録」
ふっふっふ。ワシが伝説の連狂歌師、天羽面毒斎(あもう・めんどくさい)である。
ここでは、おぬしらの作った連狂歌作品を、このワシのたぐいまれな鑑識眼により講評して進ぜよう。
そして毎月、月間グランプリ作品を選んでしまおうという、血湧き肉踊る好企画なのぢゃ。
さあ、ワシの眼にかなう秀作に、おぬしは関わっておったかのお??
2001年9月の作品 |
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9月の作品数は急に増えて96首に及んだ。新しい詠み人が活躍しておるようで心強いぞ。
9月の全般的な傾向としては、人名、それも常連詠み人などの名を詠み込んだものが増えてきたことが挙げられる。
このweb版では今まで比較的少なかったが、web版の元になった実世界での連狂歌では、その場に参加している者の名を詠み込む方がむしろ普通で、そのため作品としては内輪受けになる場合が多いものの、場は大いに盛り上がるのぢゃ。
今までは詠む方にも多少遠慮があったのやもしれぬが、ここに至って、常連詠み人のキャラクターがかなり理解されてきたのと、ある程度のガイドラインのようなものが認識されてきたのとで、人物ネタが増えてきたものとおぼしい。
もうひとつ、9月作品には、まったく字数を無視したものも目立った。特に字足らず側が顕著で、「いくさ」とか「月」とか「つらい」とか、字足らずというよりもそもそも字数などということを考えていないと思われる句がしばしば寄せられ、どうしたものかと思っていたら、種田山頭火ファンの詠み人が参加して、山頭火一流の破格な句を応用していたものらしいのお。気持ちは分かるが、連狂歌では他の詠み人を戸惑わせるので、ほどほどにしておいた方がええ。字余りは字足らずよりは戸惑いが少ないが、いずれにしろ、その方が面白くなるという確信がある場合だけにしておくべきぢゃろうな。
ノミネートに移ろうと思うが、今回は作品数のわりには、これはと思われるものがさほど多くなかった。
続々参入している新しい詠み人たちが、まだ連狂歌の呼吸をつかんでいないということもあるかもしれぬのお。
奇をてらって失敗しているものも目についた。前の句をさらりと自然に受けつつ、とんでもない方向へ展開してゆくというのが連狂歌の奥義というか醍醐味なのぢゃが、馴れぬとついつい、奇抜な続け方をした方が面白いような勘違いをしてしまう。まだまだ修行が足らんな。
部分的に可笑しいというだけではよろしくない。全体を通してみた時に面白くなければならんのぢゃ。
というわけで、ノミネートに残ったのは以下の8首に過ぎなかった。
710番は脚韻が揃った作品として注目に価する。なかなかここまでぴたりと揃うのは珍しいのぢゃ。実世界で連狂歌をしていても滅多にお目にかからない。
難を言えば、内容の配列がばらばらで、もう少し統一感がとれれば良かったと思うが、そこまで要求するのは無理というものぢゃろう。この中でも、第3句と結句は縁語関係がないでもないから、まあよしとするべきぢゃろうな。
ちなみにこの710番の直前にも、脚韻を意識したと見られる作品が詠まれておる。
707.やめな斎/嗚呼やめな斎/半覚斎/おちゃのこ斎斎/おもちゃでわいわい |
というのがそれぢゃが、これは「やめな斎/嗚呼やめな斎」の繰り返しがやや平板に思われたのと、惜しくも結句が揃わなかったのでノミネートからは外させて貰った。結句も「〜斎」になっていれば文句なく710番を押しのけて選ばれたであろうな。「おちゃのこ斎斎」なる無理な文字遣いから、「斎」にこだわってつながってきたと見抜けなかった結句作者の未熟さというところか。
733番は特に言うべきこともない。つながり具合が大変自然ぢゃし、内容もわかりやすいお色気ものと言ってよかろう。「今夜は降参」という結句にユーモラスな趣きも感じられるな。ちなみに主体は女だと考えるのが普通ぢゃろうが、「今夜は降参」という言い回しから、男だと考えてみるとさらに笑える作品となる。積極的な女性に迫られているヘタレ君が眼に浮かぶようぢゃな。
743番、phaos先生初登場である。第2句「風に飛ばされ」は、phaos先生と面識がある者なら思わず笑ってしまうのぢゃが、そうでなくても趣きは感じられよう。気を取り直して勝負パンツに履き替え、「今夜はどすこい」というわけぢゃが、軽そうな前半と重そうな後半の対比が鮮やかぢゃな。どすこい、どすこいと、何をするつもりなのかは知らんがのお。
