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3日ほど留守にいたしました。大阪に行ってきたのです。
男声合唱組曲『きょう、いきる ちから。』は、2012年10月にいちおう完成しました。全部で4曲あり、そのうちの3曲がこんど演奏されることになりました。 なぜ3曲かというと、本番の演奏会が2013年1月12日(土)だそうで、練習時間が無かったというのがいちばんの理由でしょう。3曲のうち2曲は、秋に合唱コンクールの関西大会で歌われていましたので、問題はないのですが、残る2曲の譜読みをする余裕が無かったようです。 ともかくそんなわけで、演奏会にかける前にいちど練習を見に来て貰いたいと頼まれたのでした。委嘱・初演団体は近畿大学のグリークラブで、練習は(そしてもちろん演奏会も)大阪でおこなわれます。 練習日は昨日の27日の晩でした。昨夜は向こうで宿をとってくれましたので、本来なら27日の昼過ぎに出かけて新幹線に乗れば充分なはずでした。 が、ご承知の通り私は新幹線が嫌いで、やむを得ない事情でない限りは乗りたくないほうです。それに、このところずっと仕事が忙しくて、だんだん心に潤いがなくなってきている実感がありました。 私にとって、心の潤いを取り戻すいちばんの方法は旅です。それも、なるべくなら飛行機や新幹線を使わず、普通の列車・船・バスなどに揺られるのが効きます。そう長いこと出かけなくとも、一日ローカル線を乗り回してきただけでも、少々体調が悪かったのが吹き飛んでしまったことさえあります。 それで、1日前から出発することにしました。青春18きっぷを買って、ひたすら普通列車に乗りまくってやろうという魂胆です。帰りもゆっくり、丸一日かけて戻ってきます。
むろん、この3日間を捻出するために、仕事はだいぶ無理しましたが、この際それもやむを得ないというものです。
12月26日の朝、7時半過ぎに家を出ました。まずは湘南新宿ラインで西への旅をスタートします。
しかし、考えてみると12月26日といえばまだ普通の平日です。平日朝の京浜東北線やら湘南新宿ラインやらは、当然ながらラッシュアワーです。人ごみに揉まれるように電車に揺られるのでは、いくら私でもなんの癒しにもならず、かえって気持ちがささくれ立ってきます。
新宿でだいぶ人は下りますが、まだ坐れません。次の渋谷でようやく坐れました。その辺からは、ラッシュとは逆向きになりますから、車内がだいぶ穏やかになってきました。湘南新宿ラインの電車はロングシートの車輌が多いのですが、私は狙ってボックスシート(クロスシート)のある車輌に乗っていましたから、少し旅行気分になります。クロスシートにこだわっていると、時々ロングシートを擁護する意見が寄せられたりするのですが、山手線と同じような座席に坐って旅をしていても、少なくともあまり旅情は感じられません。
私の乗っている列車は快速と称していますが、東海道線に入り、戸塚を過ぎると各駅停車になってしまいます。戸塚以遠も通過運転するのは特別快速ですが、日中しか走っていません。東海道線の快速であるアクティーも日中だけの運転で、要するに朝の時間帯は全駅に停まってゆくしかないということです。
平塚止まりでしたので、後続列車に乗り換えなければなりません。平塚まで行くと乗り換えが別のプラットフォームになるというので、ひと駅前の茅ヶ崎で下りましたが、便意を覚えたので階段を昇って、階上のトイレに寄ったりしていたので、別に平塚まで行っても良かったようです。
後続の熱海行き電車もセミクロスシート(ボックスシートがあり、扉近くは壁に添ったシートが配置されている形の車輌)でしたが、ボックス部分はいっぱいで、扉脇のロング部分に坐らなければなりませんでした。しかしいいあんばいに快晴で、陽光がいっぱいに窓から差し込み、寒さをあまり感じません。雪化粧した富士山もくっきりと見えます。大磯の海岸あたりを走っていると、早くも気分が良くなってきました。
近年、長距離列車がめっきり少なくなりました。普通列車はもとより、特急すらぶつ切れの列車が多くなり、何時間もひとつの列車に揺られているということができづらくなってきました。昔は8時間くらい走り続ける列車はざらにあったのですが、今は2時間乗っていられれば長いほうです。国鉄が分割されてJRになり、他の会社との乗り入れを嫌うようになったという事情もありそうです。
