2013年の4月中は忙しかったこともあり、2泊ほどリフレッシュしてくることにしました。 私のような自由業の人間にとって、ゴールデンウィークという、誰もが休みになってあちこちへ出かけだす時期に、一緒になって出かけるほどばかなことはないとも言えるのですが、マダムのスケジュールが案外に世間一般とリンクしていて、まるっきりの平日に泊まりがけの旅行に出たりするのはなかなか難しいことになっています。それでどうしても、一緒に出かけるのはゴールデンウィークとか年末年始、あるいは夏休み中などの、どこへ行っても混む時期になってしまいがちです。 とはいえ、その中でも少しは混雑を避けたい気持ちがあって、ゴールデンウィークの場合、4月30日、5月1〜2日という、一応は平日とされている時に出かけることが、近年は多くなっています。そのあたりはマダムの週単位で決まっている用事も、たいてい休みになっているのでした。今年もまさに、その平日3日間を利用して出かけてきました。
とは言っても、今年の場合、30日に関しては、午後に私の仕事が入っており、その仕事が終わってその足で、マダムと待ち合わせて出発することにしました。
目的地は、これまで2回行ったことのある、山梨県甲斐市の「リフレッシュガーデンクレスト」です。このホテルについては前にも書きましたが、もういちどご説明申し上げますと、本体はスーパー銭湯です。自噴温泉を利用しているのでもちろんれっきとした温泉ではあるのですが、甲府バイパス沿いに建っていることもあって、ぱっと見はまったく都市部のビル型入浴施設そのものです。
スーパー銭湯には、仮眠設備あるいは宿泊施設を伴っているところもありますが、このリフレッシュガーデンクレストには、2フロア分の客室があり、まあビジネスホテル級の宿となっています。この宿泊料金がとても廉価で、宿泊客はもちろんお風呂入り放題です。
あんまり旅行気分にひたるという感じではありませんが、ひたすらに風呂に入って心身を解きほぐすという目的であれば、家からの距離(従って交通費も)、宿泊代、宿泊及び入浴施設のクオリティなど、いずれも非常にお手頃で、3年前の夏に訪ねて以来すっかり気に入って、今回3度目の訪問となったわけです。一昨年の夏にも行きましたが、去年の夏は行くことができなかったため、今年は夏ではなくゴールデンウィーク中にした次第。
最寄り駅は中央本線の竜王で、そこからいつも歩いています。今まで2回は夏休み中ということもあり青春18きっぷを利用し、ただし往復するだけではあまり旨味がないので、初回は身延、2度目は清里に足を伸ばしました。ところが今回は、青春18きっぷの有効期間ではありません。それどころか発売もしていませんので、中央高速バスを使うことにしました。京王・富士急・山梨交通3社の共同運行である新宿〜甲府線の高速バスです。調べてみると、この路線には4枚綴りの回数券というのがあり、それを使うとずいぶん安くなることがわかりました。普通電車で行くよりもさらに安くなるようです。しかもweb上で手配するとさらに割引になります。
web上で回数券を購入し、直ちにその回数券で往復の便をとりました。従って「回数券」の実体は一度も私の目の前に現れず、あくまでweb上の、観念の世界にしか存在しないという不思議なことになっています。最終的な「乗車券」も、A4判の紙にプリントアウトした書き付けに過ぎません。便利な世の中ですが、なんだか味気ない気もします。
それにしてもこの「4枚綴りの」観念上の「回数券」、いろんな路線で発行されているようですので、マダムとふたりで旅行するにはうってつけのようです。マダムはけっこう高速バスが好きな人です。実際驚くほど安く乗れるようなので、これからちょくちょく活用しようかと思います。
30日の夕方、仕事を終えた私は新宿の高速バスターミナルでマダムと落ち合い、富士急の高速バスに乗りました。18時00分発ですので、間もなく陽が落ちます。
中央高速バスは、Chorus STの合宿などの関係で、河口湖線はよく利用するのですが、それより先に行ったことは滅多にありません。昨年末、名古屋から乗ろうとした東名高速バスが満員で、中央道昼特急というのを使わざるを得なかったことがあって、たぶんそれが唯一の経験だったと思います。
去年、途中の笹子トンネルで天井の崩落事故があって、多くの死傷者が出ました。年末に中央道昼特急に乗った日は、翌日からトンネルが片側開通するというその時で、笹子の前後は一般道(国道20号)を迂回し、えらく時間を食いました。
その笹子トンネルに、河口湖方面への道を分けて間もなく突入します。すっかりリニューアルされたとは思うのですが、なんとなく腹の底が冷えるような気がしました。私たちは運転席のすぐ後ろの座席だったので、前方の様子がよく見えました。天井に帯のような金属板がずっと連なっています。あれが落ちたのだろうと思うと落ち着きませんでした。
もちろん何事もなくトンネルを抜け、意外なほど早く甲府の市街地に入りました。むしろ市街地に入ってから時間がかかったようでもあります。
予定より5分ほどの早着で、甲府駅前に到着しました。甲府近くなると下車しかできないので、早着しても構わないのです。
