猛暑のローカル私鉄の旅 (2013.8.12.〜13.)

I

 テレビの旅番組などでローカル私鉄の面白さに目覚めてしまったらしきマダムを、実際にローカル私鉄に乗せてやろうと思い、2013年8月12日・13日に出かけてきました。
 とはいえローカル私鉄に乗るためには、その起点まで行くのがまた大変だったりします。また、行き止まり型の路線の場合、終点に着いた列車が数分後にすぐ折り返し、次の便は当分来ないなどということも多く、「効率良い乗り潰し」と「路線を愉しむこと」がなかなか両立しない場合があります。
 私ひとりだったら、とにかく効率重視でたくさん乗ることを主眼としてしまうのですが、マダムとしては列車に乗ることもさることながら、旅番組でよくやっているように沿線の街を歩いてみるということもしたいようです。
 そこで、ひとつ「縛り」を設けました。どの路線でも、必ずいちど途中下車するという条件です。都会の路線と違って数分とか十数分とかおきにどんどん列車が来るというところではありませんので、これは行程を考える上でかなりきつい縛りになりましたが、それでも2日間かけて、6路線のローカル私鉄に乗って参りました。必ずいちど途中下車という条件をつけたわりには、なかなか頑張ったと思います。

 12日(月)の朝9時に家を出ました。川口駅から京浜東北線の電車に乗ります。普段だったら、平日の朝ですから、9時台と言ってもまだけっこう混んでいるのですが、お盆前とあって心なしかすいているようでした。とはいえ、ふたりとも坐れるほどではありません。マダムはなんとか空席を見つけて坐りましたが、私は立ったまま秋葉原まで行きました。
 この日は高知四万十市でそれまでの観測史上日本最高気温をマークした日で、首都圏も朝から異様に暑く、出かける準備をして駅まで歩いただけで、着ているTシャツがびしょ濡れになってしまっていました。電車の冷房である程度乾いたものの、秋葉原で総武線の電車に乗り換えるべく階段を昇るとまた汗が噴き出しました。
 今回は、まず内房線五井から出ている小湊鐵道に乗る予定で、当初は錦糸町で、内房線に直通する快速電車に乗り継ぐつもりだったのですが、それに乗ると五井での接続時間が少々心許なかったため、その快速電車よりも早めに錦糸町に到着しています。直通の快速が来る前に、快速が2本あり、最初に来るのは津田沼止まりでした。その次は外房線直通の上総一ノ宮行きです。
 津田沼止まりに乗っても、どうせ津田沼で次の上総一ノ宮行きを待つことになるので、錦糸町で待とうかとも思ったのですが、何しろ暑くて、じっとプラットフォームで待っているだけでもしんどいほどです。それで入ってきた津田沼止まりにすぐ乗ってしまいました。
 途中止まりだけあって、ガラガラにすいており、ようやくひと息つく気分になりました。津田沼で待った次の上総一ノ宮行きは、遠方までゆくために乗客が多く、千葉まで坐れませんでした。たぶん錦糸町で待って乗っても坐れなかったでしょう。乗車は小間切れになりましたが、津田沼行きに乗ってしまって良かったと思いました。
 千葉で内房線の各駅停車に乗り換えます。当初予定していた直通快速のひとつ前の電車になります。内房線の快速電車は、昔は千葉を出ると次は五井まで無停車という時代もあったのですが、年を追うごとに停車駅が増え、今や千葉以遠は木更津の手前の巌根を通過するだけで、ほとんど各駅停車になってしまっています。従って、後続が快速電車だからと言って、五井までに時間を詰められるということもありません。千葉で稼いだ時間の分、そのまま五井での間隔になるのでした。
 五井に10時50分到着。ここで小湊鐵道に乗り換えるにあたって、「房総横断乗車券」なる切符を買うことにしています。

 小湊鐵道の終点である上総中野は、またいすみ鉄道の終点でもあります。本来、小湊鐵道は五井と外房の安房小湊を結ぶ予定の路線で、それだから沿線に見当たらない「小湊」の社名を名乗っているわけです。またいすみ鉄道の前身である国鉄木原線は、その名の通り更津と大を結ぶ予定で建設されました。ところが、どちらも資金難に陥り、両者が交差する予定だった上総中野まで達したところで続行を断念してしまったのです。「五井から安房小湊まで嫁を迎えにゆくつもりだった男と、大原から木更津に嫁に行くつもりだった娘が、途中で路銀を使い果たし、出逢った上総中野で仕方なく一緒になってしまった」としゃれたたとえを言った人もあります。
 一緒になったものの、このふたりの「夫婦仲」はあまり芳しくありません。どうせ線路がつながったのだから、五井から大原まで直通すれば良さそうなものなのに、それをやらないどころか、接続駅である上総中野ではわざわざ直通が不可能な配線にしてあるのです。小湊鐵道側も、いすみ鉄道側も、それぞれに線路を断ち切って車止標を立てています。非常時の車輌融通用の側線だけはつながっていますが、この側線にはプラットフォームが無いのでお客を通すわけにはゆきません。どちらも非電化、レール幅(軌間)も同一、どちらも経営難という共通点があるので、手を結んで頑張れば良いのですが……
 片方が国鉄であった頃は直通もやりづらかったかもしれませんが、木原線が第三セクターのいすみ鉄道になってやりやすくなったと思われたのに、小湊鐵道側はかえって上総中野まで行く列車を減らしてしまいました。今や、平日は一日4便、土休日も6便という貧弱な状態です。
 そんな不仲な「夫婦」ですが、近年になってちょっとだけ共同作業をおこなうことにしたようです。それが「房総横断乗車券」の発売です。
 この切符は、小湊鐵道側からでもいすみ鉄道側からでも買うことができ、五井側からは大原側へ、大原側からは五井側へ、どんどん前進する限りにおいては途中下車自由という面白い企画切符なのでした。どの駅でも乗り降りできますが、今まで通ってきた道を引き返すことはできません。ちょうど房総半島の半ばを横断するような形になるので「房総横断乗車券」と呼びます。小湊鐵道を全線片道で買うと1370円、いすみ鉄道は700円、そしてこの横断乗車券は1600円ですから、途中下車自由ということを考えると相当にお得な切符と言えます。
 企画切符なので、もしかして買うのに手間取るかもしれないと思って、五井での乗り換え時間を多くとりたかったのでした。五井までの切符を出して一旦改札を出ます。改札外の自動券売機では小湊鐵道の切符を買えるようでしたが、普通乗車券だけで、企画切符の表示はありません。
 窓口で聞いてみると、改札内の小湊鐵道への乗り換え口のところで買えるとのこと。駅員に声をかけて改札を無札で通り、乗り換え口のほうへ行くと、なるほど小湊鐵道だけの券売機が2台並んでおり、そこに「房総横断乗車券」のボタンもついていました。
 私たちのうしろから来たカップルも、「どちらまで?」という駅員の問いかけに
 「あっ、房総横断乗車券を……」
 と答えていました。なかなかの人気のようです。
 プラットフォームに下りると、小湊鐵道の単行ディーゼルカーはすでに入線していました。乗客もかなり多く、私たちは隅のほうに2つ並びの空席を見つけて、かろうじて坐りました。
 車内は蒸し蒸しして、どうも冷房が利いていないようです。かなり年代物のディーゼルカーとはいえ冷房がついていないわけでは無さそうなのですが、もしかしたら走り出さないと冷房が起動しないのだろうかと首を傾げました。そのうち、女性の車掌が
 「冷房が動きませんので」
 と言ってそこらの窓を開け始めました。車内にはがっかりした空気が流れましたが、真夏の列車で、窓をいっぱいに開けて外の風を感じるというのは、ほんの少し前まではごく普通のことで、私などはかえってノスタルジーを感じてしまいました。小湊鐵道は車輌も古くレールも細く、さほどのスピードも出せませんが、それでも走り出して窓から吹き込む風はさわやかなものでした。私は朝から汗だくになっては列車の冷房で乾かすということを繰り返してきたため、五井に着く前くらいにはむしろ冷房が寒く感じられ、このままでは風邪をひくのではないかとおそれていたため、自然の風にあおられてかえって気持ちが良くなりました。

