6.岬めぐり


 地形としては、洞窟が好きである。
 やや自閉症の気があるのか、ここがどん詰まり、という雰囲気が好みであるらしい。
 洞窟の話は次回に譲るとして、岬という地形には、私に限らず、心惹かれるものを感じる人は多いのではないだろうか。周り一面の海。一歩踏み出せば大海原。
 断崖絶壁の上に、白い灯台でもあれば、舞台効果は満点であろう。デートには最適かもしれない。
 残念ながら知床岬はまだ訪れたことがない。しかし、今まで結構いろんな岬を訪ねてきた。
 岬と名がついていても、必ずしも奥まったどん詰まりにあるとは限らない。宗谷岬室戸岬は、国道の途中にある。比較的尖っていない岬なのだ。室戸岬など地図で見ると、そぎとったように尖って見えるが、実は現地にゆくと案外と丸い。

 宗谷岬は、日本最北端ということもあり、さいはての気分をいっそう感じさせてくれそうな場所だ。しかし、完全に観光地化されていて、周囲にはみやげ物屋が建ち並び、しかも大音量で「宗谷岬」の歌を流している。

 ♪流氷溶けて、春風吹いて、ハマナス咲いて、カモメも飛んで♪

 という、あの歌である。私が行った時は、2箇所のスピーカーからバラバラに流れ、しかもそのキーが違っていたため、腸捻転を起こしそうな気分になった。  
 それでも、最北端のロマンに惹かれ、自殺志望者が時々やって来るという。
 宗谷岬は断崖絶壁の上ではなく、浜がある。だから海にも入りやすい。
 ところが、ここで自殺に成功した人はほとんどないのだそうだ。というのは、宗谷岬はおそろしく遠浅で、いくら沖へ向かって歩いていってもいつまでも足が着く。水は冷たいし、そのうち寒くなって自殺をやめてしまうのである。自殺というものは、思いつめた結果のようでいて、実は相当に勢いに左右されるものなのだ。沖へ向かって浅い海を歩いているうちに、冷静になってしまうのだろう。

 その点、積丹(しゃこたん)半島神威(かむい)などになると、勢いがつきそうだ。起伏のついた遊歩道をうねうねと辿った先に、まさに断崖絶壁の突端がある。付近には商店はおろか人家も見当たらない。遙か下で、荒波が岩を咬んでいる。崖っぷちに立つと、吸い込まれそうな気がした。
 しかし、比較的マイナーなせいか、ここから飛び下りたという人の話もあまり聞かない。自殺者は人知れず命を絶ちたいと思いそうなものだが、「自殺の名所」とされるところで事に及ぶ方が多そうだ。熱海の錦ヶ浦とか、福井の東尋坊とか。そういうところの方が、仲間が多い気がするのかもしれない。人間は自殺するときでさえ、孤独には耐えられないのだろうか。

 自殺の話ばかりでは気が滅入るから、もうやめよう。
 九州の最南端、佐多岬にも行った。ここも観光地化はされているのだが、行った時期のせいか、宗谷岬のような喧噪は感じられなかった。ひとつには、佐多岬は突端断崖絶壁型の岬であるせいもあるだろう。大隅半島自体が相当な奥行きを持つ半島であり、その突端の佐多岬までのアプローチが大変長い。その上入り口の大泊(おおどまり)から先は有料道路になっている。車が入れるのはかなり手前までで、そこからは亜熱帯植物に覆われた遊歩道をかなり歩いて、ようやく岬に辿り着く。
 レストハウスもあったが、私が行った時はひと気がなかった。
 遊歩道の途中に小さな神社があって、そこで記帳するようになっている。全員が記帳するとは限らないが、さいはてに来たという気分があるので、たいていの人は記帳すると思われる。私は夕方に行ったのだが、数えてみると私はその日わずかに16人目であるようだった。
 その晩は佐多岬の国民宿舎に泊まったが、泊まり客はほとんど居なかった。地の果てに来たような気がした。

 本州の最南端は、紀伊半島潮岬(しおのみさき)である。紀伊半島の南端の串本から、さらに小さな半島が突き出している。紀伊半島という大きな乳房から突き出た乳首のような半島だが、潮岬はそのまた突端、いちばん敏感そうなところにある。ここは広々とした草原があって、そこからわずかに岩場になって「本州最南端・潮岬」の石碑があったように記憶している。高校時代に訪れただけだから曖昧だが。
 ここへ行った時は従弟と一緒だった。
 岬に立って、その従弟が、
「地球って、本当に丸いんだなあ」
と呟いた。
 私ははっとした。水平線を同じように眺めながら、そんなことは考えてもみなかったのである。自分の感受性の無さをはずかしく思った。
 確かに、水平線は巨大な弧を描いて、地球が丸いということを実感させてくれていた。こんなはっきりわかることを、中世のヨーロッパ人が誰ひとり気づかなかったのが不思議なほどである。もっとも、「地球は平たい協会」なるグループはまだ健在だそうだが。
 結局、人が岬という地形を好むのは、地球の丸さ、大きさを、意識するとしないとに関わらず実感することができて、気宇壮大な感覚を養ってくれるからではないか、と思わぬでもない。

(1997.11.23..)

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