II
ローカル私鉄に乗る旅の1日目は銚子で泊まり、翌8月13日(火)の朝は5時に起きました。朝のうちに、銚子電鉄に乗ってきたいと考えたのでした。わずかに全長6.4キロしかないミニ私鉄で、全線通して乗ってもせいぜい20分です。初電である5時35分発に乗り、終点・外川(とかわ)から海沿いを散歩してひとつ手前の犬吠(いぬぼう)まで歩き、戻ってきても、まだ朝食をとってチェックアウトする暇は充分にあります。 あわよくば、海辺に出たあたりで日の出を拝めないかと思ったのですが、それは夏の朝の早さを舐めた考えでした。5時に起きて身支度しているあいだに、東に向いた部屋の窓から、朝日が差し込んできたのでした。しかもすでにもうかなりの高度に達しています。あかあかと照り映える朝日は、この日も暑くなりそうであることを予感させました。 もっとも、外へ出てみると、案外としのぎやすい気温であるようでした。前夜も陽が落ちてしまうと私の家の附近よりも楽な感じで、海風のおかげなのか、それとも家のあたりが温室効果の影響下にあるのか、よくわかりません。 銚子駅の自動券売機には、銚子電鉄の切符も発券できるようになっているのですが、私は「1日乗車券」を買いたいと思いました。これは1日フリーパスになる切符なのですけれども、銚子から外川もしくは犬吠までの往復運賃と同じ620円で、つまり往復しさえすれば元が取れるというお得なものなのでした。前日の「房総横断乗車券」と同じく、こういう企画切符はJRと共用の券売機では買えないようです。
改札で「銚電に乗ります」と声をかけて無札でプラットフォームへ。銚子電鉄の乗り場は2・3番プラットフォームの尖端にあります。
前に乗りに来た時は、銀座線のお下がりの単行車輌でしたが、今回停まっていたのは、京王線のお下がりらしい2輌連結の電車でした。夏休みなので、お客がけっこう多いため、2輌にしてあるのでしょう。
しかし、5時35分発の初電には、私たちの他には乗客が居ません。完全に貸し切り状態でした。
運転士に1日乗車券を求めると、
「いまはどこまで乗られますか」
と問い返されました。
「まずは外川まで行きますけど」
「じゃあ、外川に着いたらお渡ししますよ。いまはここに持ってないもんで」
銚子電鉄に乗るのは、私は5年ぶり3回目ですし、マダムも数年前に乗ったことがあるそうです。前項で触れた、マダムの入っている合唱団の遠足でのことで、この合唱団は時々千葉県内を日帰りバス旅行しています。行き先が千葉県内に限るのは、マダムの出身大学の卒業生のうち、千葉県在住者のみによって結成された合唱団だからで、「わが県をもっと知ろう」というのがコンセプトらしいのでした。マダムは現在は私と同じく埼玉県民ですが、結婚前は千葉県内の実家に住んでおり、いまだにその合唱団に属しているわけです。
バス旅行ではあるのですが、その行程の中で鉄道に乗るというイベントが含まれることがあって、いすみ鉄道にも銚子電鉄にも全線乗ったそうです。空っぽのバスは終点に先回りして待っているわけですが、なんだか無駄なような、しかし妙に楽しそうな遠足です。
ふたりとも比較的近年乗っているのですから、今回は銚子電鉄を割愛しても良かったのですけれども、やはりローカル私鉄に乗りにきた以上、銚子まで訪れて銚子電鉄を無視するのは仁義に反するような気がしました。
途中で乗ってくる人も居らず、私たちふたりだけの貸し切り状態で外川に到着します。
「券は、そこの窓口で買ってください」
と運転士に言われました。外川駅の駅舎には窓口があり、そこにはすでに女性駅員(委託かもしれませんが)が詰めています。しかし、私たちが声をかけなかったら駅員はこちらに気がつかなかったでしょう。そうすると、運賃を払わずにこっそりと逃げ出すことだって、そう難しくはなかったはずです。このあたりのいい加減さというかアバウトさというか、少々あきれながらも、これこそローカル私鉄の魅力でもあるなあ、とうなづいてしまいました。
1日乗車券は、15センチ角の正方形に近いような厚紙でできており、日付を黒々と捺した乗車券部分の他、簡単なイラストマップ、それからいくつかの施設の割引券などが印刷されていました。割引券の部分はミシン目が入っており、使う時に切り離すようになっています。残念ながらそれらの施設はこんな早朝にはひとつも開いておらず、使うことはできないのですが、上記のとおり往復運賃と同じ値段の切符ですから、損にはなりません。