 さて、11時05分に五井を出たこのディーゼルカーは、終点・上総中野まではゆかず、養老渓谷止まりです。養老渓谷は上総中野のひとつだけ手前の駅で、小湊鐵道にはこの養老渓谷発着の列車がけっこうあるのでした。たったひと駅なのだから、終点まで行けよと思うのですが、こまめに乗客の動向を調査した結果でしょうからやむを得ません。
 上総中野まで行くには、約1時間半後の便に乗る必要があります。何しろ1日4便ですので選択肢は限られます。
 しかし、今回のローカル私鉄めぐりの縛り、「必ずいちどは途中下車する」という条件には好都合です。養老渓谷まで行って、そこで1時間半を過ごし、次の便を待って上総中野まで達するというプランにしてありました。
 過去、やはり区間運転の終着駅である上総牛久で途中下車したことはありますが、養老渓谷では下りたことがありません。千葉県では数少ない温泉場のひとつで、駅から少し離れた場所(送迎バスが出る程度の距離)に温泉宿がいくつかあります。駅周辺の様子は知りませんが、時間的には昼食時なので、そのあたりで食事をしたいと思います。また、駅前に足湯の施設があるという情報を仕入れました。マダムは足湯が大好きなので、喜んで貰えるでしょう。
 五井を出た列車は、2つめの海士有木(あまありき)から上総鶴舞あたりまでは国道297号と並行します。当方がトップスピードに入ると、併走している自動車をかろうじて追い抜くのですが、駅に停まって抜かされるという繰り返しでした。しかし、国道を走る自動車が先へゆくにつれ過密になり、これは渋滞しているんではないかと思われるような車間距離と走行速度になってきました。こんなに房総半島を横断したい人が多かったのかと驚くばかりです。
 鶴舞を過ぎると、車窓は俄然田舎びてきます。五井を出る時は立ち客も居たほどであった車内は、駅ごとに客が下り、だいぶガランとしてきました。
 養老渓谷着、12時09分。約1時間の旅でした。駅には、折り返しの列車に乗る団体客とおぼしき一団が居て、かなりごった返していました。
 さて、食事ができるような店があるかどうかと見回しましたが、どうにもひなびた駅前で、ただひとつできそうな「喫茶」の表示がある店は、営業しているのかしていないのか、ほとんどのシャッターを閉め切っているような有様です。
 コンビニエンスストア様の、食料品店兼雑貨屋みたいなのが2軒ありましたが、他には飲食店らしきものはありません。仕方なく、その食料品店兼雑貨店で弁当でも買おうと思ったら、それすら全然無いのでした。片方の店などは「日替わり弁当」のポスターまで出しておきながらそのていたらくです。どうもその「日替わり弁当」は、予約でもしておかないと買うことができないようでした。
 「予約しておけば良かったのに」
 とマダムが言いましたが、まさかこの駅前にこれほど何も無いとは思わなかったし、予約弁当ができるということもここに来てはじめて知ったことですから、どうしようもありません。
 やむなく、惣菜パンのようなものをいくつか買って、駅前の休憩所みたいなところで食べることにしました。列車の到着を待つ客がくつろげるよう、いくつかテーブルと椅子が置いてあるのです。
 チープな食事を済ませてから、足湯に漬かりにゆきました。使用料は170円となっているのですが、列車の切符を持っている人、それから駅前駐車場を利用している人は無料です。それ以外の人がここに立ち寄ることなどあるのだろうかと不思議な気もします。木の清潔な浴槽に、少し褐色をおびたお湯が張られていました。かなり高温であるようですが、漬かっているうちに気持ちよくなってきます。
 まだ今回の旅をはじめたばかりであるところが残念なほどで、何時間かハイキングしてきたあとなどだったらこたえられない気分でしょう。
 時間がたっぷりあるので、20分以上もずっと漬かっていました。足だけではなくて全身がほかほかしてきます。冬だったら極楽気分でしょうが、あいにくと真夏なので、また汗がだらだらと流れてきます。足湯から上がったあと、マダムは駅前のトイレへ行って着替えを済ませてきました。私も着替えたいところですが、マダムより持ってきている服の数が少ないので、もう少しだけ辛抱することにします。

 のんびりした時間というか、いささか手持ちぶさたな1時間半を過ごして、13時36分、ようやく後続の上総中野ゆきが到着しました。今度の車輌は冷房が入っていたようですが、わずか6分で終点に着いてしまいます。
 上総中野の駅には、駅舎はありますが、切符は売っていません。小湊鐵道の券売機もいすみ鉄道の券売機も無く、窓口も無いのでした。前にここで乗り継ごうとした時には途方に暮れたものです。どちらの列車も、乗車してから運賃を払うシステムになっています。
 いすみ鉄道の列車は18分後の14時00分ちょうどの発車です。この時間では駅からそう離れるわけにもゆきません。ただマダムが化粧用のパフを欲しがっていたので、薬局か化粧品店が近くに無いかと思い、少しだけ探してみました。しかし、結局らちはあきませんでした。
 いすみ鉄道での途中下車駅は、国吉駅ということにしてありました。ここにはムーミンショップがあり、駅全体がムーミンへのこだわりを持っていると聞いたので、興味を覚えたのです。前にひとりで乗った時には、まだそんなことはありませんでした。最近の話のようです。
 が、マダムはいすみ鉄道に関してだけは私より詳しかったのでした。つい2ヶ月ほど前に、所属している合唱団の遠足の途上で全線に乗ったばかりであり、去年だったか自分の両親およびその飼い犬とこの周辺を訪れて、国吉駅にも寄り、大多喜の城址にも行ったそうです。そのマダムの報告によると、途中下車する価値があるのは大多喜と国吉だけであるものの、国吉ははっきり言ってショップがあるだけであり、別にムーミンのテーマパークみたいになっているわけではないこと、大多喜城は天守閣が復元されていて一見の価値があるとのことでした。だからマダムとしては大多喜で下車するほうが良いという意見だったようですが、お城は山の上にあって、この猛暑の中登ってゆく気がしません。それに1時間ばかりの途中下車では、登城してもすぐに帰らなければならないでしょう。それで大多喜城は車窓から眺めるだけにして、予定どおり国吉で下車することにしました。
 なお、大多喜城というのは徳川家康配下の猛将・本多忠勝が領していたところです。そのせいか、「本多忠勝・忠朝父子を大河ドラマに!」という幟が、さっきの養老渓谷駅周辺あたりからあちこちに立っていました。うっかりすると
 「え、本多忠勝が大河ドラマになるの?」
 と驚いてしまいそうですが、単なる誘致のスローガンに過ぎません。
 私が思うに、本多忠勝は確かに知勇にすぐれた武将で、「家康に過ぎたるものがふたつあり、唐の兜と本多平八」と謳われたほどでしたが、やはり所詮は家康の手足であったに過ぎず、一年間の大河ドラマを充実させるほどの深みには乏しいのではないでしょうか。せめて家康の軍師的存在であったとでも言うのなら「風林火山」山本勘助くらいには扱えるでしょうが、そうではなくあくまで戦闘の一部分をあずかるだけの部将で、しかも主君である家康には心服しきっていて疑問を抱いたりした形跡もありませんから、長篇ドラマの主人公になるだけの人格の拡がりは感じられません。むしろ同じ本多一族の本多正信あたりのほうが、みんなから嫌われながらも知謀を傾けて主君に尽くすという、人間性の彫琢が興味深いように思えますが、残念ながら大多喜城とはなんの関係もありません。
 大多喜城は、上総中野側から列車に乗っていると、大多喜駅を過ぎたあたりで左後方あたりに眺めることができます。また大多喜の次の駅が城見ヶ丘で、たぶん大多喜城がよく見える丘などが近くにあるのでしょう。