それにしても、かつては日本の大動脈であった東海道本線の、現在の不便さは嘆かわしい限りです。熱海でJR東日本とJR東海が切り替わるので、そこで乗り換えがあるのはまあ良いとしましょう。しかし、そこから米原まではずっとJR東海の管轄です。それなのに、島田で乗り換え、浜松で乗り換え、豊橋で乗り換えと、まったくもって落ち着きません。
もっとげんなりすることに、熱海から豊橋までの199キロ、3時間40分、乗った電車はいずれもオールロングシートです。山手線を3周半するところをご想像いただければ、その苦痛がおわかりと思います。車窓を愉しもうにも首をねじ曲げなければならず、足を投げ出そうにも通行の邪魔になり、ずっと恐縮したような格好で居すくんでいなければなりません。駅弁も食べづらいし、まして(私は飲みませんが)お酒など飲んでいたら住所不定者のごとき趣きになりかねません。ロングシートを擁護する人も居ますけれども、そういう人はたいてい、
──鉄道会社は客の旅情のために列車を走らせているわけじゃない。
とドライな割り切りかたをしているようです。だから「旅情が感じられない」と私などが不満を言っても話が咬み合わないのでした。
豊橋に着いた頃にはさすがにうんざりしました。しかも、神奈川県側からはくっきりと見えていた富士山が、肝心の静岡県側からは、全体としては快晴なのに、富士山にだけ雲がかかって山頂が隠れていました。静岡県内の東海道線の車窓というのは、全体的にさして面白いことも無く、住宅地と田園が繰り返されているばかりで、その中では富士山と浜名湖くらいが取り柄なのですが、富士山が姿を隠していてはテンションが半減します。
島田駅などというところで列車を下りたのははじめてでしたから、それは興味深かったのですけれども、待ち時間はせいぜい10分程度で改札の外へ出るわけにもゆかず、ただ寒風に吹かれながらプラットフォームに突っ立っていただけで終わりました。実際寒くて風も強く、静岡県の温暖なイメージが覆されたみたいな気がしました。
待ち時間といえば、最初の茅ヶ崎駅では上厠する時間がなんとかとれたものの、あとは熱海で7分、島田で10分、浜松で6分(実際には電車が少し遅れたので3分くらい)、豊橋で8分と、運転区間は短いけれども接続だけはきわめて良いのが最近のJRの特徴でもあります。買い物をしたりトイレに行ったりする暇もあまりとれません。この日は、赤羽駅の売店で買ったサンドイッチをひと包み食べただけで、昼食をとる機会がなかなかありませんでした。ようやく豊橋で乗り換えの時に、小さなおむすびを2個ほど買うことができました。
豊橋からはJR東海が力を入れている快速電車ですから快適な旅になります。全車転換式クロスシートで、スピードも充分。この気合いの入れかたが、どうして静岡県内でできないのだろうかと不思議でなりません。名鉄という競合路線が無いからでしょうか。わざと在来線の快適さを減らして新幹線に誘導しようという意思も見えるようです。分割する時、新幹線は別会社にしたほうが良かったのではないでしょうか。
もっともこの日は、豊川の橋梁で強風のため速度規制がおこなわれており、数分遅れて運転していました。名古屋からは関西本線に乗るつもりなのですが、その乗り換え時間がもともと8分しかないので少々心配です。
結局あまり遅れを取り戻せないまま名古屋に着きました。乗り換え時間は4分ほどしかありません。大駅の名古屋で4分の乗り換えは心許なく、着くやいなや私は走り出しました。のんびりしたくて青春18きっぷで出てきたのに、往々にして私は乗り換えで走るというはめに陥ります。
関西線の快速電車は、別に時刻を遅らせることなく発車しました。かなりぎりぎりでした。
関西線を走る快速列車としては、まずディーゼル快速「みえ」があります。これは近鉄の特急電車に対抗すべく、指定席車を備え、単線非電化の紀勢本線を走るにもかかわらず最大限の速度を出せるようにダイヤが組まれています。急行にしてもよいくらいの列車です。
この他に、亀山までの電化区間を走る無名の快速電車があります。四日市までは「みえ」と同じように走りますが、その先は各駅停車になります。これに乗ったわけです。
計画段階では、ここで「みえ」に乗ってさらに先へ進み、紀伊半島をぐるりと廻って行こうかなどとも考えました。新宮あたりのホテルを調べたりもしたのですが、考えてみるとせっかくの紀伊半島が、大半は暗くなってからの移動になりそうでしたので、それもつまらないと思い、関西線で奈良へ直行することにしたのでした。関西線は、名古屋〜亀山、加茂〜JR難波の電化区間は運転本数も多く、典型的な近郊路線ですが、真ん中の亀山〜加茂間は非電化でもちろん単線、1時間に1本程度の短編成の列車が行き来するだけのローカル線です。しかもかつては関西鉄道という私鉄で、国鉄の東海道線と熾烈な競争を繰り広げた輝かしい歴史を持っており、その歴史とのギャップがさらに印象深いのでした。紀伊半島一周という壮大な計画は諦めましたが、これも次善のプランとしてはなかなか良さそうです。
