一昨年(2009年)から、秋にマダムとふたりで徒歩旅行──というのは少々大げさですが──に出かけています。 一昨年は寄居から秩父へ、正確には秩父市に入ってすぐの秩父鉄道の和銅黒谷の駅まで歩きました。私の靴が合わなかったので、後半はなかなかしんどい想いをしました。あとで見たら右足の親指と小指の爪が死んでいて、しばらくするとポロリと剥がれ落ちるような有様でした。 その日は和銅黒谷から電車に乗り、西武秩父駅近くのホテルで一泊しましたが、たまりかねて翌朝、秩父の商店街の靴屋で新しいウォーキングシューズをあつらえて帰ったところ、その靴は大変調子が良く、翌年(2010年)の徒歩旅行では活躍してくれました。去年は、秩父(正確には秩父鉄道の御花畑駅)から足を伸ばし、三峰口駅を経て、旧両神村(現在は小鹿野町両神地区)の中心部近くまで歩き、国民宿舎両神荘で一泊して帰りました。 流れから行くと、今年は両神荘からスタートするのが妥当と思われました。過去2回は歩いてから一泊して帰る、というパターンでしたが、今回は先に一泊して、翌日歩いたのち帰宅するというスケジュールにしようと思います。 当然、両神荘に再び泊まることを考えましたが、調べてみるとそこまで行けるバスに間に合いそうにありません。 両神荘に行くには、西武秩父駅か三峰口駅から小鹿野町営バスに乗らなくてはなりません。しかし出かけられる日程を見ると11月2日〜3日というところしか空いておらず、2日はマダムが仕事を終えてから出かけるしかなかったのでした。仕事は幸い西武池袋線沿線だったので都合は良かったものの、乗れるいちばん早い特急が、所沢発17時55分の「ちちぶ27号」です。これは西武秩父に18時54分に到着する列車ですが、あいにくと西武秩父発の終バスは18時16分、それよりも本数の多い三峰口発も18時27分が最後です。つまりタクシーにでも乗らない限り、その日のうちに両神荘に着く手段はありません。
仕方なく、一昨年泊まった西武秩父駅前のホテルに投宿することにし、翌朝早いバスで両神荘近くまで行って歩き始めることにしました。
私は「ちちぶ27号」に池袋から乗りました。所沢からマダムが隣に乗ってくるはずですが、池袋を出た時にはその席に他の客が乗っていました。さすがに夕方の帰宅時間帯だけあって、空いている席を無駄にはしないようです。それにしても池袋から所沢という区間を特急に乗る人が少なくないのには驚きました。急行以下の電車がひっきりなしに発車しており、急行であれば時間もそうかかるわけではありません。25分ばかり坐って移動するために特急券を買う気に、よくなるものだと思いました。
所沢では無事マダムが乗ってきました。ほぼ満席だった車内が8割くらいの乗車になり、入間市・飯能でもかなり下りて、秩父へ向かう時には乗客は半分以下になっていました。
マダムが駅前の仲見世商店街に寄りたがったので立ち寄りました。早速土産物を買っていましたが、これから歩くのに荷物を増やさないで貰いたいものだと少々苦々しく思ったりしました。
ひとまずホテルにチェックインします。一昨年同じところに泊まった時、薦められるままにポイントカードを作ったので、それを出してみると、もうそのカードの扱いは終わっていました。ただ、ポイントを使うことはできるというので頼んだら、一度しか泊まっていないのに1000ポイント以上が入っており、ポイント=円に換算した額だけ割り引いてくれました。事実上一割引に近く、だいぶ得した気分になりました。
この日は、夕食を外で済まして、あとは寝るだけです。
3日の朝8時24分のバスで出発します。
この日は小鹿野町でお祭りがあるらしく、朝の便からずいぶん混んでいました。
「いっつもこんなに混んでないでしょ」
とつぶやくお年寄りの声が聞こえました。私たちはかろうじて坐れましたが、もう少しチェックアウトが遅かったら立つはめになるところでした。
小鹿野町のバスなので、秩父市内は急行運転となり、主要なバス停にしか留まりません。もう少し遅い便なら、病院などで乗り降りもあったのでしょうが、9時前ですからそれも無く、小鹿野町に入るまではずっとノンストップでした。
小鹿野町役場で大半の客が下ります。料金の支払いなどでだいぶ手間取りました。中のひとりが壱万円札を出したらしく、しばらくもめています。
「帰りもこのバス乗るでしょ。その時までに小銭作って、一緒に払ってください」
運転士がそんなことを言っていますが、客のほうがなんだか納得しないようです。そのうち座席に坐っていた年配の男性が見かねて、
「ああ、両替できるよ」
と運転席のほうへ行きました。
「まず他の客に訊いてみりゃいいのに」
あとでその男性は周りの人に言っていました。
すっかり空いたバスにもう少し乗って、大塩野という停留所で下りました。両神荘最寄りの薬師の湯まではまだ5、6個バス停があるのですが、バスに乗った道をそのまま歩いて引き返すだけのことになるのであんまり面白くありません。多少間があいてしまうことになりますが、大塩野から歩くことにします。