 国吉着14時35分。ここで途中下車しました。後続の列車は15時46分、約70分後です。
 駅舎に併設されたムーミンショップは、確かに15分もあれば見物し終えてしまいます。国吉駅には「風そよぐ谷」というサブネームがつけられており(ちなみに大多喜には「デンタルサポート」とつけられています。有名な歯医者さんが居るようです)、ムーミン谷を意識しているようでもありますが、別に駅以外にアミューズメント施設が設置されているわけではありません。
 駅の近くにちょっとしゃれた喫茶店があり、マダムは前から気になっていたと言うのですが、なんとランチタイムが終わると夕方までお休みで、入店できません。他には飲食店らしきものが見当たりません。
 結局ここでも、のんびりした、一面手持ち無沙汰な1時間余りを過ごすしかありませんでした。もっともプラットフォームのベンチに腰掛けて暑さにあえいでいると、「急行」が到着して、しばらく停車していたので、暇つぶしにはなりました。
 いすみ鉄道には、なんと今や希少価値とも呼べるようになった、「急行料金をとる急行列車」が走っています。JRではすでに定期列車としては「はまなす」だけ、ずっと急行の格を守っていた東武鉄道も脱落し、いまでは私鉄では秋田内陸縦貫鉄道秩父鉄道大井川鐵道に残るだけになっています。この3社に共通するのは、かなりの長さを持つ路線であること、観光の要素が強いことでしょうが、いすみ鉄道の「急行」はちょっと変わっています。
 まず、「急行『○○』」というような名称が無く、「急行」そのものが愛称名になっていること。「急行1号」「急行4号」といった言いかたをします。また、全線を通して走るわけではなく、約半分にあたる大原-大多喜間15.9キロだけの運転です。それから、その15.9キロを走るのがちっとも速くなく、実に38分を要すること。同じ区間の普通列車は30分ばかりですから、おかしな話です。
 実はこの「急行」、「国鉄時代の急行型ディーゼルカー・キハ52系を用いて走る」というのが売りのイベント列車なのでした。大原-大多喜間、上総東と国吉だけに停車しますが、国吉ではおよそ10分ほどの長時間停車をします、おそらく乗客がムーミンショップで買い物ができる程度の時間をとっているのでしょう。実際見ていると何人もが買い物に行きましたし、いよいよ出発となった時にあわてて駆け込んでくる乗客も居ました。
 かように観光要素が強い、というより観光イベントそのものであるような「急行」で、しかも原則土休日の運転だけですが、それでも「急行」が絶滅しつつある昨今、このような有料列車が走っているのは頼もしい気がします。この日は月曜日でしたが、夏休み中なので臨時運転していたのでしょう。

 国吉から大原への列車では、千葉を通過して以来はじめて座席を確保できませんでした。今回の旅で坐れなかったのは、その後は最後の京浜東北線だけでしたから、この区間の混雑は予想外でした。
 私とマダムは運転席横あたりに陣取って車窓をきょろきょろしていました。それは、2ヶ月前にいすみ鉄道に乗った際、マダムと一緒に遠足に参加していた人が、沼のような水場でムーミンが釣りをしているのを見たと言っていたそうで、マダムはその場所を忘れてしまっていたのでした。それで探していたのですが、国吉駅近くではなく、上総東から西大原にさしかかるあたりの左側(大原から向かえば右側)にそのオブジェがあったのでした。私たちが発見したのではなく、運転士の隣に見習いのような女性が立っていて、彼女がマダムの「あったはずなんだけど」「こんな本格的な川じゃなくて、小さい沼みたいなところで……」などの言葉を全部聞いていたらしく、
 「あ、ここですね」
 と教えてくれたのでした。ムーミンだけでなく、スナフキンミイパパママあたりまでみんな作られていました。大原着16時02分。
 ここから大網まで、旅程上どうしても特急「わかしお」に乗らざるを得ませんでした。このため、この日は青春18きっぷを活用することができなかったのでした。特急利用ができないため、元が取れなくなってしまったのです。大原-大網程度の短距離の場合、房総特急は自由席に限り500円だけで乗れるという規定にも助けられました。マダムは大喜びです。
 この車中で、私はようやくシャツを着替えました。汗だくの状態で着替えると、着替えたほうのシャツもすぐにびしょ濡れになってしまうので、ある程度の時間冷房下に居て、汗が引いた頃を見計らう必要がありました。その結果、特急列車内ということになってしまったのでした。
 そのまま乗っていれば東京に戻ってしまうのですが、大網で下車。東金線に乗り換えます。
 特急到着から3分後に東金線の列車が発車したのですが、「わかしお」を下りた場所から階段までがえらく遠く、しかも大網駅独特の構造のため、3分では乗り換えができませんでした。事前に調べた乗り換え案内でも、ここは接続ということになっていません。
 なお独特の構造というのは、大網駅は外房線と東金線が分岐したのちに駅舎やプラットフォームが作られたとしか思えない造りをしており、そのため両プラットフォームがえらく離れているのでした。
 大急ぎしたら間に合ったかとも思うのですが、暑くて走る気になれないので、その電車は見送りました。次は約30分後の17時17分です。
 切符の仕様上、改札を出るわけにゆきません。30分をどうやって過ごそうかと頭を抱えましたが、東金線のプラットフォームに上がってみると、17時09分発の千葉行き電車がほとんど乗客の無い状態で停車していました。車内はすてきに冷房が利いていたので、しばらくその中で涼みました。幸い、その千葉行きが発車するより前に、私たちが乗る予定である成東行きが到着したので、すぐに移りました。
 成東まで東金線電車で行き、総武本線に乗り換えて銚子へ。このルートは5年ばかり前に通ったことがあります。総武線電車に乗ったあたりから夕暮れとなり、真っ赤な夕陽が、明日も暑いぞと言いたげなぎらつきを保ったまま落ちはじめていました。
 銚子に着いたのは18時31分。ここでひとまずローカル私鉄めぐりの旅を打ち切って宿泊します。「めぐり」と言っても、この日は小湊鐵道といすみ鉄道を通して乗っただけでしたが、翌日は4路線を乗り潰す予定です。
 ホテルは「銚子で一番安い」を標榜しているだけに供食施設が無く、銚子駅前の魚料理屋で夕食をとりました。港町だけに舌鼓を打ちたくなるような美味で、なおかつヒゲタとヤマサのお膝元だけあって醤油がおいしいこと。特に煮物の煮汁が絶妙で、マダムも私も大いに満足しました。

(2013.8.13.)

