先日、ネット友達で北海道住まいのあっくんが、出張で上京した。残念ながら会うことはできなかったのだが、上京前にはICQなどでいろいろと助言をしたりしたのである。
来る前に、彼が非常に心配していたのが、東京の交通機関、なかんずく地下鉄のことだった。
東京の地下鉄網はわかりずらい。地方からやって来た人は確かに迷ってしまうだろう。私は東京近辺に住んですでに30年近くなるが、それでも地下鉄路線網を完全に把握しているとは言い難い。
現在、地下鉄が走っている都市は日本に9つある。長野などのように、郊外鉄道(この場合は長野電鉄)が地下にもぐっているところもあるが、さしあたってそれは除き、地下鉄としての企業体があるところを考える。
このうち、仙台・横浜・神戸の3都市は、路線が1本しかない。正確には横浜と神戸は2本ずつあるが、電車が直通しているので、利用者から見て事実上は1本である。これなら使い方に迷いようもない。
また、福岡と京都は2本、札幌は3本の路線があるが、これも至極単純な配置になっているから、それほどわかりずらくはない。
「路線網」と言えるほどに錯綜しているのは、やはり東京・大阪・名古屋の3大都市である。現在では横浜市が大阪市を人口で追い抜いて全国第二位だが、東京の衛星都市のひとつという印象は否めない。日本の国土軸の中心となる3都市と言えば、どうしてもこの3つだ。名古屋は5線、大阪は7線、そして東京は12線の地下鉄が行き交っている。
この中で、大阪の地下鉄はわかりやすい。御堂筋線、谷町線、四つ橋線、堺筋線など、著名な通りの名前がついており、それらの通りの下を走っていることはすぐわかる。そして、通りはほぼ東西か南北に通っているので、少なくとも大阪の繁華街に関して言えば路線も整然としている。大阪の地下鉄で迷うという人はあまりいないのではないかと思う。
名古屋になると少々ややこしくなる。この都市がもっと巨大化すれば、地下鉄も東京と同じようにわかりにくくなりかねない気がするが、5線というぎりぎりのところであるから、なんとか頭に入る。
東京の地下鉄は、この大阪と名古屋を合わせたのと同じだけの路線数を持ち、しかも企業体が帝都高速度交通営団(以下、「営団」と略す)と東京都交通局(以下「都営」と略す)の2つに分かれ、しかも大阪と違って必ずしも著名な通りに沿っているわけでもない。そもそも東京は、徳川時代に、外敵に攻め込まれないようにわざと道をややこしく作ったと言われているほどで、京都や札幌のような整然たる碁盤目になっていないばかりか、メインストリートと呼べる道路すらない不思議な都市である。中心に千代田城(皇居)がどっかりと鎮座していて、その敷地の下には地下鉄を敷くことができないので、どの線も迂回する。そのためどの線も路線形態が複雑怪奇になってしまう。
路線名がまたわかりにくい付け方をしている。東西線、南北線はまだわかるが、あとは銀座線にしても、日比谷線にしても、有楽町線にしても、銀座や日比谷や有楽町を通っていることはわかるが、それ以外のどこを経由しているのかさっぱりわからない。しかもここに挙げた銀座と日比谷と有楽町は、事実上ほぼ同じ場所にあると言ってよいほどなのである。もう少しネーミングのセンスをなんとかして貰いたいものだ。
企業体がふたつあるのは、もともと東京高速鉄道や東京地下鉄道などの会社によって敷かれた地下鉄を、戦時統合によって半官半民の営団に吸収し、東京の地下鉄はすべて営団が経営することになっていたのに、都が欲目を出して自前の地下鉄を持ちたがったという、お役所のワガママから発している。それならそれでいいから、利用者はそんな差を考えなくていいようにすべきなのだが、いまだに営団と都営とでは改札も別、ごく僅かな乗り継ぎ割引があるだけで運賃計算も別である。
もっとややこしいのは、同じ駅なのに別の駅名がついていたり、同じ駅名なのに乗り換えにはおそろしく長い距離を歩かされたりするところが多すぎる。例えば、丸の内線の淡路町、千代田線の新御茶ノ水、新宿線の小川町は実は同じ駅で、路線図にも乗り換え駅として書かれている。そうかと思うと大手町などは、同じ駅だというので丸の内線から三田線に乗り換えようなどとした日には、ほとんどひと駅分くらい歩かされるのである。丸の内線なら大手町駅よりも東京駅の方が、よほど三田線の大手町に近い。