外川駅からまっすぐ坂を下りてゆくと海辺に出ます。前にひとりで来た時は、長崎の集落をぐるりと廻って、犬吠埼まで遊歩道を歩いたのですが、今回はそこまでの時間は無く、またマダムの靴が新品であるせいか少し歩きづらそうです。それで車道を通って、わりに高い位置から海を眺めつつ、犬吠駅まで歩きました。
朝の散歩はやはり気分が良いものです。マダムも私も、普通の勤め人などに較べると日常のサイクルが2時間くらいあとにずれており、当然のごとく朝は寝坊することが多いのですが、それだけにたまに早起きしてみると、いやに新鮮な気分になります。
気温はまださほど上がっていませんでしたが、湿気はあり、案外とアップダウンの激しい道でもあって、犬吠駅に着く頃にはやっぱり汗ばんでいました。
犬吠駅には売店があって、濡れ煎餅などを売っています。銚子電鉄の濡れ煎餅といえばもう有名です。利用者の減少から深刻な経営難に陥り、廃業さえ考えた銚子電鉄が、起死回生の手段として売り出したのが、銚子名物の醤油を活かした濡れ煎餅の販売でした。口コミで評判が拡がり、観光客のみならず全国から注文が寄せられるようになって、銚子電鉄は危機を脱したのでした。ミニ私鉄だけに、こんな小さなことでも劇的に効果があったのです。いまや濡れ煎餅の売り上げは、鉄道事業による収益の実に3倍に及び、鉄道会社の副業というよりも、「煎餅屋が電車を走らせている」みたいな様相になってきています。
そんな大繁盛ですから、銚子電鉄の濡れ煎餅自体はあちこちで入手できます。銚子駅の売店などでも売っています。しかし、犬吠駅売店では、正規商品にならない半端ものの濡れ煎餅を袋詰めにして売っており、こればかりは他ではなかなか手に入りません。私はこれが好きなのですが、残念なことに売店が開くのは10時です。しんと静まりかえった駅舎を抜けてプラットフォームに出て、戻りの電車で銚子に帰りました。
銚子駅近辺で朝食を済ませようと思ったのですが、マクドナルドくらいしか見当たりません。ここへ来て朝マックというのもなんとなく悲しいものがあり、仕方なくコンビニでパンやのりまきなどを買ってホテルへ戻り、部屋で食べました。
一旦部屋へ戻ったので、シャワーなども浴びることができ、着替えてさっぱりした気分でチェックアウトしました。9時17分の成田線電車で銚子をあとにします。
成田線には下総豊里、下総橘、下総神崎など、「下総」を冠した駅名が目立ちます。この路線の他には、総武本線近郊区間の下総中山しか無いので、銚子に近いほどのあたりに「下総○○」がたくさんあると、なんだか不思議な気がします。
群馬県=上野国、栃木県=下野国などのように、旧分国がそのまま一県になっているところはわかりやすいのですが、千葉県には下総・上総・安房の三国が含まれており、しかもそれぞれの国境が川や山脈などで区切られているわけではなく、あまり明確ではないため、どの辺がどこに属するのかがなかなかわかりづらいきらいがあります。
千葉県は普通に南北に輪切りにして、北側から下総・上総・安房と名付けられているものですから、茨城県との境目近くを走る成田線に「下総○○」が多いのは当然なのでした。前の日に房総半島を横断した、小湊鐵道やいすみ鉄道が走っているあたりを中心とした地域が上総、その南側のわりと山深い地域から先が安房という形になります。
千葉県と茨城県との境目は、現在ではほぼ利根川になっています。利根川は江戸初期までは東京湾に流れ込んでいて、17世紀末〜18世紀初頭頃に現在の銚子河口に付け替えられました。これだけ大きな川の流路を変えるのは、現在の土木技術をもってしても容易なことではなさそうに思えます。
佐原出身の伊能忠敬が、測量術を志して50歳を過ぎてから猛勉強にはげみ、ついに前人未踏の日本地図を完成させてしまったというのは、感動的な話ですが、そのあたりには利根川の付け替え工事に由来する土木工学や測量術の伝統が、もともと濃厚にあったのではないでしょうか。そういう空気があったからこそ、忠敬は老後の道楽として測量の勉強を選び、勉強してみると面白くなってのめりこみ、とうとう日本縦断測量の旅に出かけてしまったのではないかと私は推察します。