II

 ローカル私鉄に乗る旅の1日目は銚子で泊まり、翌8月13日(火)の朝は5時に起きました。朝のうちに、銚子電鉄に乗ってきたいと考えたのでした。わずかに全長6.4キロしかないミニ私鉄で、全線通して乗ってもせいぜい20分です。初電である5時35分発に乗り、終点・外川(とかわ)から海沿いを散歩してひとつ手前の犬吠(いぬぼう)まで歩き、戻ってきても、まだ朝食をとってチェックアウトする暇は充分にあります。
 あわよくば、海辺に出たあたりで日の出を拝めないかと思ったのですが、それは夏の朝の早さを舐めた考えでした。5時に起きて身支度しているあいだに、東に向いた部屋の窓から、朝日が差し込んできたのでした。しかもすでにもうかなりの高度に達しています。あかあかと照り映える朝日は、この日も暑くなりそうであることを予感させました。
 もっとも、外へ出てみると、案外としのぎやすい気温であるようでした。前夜も陽が落ちてしまうと私の家の附近よりも楽な感じで、海風のおかげなのか、それとも家のあたりが温室効果の影響下にあるのか、よくわかりません。
 銚子駅の自動券売機には、銚子電鉄の切符も発券できるようになっているのですが、私は「1日乗車券」を買いたいと思いました。これは1日フリーパスになる切符なのですけれども、銚子から外川もしくは犬吠までの往復運賃と同じ620円で、つまり往復しさえすれば元が取れるというお得なものなのでした。前日の「房総横断乗車券」と同じく、こういう企画切符はJRと共用の券売機では買えないようです。

 改札で「銚電に乗ります」と声をかけて無札でプラットフォームへ。銚子電鉄の乗り場は2・3番プラットフォームの尖端にあります。
 前に乗りに来た時は、銀座線のお下がりの単行車輌でしたが、今回停まっていたのは、京王線のお下がりらしい2輌連結の電車でした。夏休みなので、お客がけっこう多いため、2輌にしてあるのでしょう。
 しかし、5時35分発の初電には、私たちの他には乗客が居ません。完全に貸し切り状態でした。
 運転士に1日乗車券を求めると、
 「いまはどこまで乗られますか」
 と問い返されました。
 「まずは外川まで行きますけど」
 「じゃあ、外川に着いたらお渡ししますよ。いまはここに持ってないもんで」
 銚子電鉄に乗るのは、私は5年ぶり3回目ですし、マダムも数年前に乗ったことがあるそうです。前項で触れた、マダムの入っている合唱団の遠足でのことで、この合唱団は時々千葉県内を日帰りバス旅行しています。行き先が千葉県内に限るのは、マダムの出身大学の卒業生のうち、千葉県在住者のみによって結成された合唱団だからで、「わが県をもっと知ろう」というのがコンセプトらしいのでした。マダムは現在は私と同じく埼玉県民ですが、結婚前は千葉県内の実家に住んでおり、いまだにその合唱団に属しているわけです。
 バス旅行ではあるのですが、その行程の中で鉄道に乗るというイベントが含まれることがあって、いすみ鉄道にも銚子電鉄にも全線乗ったそうです。空っぽのバスは終点に先回りして待っているわけですが、なんだか無駄なような、しかし妙に楽しそうな遠足です。
 ふたりとも比較的近年乗っているのですから、今回は銚子電鉄を割愛しても良かったのですけれども、やはりローカル私鉄に乗りにきた以上、銚子まで訪れて銚子電鉄を無視するのは仁義に反するような気がしました。
 途中で乗ってくる人も居らず、私たちふたりだけの貸し切り状態で外川に到着します。
 「券は、そこの窓口で買ってください」
 と運転士に言われました。外川駅の駅舎には窓口があり、そこにはすでに女性駅員(委託かもしれませんが)が詰めています。しかし、私たちが声をかけなかったら駅員はこちらに気がつかなかったでしょう。そうすると、運賃を払わずにこっそりと逃げ出すことだって、そう難しくはなかったはずです。このあたりのいい加減さというかアバウトさというか、少々あきれながらも、これこそローカル私鉄の魅力でもあるなあ、とうなづいてしまいました。
 1日乗車券は、15センチ角の正方形に近いような厚紙でできており、日付を黒々と捺した乗車券部分の他、簡単なイラストマップ、それからいくつかの施設の割引券などが印刷されていました。割引券の部分はミシン目が入っており、使う時に切り離すようになっています。残念ながらそれらの施設はこんな早朝にはひとつも開いておらず、使うことはできないのですが、上記のとおり往復運賃と同じ値段の切符ですから、損にはなりません。

 外川駅からまっすぐ坂を下りてゆくと海辺に出ます。前にひとりで来た時は、長崎の集落をぐるりと廻って、犬吠埼まで遊歩道を歩いたのですが、今回はそこまでの時間は無く、またマダムの靴が新品であるせいか少し歩きづらそうです。それで車道を通って、わりに高い位置から海を眺めつつ、犬吠駅まで歩きました。
 朝の散歩はやはり気分が良いものです。マダムも私も、普通の勤め人などに較べると日常のサイクルが2時間くらいあとにずれており、当然のごとく朝は寝坊することが多いのですが、それだけにたまに早起きしてみると、いやに新鮮な気分になります。
 気温はまださほど上がっていませんでしたが、湿気はあり、案外とアップダウンの激しい道でもあって、犬吠駅に着く頃にはやっぱり汗ばんでいました。
 犬吠駅には売店があって、濡れ煎餅などを売っています。銚子電鉄の濡れ煎餅といえばもう有名です。利用者の減少から深刻な経営難に陥り、廃業さえ考えた銚子電鉄が、起死回生の手段として売り出したのが、銚子名物の醤油を活かした濡れ煎餅の販売でした。口コミで評判が拡がり、観光客のみならず全国から注文が寄せられるようになって、銚子電鉄は危機を脱したのでした。ミニ私鉄だけに、こんな小さなことでも劇的に効果があったのです。いまや濡れ煎餅の売り上げは、鉄道事業による収益の実に3倍に及び、鉄道会社の副業というよりも、「煎餅屋が電車を走らせている」みたいな様相になってきています。
 そんな大繁盛ですから、銚子電鉄の濡れ煎餅自体はあちこちで入手できます。銚子駅の売店などでも売っています。しかし、犬吠駅売店では、正規商品にならない半端ものの濡れ煎餅を袋詰めにして売っており、こればかりは他ではなかなか手に入りません。私はこれが好きなのですが、残念なことに売店が開くのは10時です。しんと静まりかえった駅舎を抜けてプラットフォームに出て、戻りの電車で銚子に帰りました。