そんなこんなで、東京の地下鉄網を使いこなすのは、かなりの熟練を要する。しかし、使いこなさないことには東京を歩くのに大変不便である。
冒頭に挙げたあっくんは、宿舎が三越前、研修先が半蔵門にあって、幸いどちらも半蔵門線の駅であったため、それほど迷うことはなかったようだが、上京が度重なれば他にも用事ができたりするだろう。その時、地下鉄が使いこなせればかなり楽に動けるかもしれない。
そんな人たちのために、簡単な路線ガイドをしてみた。もとより、私もすべてを熟知しているわけではないので、不充分なものだろうが、幾分なりとも足しになればと思う。
日本ではじめて(1927=昭和2年)開通した地下鉄で、当時の歌謡曲などにも歌われた。はじめてだけあって、トンネル口径も小さく、小型の車輛しか通すことができないが、駅の深度が浅いのは利用者にとっては非常に楽である。
当時は東京の中心的な繁華街であった浅草から、上野、神田、日本橋、銀座と、いわば東京旧市街と言うべきポイントをつなぎ、新橋からは赤坂見附、青山一丁目、表参道と高級イメージの場所を結びつつ渋谷に出る。最初に敷かれただけあってツボを外さない路線と言えよう。
渋谷駅の直前で地上へ出て、見る間にビルの3階につっこむ。建設当時は非常に異彩を放ったようだ。
――東京の渋谷じゃ地下鉄がビルの3階に出入りする、ハハのんきだネ♪
などと戯れ歌にもなった。ビルの建ち並んだ今ではわかりにくいが、渋谷は文字通り谷底で、道玄坂と宮益坂という急峻な斜面にはさまれているためにこういうことになった。
渋谷からは、かつて井の頭線に乗り入れるという計画があったようだが、破棄されている。
一番古いため、しばらく前までは駅も電車もなんとなく薄暗くて汚い印象があったが、最近はすっかり模様替えして明るく、きれいになった。
この路線のルートは東京の地下鉄の中でも一番ややこしい。池袋と荻窪は、直線距離なら8キロほどしか離れていないのに、蜿蜒と路線名通り丸の内を迂回し、24.2キロを走ってゆくのである。全線を乗り通す人などまずいないと思われる。
東京で2番目に敷かれたから、まだ深度も浅いが、そのため、地形の関係でしばしば地下にいられなくなり、地上へ顔を出している。丸の内線に乗ると、東京の地形が案外複雑であることがよくわかる。
池袋からしばらくは春日通り沿いに走るが、2つ目の茗荷谷(みょうがだに)が早くも半地下駅で、ここを過ぎると地上に出る。次の後楽園は高架になっていて、ビッグエッグがよく見える。その先はまた地下にもぐるが、御茶ノ水では神田川を渡るに際してまたしても地上に出てくる。川の下を掘り抜くことができなかったようだ。
神田川を渡ると、外堀通りにほぼ従うことになる。大手町、東京、銀座、霞ヶ関と、まさに皇居外縁部をぐるりと迂回し、赤坂見附で銀座線に接続する。この駅の乗り換え構造は非常にうまくできていて、その後の地下鉄にこの設計思想が受け継がれなかったのは残念きわまる。
四谷でまた地上に出る。今は水がないが、外濠の一部をなしていたので土地が切れ込んでいるためだ。ここで外堀通りと別れて新宿通りの地下を走り、新宿へ達する。新宿と新宿三丁目は非常に近く(300メートル)、地下道もつながっているので、この区間は歩く人も多い。伊勢丹や三越なら三丁目で下りた方が近い。
新宿からは青梅街道の地下だが、中野坂上で、環状七号線の方南町への支線を分ける。そしてJR中央線との乗換駅、荻窪に達する。
鮮やかな真っ赤な車輛で知られていたが、最近はステンレス車に切り替えられた。
日比谷線が建設されたあたりから、そろそろ東京の地下鉄がややこしくなる。一体に銀座線のさらに外側を通る感じになっているのだが、時々交叉して、錯綜してくる。