その佐原で電車を下りました。ここは下総の小京都と称されている街で、忠敬の生家その他見どころも多く、歩いてみると面白そうなのですが、ここで下りた理由は鹿島線の電車を待つためです。成田線と鹿島線の分岐駅は佐原からひとつ銚子寄りの香取ですが、以前香取で乗り換えて、駅前になんにも無いことを知っていたので、佐原まで出てきた次第です。
千葉県内の鉄道運行というのは、東京から総武線・成田線・内房線・外房線などの各方面へ向かう、あるいは各方面から東京へ向かうルート上の接続は大変便利にできているのですが、各線相互の移動のことはあまり考えられていません。例えば前の日の東金線などが良い例で、外房線の下り列車から東金線、あるいは東金線から外房線の上り列車であれば、待ち時間も少なく、良好な接続で乗り換えられます。しかし私たちがやったように外房線上り列車から東金線という乗り換えは、どうにも不便な場合が多いのでした。
同様に、成田線上り列車から鹿島線というのも、どの時間帯を見ても接続が悪く、香取駅では50分近く待たされるのが常です。佐原まで出れば40分程度になりますが、それにしても便が悪いこと甚だしいものがあります。
佐原の街の見どころの多くは、駅から少し離れており、短い散策ルートでも2時間くらいは要するようですから、40分では見物まではできません。駅前を少しぶらついて、すぐに戻りました。そもそも暑くて、長くぶらついてもおれず、すぐ駅に戻りたくなるのでした。
10時49分の鹿島線電車に乗ります。利根川橋梁、それに北浦橋梁という、ローカル線には過ぎた規模の長大橋を渡って、17分で終点の鹿島神宮に到着。プラットフォームの反対側に停まっている鹿島臨海鉄道のディーゼルカーに乗り換えると、すぐに発車となります。
鹿島臨海鉄道は私は何度も乗ったことがあるのですが、臨海鉄道という名称にもかかわらず、車窓から海が見えるところがまったくありません。もともと国鉄鹿島線の延長として建設された路線が、国鉄改革に際して切り捨てられかけたところを、鹿島臨海工業地帯の便宜のため貨物線主体で営業していた鹿島臨海鉄道が、同社の大洗鹿島線として経営を引き受けたという経緯ですから、看板に偽りありと責めてみても仕方がないのでした。
ちなみに、大洗鹿島線を引き受けるまでの鹿島臨海鉄道にも、旅客列車は走っていました。ただし、日にわずか3往復という、ほとんどやる気のない旅客営業で、駅に下りても工場以外なんにもありませんでした。鹿島臨海鉄道は成田空港への燃油輸送をしていたので、反対派の批判をかわすために申し訳程度に旅客列車を走らせていただけで、そもそも本意ではなく、「乗れるものなら乗ってみろ」と言わんばかりのダイヤになっていたのも、何やら役所とか空港反対派に対する無言の抗議だったかのように感じられないでもありません。当然、利用客もほとんど居らず、大洗鹿島線を引き受けることが決まった途端に、嬉々として──としか思われません──それまでの旅客列車を廃止してしまいました。
大洗鹿島線は53キロに及ぶかなり長い路線で、最初の頃は快速列車なども走っていたのですが、いまでは全列車が各駅停車となっています。
海も見えず、さして楽しい車窓というわけでもないので、朝が早かったせいもあり、しばしば睡魔が襲ってきました。
ただ車内で少し気になったのは、わりに外国人の乗客が多かったのと、地元以外と思われる乗客が目立ったことでした。
「いちどは途中下車する」というのが今回のローカル私鉄めぐりの縛りになっていましたが、鹿島臨海鉄道では大洗で下車しました。ちょうど昼食の頃合いでしたし、大洗からは終点の水戸までの区間運転が多いという、それだけの理由です。
ところが、大洗での下車客がやたらと多かったので驚きました。上記の、地元以外と思われる乗客の大半がここで下りました。まるで大観光地でもあるかのようです。
大洗には海水浴場がありますし、アクアワールドという大きな水族館もあります。しかし下車客の大半は、そういう、いわばファミリー向けのレジャーのために訪れたとは思えないような様子でした。単独客にしろグループ客にしろ、男がほとんどです。
大洗で一体何が起こっているのか。実は私には最初から見当がついていたのですが、プラットフォームから階段を下ってみると、一目瞭然でした。
(2013.8.14.)
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