 銚子駅近辺で朝食を済ませようと思ったのですが、マクドナルドくらいしか見当たりません。ここへ来て朝マックというのもなんとなく悲しいものがあり、仕方なくコンビニでパンやのりまきなどを買ってホテルへ戻り、部屋で食べました。
 一旦部屋へ戻ったので、シャワーなども浴びることができ、着替えてさっぱりした気分でチェックアウトしました。9時17分の成田線電車で銚子をあとにします。
 成田線には下総豊里下総橘下総神崎など、「下総」を冠した駅名が目立ちます。この路線の他には、総武本線近郊区間の下総中山しか無いので、銚子に近いほどのあたりに「下総○○」がたくさんあると、なんだか不思議な気がします。
 群馬県=上野国栃木県=下野国などのように、旧分国がそのまま一県になっているところはわかりやすいのですが、千葉県には下総・上総・安房の三国が含まれており、しかもそれぞれの国境が川や山脈などで区切られているわけではなく、あまり明確ではないため、どの辺がどこに属するのかがなかなかわかりづらいきらいがあります。
 千葉県は普通に南北に輪切りにして、北側から下総・上総・安房と名付けられているものですから、茨城県との境目近くを走る成田線に「下総○○」が多いのは当然なのでした。前の日に房総半島を横断した、小湊鐵道やいすみ鉄道が走っているあたりを中心とした地域が上総、その南側のわりと山深い地域から先が安房という形になります。
 千葉県と茨城県との境目は、現在ではほぼ利根川になっています。利根川は江戸初期までは東京湾に流れ込んでいて、17世紀末〜18世紀初頭頃に現在の銚子河口に付け替えられました。これだけ大きな川の流路を変えるのは、現在の土木技術をもってしても容易なことではなさそうに思えます。
 佐原出身の伊能忠敬が、測量術を志して50歳を過ぎてから猛勉強にはげみ、ついに前人未踏の日本地図を完成させてしまったというのは、感動的な話ですが、そのあたりには利根川の付け替え工事に由来する土木工学や測量術の伝統が、もともと濃厚にあったのではないでしょうか。そういう空気があったからこそ、忠敬は老後の道楽として測量の勉強を選び、勉強してみると面白くなってのめりこみ、とうとう日本縦断測量の旅に出かけてしまったのではないかと私は推察します。
 その佐原で電車を下りました。ここは下総の小京都と称されている街で、忠敬の生家その他見どころも多く、歩いてみると面白そうなのですが、ここで下りた理由は鹿島線の電車を待つためです。成田線と鹿島線の分岐駅は佐原からひとつ銚子寄りの香取ですが、以前香取で乗り換えて、駅前になんにも無いことを知っていたので、佐原まで出てきた次第です。
 千葉県内の鉄道運行というのは、東京から総武線・成田線・内房線・外房線などの各方面へ向かう、あるいは各方面から東京へ向かうルート上の接続は大変便利にできているのですが、各線相互の移動のことはあまり考えられていません。例えば前の日の東金線などが良い例で、外房線の下り列車から東金線、あるいは東金線から外房線の上り列車であれば、待ち時間も少なく、良好な接続で乗り換えられます。しかし私たちがやったように外房線上り列車から東金線という乗り換えは、どうにも不便な場合が多いのでした。
 同様に、成田線上り列車から鹿島線というのも、どの時間帯を見ても接続が悪く、香取駅では50分近く待たされるのが常です。佐原まで出れば40分程度になりますが、それにしても便が悪いこと甚だしいものがあります。
 佐原の街の見どころの多くは、駅から少し離れており、短い散策ルートでも2時間くらいは要するようですから、40分では見物まではできません。駅前を少しぶらついて、すぐに戻りました。そもそも暑くて、長くぶらついてもおれず、すぐ駅に戻りたくなるのでした。
 10時49分の鹿島線電車に乗ります。利根川橋梁、それに北浦橋梁という、ローカル線には過ぎた規模の長大橋を渡って、17分で終点の鹿島神宮に到着。プラットフォームの反対側に停まっている鹿島臨海鉄道のディーゼルカーに乗り換えると、すぐに発車となります。
 鹿島臨海鉄道は私は何度も乗ったことがあるのですが、臨海鉄道という名称にもかかわらず、車窓から海が見えるところがまったくありません。もともと国鉄鹿島線の延長として建設された路線が、国鉄改革に際して切り捨てられかけたところを、鹿島臨海工業地帯の便宜のため貨物線主体で営業していた鹿島臨海鉄道が、同社の大洗鹿島線として経営を引き受けたという経緯ですから、看板に偽りありと責めてみても仕方がないのでした。
 ちなみに、大洗鹿島線を引き受けるまでの鹿島臨海鉄道にも、旅客列車は走っていました。ただし、日にわずか3往復という、ほとんどやる気のない旅客営業で、駅に下りても工場以外なんにもありませんでした。鹿島臨海鉄道は成田空港への燃油輸送をしていたので、反対派の批判をかわすために申し訳程度に旅客列車を走らせていただけで、そもそも本意ではなく、「乗れるものなら乗ってみろ」と言わんばかりのダイヤになっていたのも、何やら役所とか空港反対派に対する無言の抗議だったかのように感じられないでもありません。当然、利用客もほとんど居らず、大洗鹿島線を引き受けることが決まった途端に、嬉々として──としか思われません──それまでの旅客列車を廃止してしまいました。
 大洗鹿島線は53キロに及ぶかなり長い路線で、最初の頃は快速列車なども走っていたのですが、いまでは全列車が各駅停車となっています。
 海も見えず、さして楽しい車窓というわけでもないので、朝が早かったせいもあり、しばしば睡魔が襲ってきました。
 ただ車内で少し気になったのは、わりに外国人の乗客が多かったのと、地元以外と思われる乗客が目立ったことでした。
 「いちどは途中下車する」というのが今回のローカル私鉄めぐりの縛りになっていましたが、鹿島臨海鉄道では大洗で下車しました。ちょうど昼食の頃合いでしたし、大洗からは終点の水戸までの区間運転が多いという、それだけの理由です。
 ところが、大洗での下車客がやたらと多かったので驚きました。上記の、地元以外と思われる乗客の大半がここで下りました。まるで大観光地でもあるかのようです。
 大洗には海水浴場がありますし、アクアワールドという大きな水族館もあります。しかし下車客の大半は、そういう、いわばファミリー向けのレジャーのために訪れたとは思えないような様子でした。単独客にしろグループ客にしろ、男がほとんどです。
 大洗で一体何が起こっているのか。実は私には最初から見当がついていたのですが、プラットフォームから階段を下ってみると、一目瞭然でした。

(2013.8.14.)

III

 8月13日(火)の12時06分、鹿島臨海鉄道大洗駅に下り立った少なからぬ下車客の大半は、家族連れでもカップルでもなく、単独またはグループの男性ばかりでした。マダムを伴って、つまり女連れで下りた私のほうがむしろ違和感を覚えてしまうほどの様子でした。
 大洗駅のプラットフォームから階段を下り、改札への通路に出ると、この異様な空気の原因は一目瞭然でした。彼らは「聖地巡礼者」なのです。
 近年人気になったアニメやマンガ、ひいては小説などに至るまで、その舞台となった土地はファンから「聖地」と呼ばれ、その土地を訪れることを「聖地巡礼」と言うようになっています。好きな作品の舞台を訪れてみる、という行為は、個人的なレベルでは昔からおこなわれていると思うのですが、最近の顕著な特徴としては、同好の士がネットなどで連絡を取り合い、いわば「オフ会」のような形で集団で「聖地巡礼」をおこなうことが多くなったという点でしょう。
 聖地巡礼がなかば社会問題化しはじめたのは、「らき☆すた」というアニメあたりからだったでしょうか。実は私はこのアニメはチェックしていなかったのですが、わが埼玉県の端っこにある鷲宮という町が聖地で、ファンが大挙して押し寄せた結果、周辺住民にだいぶ迷惑がかかったようです。
 しかしこの問題化を機に、聖地巡礼者は地元住民に迷惑をかけないようにという「倫理」が確立したのでしょう。また逆に、アニメの舞台になれば多くの巡礼者が来訪して、無視できないほどの経済効果があるということが知れ渡り、多くの自治体が「アニメの舞台」誘致にしのぎを削るという状態になったのでした。嘆かわしいのかどうなのかは知りません。