北千住では東武伊勢崎線と相互乗り入れしており、東武動物公園まで行っている。乗り入れ電車はすべて各駅停車だ。一方の中目黒では東急東横線と相互乗り入れしており、こちらは日吉まで行くがやはりすべて各駅停車である。
北千住を出てしばらくはJR常磐線に沿った高架線で南千住まで走る。隅田川を渡るために地下にしなかったのだろう。南千住の次の三ノ輪の直前で地下にもぐる。この三ノ輪は、東京に唯一残った路面電車、都電荒川線の起点三ノ輪橋に近い。その先は昭和通りの地下を走って上野へ。
上野から秋葉原までは、銀座線、JR山手線、そしてこの日比谷線が、それぞれ100メートルくらいの間隔をはさんで併走している。銀座線上野広小路、山手線御徒町、日比谷線仲御徒町の3つも、ほぼ同じ駅と言ってよい。ただし地下道などではつながっていない。
日比谷線の秋葉原駅は、JRの駅から見ると電気街とは反対の方にある。電気街にゆくつもりならやはりJRの方が便利だ。
この先の走り方がややこしい。水天宮通りの地下にルートを変え、小伝馬町、人形町、茅場町、八丁堀、築地と、時代劇でよく耳にする町々を結んでゆく。まさに下町路線である。いっそ「下町線」とでも名づければよいのだが。
築地4丁目交差点で直角に曲がり、今度は晴海通りの地下を進んで銀座を突っ切り、ようやく線名の由来である日比谷に達する。日比谷はJR有楽町駅からごく近い。ここからも複雑なルートをとりながら、霞ヶ関、神谷町を経て、バブル時代の不夜城六本木、さらにガーデンプレイスができて発展著しい恵比寿に達する。恵比寿の次が、終点の中目黒だ。
日比谷以西は私は所用でよく使うのだが、以東になるとちょっとクセのある路線と言ってよい。
東京の地下鉄には珍しく、コンセプトのはっきりした路線で、文字通り東京の東西を貫いている。
東京で東西を貫く鉄道というと、JRの中央線がある。中央線は山手線の真ん中を貫いて西の方へ伸びてゆくが、東の方へは総武線があって、中央線と総武線は直通運転をしている。
東西線は、東では西船橋から総武線に津田沼まで乗り入れ、西では中野から中央線に三鷹まで乗り入れているのだから、ほぼ同じコンセプトを持っていると言えよう。なお、最近では、西船橋から千葉県の勝田台まで伸びる東葉高速鉄道にも乗り入れている。
また、東京の地下鉄ではじめて、他線への乗り入れ以外で都外に出た路線でもあるし、地下鉄で快速運転を始めたのもこの路線が最初だ。いろいろと意欲的な試みが多い線である。
中野から、中央線はまっすぐ東京を貫くのではなく、S字を描くように山手線を横切ってゆく。東西線はこれに対し、逆S字を描いて突っ切ってゆく。S字と逆S字が交わるのが飯田橋駅である。
中野を出て地下にもぐると、中央線が南にカーブして新宿を目指すのに対し、東西線は若干北向きに進路を取って高田馬場に達する。北向きと言うよりほぼまっすぐ東進すると言うべきかも知れない。早稲田を経てそのまま東進すると、迂回してきた中央線に再会する。ここが飯田橋だ。そこから東南に向きを変えて内堀通りに出る。皇居すれすれをかすめ、大手町へ。なお、東西線の大手町は、JR東京駅から近いことを知っておくと結構便利である。
山手線の東側に出ると、あとは永代通りの地下を、茅場町、門前仲町と進み、東陽町に達する。快速電車はここから快速運転を始める。
実は次の南砂町の先で、東西線は地上に出る。この先、荒川、新中川、江戸川と、かなり大きな川のしかも河口近くを渡ってゆくことになるので、高架にした方が工事が楽だったのだろう。そして、高架線にしたからこそ、快速運転もできた。地下駅で高速で通過すると、突風が吹いて客が危険なのである。
東西線の快速電車は最初から100キロ運転をし、のろい電車の多い東京ではそのスピード感が目立った。はじめは西船橋までノンストップだったが、今は浦安に停車する。
いろんな意味で、東西線は使い易い路線だと思う。
千代田線の起点は北綾瀬だが、これはもともと操車場があったところに駅を設けたので、次の綾瀬までは支線扱いになっている。代々木上原方面からの電車は、ほとんどが綾瀬からJR常磐線に乗り入れて、我孫子や取手まで行く。乗り入れ電車はすべて各駅停車である。と言うより、常磐線近郊区間の各駅停車は全列車が千代田線直通であり、常磐線本来の始発駅・上野から出る電車はすべて快速(または近郊区間快速運転をする中距離電車)なのである。
