11.ロングシートの憂鬱

 
 国鉄JRになって以来、さすがに民営企業らしく、いろいろな営業努力をしている。
 例えば他の民鉄との競争においても然り。ひとつ例を挙げると、名古屋周辺では東海道本線名古屋鉄道が競合しているが、20年ばかり前には、東海道本線は名鉄には絶対にかなわないというのが一般の認識だった。速度、運賃、車輛の居住性、運転頻度(フリークエンシイ)のどれをとっても、名鉄の方が一歩も二歩も進んでいた。速度だけで言えば当時の国鉄にも新幹線という奥の手があったが、豊橋から名古屋程度の距離でわざわざ高い特急券を買う人は少なかった。岐阜の方は新幹線の岐阜羽島が岐阜市街とは極端に離れており、勝負にも何もならない。
 それが、JR東海になると、東海道本線の新快速が時速120キロ運転をして名鉄特急を凌駕し、運賃も特定運賃を導入してほぼ同レベルに抑え、居住性も快適なロマンスシートの221系電車を投入し、フリークエンシイでも遜色ないまでにダイヤを調えた。おかげで客もごっそりJRに移り、いまや名鉄の方が受け身に立たされて悲鳴を上げている。
 私鉄王国の関西でも、JR西日本は健闘している。近鉄、阪急、阪神、南海、京阪といった、伝統のある強力な私鉄を向こうに廻して、かつてはとても勝ち目がなかったのが、ほぼ互角の勝負ができるところまでに成長した。
 九州、四国では民鉄との競争は少ないものの、自動車との対抗を考えなければならない。JR九州は車輛などの面で斬新なアイディアを次々と打ち出し、鉄道ファンを喜ばせている。JR四国でも、車輛をどんどん軽快なステンレスに取り替えて、スピードアップを図っている。

 それに較べると、少々問題なのがJR東日本JR北海道だ。
 JR北海道については、このシリーズの前の方でも述べたが、札幌周辺を除いて、もはや自動車との競争を投げてしまっている気配がある。「北斗」「おおぞら」のスピードアップはしているようだが、いずれも札幌からの便宜でしかなく、他の地方都市や観光地を活性化させようという意欲は見られない。まあ、北海道における札幌は、日本全体における東京以上に比重が大きく、極端な一極集中型の土地になっているから、仕方がないと言えば仕方がないのだが。

 JR東日本はと言えば、これはがんばっていることはがんばっているのだが、どうも利用者から見て、その方向が鉄道会社として見当外れなのではないかと思われるふしが多いのが問題である。
 例えば、「大清水」の清涼飲料で年間20億円以上の収益を上げたなどと言っても、そんなものは要するに副業なのであって、鉄道会社の本分とはなんの関係もない。鉄道会社は、あくまで鉄道業で勝負すべきなのだ。
 JR東日本がやっていることで、利用者として目立つのは、大変な勢いで各地の車輛をロングシート化していることなどである。横須賀線はほぼ完全にロングシートになったし、秋田周辺に投入された寒冷地用電車701系もロングシートである。常磐線高崎線などの中距離電車もロングシート化が進んでいる。仙台周辺も大体ロングになった。
 確かにラッシュ時には、ロングシート車輛の方が沢山の客を詰め込むことができる。通勤客はロングシート化を歓迎しているという話もある。
 ただ、それは、列車に乗るにあたって「立つ」ことを前提としての話である。そもそも「立たせる」ことを前提として旅客輸送を考えること自体、JR東日本は根本的な姿勢が間違っている。というより国鉄時代の体質から少しも進歩していない。
 首都圏はともかく、秋田や仙台周辺で、それほどの殺人的ラッシュがあろうとは思われない。だから各地のロングシート化は決して旅客のためを考えてのことではない。

 坐って旅をするなら、クロスシートの方が快適に決まっている。
 最近、首都圏の私鉄で、昔からロングシートの通勤車輛一本槍だった会社が、少しずつクロスシートを導入している。東急相模鉄道に始まり、営団地下鉄南北線都営地下鉄三田線にも、一部だけだがクロスシート部分が設けられている。
 最初にこの方式に踏み切った東急は、当初、びくびくものだったらしい。
 クロスシートは通勤客に不評なのではないか。苦情が殺到するのではないか。もし苦情が寄せられたら、すぐに元に戻せるように準備していたという。
 ところが、不評どころか大好評で、寄せられる苦情と言えば、なぜもっとクロスシートを増やさないのかというものばかり。大いに力を得た東急は、各車両にクロス部を設けるようになった。まだ全車両がそうなっているわけではないが、いずれそうなるだろう。
 やはり、乗る立場からは、クロスシートの方がいいのである。
 通勤客がロングシートを好むというのは、ただの思いこみに過ぎなかった。ただ立っていると、クロスシートにのうのうと坐っている連中が憎らしく見える。ロングシートでは、ラッシュ時は坐っている方も結構つらいものがある。車窓は見えず、足は圧迫され、立っている人が頭上に覆い被さり、膝の上に鞄を載せられたりして、決して快適なものではない。つまり、立っている者と坐っている者との快適さ、いや不快さの度合いの差がそれほど大きくない。立っている身からは、クロスシートの場合ほどの劣等感を覚えない。「通勤客ロングシート指向」の伝説は、そういう、多分にやっかみ混じりの感想から導かれたものなのだ。
 論より証拠で、常磐線や高崎線などで、ロングシート車とクロスシート車が併結されている列車の場合、始発駅近くの、客がどちらでも自由に選べるあたりでは、まずクロスシート車から埋まってゆく。
 