甲府駅で夕食でもとってゆこうかと考えていたのですが、やや時間がかかりそうで、気持ちが焦ります。電車にひと駅乗って竜王へ行ってしまうことにしました。
竜王からはもう馴れた道です。最初はだいぶ遠く感じましたが、3度目ともなると、それほどにも感じません。無事にチェックインを済ませました。
この宿の嬉しいところは、セミダブルルームのコースで申し込んであっても、部屋が空いてさえいればダブルルームを取っておいてくれることです。最初は、私たちの体格(普通よりちょっと大きい)を見て急遽切り替えてくれたのかと思いましたが、そういうわけでもないようです。3回ともダブルルームにしてくれました。
部屋に一旦落ち着いてから、これまたお馴染みになった、近所のスーパーやまとへ出かけました。もうだいぶ遅い時刻であったせいか、16貫入りの寿司セットが半額になっており、それを夕食に充てることにしました。また、リフレッシュガーデンクレストでは、朝食にはパンとコーヒーだけ供されます。追加料金を出して小皿料理などを頼むことは可能なのですが、それも高くつくので、毎回、このスーパーでサラダやソーセージなどを買い込むのが常です。この意味でも、いわゆる「旅行気分」というのとは違うのですが、日常と非日常の微妙なハイブリッドが面白くて、気に入っています。
部屋に戻って寿司を食べてから、階上の風呂に行きました。タオルなどは全部貸してくれるので、手ぶらでOKです。「念のため」と思って自前のフェイスタオル、バスタオルなども持って行ったのですが、結局使いませんでした。
それだけに、入浴施設としては実はけっこう高めです。夜の21時を過ぎると半額になりますが、普通は入浴料1800円だそうですので、うちから行くことのあるいくつかのスーパー銭湯に較べると倍以上です(ただし近所の風呂ではタオルなどを借りるのは有料なので、まったく同じ条件を課せば倍にはなりませんが)。
宿泊料からこの入浴料を引くと、ほとんど宿屋とは思えない金額となります。よくこれでやってゆけると驚くほどです。スーパー銭湯が本体で、ホテルは副業のサービスであるというゆえんがここにあります。
特に気に入っているのが、屋上にあるワイン風呂と薬草風呂です。そもそも、マダムがワイン風呂に入りたいと言い出したのが、ここを見つけたきっかけでした。webで探す限り、他には石和温泉の某旅館があるばかりで、ひとり1泊2万円くらいします。いかにリフレッシュガーデンがリーズナブルであるかがわかろうというものです。
もちろんワインをどぼどぼ注ぎ込んでいるわけではなく、ワインを搾る時に出る皮を乾燥させ粉末化したものを入浴剤として入れているだけですが、ブドウの色と香りは充分にしますし、ポリフェノールなどの有効成分はむしろ皮に多量に含まれています。
薬草風呂のほうは、ウコン、陳皮、独活などの薬草が日替わりで入っていて、漬かっているうちにからだにしみこんでくるのがわかるような気がするほどです。
サウナ、ジャグジーなど普通の風呂屋にもあるような設備もありますが、私が繰り返し入って飽きないのはこの2種類でした。
5月1日(水)は滞在中日です。中日にはバスや電車で近場に遊びに行くことが多いのですが、今回は宿から歩いてゆける範囲だけにしました。午前中は附属のジムで少し運動をしたのちまたひと風呂浴びて、まずは昼食を食べに出ました。風呂場のフロントに、近くの食堂の割引券があったので、その店に行きました。「鶯谷食堂」「江戸川台食堂」など、店舗ごとに「○○食堂」と違った名前がついているものの実はチェーン店であるという、カフェテリア式の一膳めし屋でしたが、マダムは以前からこのチェーンのファンで、むしろ喜んでいました。
腹ごなしに少し足を伸ばし、釜無川の信玄堤を見に行きました。小学校の社会科の授業の時から名前だけは知っていましたが、実際に見たのははじめてのことでした。武田信玄が築いたと言われる堤防ですが、実際には同時代に、あちこちで似たものが作られていたようです。
信玄堤のポイントは、単に土手を盛り上げたというだけではなくて、合わせて遊水池をいくつも設置しておくというところにあるのでした。つまり、増水した際には無理に水を防ごうとせずに、むしろ水に土手を越えさせて、その遊水池に導き入れるという発想が非凡なのです。こうすることで流路を分散させると、電球の並列つなぎと同様、流れの勢いが小さくなります。
現代の治水は、岸をコンクリートで固め、高い土手を盛り上げて、とにかく水を越えさせないように作っています。なんだか戦国時代より発想が古くさいことになっているような気がします。
信玄堤から一旦竜王駅へ行き、いつもと違う裏道を通ってみたりして宿へ戻ります。途中、マダムが前から入りたいと言っていた喫茶店でひと休みしたり、宿近くの山縣(やまがた)神社に参拝したりしました。
山縣というのは甲斐では由々しき姓で、武田信玄の懐刀のような武将にも山縣昌景(まさかげ)という人物が居ました。山縣神社というのはその山縣氏にゆかりの神社であろうかと思っていましたが、まったく見当はずれではないものの、少し違うようでした。