 やがて「ご当地アニメ」とでも呼ぶべき作品が次々と作られるようになりました。私が見たことのある範囲でも、「おねがい☆ティーチャー」木崎湖周辺、「天体戦士サンレッド」川崎「あの夏で待ってる」小諸「輪廻のラグランジェ」安房鴨川「惡の華」桐生などがありましたが、さて大洗を舞台としたアニメと言えば、去年の秋に放映のあった「ガールズ&パンツァー」です。
 戦車を操って対戦する「戦車道」なる「武道」が「乙女のたしなみ」とされている、というぶっ飛んだ設定の世界観の中で、女子高生たちが力を合わせて戦車戦に挑む物語です。戦車というゆゆしき兵器を、一種のスポ根ものとして描いているのが異色でした。登場人物はほとんどが女性で、男はモブキャラしか居らず、従って女子高生たちが主人公でありながら、恋愛などの要素が一切排除されていたのも注目に価します。
 主人公たちが属しているのが「大洗女子学園」という架空の学校です。なお大洗高校という学校は実在しますがここは共学で、女子学園はフィクションです。しかも街そのものが巨大な艦艇に乗っているという変な設定もありました。この設定はアニメの中ではあまり活かされていなかったようで、もしかしてシーズン2への布石かとも思われたのでしたが、ともあれ街並みの描写は、かなり細部に至るまで実際の大洗の街を摸していたようです。
 このアニメは、これでもかというほど大量に美少女が登場する点で、典型的な「萌えアニメ」かと見えましたが、上記のとおり恋愛的要素を完全に排除していたり、戦車という小道具のティテールに相当にこだわっていたりという異色ぶりが、量産される萌えアニメに食傷気味だったアニヲタのあいだでも高評価を受けたようです。また、偶然か計画的か、最後の2話の制作が遅れて、それだけ今年の春の発表になったというアクシデントも、視聴者の関心を持続させるポイントだったかもしれません。
 そんなわけで大洗に聖地巡礼者が殺到するのは自然の勢いだったのでした。しかも先週末にコミックマーケットが済んだばかりです。
 聖地となった大洗町の側も、徹底的にアニメとコラボしようとしました。鹿島臨海鉄道の列車内にも「ガールズ&パンツァー」のポスターが貼られていましたし、駅の通路はさながらガルパンミュージアムの様相です。改札口には

 ──祝 全国大会優勝 大洗女子学園

 と書かれた横断幕まで掲げられていました。
 駅の売店にはガルパングッズが所狭しと並んでいます。駅の外へ出ても、あちこちに幟や旗がひるがえっており、どう考えても近所の人しか立ち寄りそうにない一杯飲み屋の玄関口にまでガルパンの幟が立っていました。いささか浮かれすぎではないかと思ってしまうほどでした。

 さて、私がここに下り立ったのは、ローカル私鉄に乗るにあたって「いちどは途中下車する」という縛りをつけたのと、そろそろ昼食時だったからでした。12時31分という次の便に乗って先へ行っても良かったのですが、食事をしたかったので、その次の13時03分発に乗る予定にしてありました。
 ところが、駅周辺にはレストランとか喫茶店とか、そのたぐいのものがさっぱり見当たりません。洋食屋の看板を出しているところがあったので行ってみましたが、本日休業の札が下がっていました。
 どうも前の日から、こんなことが多いようです。ローカル私鉄の駅前などは、その町にとってさほど重要な地区ではないのかもしれません。JRの駅でも、その所在の市や町の中心的な繁華街からは離れているというケースがけっこうありますが、それでも無人駅とかよほど新しい路線とかいうのでない限り、駅前はそれなりに整備されていると思うのですが、ローカル私鉄ではそれほどの吸引力さえも得られないのかもしれません。
 鹿島臨海鉄道などは、比較的新しい路線でもありますし、土地取得の問題もあってむしろ街外れに駅を造った気配もありますから、駅前が閑散としているのは仕方がないのでしょう。県庁所在地の水戸に隣接した、いわば近郊ベッドタウンであるのにどうしたことかとも思いますが、駅の立地からしても、マイカー利用から鉄道利用へ大量にシフトさせることはできていないのだと思います。町の中心部に出るのにバス利用の必要があるようでは、マイカー利用者を振り向かせることは難しいのではないでしょうか。
 そこかしこに出没している巡礼者たちを横目で見ながら、駅に戻りました。養老渓谷の時のように、コンビニっぽい食料品店兼雑貨屋で食べるものを仕入れようとも思い、確かにそれらしき店もあったのですが、残念ながら品揃えは養老渓谷駅前よりさらに貧弱で、昼食にするに足るほどのものは売っていないのでした。
 駅に戻ると、駅舎の壁に寿司屋の広告が出ていて、駅から近いようでしたが(歩き回った時に見当たらなかったのは、少し奥に入っているからだったようです)、1時間弱の待ち時間がすでに30分以上過ぎており、これから寿司屋に出直すのも時間的にあわただしい観がありました。
 それで、ガルパングッズだらけであった駅の売店にもういちど入ってみると、駅弁が置いてあるではありませんか。
 大洗駅は、私鉄にしては珍しく駅弁を売っている駅なのでした。JTBの時刻表の該当ページにも、ちゃんと駅弁販売マークがつけられています。
 マダムは「印籠弁当」、私は「ダイダラボウのはまぐりめし」を買い、駅の待合室で食べました。印籠弁当はその名のとおり、水戸黄門の印籠に似せた弁当箱にご飯やおかずがつめられています。はまぐりめしは大きなハマグリの煮付けが8つも乗っています。大洗駅の駅弁はこの他、「三浜たこめし」や、ホッキ貝を使った「一念発起」などがあります。「一念発起」もちょっと気になったのですが、これは売り切れでした。
 印籠弁当の容器は、弁当箱として再利用できそうな造りになっていますし、はまぐりめしはしっかりした柳行李に経木を敷いてその上にご飯を乗せてあり、食べ終わったら経木だけ捨てれば柳行李はそのまま使うことができます。いずれも食材がよく吟味されておいしく、容器にもこだわりを持った、ポイントの高い駅弁なのでした。下手に喫茶店などに入らなくて良かったと思います。
 マダムも私も大いに満足して、13時03分の水戸行き列車に乗りました。水戸までは3駅、20分ばかりで到着します。