ところが、常磐線の快速は綾瀬に停まらないので、面倒なことになる。
つまり、上野方面と、綾瀬・亀有・金町の各駅との間の客は、直接は行き来できないわけだ。北千住まで快速電車で行き、乗り換えなければならない。
それはまだよいのだが、千代田線の北千住駅は、早々と地下にもぐってしまっていて、この乗り換えはとても面倒くさい。北千住駅が、日比谷線と東武伊勢崎線のように同一のプラットフォームであれば簡単なのだが、そうではなく、迷路のような地下道を歩かなければならない。明らかに構想ミスである。
千代田線には、このような構想ミスと思われることがいくつもある。私自身使う機会が多いが、それだけに、なんとかならんものかと思う。
北千住を出た千代田線は、隅田川を渡る。この先町屋から根津までの4駅は、地上の道幅が狭かったため、駅の分だけのスペースを確保することができず、2層建ての構造になっている。上下線を、横に並べるのではなく、文字通り上下に分けてあるのだ。なお、この途中の西日暮里で山手線と交叉するが、山手線の西日暮里駅はこの接続のために設けられた駅である。
不忍(しのばず)の池のほとりの湯島を経て、新御茶ノ水から線名になった千代田区にはいるが、ここからのルートはすでに敷かれていた丸の内線や日比谷線、都営三田線などとからまり合っていて、非常に複雑である。大手町、日比谷、霞ヶ関などを通るものの、既設線を避けるようにあちらの通りへ行ったりこちらの通りへ行ったりして、同じ名前の駅でも別の通りにあったりするから、乗り換えには注意が必要だ。もっともたいていは地下道でつながっているが、それにしても歩かされることが多い。
かと思うと、明治神宮前は山手線の原宿と同じところにある駅だ。明治神宮のすぐ前には違いないが、なぜ原宿駅にしなかったのか、理解に苦しむ。
代々木上原では小田急に乗り入れているが、乗り入れ電車が準急になるのはいいとして、乗り入れる列車は非常に少なく、あまり意味がないほどである。もともと過密ダイヤに苦しむ小田急には、あまり千代田線直通電車を走らせる余裕がないのかもしれない。
しかも、代々木上原で接続したのが大誤算で、小田急はここから和泉多摩川までの複々線化を考えていたのだが、下北沢付近の住民説得に失敗し、地上線で拡げるのが不可能になってしまった。複々線にしようとすれば、梅ヶ丘あたりまで地下にせざるを得ない状況である。それなら千代田線をそこまで地下にすれば簡単だったのだ。
不運もあるが、なんとなく見通しの甘さが感じられる路線がこの千代田線なのである。
有楽町線は最近元気がいい路線である。西の方では、もとから乗り入れていた東武東上線に加えて、工事が難航していた西武有楽町線(小竹向原−練馬)がようやく完成し、この春から西武池袋線にも乗り入れることになった。東京西北部の2大民鉄を一挙に引き受けるわけだ。
ただ、まだのんきだなと思うのは、今や池袋から成増(なります)や和光市までは、昨年の東上線の値上げのため、有楽町線経由の方が安くなっているのだ。ここで大攻勢をかければ、東上線の客をごっそり奪うことができるのに、それをやらない。大攻勢というのは例えば、営団成増から池袋まで小竹向原のみ停車の急行電車の運転である。この区間の客がまだ東上線に乗るとすれば、準急や急行が池袋までノンストップであるというだけの理由としか思えないのだから(少なくとも私はそうだ)、有楽町線に急行が走ったらひとたまりもあるまい。
ややそれに近いと思われる、小竹向原から池袋直行の新線があるが、新線池袋は他の路線との乗り換えが遠くて、あまり役に立たない。やはり本線で急行運転をすべきである。
都心部では、山手線をほぼ袈裟懸けに突っ切って有楽町に達している。余計なことを考えず、池袋からの最短距離を目指したように見える。この潔さはなかなかよろしい。