昌景の子孫に、山縣大弐(だいに)という人物が居り、江戸時代中期に、かなり急進的な平等思想を説きました。士農工商というのが階級の差別ではなく、社会的な機能の違いによる身分に過ぎないというのは大弐先生が最初に唱えた考えです。福澤諭吉の「学問ノス丶メ」に引く「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」よりも百年以上前にこれだけのことを言っていた学者が居たとは驚きですね。多くの弟子に慕われましたが、幕府批判の本を書いた咎で処刑されました。山縣神社は、この大弐先生を顕彰してのちの人が開いた神社なのでした。
一旦宿に戻ってまたひと風呂浴びてから、夕食をとりに出かけ、そのあと予約していたタイ式マッサージを受けました。スーパーやまとにももういちど足を向け、この日は結局、宿の周辺を散歩したに過ぎないわりには10キロくらい歩いたことになります。足がだいぶ痛くなっていて、マッサージが非常に効きました。
2日(木)は最終日ですが、風呂が10時まで入れないので、今まで2回は最終日に入浴せずに出立せざるを得ませんでした。今回はゆっくりできるよう、予定を入れず、帰りのバスは16時という時刻の便をとっていました。
最後の入浴を愉しみ、制限時刻ぎりぎりの11時にチェックアウトしました。県立美術館前のほうとう屋「小作」に寄るため、竜王駅とは反対のほうに歩き出したら、行く手に富士山が鮮やかにそびえているのが見えました。こんなにきれいに見える場所であったとはいままで知りませんでした。富士山にしろ南アルプスの連峰にしろ、前の2回は真夏であったためにわりと地味であったかもしれません。今回はまだ冠雪しており、山々が実に神々しく見えました。
ほうとうを食べてから路線バスで甲府駅に出ました。帰りの高速バスまではまだ3時間近くあります。その時間、マダムの希望で、あるパン屋を探すことにしました。15年以上前、マダムは友人の歌い手の伴奏のために甲府を訪れたことがあり、その友人の実家に泊まったそうです。その実家が老舗のパン屋であったとかで、友人の伴奏をした県民ホールの前をバスで通るたびその話をしていたのですが、今回、そのパン屋に行ってみたいと言い出したのでした。
探すと言っても、おそらくそこであろうと思われる住所はマダムが調べてありました。その友人とはその後疎遠になってしまったようで確かめることができなかったのですが、ネットで甲府のパン屋を検索し、大量のデータの中から条件に合うのを絞り込んだわけです。まず間違いないと思われるものの、絶対とは言い切れないという感じであったようです。
身延線の電車に10分足らず乗って、南甲府駅で下りました。身延線はしばらく中央本線に沿って善光寺まで行き、そこからぐるりと半回転するように向きを変えて南甲府に達するので、甲府から南甲府は直線距離だと大してありません。ただ歩くには少し遠いようでしたし、バスもどこ行きに乗ればよいのかわからなかったので、確実な電車を使ったのでした。
マダムの調べた住所をもとに、伊勢通りへ出て少し歩くと、ほどなく目当てのパン屋が見つかりましたが、マダムは
「なんか違うような気がする」
などと言い出しました。パン屋の後ろ側が住居になっているので、そちらの戸口などに表札でもないかと侵入してみましたが、ありません。表側に戻ってきてガラス戸の中をのぞき込んでいたマダムが、
「あっ、彼女にそっくり。間違いない」
と叫びました。年配のご婦人が店頭に出てきたところでした。
店に入ってマダムが友人の名前を言い、旧姓を名乗ると、相手は急に
「ああ、ああ」
と大声を上げました。マダムの伴奏で娘さんが演奏をしたことを思い出したようです。
少し上がってお茶でも飲んで行かないかと誘われましたが、バスの時間があるのでそうもゆきません。マダムがそう言うと、お母さんは駅まで配達用のクルマで送ってくれると言い出しました。なんだかかえって恐縮です。
せっかくパン屋を探し当てたわけなので、いくつかパンを買ってゆこうと思い、トレーに取り始めたら、お母さんが戻ってきて、私たちが取ったパンに加えていくつものパンを適当に袋に詰め、お土産として渡してくれました。
「いや、お金は払いますよ」
私は言いましたが、まるで受け付けてくれません。ますます恐縮してしまいました。
駅まで送って貰い、そのパン屋さんの親戚がやっているという駅近くの喫茶店でお茶を飲んでから帰途につきました。なんとも妙な旅でした。
帰りのバスは、都内に入ってからしばらく渋滞して、予定より25分ほど遅れて新宿に到着しました。残念ながら、定時性ということでは高速バスは鉄道に大きく譲ります。それでも、連休後半に入る前だったということで、その程度で済んで幸いだったと言うべきでしょう。
心身はリフレッシュしましたが、「フィガロの結婚」のパート譜作りが、まだ少し残っています。出かける前に終わらせたかったのですが、無理でした。帰宅してすぐに作業再開で、せっかくリフレッシュしたのがまた少しくたびれそうです。
(2013.5.2.)
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