 水戸ではあまり時間がありません。5分の乗り換えで、13時27分発のいわき行きの電車に乗るつもりだったのですが、プラットフォームに下りかけると、いましも発車ベルが鳴っている電車が居ます。私はあわてて駆け下りて、閉まりかけた扉に足をつっこみ、マダムが階段を下りてくるのを待ちました。車掌の眼に止まったので、待ってくれるのは確実ですが、少々ばつの悪い想いでもあります。
 6輌編成くらいの、かなり長い編成なのに、乗客はほとんど居ません。あとで調べたら、13時23分発で、水戸と勝田のひと駅間だけを走る短距離電車でした。水戸あたりで4分差で電車が走るとは思わなかったし、乗り換え時間も1分しかなかったわけで、計画時にこの電車の存在には気がつきませんでした。
 6分ばかり走って勝田に着くと、この電車555Mは、折り返し小山行きの水戸線電車となるようでした。空気を乗せたような状態でひと駅間だけ走るのは、実際には水戸線電車を勝田から走らせるための回送みたいなものだったわけです。
 私たちは勝田で下車するつもりだったので、ここで下ろされても問題はありません。勝田駅を訪れるのも久しぶりですが、ずいぶん明るい近代的な駅になりました。
 ここから出ているローカル私鉄は、ひたちなか海浜鉄道です。つい最近まで茨城交通と名乗っていました。経営不振で倒産寸前になり、廃止になりかけましたが、第三セクターとして息を吹き返したわけです。茨城交通の名は、分離したバス部門に残りました。
 この近くにはかつてもうひとつ、日立電鉄というローカル私鉄が走っており、銀座線丸ノ内線から譲渡された電車が走っていましたが、経営難だったのは同様で、こちらは引き受け手も見つからず、惜しまれつつ廃止となりました。明暗を分けた形になりましたが、ひたちなか海浜鉄道のほうは全線がひたちなか市に含まれるために利害の調整がしやすかったのと、海水浴場の阿字ヶ浦、それに旧那珂湊市の中心で港町でもある那珂湊という行楽地を擁していたのが大きかったのでしょう。日立電鉄は、常陸太田市日立市にまたがっていた上、沿線に特に観光地も無く、終点の鮎川というのがなんとも微妙な場所(JR常磐線の線路にへばりついたような中途半端な道端)にあったりしたので、存続運動をするにも扱いづらかったものと思われます。
 茨城交通あらためひたちなか海浜鉄道の乗り場は、勝田駅の東側に併設されています。乗り換え口の窓口で、「湊線1日フリー切符」を購入しました。勝田から終点・阿字ヶ浦までの片道運賃は570円、フリー切符は800円ですから、往復するだけで楽々元が取れてしまうという太っ腹な企画切符なのでした。
 かなり新しい、明るい感じのするディーゼルカーが入線してきました。中古車輌とはいえ、1998年に、すでに廃止された三木鉄道のために新造されたミキ300形という車輌で、20年落ち30年落ちがあたりまえのローカル私鉄としては、まだ新品同様と言って良いでしょう。クロスシートであるのも嬉しいところです。
 勝田の駅を出ると、常磐線とのあいだに渡り線があるのが見えました。以前は水戸から直通の列車も走っていたのです。それどころか、海水浴シーズンだけではありますが、上野から急行「あじがうら」というのが直通していたことさえあるのでした。国鉄車輌のサイズだと2輌以上は入れなかったと思われ、たぶん他の急行列車に水戸まで/から併結されていたのでしょうが、1970年代頃まではこういう大胆な乗り入れがあちこちで見られたものです。
 ひたちなか海浜鉄道で眼を惹くのは、各駅の駅名板に用いられているアーティスティックなレタリングです。9箇ある駅のすべてに、その駅だけの独特なレタリングが施されており、それを見ているだけでも飽きません。例えば勝田駅は、「勝」の字の右上部分に朝日らしき放射模様が描かれ、「田」の字は正方形の中にビルディングが建っているようなデザインになっています。鹿島灘に面したひたちなか市の中心であることを象徴しているわけでしょう。
 自衛隊基地が近くにある金上は、飛行機と戦車(自衛隊では「特殊車輌」と称していますが)をモティーフにしたデザインです。古墳のある中根は、「中」の中心棒が銅剣の形、「根」の右側が前方後円墳の形になっています。平磯の「磯」の字に含まれているパラボラアンテナはなんのことかと思っていたら、駅からかなり離れたところにちゃんと大きなパラボラアンテナが建っているのが見え、「ああ、これか」と心から納得しました。全駅のデザインがひたちなか海浜鉄道のサイトに載っているので、興味のあるかたはご覧ください。
 海がさっぱり見えない「臨海鉄道」である鹿島臨海鉄道とは違って、こちらの「海浜鉄道」では終点近くで海が見えました。かなり遠くで、暗かったり雲が立ちこめていたりするとわからないかもしれません。私は茨城交通時代から数えて3度目の乗車でしたが、海が見えることに気づいたのは今回がはじめてでした。
 25分ほどで阿字ヶ浦に到着します。阿字ヶ浦駅前には店舗のたぐいがなんにもないということは、前に来た時からわかっていましたが、今回は駅前に、竹を並べて造った茶室みたいなものが建てられていました。
 ひたちなか市では、8月後半に「みなとメディアミュージアム(MMM)」というイベントを毎年開催しています。街の中にいろんなアート作品が展示されていたり、ワークショップやフィールドワークがおこなわれたりしているようで、この日の朝、銚子の宿でつけていたテレビのニュースでも採り上げられていました。阿字ヶ浦駅前の茶室もその一環で、会期中ときどき茶人が来てお点前をするようです。前日に来ていれば参加できたらしいのですが、残念ながらこの日は誰も居ませんでした。
 暑いので早々に車内に戻ります。列車はこの終点に22分滞在して折り返します。

 復路は、行程のちょうど真ん中にある那珂湊駅で下車しました。「おさかな市場」という巨大な海産物市場を覗いてみたかったのですが、朝のニュースでMMMのことを知り、展示作品を見てみたいという気にもなっていました。阿字ヶ浦駅前の茶室は特殊なケースで、基本的には那珂湊の街中が会場になっているのです。
 駅で自転車を貸し出していました。なんと4時間まで100円という、ただみたいな料金です。早速借りることにしました。大きな荷物を置いてゆきたかったので、コインロッカーでも無いかと駅員に訊いてみると、200円で駅事務室で預かってくれるとのこと。個数にかかわらず1回200円なので、コインロッカーよりもずっと割安です。
 プラットフォームに置いてあった自転車を牽いて、改札口を通って駅の外へ出て行くのは、なんだか妙な気持ちがしました。サイクルトレイン(自転車を持ち込むことのできる列車)を運転している地域では別に不思議でもなんでもないのでしょうが。
 走り出して気がついたのですが、私の借りた自転車はかなりヤバい状態で、後輪がぐらぐらと揺れ、下手をするとハンドルを取られてしまいそうなほどでした。どうもスポークの4、5本くらいは折れていたような気がします。駅に戻って取り替えてこようかとも思ったのですが、時間がもったいないので、注意深く走ることにしました。
 アート作品の展示は、駅に置いてあったMMMの小冊子の地図に場所を記してあったのですが、どうもわかりにくくて困りました。駅前ロータリーの角という、非常に明確な場所にもひとつ作品が展示されていたはずなのですが、よくわかりません。空き地に物干し竿を立ててTシャツを7、8枚吊していたのがほかならぬ「作品」だったのであるらしい、と後になってようやく気がつきました。
 おさかな市場へ向かう経路上にもふたつばかり作品があったらしいのですが、気づかぬまま通り過ぎてしまいました。現代美術というのは、しかるべき「場」に置かれないと実は「作品」として認識されにくいのではないか、と小声で呟きたくなりました。便器に「泉」とタイトルをつけて美術館に並べたマルセル・デュシャンの「作品」も、美術館に展示されていたからそれで通用したので、そこらの道端に置かれていたらただの小汚い廃物です。
 道が尽きて港に面したところに、おさかな市場が拡がっていました。かなり広大な市場が5、6軒も連なっており、観光客や買い付けの客でごった返していました。寿司屋などの食堂が併設されているところもあるし、店先では岩ガキやサザエなどをその場で食べさせるテントが出ています。この暑いのに、猥雑なほどの活気にあふれていて、生臭い空気に包まれながら、徐々に当方のテンションも上がってくる気がしました。
 これから帰宅するまではまだ間がありますので、発泡スチロールの箱に詰めた魚を持ってゆくわけにはゆきませんでしたが、マダムの希望で味噌漬けの切り身魚を少しばかり買い求めました。あと柴漬けのワカメと、土産用に岩海苔の小瓶もいくつか買いました。漬け物なので持ちは良いかと思ったのですが、保冷剤を入れずに持ち帰ったので、家に帰ってみるとやはり微妙な様子になっていました。一応食べられましたがギリギリだった感じです。
 買い物を済ませてから、併設された回転寿司屋に入りました。まださっき食べた駅弁が完全には消化されていない腹具合でしたが、魚市場に来たのですからやはり新鮮な魚を食べたいところです。寿司なら食べる分量も調節が利きますので好都合でしょう。
 マグロの切り落としを軍艦巻きにしたのを食べて、そのおいしさに驚きました。もともと私はそんなにマグロが大好きというわけでもなく、寿司屋でも省略することが多いのですが、こういうところで食べればこれほど美味なのかと瞠目する想いでした。
 鯛やブリも、普段食べているのとは別の魚かと疑うような味です。やはり港町では寿司を食べるに限るなあ、と思いました。
 圧巻だったのは、生サバの握りです。ひと皿だけ流れているのを見つけました。マダムは少々消極的な様子でしたが、生サバというのはとてもレアで、うまいものであるということを聞いていましたので、かなり高めの絵皿でしたが思いきって取ってみました。
 サバの生き腐れという言葉があるように、サバという魚は非常に傷みやすく、それだからできるだけ速く酢締めにしてしまうのが鉄則とされています。生で食べられる状態で漁から持ち帰れること自体がそう多くはないようです。だから店の品書きにも、入荷が無いことがある旨明記されていました。もちろん漁港近くでしか食べることができません。長時間の輸送に耐えるものではないのです。
 私も、実際に食べるのははじめてでした。口に含んだ途端、ねっとりとした甘みが口の中に拡がり、鼻腔に抜けるのを感じました。他の青魚とは格が違う、と思いました。マダムも歓声を上げていました。半世紀近く生きてきて、この味を知らなかったというのは、人生の楽しみの何割かを失っていたのではないかとさえ感じたのでした。
 他の青魚、と言いましたが、そのあとで食べたアジも絶品と言うに近かったのでした。
 まだまだ食べたいものがあったのですが、ふたりで7皿ほど食べるとおなかがいっぱいになってしまいました。駅弁など食べなければ良かったと後悔しました。