中央区役所に近い新富町から先は、埋立地を走ることになる。月島、豊洲、辰巳、すべて埋立地にある駅だ。そして終点新木場はJR京葉線との接続駅で、これまた最近元気のいい臨海副都心への入口である。
将来的には、京葉線に乗り入れて千葉方面へ直行できるようにすることが必要だろう。いずれにせよ、これからまだまだ発展しそうな路線だ。
半蔵門線は渋谷が起点だが、渋谷を始発や終着駅にしている電車はない。東急新玉川線〜田園都市線にそのまま乗り入れている。他の相互乗り入れ路線と違い、新玉川線と半蔵門線は完全に一体化した路線になっているのである。
そのためでもあるまいが、半蔵門線はいささか中途半端な印象のある路線だ。終点の水天宮前が、他の鉄道にまったく接していないというのも、東京の地下鉄では珍しい。実はこの水天宮前は箱崎の東京シティエアターミナル(TCAT=ティーキャット)のすぐ側で、成田空港へのリムジンバスが次々発車しているところなのだが、JRの成田エクスプレスや京成のスカイライナーが空港ビルに直接乗り入れるようになって以来、定時性や定員に劣るリムジンバスはかなり人気が落ちた。しかもTCATへのアクセスが通勤車輛の半蔵門線では、うんざりするというものである。
渋谷から青山一丁目までは、銀座線と併走している。表参道では共通のプラットフォームを設けて乗り換えの便宜を図っているが、併走区間であるため、赤坂見附の銀座線−丸の内線の乗り換えの絶妙さには及ばない。なお銀座線にある外苑前駅は半蔵門線には設置されていない。
青山一丁目の次の永田町も、実際には赤坂見附とほぼ同じ駅と言ってよく、改札を出ないで乗り換えることができる。ここまでは銀座線の別線と考えてよい。
永田町からは皇居の西側を走り、これでほぼ皇居の周りはすべて地下鉄で固められたと言ってよい。九段下からは東西線と似たようなルートをゆく。
そんなこんなで、どうも中途半端な気のする半蔵門線だが、いっそ東京西部からの成田空港アクセスをもっと前面に押し出し、リムジン発車時刻に合わせた豪華な車輛を走らせるなどしてみてはどうだろう。終点の駅名も、TCATとした方がよい。
これは画期的な路線である。東京は南北方向の交通が不便で、どうしても迂回せざるを得ない場合が多いのだが、山手線を縦に突っ切る南北線ができたおかげで、東京の北方に住んでいる私などはだいぶ楽になった。
南北線はまだ未完成である。赤羽岩淵から北へは、営団ではなく埼玉高速鉄道という会社が延長線を建設しており、さしあたっては今まで鉄道の無かった鳩ヶ谷、JR武蔵野線の東川口を経て浦和大門までの工事が進んでいる。一方溜池山王から南へは、山手線の目黒を経て、東急目蒲線さらに東横線に乗り入れることが決まっている。
この線の駅には、すべてホームドアが設けられている。プラットフォームと線路の間に仕切りを設け、ところどころにつけられたドアと電車のドアが一致するようになっていて、そこから乗り降りする。冷房なども効率的に行えるし、プラットフォームのスペースを多くとることもできる。急行運転もしやすいはずだ。
欠点は、新しい路線のため、他の地下鉄との接続駅では、既設線の下をくぐらなければならないので、やたらと深くなり、従って階段が異様に長くなったことである。丸の内線との接続駅である後楽園などは、地下40メートル、一般営業駅としては日本最深の駅であり、丸の内線の方が高架駅であるせいもあって、乗り換えは一苦労だ。それに対し、銀座線との接続をしている溜池山王は、新設駅ということもあって非常に乗り換えやすい。
赤羽岩淵はJRの赤羽駅とはバス停ひとつ分ほど離れているが、王子、駒込など、今まで地下鉄と縁のなかった駅を結び、中央線とは飯田橋・市ヶ谷・四谷と3駅連続で接続している。
一体に、それまでの地下鉄が比較的官庁街を中心に考えて敷設されていたのに対し、南北線はむしろ、住宅地や文化地域を結んでいるおもむきがある。いかにも新路線という感がある。今後が楽しみな路線だ。