黒海土(くろかいど)橋という、細流に架かっているにしてはいやに立派な橋を渡って、国道299号線の交差点に出ます。交差点の先はトンネルが口を開けていますが、その道は私の持っている地形図には出ていませんでした。新しくできたバイパスなのでしょう。私たちはこの日、まずは西秩父桃湖(合角《かっかく》ダム)を目指すつもりで、このバイパスに向かう標識に「合角ダム」の文字があったので少し迷いましたが、やはり当初考えた道を歩くことにします。あとで調べるとそれで正解で、バイパス側に行くとかなり遠回りになったようです。
国道299号を少し西向きに歩き、まもなく右に出る道に曲がりました。
ほどなく登りに差し掛かります。
今までのウォーキングでは、秩父鉄道沿いであったり、バスの通っている道だったりして、もしへばったりしても逃げ道のあるルートを歩いてきましたが、今回はそれがありません。歩ききるか、戻るかしかできないことになります。そのせいか、マダムはどうも元気がないようです。昨夜遅くまで携帯電話でゲームをやっていたようでもあり、寝不足ということもあるのでしょう。ただし私も、よく眠れたという実感が無く、特に明け方は早く眼が醒めて、もういちど寝ようとしても寝つけず、寝返りばかりうっていましたから、なんとなく寝が足りない気がします。
天候は曇りで、涼しい空気でしたが、しばらく登り道を歩くと早くも汗が出てきました。マダムの口数が少なくなっています。
国道分岐から2キロほど歩くと嶽ノ腰という小さな集落があり、その先に落葉松峠というちょっとした峠があります。峠越えの旧道もありますが、トンネルが掘られていたのでそれをくぐりました。
そこからは下りにかかり、間もなく合角ダムです。下り道になるとマダムがよくしゃべるようになりました。
ダムでせきとめられた川が、U字型の湖になっているのですが、いちばん湖らしいU字の湾曲部は見えなかったので、単に大きな川という趣きでした。
クルマの入れない東岸沿いの道を歩くと、北岸の堰堤に着きます。堰堤の上は遊歩道になっているので、そこを歩きました。湖面と、その反対側との落差に目がくらむようです。
堰堤を渡ったところに「ふれあいセンター」というのがあって、簡単な売店と食堂にもなっているはずだったのですが、なんと「しばらく休業」とのこと。実はこの先、食事ができるところが当分無さそうなので、ここで昼食を仕入れてゆくつもりだったのですが、あてが外れました。こんなことなら昨夜夕食に出た時に、近くのコンビニでおにぎりでも買ってくれば良かったと思います。
向かい合わせになったダム展示館は開いていたので、しばらくそこを見ましたが、食品を売ったりはしていません。
これから埼玉県道71号線を歩いて群馬県側に抜けるつもりです。土山峠というのが県境で、そこから先は群馬県道71号線になる道路です。数字はたぶんわざと揃えたのでしょう。地図上で一応の道のりは予測していますが、地図で見るだけでもかなり屈曲の多い道で、地図に描けない屈曲も多いでしょうから、予測した道のりよりも長いことが予想されます。どのくらい時間がかかるのかもわかりません。とにかく峠を越えて神流川に下り、神流川沿いの国道462号線を走るバスに乗るつもりで、その終バスが17:20頃ですから、それまでに峠道を越えられれば良いわけです。いくらなんでもその頃までには歩ききれると思いますが、とにかく逃げ道が無いのがちょっと厳しいところではあります。
道は吉田川に沿って少し下り、上吉田の集落に入る手前のT字路を左へ進みます。歩き始めのところにあったバイパスを辿ると、このT字路に右から入ってくる道につながっていたようです。
歩道はあったので、歩くのに危険はありません。歩道は右についたり左についたりしていて、移る時には横断歩道が設置されています。クルマの交通量はそう多くありませんが、峠越えのツーリングを楽しむバイクがちょくちょく通り過ぎてゆきました。
登り道でしたが、しばらくはそう急な傾斜ではありません。沿道には柿の木が多く、どの木にも熟した実が鈴生りになっていました。
ふと見ると、「土山トンネルまで6.2q」という小さな標識が道端に立っていました。この標識は、いくつかは欠けながらも、200メートルおきにトンネル入り口まで並んでいましたので、ペースを整えるのに大変役立ちました。もっとも、マダムは6.2キロという数字を見て少々意気阻喪の気配でした。峠まではずっと登り道のはずですから無理もありません。
明ヶ平という集落を過ぎ、小川の集落を過ぎると、もうその先には人家はありません。勾配も急になります。
マダムは木の枝を2本拾って、春に参加した断食合宿の際に覚えたノルディックウォークのように歩き始めてから、だいぶ歩くペースが上がりましたが、やはり口数は少ないままです。私もだいぶしんどくなってきました。