 ただ、古い型のクロスシート、いわゆる固定式のボックスシートは、見知らぬ他人と、膝と顔をつき合わせねばならず、若い女性客などからは不評である。
 やはり、2人掛けのロマンスシートが望ましい。ロマンスシートなら、前の座席の下に足を伸ばすことができるので楽だし、着席人数もかなり多くとることができる。転換式にしておけば、仲間内で向かい合わせにすることも可能だ。その場合現在のボックスシートより余裕はなくなるが、仲間内なら構わないだろう。
 もっと収容人数を多くしたいなら、片側2人掛け、片側1人掛けにすればよい。地方の路面電車などでよく見られるタイプだが、首都圏の通勤電車に応用していけないというわけでもない。
 いずれにしても、どんどんロングシート化を進めているJR東日本は、世間の趨勢に逆行していると言わざるを得ない。純然たる通勤路線の営団地下鉄にまでクロスシートが導入されて好評を得ているという現実をどう考えているのだろう。
 実は、この点について、JR東日本の社員である友人に訊ねてみたことがある。断っておくが彼は旅客担当ではなく、保線関係の仕事をしている。
 なぜロングシートばかり増やすのかという質問に、彼は明快に答えた。

「ああ、その方が建造費が安いからですよ」

 これには二の句が継げなかった。
 要するに、コストダウンのため、利用者に我慢して貰っているというのが真相だったのだ。
 コストダウンを図るのはいいことだ。国鉄時代にはコスト観念がなかったため、膨大な無駄を垂れ流し、借金漬け体制が出来上がってしまった。民営化してコストの感覚が身についたのは大いなる進歩と言えよう。
 しかし、コストダウンのツケを、利用者に転嫁しようというのは、なんか違うんではないだろうか。
 鉄道業はかつては国策であったが、少なくとも現在は明らかに一種のサービス業である。特に貨物が切り離され、旅客営業プロパーになったJR各社(JR貨物を除く)は、旅客に対するサービスこそがその本領のはずである。旅客に対するサービスとは何か。何も清涼飲料水を自動販売機で売ったり、お座敷列車を走らせたりすることばかりではない。何よりも、「迅速に」「安全に」「快適に」客を目的地に送り届けるのが使命であって、ここを押さえていないサービスは所詮上っ面のものでしかない。
 JR西日本やJR九州は、かなりそれを理解しているように思える。やはり大阪、堺、博多といった古くからの商業都市を抱えているだけのことはある。
 どうも、JR東日本は、その意識が低いように思えてならない。
 言うまでもなくJR東日本はJRグル−プの中で最大である。しかも、昔から国鉄本社のあった東京に、いまだに本社を置いている。そのせいか、分割前の国鉄の体質をもっとも色濃く受け継いでいると考えられる。
 日光への東武成田空港への京成湘南への京急などのように、部分的には私鉄との競合もあるが、中京や関西に較べれば生ぬるいことおびただしく、真剣に脅かされているという危機感をJRが感じるには至っていない。また私鉄の方も、JRを脅かそうという意欲はそう強くない。従ってJR東日本は事実上独占企業化している。
 そんなわけで、「お家の事情」を利用者に転嫁するという、国鉄時代の悪い体質が、再び目覚めはじめていると言えないだろうか。

 私は鈍行での旅行が大好きである。時間の許す限り、飛行機は言うに及ばず、新幹線や、在来線でも特急には乗らず、鈍行や普通急行などで旅したい人間である。
 その私にして、旅先で701系などのロングシート車輛にぶつかるとうんざりし、乗る気が失せる。さっさと特急で突っ走ってしまいたくなる。
 同じ意見の人は少なくないはずだ。
 首都圏のラッシュはちょっと別格だから、とりあえず仕方がないと我慢してもよいが、それ以外の地域のロングシート化は即刻やめるべきである。そして、転換式クロスシート(ロマンスシート)に改造するべきだ。
 それと、一案なのだが、JR東日本の本社を、仙台あたりに移してはどうか。首都移転よりは簡単なはずだ。東京にいる限り、国鉄時代の発想はそう易々とは抜けないだろう。国鉄と同じ道を辿るのは勘弁して貰いたいものである。 

(1998.2.20.)

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