以上が営団地下鉄で、ここから都営になる。都営浅草線は、東京全体では丸の内線の次に敷かれた第3の地下鉄である。他の鉄道との相互乗り入れを最初に始めた路線でもある。すなわち、押上で京成押上線に、途中の泉岳寺で京急本線に乗り入れている。泉岳寺−西馬込間はやや支線的な感じである。なお、京成電鉄は千葉方面でも各社と複雑な乗り入れ形態をとっており、その関係で、京急・浅草線・京成・北総開発鉄道・住宅都市整備公団の5社をに乗り入れる電車が頻繁に走っている。
浅草線は押上を出ると、隅田川を渡って(くぐって)浅草を経由する。銀座線の浅草には近いが、東武の浅草駅への乗り換えはやや遠い。そこから東日本橋までは隅田川沿いになる。この駅はいわゆる「お江戸日本橋」からはかなり遠い。本来の日本橋まではあと2駅ある。
銀座ではなく東銀座を通るが、こちらはごく近く、例えば大手町などの例を考えれば、同じ銀座を名乗っても差し支えないくらいだ。新橋はゆりかもめの乗り場に近い。銀座線などからだとかなり歩かされる。
慶應義塾大学の近くの三田を経て、京急との接続駅泉岳寺に着く。次の高輪(たかなわ)からは国道1号線、すなわち第二京浜(=東海道)の下を通って西馬込までゆくが、途中五反田で山手線に、戸越で東急池上線に、中延で東急大井町線に連絡している。
ほぼ東京の旧市街を走る感じの浅草線だが、現在では少々ロケーションが東に寄りすぎていて、地味な印象を受ける。
もっとも、京成は成田空港に直通し、京急も羽田空港に直通しようとしている。京急の空港乗り入れに伴い、浅草線を東京駅につなげようという計画も発表された。
それもよいが、成田空港と羽田空港の直結、つまり国際線から国内線への乗り換えの便宜をもっと前面に押し出すべきだと思う。具体的には、ノンストップの「トランジットエクスプレス」の運行であり、そのためには線内全駅通過となる浅草線が英断を下す必要がある。それとは別に主要駅停車型の特急も走らせるとよいが、その場合車輛はせめて京急の快速特急並みのセミクロスシート、できれば京成スカイライナータイプの豪華車輛にしたい。こういう列車が走るようになれば、浅草線のイメージもアップするだろう。
浅草線の三田から分岐して北上し、東京北部の板橋区へ向かうのが三田線だ。日比谷通りで大手町まで、神保町からは国道17号線(白山通り〜中山道)の地下を通ってゆくので、ルートとしてはわかりやすい。
三田の次が芝公園だが、東京タワーへゆくとなると、この芝公園で下りても、その次の御成門で下りてもあまり変わりがない。東京タワーへは地下鉄で行くにはどの線に乗ってもやや不便である。バスを使った方がよい。日比谷公園であれば三田線の日比谷駅が一番便利だ。大手町は冒頭に書いたように、むしろ東京駅に近い。
水道橋で中央線に、巣鴨で山手線に連絡している。新板橋と埼京線の板橋は比較的近いが、商店街の中を歩くことになる。
志村坂上の先で地上に出ると共に、中山道と別れ、高島平団地へ向かう。かつて、自殺の名所という不名誉な評判を被っていたが、最近あまり自殺の話は聞かない。ともかく、西台から終点西高島平までの4駅がこの団地の中にあるのだから、その規模がわかろうというものだ。
三田線はこの先も延長して東武東上線に乗り入れる予定だったが、有楽町線に先を越され、この方面のメドは立っていない。逆に、三田から先の工事が始まった。やはり工事中の南北線の清正公前(仮名)につなぎ、そのまま乗り入れて、一緒に目蒲線や東横線に乗り入れてしまおうというのである。これが実現すると、初の営団・都営相互乗り入れということになるし、東横線はにぎやかなことになる。元からの乗り入れ線である日比谷線に加えて、南北線、三田線、それに横浜方面では横浜市営地下鉄とも乗り入れる予定なので、5種類の電車が行き交うことになる。
起点の新宿は、半蔵門線の渋谷同様、途中駅の雰囲気で、ほとんどの列車はそのまま京王新線に乗り入れて笹塚まで行く。運賃計算以外は、笹塚が起点と考えていいくらいである。さらに京王線に乗り入れて多摩センターや橋本まで直通する電車もあり、京王線内は快速となる。