 廃業した食料品店みたいなところに展示されていた作品を途中で見てから、駅に帰りました。自転車を返しつつ、後輪の不調のことを担当の駅員に伝えておきました。駅員はちょっと自転車の様子を見て、
 「ありゃりゃ、これはひどいですね。申し訳ありません」
 と苦笑しました。
 「別にお金を稼ごうと思ってやってるわけじゃないんですが……でも、整備はちゃんとしとかないといけないですね」
 4時間まで100円というレンタル料金は、他で見たことがない安さで、営利でやっているのでないことはよくわかります。とはいえ、一応営業である以上は、事故でも起こればやはり責任を問われることになるでしょう。最低限の整備はしておく必要があると思います。
 16時51分の列車で那珂湊をあとにしました。またいつか訪れてみたい街です。
 勝田に戻り、またひと駅乗って、水戸で上野行き電車に乗り換えました。
 このまま帰っても良いのですが、オマケで関東鉄道竜ヶ崎線に乗ってゆこうと思います。オマケというのは、わずかに4.5キロしかないミニ路線であるからでもありますが、起点の佐貫に到着する頃にはすっかり陽が落ちてしまっていて、車窓が真っ暗で全然見えないせいもあります。さらに「いちどは途中下車する」という今回の「縛り」を適用するのが無理という事情もありました。この路線で途中下車するとすれば、唯一の途中駅である入地しかありませんが、この駅は周囲に住宅があるばかりで他にはなんにも無く、一日平均の乗降客数が68人という、存在意義さえよくわからないようなところなのでした。こんなところで30分後にやってくる後続列車を待つのはご免こうむりたいものです。
 それで、乗らなくても良いつもりでマダムに訊いてみると、乗ってみたいとの返事でしたので、佐貫で下車しました。電車を下りた時はまだ夕映えが残っていましたが、竜ヶ崎線のプラットフォームに渡って20分ばかり待つうちに、すっかり夜のとばりが下りてきてしまいました。
 平日の晩ですので、勤め帰りらしき乗客がかなり乗っていました。位置的には、都市型鉄道と地方型鉄道の境界あたりにあるような路線ではあります。しかし編成は1輌だけのディーゼルカーで、30分に1本程度の便数ですから、やはりローカル私鉄と言えるでしょう。
 入地で乗り降りする客はひとりもおらず、全員が竜ヶ崎まで乗りました。
 マダムが、そのまま引き返すより、どこか他の路線の駅などまでバスでも出ていないかと言い出したので、駅舎の外のバスターミナルに出てみました。駅前というのに、下車客が散ってしまうとあたりは深閑として、街灯なども少なく、バス停の時刻表を読むのにも難儀するほどでした。
 結局、ここを通過するバスはもともと本数も少なく、この時間(19時15分ほど)にはもう便がないということが判明しました。龍ヶ崎市(駅名と用字が異なります)はそれほど極端な田舎というわけでもないのに、18時台で終バスになってしまうとは驚きです。
 あとで調べてみると、19時16分に取手駅行きが、19時30分に江戸崎行きがあって、それが竜ヶ崎駅前からの両方向への本当の終バスであったようですが、それにしても早じまいです。取手駅行きは私たちが駅の中でうろうろしているうちに通り過ぎてしまったようですし、江戸崎なんてところへ行ってもどうにもなりません。
 乗ってきた列車は、2分ばかり滞在するとすぐに折り返して行ってしまいました。19時40分という次の便を待つしかありません。
 お茶でも飲んで待ちたいところでしたが、駅前をちょっと歩いてみても、まだ19時過ぎというのにすっかり寝静まってしまったかのようです。龍ヶ崎市の中心部は、やはり駅とは少し離れているのかもしれません。開いているかに見えた喫茶店は店じまいするところでした。
 500メートルほど先にコンビニエンスストアの灯りが見えたので、そこまで往復して、飲み物と軽食を買ってきました。なんとか列車の発時刻には間に合いました。
 佐貫まで引き返し、常磐線に戻ります。この日は青春18きっぷを利用していたので、自動改札が通れず、駅員の居る通路を通らなければならないのですが、佐貫駅の駅員が要領が悪すぎて、危うく電車に乗り損ねるところでした。つまり、窓口に居た駅員が、「みどりの窓口」としての発券業務に没頭していて、通路側に注意を払わないため、改札口の両側に人が並んでしまって動けなくなっていたのでした。そのうち、見かねた他の駅員がやってきましたが、これから乗るほうを先に通せば良いものを、プラットフォームから上がってきて精算しようとしていた客を先に処理しはじめたもので、私たちは立ち往生してしまいました。私のうしろから大声で、
 「52分の電車に乗りたいんだよ。早く通してくれないと乗り遅れるじゃないか」
 とアピールした人が居ましたが、発券に手間取っている駅員も、精算に手間取っている駅員も聞こえないふりをしています。
 しびれを切らして私が、青春18きっぷをかざしながら進み出ると、駅員はようやく、面倒くさそうな表情でうなづきました。精算中の下車客の横をすり抜けるようにして入場し、なんとか間に合いましたが、あの国鉄時代を髣髴とさせるような態度の悪さはどうしたものかと思いました。
 日暮里で京浜東北線に乗り換えて帰宅しました。川口駅に下り立つと、空気がまとわりつくようで、やはりどう考えても銚子の晩のほうが過ごしやすいと思いました。

(2013.8.15.)


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