快速電車はわずか2輌という簡易な編成で、大都市名古屋から発車する列車とは思えないほどでした。それゆえけっこう混み合っており、途中駅でもあんまり下車客がおりません。私はぎりぎりに駆け込んだこともあって坐ることができず、桑名でも四日市でも席はあかず、井田川という駅でようやく坐れましたが、なんとその次は終点の亀山でした。昔みたいに長大編成が空気を運んでいるみたいのも良くないとはいえ、もう少し車輌の数を増やしても良いのではないでしょうか。
ところで南四日市駅に着いた頃、なんだか空気がきらきらとしていると思ったら、雪が落ちてきていました。私が今シーズンはじめて見る雪です。鈴鹿山脈を突っ切るわけなので、雪も降ることでしょう。
亀山から単行のディーゼルカーに乗り換え、先へと進むと、雪はもっと激しくなりました。亀山の次に関という駅があり、これはたぶん伊勢の国と伊賀の国の境目の関所だったのだろうと思いますが、その国境とおぼしきあたりはほとんど吹雪いているほどでした。ところが、太陽は顔を見せたままです。
伊賀に入ると雪は止み、青空が再び拡がってきました。しかし外は寒いようで、ディーゼルカーの窓ガラスがみんな曇っています。
その曇った窓ガラスが、やにわに真っ赤に染まりました。新堂という駅でのことです。車内も真っ赤になりました。
素晴らしい夕映えだったのでした。旅をしていると、たまに感動的なほどの夕映えに出会うことがあります。以前飛騨金山という駅で、跨線橋に昇った途端にその色彩の魔術に遭遇して、しばらく感動のあまり動けなくなってしまいました。あたりが本当に赤一色となり、他の色彩がすべて飛んでしまうのです。ふだんの生活の中ではまず経験できません。数分で消えてしまうはかなさも、感動を倍加させます。
この列車に乗って良かった、旅に出てきて良かったと心底思いました。
月ヶ瀬の渓谷のあたりはもうだいぶ暗くなっていてよくわかりません。加茂で乗り換え、18時36分に奈良に到着しました。奈良でどこに寄るということも全然考えていないのですが、とりあえず奈良に宿をとっています。
JR(国鉄)で奈良に来たのは久しぶりのことですが、よくある近郊型の橋上駅になっていたので驚きました。駅舎もさほど特色の無い、ごく普通の駅ビルになっています。
なんだかがっかりしながら、駅を出て少し歩くと、駅前広場に面して、いやに立派な感じの観光案内所がありました。やや離れてみて、
「ああ」
と思わず声を出しました。その観光案内所こそ、もとの奈良駅舎だったのです。駅は改装したものの、いかめしい寺院風の旧駅舎は、取り壊さずに案内所として活用していたのでした。
三条通に面した宿にチェックインしました。直前に予約した安宿ではありますが、ワンフロアの客室数がいやに多くて、エレベーターホールから自分の部屋まで行くのにかなり歩かされます。
併設の食堂で飲食代が2割引になるというクーポンを貰いましたが、宿代が安いわりに、それらの食堂はけっこう高級のようで、2割引してくれても数千円かかりそうでしたので、それは使わないことにして、手提げバッグだけ持って外に出ました。手頃に夕食をとれるところを探したのですが、案外と適当なところがありません。かと言ってガストやサイゼリヤに入るというのもあんまりです。
近鉄奈良駅の近くへ行ったり、またJR奈良駅に舞い戻ったりと、かれこれ1時間近くうろうろしましたが、結局JR駅の構内にあったうどん屋で「まほろばセット」と名前だけは奈良らしいうどん定食を食べました。朝は小さなサンドイッチ、昼は小さなおにぎりで、夜にうどん定食では、どうも炭水化物しか食べていないきらいがありますが、まあやむを得ません。
宿に戻って、風呂に入ったあとは、ひたすら年賀状の宛名書きをしていました。実はけっこう時間のかかる作業で、家にいるとその時間がなかなかとれなさそうだというのも、1日早く出てきた理由のひとつだったのでした。
翌27日は合唱の練習が晩にありますが、それまでは時間があります。奈良見物をしても良いのですが、青春18きっぷを最大活用したい気持ちが強く、さっさと出かけてまた列車に乗り倒すつもりです。 (2012.12.28.)
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