山手線の中では靖国通りの下ををまっすぐに走ることになるが、当の靖国神社のある場所には駅はない。それに限らず、新宿線の駅はどうもあまり便利な場所に設けられていないような気がする。岩本町はほぼ秋葉原だが、乗り換えは不便だし電気街からも遠い。馬喰横山は総武線の馬喰町・浅草線の東日本橋の両方と接続を図っているが、どちらにしても歩く。
森下からは新大橋通りの地下を行く。ここからの江東区内は、街路そのものが整然としているだけあって、新宿線もようやく使い易くなる。清澄通り(森下)、三ツ目通り(菊川)、四ツ目通り(住吉)、明治通り(西大島)など、主要な道路との交差点にきちんと駅が設けられている。荒川右岸の西大島から地上に出る。荒川を渡って江戸川区内に入ると、また少々わかりにくいルートとなり、やがて江戸川を渡って千葉県に入り、本八幡が終点となる。
どうも使いにくいように感じていたのだが、昨年末から、平日の昼間だけとはいえ急行を運転し始めたのは評価できる。東京の地下鉄としては、東西線以来ほぼ30年ぶりの急行(快速)投入である。停車駅は市ヶ谷・神保町・馬喰横山・大島・船堀のみで、かなり本格的な急行だ。
この路線は建設途上で、全通の暁には名前もつくことだろうと思われる。そして、この路線の全通は、東京の交通事情を一変させるとも考えられる。なにしろ地下鉄初の環状線が誕生するのだ。現在の東京の交通は多かれ少なかれ、環状線である山手線を基準にして考えられているところがあるが、12号線が新たな環状線となると、もうひとつの基準ができることになる。
それでなくても東京は放射状の交通は強いが、その放射線相互の連絡が不便な都市だ。12号線はその不便をかなり解消することになる。
現在営業している光が丘−新宿間は、環状線から分岐する支線部分に過ぎない。それでも、大ニュータウンである光が丘を新宿と直結し、さらに西武池袋線(練馬)、西武新宿線(中井)、中央線(東中野)を次々に横断するので、これらの沿線の住民にとっては、いちいち池袋や高田馬場といった混雑する駅を歩かなくとも相互に行き来できることになり、かなり便利だ。都庁前は文字通り都庁の直下にあってこれも利用しやすい。
今後、新宿から先は、代々木・青山一丁目・六本木・浜松町・汐留・築地・月島・門前仲町・森下・蔵前・上野広小路・御茶ノ水・春日・飯田橋と都心をぐるりと一周し、都庁前に戻ってくる。
この路線はリニアモーターを利用することによって車体を小さくし、その分トンネルの口径も小さくして建造費を節約するという方式をとっている。リニアモーターカーであるため他の路線との相互直通が不可能なのは残念だが、とにかく12号線の全通によって東京都内の人の流れがどのように変化するか、楽しみにしている。
(1998.5.12.)
【後記】
2000年4月、都営12号線は国立競技場まで延長すると同時に、大江戸線と命名された。当初、都営環状線と名付けられる予定だったのが、
──環状になっていない状態で部分開業するのに、環状線などと名付けるのは詐欺みたいなものじゃないか。
という石原慎太郎都知事の鶴の一声で変更されたそうである。大江戸線という名前には「イケてる」「ダサい」と賛否両論あるが、「E電」などとは違ってそのうち定着することだろう。もっとも、環状線が全通するのもそう遠い話ではない。
(2000.5.13.)
都営大江戸線は平成12年12月12日に全通した。線名はほぼ定着したようだ。
完全な環状運転はなされず、都庁前を結節点とした6の字運行となっている。牛込方面と代々木方面とは直通できない。その乗り換えも同一プラットフォームではできない場合があり、配線の再考が必要かと思われる。
大深度地下を使っている関係上、ほとんどの駅は非常に深く、長い階段やエスカレーターを用いなければならない。他線との乗り換えも必ずしも便利とは言い切れず、動く歩道やエレベーターなどの増備が望まれる。
全体として、まだあまり充分に利用されているとはいいがたいかもしれない。
(2001.5.31.)
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