木立の切れ目からの眺望はなかなか良くなってきました。ただ、ずっと向こうの上のほうの山肌に道路が見えると、まだあそこまで行かなければならないのかとうんざりします。200メートルごとの標識が無かったら、心が萎えてしまいそうでした。わずか200メートルの間隔が、どうにも長く感じてなりませんが、それでもだんだん数字が減ってくることに励みを覚えました。
13時半頃、ようやくトンネル入り口に辿り着きました。トンネルの前に「群馬県」「神流町」の表示があります。歩いて県境を越える、というのは、うちの近くの新荒川大橋(東京都と埼玉県の境)で時々やっているものの、それ以外ではなかなか経験できることではありません。マダムもさすがに感動しているようでした。
土山トンネルは、さっきの落葉松トンネルよりもむしろ短いくらいで、あっけなく群馬県側に出ました。
これ以前に、持っていた「長又」の地図の範囲は出てしまって、その北側の「万場」の地図に切り替えるべきところを、一本道で200メートル標識もあることなので「万場」を出すことなく歩いてきたのですが、トンネルの出口で小休止をとった時にリュックザックから新しい地図をひっぱり出しました。
すると、トンネルから神流川まではさほどの距離がないことがわかって、だいぶ安心しました。「万場」図に入ってからトンネルまでがかなり長かったようです。
道路の上のほうに、「雨量連続120o以上の時は、4.3q先まで通行禁止」という表示が出ていました。どうやら4.3キロほど行けば、大体神流川のあたりまで下りられそうです。
下り一方の道は、かえって歩きづらく、ふくらはぎが張ってきたり、足の爪先が痛くなったりしてきましたが、それでも登りよりは楽です。マダムものべつまくなししゃべり続けるようになりました。
このあたりは紅葉にはまだ早いようでしたが、時には見事に黄色くなったイチョウの樹があったりもして、秋の山の空気を楽しめました。
地図上では最後の直進ルートに見える区間にさしかかってからが、妙に遠くて閉口しましたが、間もなく遮断機を通過しました。雨量が多くなったりしたらこの遮断機を道のほうに出して通行止めにするのでしょう。トンネル出口からここまでが4.3キロだったと見えます。
そこから数百メートルで、神流川のほとりに出ました。マダムは杖にしてきた2本の枝を投げ捨てました。いや、投げ捨てるという言いかたはよろしくありません。感謝を込めて自然に戻したのでした。
バス停はすぐ近くにありましたが、バスはしばらく来そうにありません。それにもう15時過ぎで、昼食抜きで来ましたので何か食べたいところではあります。
その生利というバス停の近くには、食堂なり食料品店なりは無さそうでしたが、1キロばかり神流川を遡る方向へ行くと万場の集落に入ります。ここは旧万場町の中心部で、中里村と合併して神流町になっても町役場が置かれている集落ですから、商店はいろいろあるでしょう。
とりあえず役場でトイレを借り、用を足しました。マダムは着替えもおこなったようです。
それからもう少し歩くと、思った通り多くの店が建ち並んでいました。ラーメン屋などもありましたが、歩いたりトイレに入ったりしているあいだに微妙に時間がなくなってきたので、食料品店でパンなどを買い込みました。
万場のバス停には待合室もあり、ベンチも何基も据えられていたので、そのうちのひとつに坐ってパンを食べ始めると、16時10分発のはずのバスが、16時早々にやってきました。予定時刻より早着しているのかと思ったらそうではなく、もともと万場で10分ほど停車するダイヤになっていたようです。私たちが乗り込むと、運転士が
「10分発ですから」
と言って下りてゆきました。
小型のバスで、うちの近所を走っているコミュニティバスと同じ形のようです。座席は13、4くらいしかありません。需要としてこのくらいで充分なのと、国道462号線にまだ未整備なところがあって大型バスは走りにくいということがあるのかもしれません。
私たちは終点の、JR高崎線の新町駅まで乗りましたが、乗ったのは私たちのほかふたりだけでした。空気を運んでいることも多いのでしょう。このバス(日本中央バス奥多野線)はかなりの長大路線で、新町からもう一方の終点である上野村ふれあい館まではかれこれ2時間10〜20分かかるのですが、その区間ほとんど客が居ないのでは運転士もやりきれないのではないでしょうか。
新町からはうまく快速「アーバン」をつかまえることができ、浦和まで乗って京浜東北線に乗り換えて帰宅しましたが、さすがに足が痛くて、変な歩きかたになっていました。歩いているうちは大丈夫なのですが、一旦坐ったりすると痛みが出てくるようです。
今回歩いた距離は、17、8キロというところで、前2回よりも短かったのですが、急な登り下りが多かったのが効いているのでしょう。
次回は万場から足を伸ばしたいと思っていますが、方向としては神流川を遡るしかないでしょう。上流の上野村までは行けると思いますが、その先はなかなかハードそうです。
(2011.11.4.)
|