744番については、連狂歌修行におけるワシの兄弟子であり、最近このweb版にも参加するようになった荒尾漆黒斎宗匠がコメントを寄せてくれた。──
名句である…だ。「こひすてふ《には》」が惜しい…だ。「こひするけしき」であれば、文句なく一点推し…だ。「こひすてふこそ/かなしけれ」となれば、百人一首の本歌との繋がりも見えてこようが、そこまで連狂歌に求めてはいかん…だ。(荒尾漆黒斎)
752番は「大地讃頌」という合唱曲を知っていると妙に可笑しい。最近は中学校の必修曲目になっておるので、若い世代はたいてい知っておろう。『土の歌』なるカンタータの終曲で、シンフォニックに異様に盛り上がる曲なのである。というわけで、この曲を知っている世代のこの御仁のコメント。──
ではこの句の面白さの解説などさせていただきます たーらららーらーらー たーらららーらー(オープニング)
個室式特殊浴場で女の人にお世話してもらっている人があまりに気持ちよかったので、そこら辺を放心状態でうろついていたが、しばらくたってどうにもこうにも精神が高揚してしまい、ついには大地讃頌を熱唱してしまった、雄雄しく、ソープランドにて。ということですな。
面白くてしかも人間の心理状態の推移を鋭く表している気がします。
ではこれにて たーららーららーらー たーららーららー(エンディング)(織田信長mk-2)
757番はProたま氏(うじ)初登場。この御仁の雅号は連狂歌では使いづらいが、発句作者は「Pro」の部分に括弧をつけることで困難を回避した。詠み上げる時は「たませんせ」と音読することになるのであろう。第2句と第3句「一心不乱に/おたく道」はまるでこの御仁をよく知っている詠み人が詠んだかのようぢゃな。コ×ッ×マ×ケ×トなどに出入りするうち、次第にディープになりコスプレにはまり、みずから異物を装う歓びに目覚めて、極まるところ女装の達人になっていたという、おたく道のエスカレーションぶりのなかなか的確な描写となっておる。参考作品として次のものを挙げておくが、全体の流れのダイナミックスという点では757番に遠く及ばないことがわかると思う。
742.だーこさん/コスプレしながら/会議中/妄想膨らむ/眠れぬ夜更け |
779番──
この歌は、相撲のビデオ録画を頼まれたがビデオデッキの操作方法がわからず、結局ビデオにとることができなかった。仕方なく依頼人の前ですべての取り組みを実演してみせたという、機械音痴にとってはまさに切実な歌ではないでしょうか。
また、「行為に及ぶ」という結句は、録画に失敗したことの償いとしての「ねえ、あなた……」「なあ、いいだろ……」的な行為も連想させ、人間の営みの奥深さを感じさせます。(JOE)
783番は人名がダブルで詠み込まれた珍しい作品ぢゃ。状況がいろいろに想像されるようでもある。辞世の句というからには、死期を間近に控えているに違いないのぢゃが、病気のようでもないから、何かやらかして死罪になるのかもしれぬ。あるいは死罪確実なところへ自首に赴く前夜かもしれぬのお。そんな状況で、我が人生に悔いなしと言い切れるとすれば、まずは革命家とか復讐者といったところか。ふたり居るのぢゃからして、ナントカ解放同盟とかいうたぐいの組織の首謀者どもという印象を受ける。
ところが、その連中がこの夜を限りとやったことが、真っ裸で踊りまくることであった。してみるとヌーディスト同盟だったかとも思われるのぢゃが、なんにせよ踊るのがだーことMICでは思うだにむさ苦しいのお。
心境のさわやかさと、視覚的光景のむさ苦しさとが同居して、一種「奇妙な味」が感じられる作品であった。
今回は他にも、きゅる氏(うじ)、織田信長mk-2殿、sawako女史、なるしー氏、それにかく言う面毒斎なども登場しておったし、上に登場していた連中も、これがすべてではなく他にも詠み込まれておったりした。総じて人名乱れ飛びの月であったと言えよう。
その中で、グランプリは、多くの選評子が揃って推した783番に与えたい。2人分詠み込まれたということは別としても、流れも悪くないし、深読みする余地もあるし、可笑しさも充分に持っておる。まずは妥当なところぢゃろう。
783.辞世の句/我が人生に/悔いなしと/全裸で踊る/だーことMIC |
9月の作品はいかがであったかな? 今後とも、さらにすぐれた作品を期待しておるぞい。ではまた、お目にかかろう。じょわっ。
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